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中務内侍日記

武笠 三 校訂(校訂者緒言:大2.7)
『平安朝日記集』(有朋堂文庫 有朋堂書店 1929.1.15)

※ 原本は「木版羣書類從本」に依拠。
※ 『平安朝日記集』には同校訂者により土佐日記・蜻蛉日記・和泉式部日記・紫式部日記・
讃岐典侍日記・更科日記・十六夜日記・中務内侍日記を収録。共通の索引を巻末に付す。
※ 章段の区分・人名注記について、岩佐美代子校注「中務内侍日記」を参考にした。
(『中世日記紀行集』〈新日本古典文学大系〉51 岩波書店 1990.10.19)
ただし、章段名は任意に付けた。

99.6.8現在、段分けの途中。

 
 弘安3年(1280) 伏見殿の御懺法の夜
 弘安4年 月見
 弘安5年 初音の頃
 弘安6年 左中将への使い
 弘安7年 春宮御所御遊 月夜の語らい
 弘安8年 春宵回顧 少將への寄信
 弘安7年(その2) 籠居の跡 北山殿御遊
 弘安9年
 弘安10年
 弘安11年(正応元年)
 正応2年
 正応3年(1290)
 正応4年
 正応5年
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いたづらに明しくらす春秋は、たゞ羊の歩み(*空しく光陰を費すことを屠所に牽かれる羊に喩えた語)なる心地して、末の露もとの雫に、おくれ先だつ例〔「末の露本の雫や世の中のおくれさきだつためしなるらむ」〕(*いずれ消え行く果敢ない命の比喩)のはかなき世を、且おもひながらも得達(とくだつ)〔得脱の誤歟、人の煩惱を脱して菩提を得ること〕の縁には進まず、皆生々世々(*しゃうじゃうせぜ。永劫)に迷ひぬべき人間の八苦なるぞあさましき。


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伏見殿の御懺法の夜

たゞか〃る世のそゞろ事のみ、心にしみてわすれ難き中にも、弘安三年、伏見殿(*後深草院離宮)の御纎法(*ママ。懺悔と法華経読誦の法会)とて、院の御方〔後深草院〕はかなくなりしに、十五夜の月も、雪うち散りて、風も冷やかなる枯野の庭の景色物あはれなれど、同じ心に見る人もなし。ひとり眺めむも好き\〃/しかりぬべければ、入りて臥しぬるに、春宮の御方〔伏見天皇〕、釣殿に出でさせおはします。御供左衞門督殿内侍殿、男には、左中將(*京極為兼)ばかりまゐる。宰相殿宮内三人寢ぬるを、「御所になりぬる。」とてあれば、皆起きて參る。すさまじき物とかや言ひふるすなる十二月(しはす)の月夜なれど、宮(*冷泉富小路殿)の中は、みな白妙に見えわたりて、木々の梢は花と見ゆ。池の鏡もされたる(*雅致がある)に、枯蘆のはかなく萎れ伏したるほど、よろづに見所あり。音なく靜りたるに、絶え\〃/岩にもるゝ水の音ばかりして、軒端の松のみぞ、つれなく見ゆる。權大夫〔具守〕(*源具守)伺候したるほどなるに御使(おんつかひ)あり。「常盤井殿右大臣實氏公の女、常盤井准后と呼ぶ〕の御參。」とばかり答へて、局には、ちひさき童ばかりぞある。いと念なく、「初雪の心地して。」など申す。女院〔大宮院■(女偏+吉:::大漢和6207)子にや〕の御方も、御留守(おんるす)なり。御壺(おんつぼ)〔中庭〕御覽ぜらる。軒ちかく一叢生ひたる呉竹の雪折したるも、なべて枯れぬる草よりもはかなく、よろづに氣ぢかきさまに、見所そひてぞ侍る。又女房の局ども、いまだ寢ぬ所もあり。いと艶だちて、をかしき事ども多し。なほ立ち還り、ありつる方を御覽ぜらるれば、すこし晴れつる空も、又かきくらし、風も烈しく冴えたるに、やもめ烏の一聲も、あはれを添へて覺ゆる。
ながめ侘びこころもそらにかきくれて降る白雪にすむつきの影
うきふしを思ひみだれてはかなきはみぎはの蘆の雪のしたをれ
かくて〔後深草院が〕入らせ給ひぬれば、御留守の御所に寢ぬれども、暫(しばし)は、猶はしを開けて晴れくもる空を眺めて、何となく物語どもするに、時うつり鳥もしば\/鳴くに、又あはれを添ふる鐘の音も、枕にちかき心地して、いと哀に物がなし。
我ならで鳥も鳴きけり音をそへて明け行く鐘のさゆるひびきに
たゞ心の中ばかり、つゞかぬ事〔出來ぬ歌〕のみ案ぜらるゝも、我ながらをかし。


