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枕草紙

物集高量 註釋
『紫式部日記・和泉式部日記・更級日記・十六夜日記・枕草紙・方丈記・徒然草』
(新釋日本文學叢書 日本文學叢書刊行會〔内外書籍株式會社内〕 1928.6.15)

※ 原本は枕草紙春曙抄(北村季吟)・校註日本文學大系・群書類從を参照する。
※ 頭注は省略した。

 81-160  161-240  241-321

 1 春は曙  2 頃は  3 正月一日は  4 同じ事なれども  5 思はん子を  6 大進生昌が家に  7 上に候ふ御猫は  8 正月一日、三月三日は  9 慶賀奏するこそ  10 今内裏の東をば  11 山は  12 峰は  13 原は  14 市は  15 淵は  16 海は  17 渡は  18 陵は  19 家は  20 清凉殿の艮の隅の                                                                                                                                          
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第1段

春は曙。漸々(やう\/)白くなり行く。山際すこし明りて、紫だちたる雲の細く靉(たなび)きたる。夏は夜。月の頃は更なり。闇も猶ほ螢飛び交(ちが)ひたる。雨などの降るさへをかし。秋は夕ぐれ。夕日華やかに映(さ)して、山際いと近くなりたるに、烏の寢所へ行くとて、三つ四つ二つなど飛び行くさへ哀なり。況(まい)て雁などの列ねたるが最(い)と小(ちひさ)く見ゆる、いとをかし。日入り果てゝ、風の音蟲の音(ね)など、いと哀なり。冬は早朝(つとめて)。雪の降りたるは言ふべくもあらず。霜のいと白きも。又然(さ)らでもいと寒きに、火など急ぎ熾して、炭持て渡るもいと附々(つき\〃/)し。晝になりて、温く緩びもて行けば、隅櫃(すびつ)、火桶の火も、白く灰勝になりぬるは惡(わろ)し。