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月見

また弘安三年の年、御さかき(*御神木)出でさせ給ひしかば、廂の御所(*廂の間の仮御所)なりしに、四年の八月十六日、たそがれの程より、かきくれて降る雨の、更くるまゝに名殘なく晴れて、おなじ空とも見えぬ月影おもしろければ、〔後深草院が〕春宮の御方入らせおはしまして、御月見あり。霧ふりてをかしきに、なほ曇らぬ露の光、聲々に鳴く蟲の音も、とり集めたる心地して、吹き迷ひたる風に亂れまさる露の玉も心苦しきに、松にかゝる光は異なるも、如意寶珠の玉〔靈珠の名〕かと見えけむ、嵯峨野もこれには過ぎじ、と覺えて、
おのづからしばしも消えぬたのみ(*頼りになるもの)かは軒端の松にかかるしら露
御方々(*それぞれの御寝所に)に入らせ給ひぬ。曉近くなるほどに、の御方〔龜山院か〕(*後深草院)は、まだ南殿〔紫宸殿〕の月を御覽ぜらるゝ。宵よりは、こよなう霧も降り増りて、木々の梢も見え分かず、霞める空に、雁鳴き渡りて、あはれも添へて面白ければ、
きりこめてあはれもふかき秋の夜に雲井の雁も鳴きわたるかな
御よる〔御寢〕の後も、とみに寢られず。
夜な夜なは寢ぬよの友とながむるに霧なへだてそあきの夜の月


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初音の頃

また弘安五年四月(うづき)十七日、嵯峨殿(*亀山殿。離宮の一)の御留守(*後深草院の嵯峨野御幸の留守居)なりしに、雨もを止まず、空さへ閉ぢて、日數(ひかず)つもる比、おほやけわたくし(*君臣みな)〔杜鵑の〕初音を待つ慰(なぐさめ)ばかりに、雨夜の空を御覽ぜらるゝ御供に三位殿御局大納言殿別當殿、男には、綾小路三位(*源経資)、土御門少將(*源具顕)、そゞろ事ども申して、をかしく興ある事どもなり。心づくしに待ちあかしつゝ、「郭公はそれか。」とおぼめく〔覺束なく思ふ〕ほどの一聲に、花橘の薫(かをり)なつかしきも、よそふる人もあり顔の心地して、光なき夜の闇のうつゝも、思ひなす方は、いづれも淺からねば、なか\/なる忘形見に、いまも盡きせざりけり。
ほととぎすおぼめくほどの一聲になごりの空もむつまじきかな