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第2段

頃は、正月(しゃうぐゎつ)、三月(さんぐゎつ)、四五月、七月、八九月、十月、十二月、總て折に付けつゝ、一年(ひととせ)ながらをかし。


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第3段

正月(むつき)一日は、況(まい)て空の氣色麗々(うら\/)と珍らしく霞罩(こ)めたるに、世にありとある人は、姿貌(かたち)心殊に繕ひ、君をも我が身をも祝ひなどしたる樣、殊にをかし。
七日(なぬか)は、雪間の若菜摘み、青やかにて、例は然しも然るもの、目近(めぢか)からぬ所に持て騷ぎたるこそをかしけれ。白馬(あをうま)見んとて、里人は車清げに仕立てゝ見に行く。中御門の戸閾(とじきみ)輓入るゝ程、頭(かしら)ども一所に轉(まろ)び合ひて、差櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば折れなどして笑ふも亦たをかし。左衞門(さえも)の陣など殿上人數多立ちなどして、舍人の弓ども取りて、馬ども驚かして笑ふもあり。僅(はつ)かに見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、主殿司(とのもりづかさ)・女官(にょうくゎん)などの行き交(ちが)ひたるこそをかしけれ。如何ばかりなる人、九重を斯く立ち馴すらんなど思ひ遣らるゝに、内にて見るは最(い)と狹(せば)き程にて、舍人が顔も衣(きぬ)も現れ、白き物の行き附かぬ所は、眞にKき庭に雪の叢消(むらぎ)えたる心地して、いと見苦し。馬の騰(あが)り騷ぎたるも恐しく覺ゆれば、引き入れられて能くも見遣られず。
八日、人々祝(いはひ)して走り騷ぎ、車の音も常よりは、殊に聞えてをかし。
十五日は、望粥(もちかゆ)の節供(せく)參る。粥の木引き隱して、家の御達、女房などの窺ふを、打たれじと用意して、常に後(うしろ)を心遣したる氣色もをかしきに、如何にしてけるにかあらん、打當てたるは、甚(いみ)じう興ありと打笑ひたるも、いと映々(はえ\〃/)し。嫉(ねた)しと思ひたるも道理(ことわり)なり。新しう通ふ聟の君などの、内裏へ參る程を、心許なく、所に付けて、我れはと思ひたる女房の覗き、奧の方に佇(たゝずま)ふを、前に居たる人は心得て笑ふを、「あな喧々(かま\/)」と招き制すれど、君、知らず顔にて大どかにて居給へり。「此處なる物取り侍らん」など、言ひ寄り走り打ちて逃ぐれば、在る限り笑ふ。男君も憎からず、愛敬づきて笑みたる、殊に驚かず、顔少し赧(あか)みて居たるもをかし。又、互(かたみ)に打ち、男などさへ打つめる。如何なる心にかあらん、泣き腹立ち、打ちつる人を呪ひ、まが\/しく言ふもをかし。内裏わたりなどのやんごとなきも、今日は亂れてかしこまりなし。
除目の程など、内裏邊(うちわたり)は最(い)とをかし。雪降り氷りなどしたるに、申文(まをしぶみ)持て歩(あり)く四位五位の若やかなるは、いと頼もしげなり。老いて頭白きなどが、人に兎角案内(あない)言ひ、女房の局に寄りて、己が身の賢き由など、心一つを遣りて説き聞するを、若き人々は眞似をして笑へど、如何でか知らん。「好きに奏し給へ、啓し給へ」など言ひても、得たるは好し、得ずなりぬるこそいと哀れなれ。
三月(やよひ)三日(みか)、麗々(うら\/)と長閑(のどか)に照りたる。桃の花の今咲き始むる。柳など、いとをかしきこそ更なれ、それも未だ眉に篭りたるこそをかしけれ。廣(ひろご)りたるは憎し。花も散りたる後は轉(うた)てぞ見ゆる。面白く咲きたる櫻を長く折りて、大(おほき)なる花瓶(はながめ)に挿したるこそをかしけれ。櫻の直衣に、出袿(いだしうちぎ)着て、客人にもあれ、御(おん)兄人(せうと)の君達(きんたち)にもあれ、其處近く居て、物など打言ひたる、いとをかし。其の邊(わたり)に、鳥、蟲の額附、いと美しうて飛び歩(あり)く、最とをかし。
祭の頃は甚じうをかし。木々の葉の未(ま)だいと繁うは無うて、若やかに青みたるに、霞も霧も隔てぬ空の景色の、何となく漫(そゞろ)にをかしきに、少し曇りたる夕つ方、夜など忍び渡る杜鵑(ほとゝぎす)の、遠う空音かと覺ゆるまで仄(ほのか)なる聲を聞きつけたらん、何心地かはせん。祭近くなりて、青朽葉、二藍などの物ども押し卷きつゝ、細櫃の蓋に入れ、紙などに氣色ばかり包みて、行き違ひ持て歩くこそをかしけれ。末濃(すそご)、村濃(むらご)、卷染(まきぞめ)など、常よりもをかしう見ゆ。童女(わらはべ)の頭ばかり洗ひ繕ひて、形(なり)は猶ほ綻び、絶え亂れ懸りたるもあるが、屐子(けいし)に緒すげさせなど、手毎に持て騷ぎ、何時しか其の日にならなんと、急ぎ走り歩もをかし。常は怪しう踊りて歩(あり)く者どもの、裝束(さうぞく)仕立てつれば、甚(いみ)じく定者(ぢゃうさ)と言ふ法師などの樣に、練り彷徨(さまよ)ふ、如何に心許なからん。程々に付けて、親、をばの女(をんな)、姉などの、供して繕ひ歩くもをかし。


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第4段

同じ事なれども聞き耳異る物。法師の言葉。男の言葉。貴(よ)き人の言葉。下衆の言葉は必ず文字餘したる。


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第5段

思はん子を法師になしたらんこそは最と心苦しけれ。然るは最と頼もしき業を、只だ木(こ)の端などの樣に思ひたらんこそ憐(いとほ)しけれ。精進(さうじ)物の最と惡しきをのみ食ひて、行(おこなひ)をもし學問をもすらん程、いと哀れなり。若きは物も床しからん。女などの在る所をも何どか忌みたる樣に差し覗かずもあらん。其れをも安からず言ふ。況して驗者(げんざ)などの方は最と苦しげなり。御嶽、熊野、懸らぬ山なく歩く程に、恐しき目をも見、驗(しるし)ある聞え出で來ぬれば、此處彼處に呼ばれ、時めくに附けて安げも無し。甚(いた)く煩ふ人に懸りて、物の怪調ずるも、いと苦しければ、困(こう)じて打ち眠(ねぶ)れば、「眠りなどのみして」と咎むるも、いと所狹く、如何に覺ゆらん。是れは昔の事なり、今は安げなり。


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第6段

大進(だいしん)生昌(なりまさ)(*平生昌)が家に、の出でさせ給ふに、東(ひがし)の門は四足に成して、其れより御輿は入らせ給ふ。北の門より、女房の車どもゝ亦た、「陣の居ねば入りなん」と思ひて、頭附(かしらつき)惡き人も甚くも繕はず、寄せて下るべき物と思ひ侮(あなづ)りたるに、檳榔毛(びらうげ)の車などは門小さければ障りて得入らねば、例の筵道(えんだう)敷きて下るゝに、いと憎く腹立たしけれど如何がはせん。殿上人、地下なるも、陣に立ち添ひ見るも嫉し。御前に參りて有りつる樣啓すれば、「此處にても人は見るまじくやは、何どかは然しも打解けつる」と笑はせ給ふ。「然れど其れは皆目馴れて侍れば、好く仕立てて侍らんにしもこそ驚く人も侍らめ。然ても斯ばかりなる家に、車入らぬ門やはあらん。見えば笑はん」など言ふ程にしも、「此れ參らせ給へ」とて御硯など差し入る。「いで、いと惡くこそ御座しけれ、何ど其の門狹く造りて住み給ひける」と言へば、笑ひて、「家の程、身の程に合せて侍るなり」と答(こた)ふ。「然れど門の限りを高く造りける人も聞ゆるは」と言へば、「あな恐し」と驚きて、「其れは于公(*于定国)が事にこそ侍るなれ。古き進士(しんじ)などに侍らずば、承り知るべくも侍らざりけり。偶々此の道に罷り入りにければ、斯うだに辨へられ侍る」と言ふ。「其の御(おん)道も賢からざめり。筵道敷きたれど、皆落ち入りて騷ぎつるは」と言へば、「雨の降り侍れば實に然も侍らん。よし\/又仰せ懸くべき事もぞ侍る。罷り立ち侍りなん」とて往ぬ。「何事ぞ生昌が甚じう怖ぢつるは」と問はせ給ふ。「有らず、車の入らざりつる事言ひ侍る」と申(まを)して下りぬ。