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左中将への使い

世に經れば、何となく忘れぬふし\/も多く、袖も濕(ぬ)れぬべき理も知らるゝこそ、かはゆく覺ゆれど、ことに弘安六年四月十九日、例の嵯峨殿の御幸なりて還御なる。御夜の後、春宮の御方、土御門少將ばかり御供にて、の御方ざまに、忍びて御覽ぜらるゝ。南殿の花橘さかりなる比なれば、「香〔花橘の香〕をなつかしむ時鳥もや。」と待たせおはしますに、心盡の一聲も、飽かず恨めし。その比左中將、何事にかありけむ、籠りて久しく參らざりけるに、「有明の空に鳴きぬる一聲を、寢覺(*浅い眠りの寝覚め)にや聽くらむ。」など忝けなくも思し召し出づるは、「夢の中にも通ふらむを。」と思ひ遣らるゝに、
思ひやる寢ざめや如何にほととぎす鳴きて過ぎぬる有明のそら
と、御氣色(*御内意)あれば、内侍殿、たど\/しきほどの有明の光に書きて〔文を書きて〕、花橘に〔書きし文を〕附けられたり。さるべき御使もなくて明けぬべければ、土御門少將、人も具せず、たゞ一人馬にて行きぬ。(*以下、源具顕の復命と作者の感想。)手づから馬の口をひきて、門を叩くに、とみにも開けず、空は明方になるも、あさましくをかし。門を開けぬるに、思ひ寄らずあきれ立ちけむも理なり。さらぬ情だに折から物は嬉しきに、かしこき御情もふかく、色をも香をも(*「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」〈紀友則・古今〉)、と思しめし出づるも、御使の嬉しさは、げに如何(いか)なりけむ。同じたぐひならむ身は、げにいかでか羨しからざらむ。ありがたき面目(めんぼく)、生ける身の思出とぞ、よそに思ひ知られて侍りし。ほのぼのと明くる程にぞ、かへり參りたる。
宮のうち鳴きて過ぎけるほととぎす待つ宿からは今もつれなし〔左中將の返歌〕
その日、(*左中将は)土御門少將に、
あしびきの やまほととぎす しひてなほ 待つはつれなく
更くる夜に とばかりたたく 眞木の戸は あらぬくひな〔たたくの縁語〕と
まがへても さすがに開けて たづぬれば しげきくさ葉の
つゆはらひ 分け入るひとの すがたさへ おもひもよらぬ
をりにしも いともかしこき なさけとて つたへ述べつる〔御使の傳へ述べたる〕
ことの葉を 我が身にあまる ここちして げに世に知らぬ
(*「世に知らぬ心地こそすれ有明の月のゆくへを空にまがへて」〈源氏物語〉)
ありあけの つきにとどむる おもかげの なごりまでこそ
忘れかねぬれ
 言の葉にいかにいひてもかひぞなきあらはれぬべき心ならねば
返事に、少將
ひさかたの つきのかつらの かげにしも ときしもあれと
ほととぎす ひとこゑなのる ありあけの つきげ〔月、駒の毛色、とき色〕のこまに
まかせつつ いともかしこき たまづさを ひとりある庭の
しるべにて たづねしやどの くさふかみ ふかきなさけを
つたへしに たもとにあまる うれしさは よそまでもげに
しらくもの(*知らる) 絶え間に日かげ ほのめきて あさ置くつゆの
たまぼこの みち行くひとの くれはどり〔暮、あやの枕詞〕 あやしきまでに
いそぎつる そのかひありて ちはやぶる かみしもともに
起き居つる 待つにつけても すみよしの みねに生ふなる
くさの名〔忘草〕の わすれがたみの おもひでや これあらはれば
(*一句闕。前句「あらはれば」を反歌の初句ともいう。) なかなかいかに うらみまし こころにこむる
わすれがたみを
内侍殿少將にことづけ、
ときしもあれ御垣(みかき)ににほふ橘のかぜにつけてもひとの問へかし
返事、
めづらしきその言の葉も身にしむはあり明の空に匂ふたちばな
二十日、内侍殿に、左中將
いかならむ世にか忘れむたちばなの匂もふかき今朝のなさけを
返事に、
たちばなのにほひにたぐふ〔伴ふ〕なさけにも事とふ今ぞ思ひ知らるる


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春宮御所御遊

弘安七年三月十七日、これも嵯峨殿の御留守なりしに、御遊(おんあそび)〔音樂〕あり。御供に女房四人、男三人ぞ侍りし。對の御方大納言殿冷泉殿、御(おん)手水間の御簾卷きあげて、御所御琵琶、綾小路三位朗詠、伯(はくの)少將〔(*伯は)神祇官の長官〕(*源康仲)笛、土御門少將琴、夜もすがら御遊どもあるに、いつもといひながら、帳屋(ちゃうのや)(*院庁舎)の花の梢おもしろく、秋ならねども、身にしむばかり風もはげしき花のあたりは、げに行きても恨みまほしき心地して(*「花ちらす風のやどりは誰か知る我に教へよ行きて恨みん」〈素性・古今〉)、覺束なきほどに、霞める月は、しく物なく覺えて、折からは、物の音〔音樂〕も澄みのぼり面白きに、後も又忍ぶばかりの言葉を、御尋ありしに、面々にあらはすもをかし。定めなく晴れくもる村雨の空も、つくり出でたらむやうなり。「かこち顔なる」(*「嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな」〈西行・千載〉)ともいひぬべう眺めたるに、三位
晴れくもり花のひま洩るむらさめに
とあれば、うち紛れつゝ、つくる人〔下句をつくる人〕もなければ、心の中に、
あやなく袖のぬるるものかは
とぞ覺えし。今宵は、げに春の宮居〔東宮の奉侍〕もかひある心地して、
月かげにいく春經てか花も見しこよひばかりのおもひ出ぞなき


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月夜の語らい

八月十三日、晝より雨降りてしめやかなるに、暮れぬれば、月はなやかにさし出でて、小倉山(をぐらのやま)も劣るまじげなり。夜も更け靜りたるに、人たゞ二人ばかり立ち出でて見れば、御所に成りて、しばし御覽ぜられて、入らせ御坐しましぬれども、二人は猶殘りて、昔今を泣きみ笑ひみ、轉法輪〔大藏法數に、「佛之説法則能■(手偏+確の旁:かく:打つ・叩く・占める・量る:大漢和12451)碾衆生一切感業故名轉法輪」〕の契、長生殿の心地して、曉近くなれば、入方(いるかた)の月、山の端に傾きたるは、入日ならねど、後るゝ心地して、古の小野山〔「炭竃の烟ばかりをそれと見て猶路遠し小野の山里」〕さへゆかしきまで覺ゆるも、(*月の)入りなむ後の心細さを思ふに臥しぬ。
ながめつる月も入るさの山の端にこころばかりや猶したふらむ


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春宵回顧

八年三月十七日、夢にいくらもまさらぬ〔「ぬばたまのやみのうつゝはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり」〕春の夜も明し兼ねぬる寢覺に、まことや、去年の今宵、月と花とに夜を明し侍りしも戀しく只今のやうなるに、程なくも廻り合ひぬる、定なき世にながらへにけるかな、と思ひつゞくるを、いまだ御所は御夜の程にすべりて人知れず、「外には知らぬ心の中を。」と思ひて、大納言殿の御(おん)局へ花につけて、
われならぬ人もや去年のこよひとて月と花とをおもひ出づらむ
かくまで、御所に御人少ななりつれば、「御晝より先に。」と急ぎ參りたれば、女官(にょうくゎん)、「土御門少將殿『まゐらせよ。』とて候ふ。」といふ。〔女官の持來れる文を〕取りて見れば、散りたる花に附けて、去年の今宵、公私(おほやけわたくし)の言葉をこめて、歌ども數多書きたり。「面々皆披露せよ。」とてある中に、
三位は、同じ限ならぬ歎(なげき)に堪へで、都の頼(たのみ)だになく、かやうに詣で侍る。」と聞けど、「人しもこそあれ、などかゝりけむ。」と必ずあひぬる言ぐさ〔言種〕の末もあはれに悲しきに、ありし夜の村雨、今日また袖にしぐれぬる心地してぞ侍る。
わすれずよ死なばともにといひおきし去年の軒端の春の夜の月
この歌の初はあはれなりし事なり。末はかしこき御言葉を、一つに詠みこめたると見えたり。御返事に、
月影をのちしのぶべきものぞとはなほなべてにも眺めけるかな
侘びぬればうつろふ人はつらけれど心のそこに逢はむとぞ思ふ
これも初は、さそふ人あらばと、身を木枯の〔「消え侘びぬうつろふ人の秋の色に身を木枯の森の下露」〕、とありし事と見えたり。心のそこといふ事は、咎むべきふしなり。逢はむと思ふといふは、我言葉の末なり。かへりごとに、
瀧川のながれて逢はむ行くすゑをこころのそこに忘れやはする
めぐりあふ今日待ちえてもおもかげの霞める月はものぞ悲しき
これは言葉にて、偏にこめたる〔心に思ひこめたる〕御返事なり。かゝる世のそゞろごとども聞くにつけても、あらましかばと思ふ例も悲しくて、まして都の外(ほか)を思ひやるは、哀もふかく悲しければ、「今日と、忘られず申せ。」といはせて、散りたる花につけて、
歎き來しそのかね言の末ならばもろともにとや身はいとふらむ
よそにだに堪へぬなげきの花ざくら散りにし後を思ひこそやれ
都にかへりて後、三位〔高三位邦經〕、
今こそはおもひ知らるれかね言のなげきによらぬ思ひありとは
花ならで散りにしあとのおもかげは絶えぬ歎ののこるばかりぞ
また大納言殿〔藤大納言〕の御局へ、三位
わすれじと契りおきてし言の葉やみやこに殘るかたみなりけむ
むらさめの空にはあらで見し月のわが袖からとかげぞやつれし
思ひ出でてまづ袖ぬれしむら雨や憂き身一つ(*一字欠。「の」か)なみだなりけむ
又三月三十日、へだたる日數の名殘も、あはれに思ひやられて、
いかばかり哀そふらむへだて行く日かずも今日の春をなごりに
返事、三位
かくばかり歎きやはせしおほかたの年經てなれし春のなごりを