同じ局に住む若き人々などして、萬づの事も知らず眠たければ皆寢ぬ。東の對の西の廂、北掛けてあるに、北の障子(さうじ)には鍵(かきがね)も無かりけるを、其れも尋ねず。家主(いへぬし)なれば、案内は能く知りて明けてけり。怪しう嗄ればみ騷ぎたる聲にて、「侍はんには如何が」と數多度言ふ聲に驚きて見れば、几帳の後に立てたる燈臺の光も顯(あらは)なり。障子を五寸ばかり明けて言ふなりけり。甚(いみ)じくをかし。「更に斯樣の好々しき業夢にも爲ぬものを、我が家(や)に御座しましたりとて、無下に心に任するなめり」と思ふも最とをかし。が傍なる人を起して、「彼(あ)れ見給へ、斯かる見えぬ者のあめるを」と言へば、頭を擡げて見遣りて、甚じう笑ふ。「彼れは誰(た)そ、顯證(けさう)に」と言へば、「有らず家の主戸定(とさだめ)申すべき事の侍るなり」と言へば、「門の事をこそ申しつれ、障子明け給へとや聞えつる」と言へば、「尚ほ其の事も申し侍らん、其處に侍はんは如何に\/」と言へば、「いと見苦しき事、更に得御座せじ」とて笑ふめれば、「若き人御座しけり」とて、引き立てゝ往ぬる後に、笑ふ事甚じ。明けんとならば唯だ先づ入りねかし、消息(せうそこ)をするに善(よか)なりとは誰かは言はんと實(げ)にをかしきに、翌朝(つとめて)御前に參りて啓すれば、「然る事も聞えざりつるを、昨夜(よべ)の事に愛でて入りにたりけるなめり。哀れ、彼(あ)れをはしたなく言ひけんこそ憐(いとほ)しけれ」と笑はせ給ふ。
姫宮の御方の童(わらはべ)の裝束(さうぞく)せさすべき由仰せらるゝに、「童(わらは)の衵(あこめ)の上襲(うはおそひ)は、何色に仕う奉(まつ)るべき」と申すを、又笑ふも道理(ことわり)なり。「姫宮の御物は、例の樣にては憎げに候(さふら−ママ)はん。ちうせい折敷(をしき)、ちうせい高坏にてこそ好く候(さぶら)はめ」と申すを、「然てこそは上襲着たる童(わらはべ)も參り寄らめ」と言ふを、「猶ほ例の人の並(つら)に斯くな言ひ笑ひそ、いと謹厚なる者を」と憐(いとほ)しがらせ給ふもをかし。
中間(ちうげん)なる折に、「大進物聞えんとあり」と人の告ぐるを聞し召して、「又何(な)でふ事言ひて笑はれんとならん」と仰せらるゝも最とをかし。「行きて聞け」と宣はすれば、態と出でたれば、「一夜の門の事を中納言(*平惟仲。生昌の兄)に語り侍りしかば、甚じう感じ申されて、『如何で然るべからん折に對面して申し承らん』となん申されつる」とて、又異事(ことごと)も無し。一夜の事や言はんと心ときめきしつれど、「今靜かに御(み)局に侍はん」とて往ぬれば、歸り參りたるに、「然て何事ぞ」と宣はすれば、申しつる事を然(さ)なんと眞似び啓して、「態と消息し呼び出づべき事にもあらぬを。自(おのづ)から靜かに局などに在らんにも言へかし」とて笑へば、「己(おの)が心地に賢しと思ふ人の褒めたるを、嬉しとや思ふとて告げ知らするならん」と宣はする御(み)氣色も、いと愛でたし。


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第7段

上に候ふ御猫は爵(かうぶり)賜はりて、命婦の御許とて、いとをかしければ、傅(かしづ)かせ給ふが、端に出でて臥したるに、乳母の馬の命婦、「あな正無(まさな)や、入り給へ」と呼ぶを聞かで、日の差し當りたるに打眠りて居たるを嚇すとて、「翁丸(おきなまろ)何(いづ)ら、命婦の御許來ずば食へ」と言ふに、眞かとて癡物(しれもの)走り懸りたれば、悸(おび)え惑ひて御簾の内に入りぬ。朝餉(あさがれひ)の御(おん)間には在(おは)しますに、御覽じて甚じう驚かせ給ふ。猫は御(おん)懷に入れさせ給ひて、男(を)の子ども召せば、藏人忠隆參りたるに、「此の翁丸打懲(ちょう)じて犬島に遣せ、唯今」と仰せらるれば、集りて狩り騷ぐ。馬の命婦も苛責(さいな)みて、「乳母代へてん、いと後目痛(うしろめた)し」と仰せらるれば、畏りて、御前にも出でず。犬は狩り出で、瀧口などして追ひ遣しつ。
「哀れ甚じく動(ゆる)ぎ歩きつる物を。三月(やよひ)三日に、頭辨、柳の縵(かつら)せさせ、桃の花挿頭(かざし)に挿させ、櫻腰に挿させなどして歩かせ給ひし折、斯かる目見んと思ひも懸けけんや」と哀れがる。「御物の折は必ず對ひ侍ふに、寂々(さう\〃/)しくこそあれ」など言ひて三日(みか)四日(よか)になりぬる晝つ方、犬の甚じく啼く聲のすれば、「何(なに)ぞの犬の斯く久しく啼くにかあらん」と聞くに、萬づの犬ども走り騷ぎ訪(とぶらひ)に行き、御厠人(みかはやうど)なる者走り來て、「あな甚(いみ)じ。犬を藏人二人して打ち給ふ。死ぬべし。流させ給ひけるが歸り參りたりとて懲じ給ふ」と言ふ。心憂の事や、翁丸なゝり。「忠隆さねふさなん打つ」と言へば、制しに遣る程に、辛うじて啼き止みぬ。「門の外(ほか)に引き棄てつ」と言へば、哀れがりなどする夕つ方、甚じげに腫れ、淺ましげなる犬の佗びしげなるが、慄(わなゝ)き歩けば、「哀れ丸か。斯かる犬やは此の頃は見ゆる」など言ふに、翁丸と呼べど耳にも聞き入れず。「其れぞ」と言ひ「非ず」と言ひ口々申せば、「右近(*右近内侍、右近少将季綱女)ぞ見知りたる。呼べ」とて召せば、參りたるに、「是れは翁丸か」とて、見せ給ふに、「似て侍れども、是れは忌々(ゆゝ)しげにこそ侍るめれ。又翁丸と呼べば喜びて參(まう)で來る物を、呼べども寄り來ず、有らぬなめり。其れは打殺して棄て侍りぬとこそ申しつれ。然る者ども二人して打たんには生きなんや」と申せば、心憂がらせ給ふ。
暗うなりて、物食はせたれど食はねば、有らぬ物に言ひ做して止みぬる。翌朝、御(おん)梳(けづ)り櫛・御(おん)手水など參りて、御(おん)鏡持たせて御覽ずれば、實に犬の柱の下(もと)に突い居たるを見遣りて、「哀れ昨日翁丸を甚じう打ちしかな、死にけんこそ悲しけれ。何の身にか今度(こたび)は成りぬらん。如何に佗びしき心地しけん」と打言ふ程に、此の居たる犬慄(ふる)ひ戰(わなゝ)きて涙を唯だ落しに落す、いと淺まし。「然は翁丸」と言ふに、平伏(ひれふ)して甚じう啼く。御前にも打笑はせ給ふ。人々參り集りて、右近内侍召して「斯くなん」と仰せらるれば、笑ひ■(勹+言:か::大漢和35219)(のゝし)るを、にも聞し召して渡らせ御座しまして、「淺ましう犬なども斯かる心ある物なりけり」と笑はせ給ふ。上の女房達なども聞きて集まりて呼ぶに、今ぞ立ち動く。尚ほ顔など腫れためり。「物調ぜさせばや」と言へば、「終に此れを言ひ現しつる事」など笑ふに、忠隆聞きて臺盤所の方より、「誠にや侍らん、彼(あ)れ見侍らん」と言ひたれば、「あな忌々(ゆゝ)し、然る物なし」と言はすれば、「然りとも終に見付くる折も侍らん。然のみも得隱させ給はじ」と言ふ。
然て畏(かしこまり)許されて、舊(もと)の樣(さま)に成りにき。猶ほ哀れがられて、慄ひ啼き出でたりしこそ世に知らずをかしく哀れなりしか。人などこそ人に言はれて泣きなどはすれ。