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少將への寄信

少將、父にて侍りし人におくれて籠り侍るに〔忌に籠るに〕、おくれ先だつも、これにかぎる世の例とのみ歎くに、ほどなく月日も隔りぬれば、「秋も更けゆく山里の住居(すまひ)は、袖も一つの時雨のみ峯の嵐やこと問ふらむ。都だに降りみ降らずみ定なき比は、たゞ大方のながめに侍るを。」と哀も深く思ひやるばかりにて、久しく問はぬにつけて、
ものおもふ袖の涙もくれなゐのおなじちしほに染むるもみぢ葉
返事に、
ちしほまで染むる紅葉を見るよりも袖のなみだや色まさるらし


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籠居の跡

また弘安七年の歳、とほき所に忍びて、物にこもり侍るに、年比淺からず申しかはしたる人なくなりて、年も數多へだたりぬるに、「これに參りて、常に籠りし宿に侍る。」といふ所を見れば、いたう荒れなどはせねど、人なくあはれげなり。かけづくりなるに〔崖造、崖の上に造れる家〕、柴垣・遣水など、はかなきものから、おもひ入りぬるばかりにや、見所ある心地して、哀になつかしければ、尋ね行きて見れども、如何(いかに)と咎むる人もなし。影澄み果てぬ(*「見し人の影すみ果てぬ池水にひとり宿守る秋の夜の月」〈源氏・夕霧〉)と見る池水にも、宿もる月だになき比なれば、音するものは、山より落ち來る瀧の響ばかりぞ、おどろかしがほなる。哀もおなじ限に深き涙ばかりは、袖に浮べてもなほ所狹き(*に)、岩波たかく谷に流るゝ水の音までも、取り添へ物がなし。
そでの上に落ちくる瀧のすゑなれや音立てて行くやまがはの水
世にすまばまた見むとこそ思ひしかおもかげ馴れし山の井の水
ながれあふ涙のすゑもかひぞなきかげすみ果てぬ宿のいけみづ
唯かひなきひとりごとのみぞ哀なる。