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第8段

正月(むつき)一日、三月(やよひ)三日は最(い)と麗(うらゝ)かなる。五月(さつき)五日は曇り暮したる。七月(ふみづき)七日(なぬか)は曇り暮して、夕つ方は霽れたる空に月いと明く、星の數も見えたる。九月(ながつき)九日(こゝのか)は曉方より雨少し降りて、菊の露も言痛(こちた)く濡(そほ)ぢ、覆ひたる綿なども甚(いた)く濡れ、移しの香も持映(もてはや)されたる。翌朝は止みにたれど尚ほ曇りて、動もすれば降り落ちぬべく見えたるもをかし。


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第9段

慶賀(よろこび)奏するこそをかしけれ。後(うしろ)を任せて笏執りて御前の方に向ひて立てるを。拜し舞蹈し騷ぐよ。


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第10段

今内裏の東(ひんがし)をば北の陣とぞ言ふ。楢の木の遙に高きが立てるを常に見て、「幾尋(ひろ)かあらん」など言ふに、權中納言(*源成信)の「本より打伐りて、定證(ぢゃうしょう)僧都の枝扇にせさせばや」と宣ひしを、山階寺の別當に成りて、慶賀(よろこび)申(まをし)の日、近衞司にて此の君の出で給へるに、高き屐子(けいし)をさへ穿き給ひつれば、忌々(ゆゝ)しく高し。出でぬる後(のち)に「何(な)ど其の枝扇は持たせ給はぬ」と言へば、「物忘れせず」と笑ひ給ふ。「定證僧都に袿(うちぎ)なし、すいせい君(きみ)に衵なし」と言ひけん人こそをかしけれ。


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第11段

山は。小倉山、三笠山、このくれ山、忘れずの山、いりたち山、鹿背(かせ)山、比叡(ひえ)の山、かたさり山こそ誰れに所おきけるにかとをかしけれ。五幡(いつはた)山、後瀬(のちせ)山、笠取山、比良の山、鳥籠(とこ)の山は、「我が名漏すな」と(*聖武天皇)の詠ませ給ひけん、いとをかし。伊吹山、朝倉山、餘所に見るぞをかしき。いはた山、大比禮(おほひれ)山もをかし。臨時の祭の舞人など思ひ出でらるべし。手向山、三輪の山、いとをかし。音羽(おとは)山、まちかね山、玉阪山、耳無山、末の松山、葛城(かつらぎ)山、みのゝ御山(おやま)、柞(はゝそ)山、位(くらゐ)山、吉備の中山、嵐山、更科山、姨捨山、小鹽(をじほ)山、浅間山、かたゝめ山、歸(かへる)山、妹背山。


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第12段

峰は。ゆづるはの峰、阿彌陀の峰、いやたかの峰。


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第13段

原は。竹原(たかはら)、甕原(みかのはら)、あしたの原、曾(そ)の原、萩原、粟津の原、なし原、うなゐこが原、安部の原、篠原。


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第14段

市は。辰の市、椿市(つばいち)は大和に數多在る中(うち)に、長谷寺に詣づる人の、必ず其處に留(とゞま)りければ、觀音(くゎんおん)の御縁あるにやと心異り。おふの市、飭磨(しかま)の市、飛鳥の市。


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第15段

淵は。かしこ淵、如何なる底の心を見て、然る名を附けけんと最とをかし。な入りその淵、誰れに如何なる人の教へしならん。青色の淵こそ又をかしけれ。藏人などの具にしつべくて。いな淵、かくれの淵、のぞきの淵、玉淵。


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第16段

海は。水うみ、與謝の海、かはくちの海、伊勢の海。


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第17段

渡は。しかすがの渡、みづはしの渡。


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第18段

陵(みさゝぎ)は。鶯の陵、柏原(かしはばら)の陵、あめの陵。


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第19段

家は、近衞御門、二條一條も好し。染殿の宮、清和院(せかゐん)、菅原の院、冷泉院、朱雀院、とうゐん、小野宮、紅梅、縣井戸(あがたのゐど)、東三條(ひがしさんでう)、小六條(ころくでう)、小一條。


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第20段



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