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北山殿御遊

七月五日、北山殿(*西園寺殿)に(*春宮の)行啓なる。(*院の)御幸もなりしかば、はえ\〃/しき御遊どもなり。晝は山瀧など所々御覽ぜられて、暮るれば御(み)舟に召す。夕月夜より有明になるまで、かゝる夜もなし。
九日、月さし出づる程に、例の御舟に召す。「大夫〔實兼〕遲參し侍りぬ。」と、「遊びくたびれ侍る。」と申す。暫(しばし)は、釣殿に休(やすら)はせおはしましゝかど、御舟さし出さる。御樂(ぎょがく)あり。殿上人ども、小さき舟に乘りて、中島〔池の中島〕を隔てて吹き合せたる物の音〔管絃の音〕、たとへむ方なくおもしろし。遙に漕ぎ出でぬるに、かすかに鞨鼓を打つ音聞ゆるを、人々あきれて、「いづくならむ。」と申すに、「大夫にやあらむ。」とて、迎の小舟に樂(がく)し朗詠などして、さし寄せたれば、火を焚きてぞ參り給ふを、いみじく興ぜさせ給ふ。
春宮の御方、十三日は御くたびれにやありけむ、御舟にも召さず、無量光院の庇にて、月御覽ぜらる。簀子には花山院(くゎざんゐん)大納言大夫殿さぶらひ給ふ。さま\〃/をかしき御物語どもあり。東(ひんがし)の妻戸の口に、大納言〔家教卿〕、權大納言殿さぶらひ給ふ。やがてその東の間のすみ勾欄に、宮内宰相殿三人さぶらふ。なにとなき物語どもして、更け行くまゝに、ことに近き西の山もと、入方(いるかた)近く傾きたる月の、池にうつろひて面白きを、「所がらは、げに見所あるよゝの月影、いかなる世にも忘れじや」などいひあはせつゝ、廿五の菩薩〔十王經に「佛即遣二十五菩薩擁護行者」〕來迎の御繪(おんかた)見るよりはじめて頼もしく哀なる方も添ひて、名殘多げに、「ながらへば又來む年の今宵、思ひ出でなるべしや」など云ふ。心のうちに、
山かげにながむる月よめぐりあはむ都のそらにおもがはりすな
更けぬれば入らせ給ひぬ。
十六日も、この御方は、御舟もなし。朝餉の御簾卷きあげて、月御覽ぜらる。御縁(ごえん)に人々さぶらひ給ふ。伯(はくの)新少將衞門藏人、召し出でてまゐらせらる。花山院大納言笛、大夫殿太鼓、さらぬ殿上人ども、律(りち)には月の光もことなるに、拔頭(ばとう)〔舞の名〕の舞ひ出でたる程は、誠に面白し。名殘多くて果てぬ。宮内のお許に、親の親ともいひぬべき人の許より、
月の便(たより)にと頼め侍るに、人々供(ぐ)して前渡して見え侍るを、恨みて、
いつはりと思ひながらも待ちかねつ寢ぬ夜の月の影あくるまで
といひおこせたる返事を、餘りひたやごもりならむもさすがなれば、忍びて返す\〃/もつかはし侍るが、さるべき使もなきを、如何(いかゞ)し侍るべきと、いひ合はするかひなからむも、と思ひて、あらぬさまなる姿をして、夜も半に過ぎて、曉近くなる程に、行きて、御まや〔御厩屋〕を局にしつらひたる蔀(しと−ママ)を忍びやかにうち叩けど、皆人寢たる氣色にて答ふる人もなければ、あまり事々しからむも如何なり、と思ひ煩ひて休らふ程に、東の妻戸の方に、たたく水鷄の外(と)うちながむる聲すれば、それにやあらむ、と理も過ぎて、やさしくも、おもしろくも覺えて、聲につきて遣戸に立ち添ひて、月を眺むるなりけり、と聞くに、まことに月を待つにはあらで、人待つほどのすさみにや、と思ひやられて、うち叩けば、「誰(た)ぞ」ともいひあへぬ許に開けたれば、なにとはいはず、文をさし置くに、袖をひかへて放たず。怖しくあきれたる心地して、あさましけれど、騷がぬ樣にもてなして、さりげなく、やをらすべり逃ぐるに、隈なき月に見ゆらむ後手〔後影〕も恥しく、我ながら、心淺かりける擧動(ふるまひ)もそらおそろしく案ぜられて、悔しく覺えて、心の中に、
水鷄かとうたがはれつる眞木の戸を開くるまでとは何叩きけむ
人にはいはぬ事なれば、萬はあいなき心一つなり。
十八日、野上の御幸(ごかう)、行啓なる、筵道に、殿上人ども圓座(わらふだ)をあまたして敷きたるを、又、拾ひ劣らじと走りなどするもをかし。野上の景色、まことにおもしろし。筧の水の氣色、はかなき木草までも見所あり。ひろき野に、われもかう〔秋草〕を、交るものなく植ゑわたしたるに、わかき女房たち、山際まで分け入りて見れど、道なくて歸りぬ。暮るゝまで御遊ありて、入らせ給ひぬれば、例の御舟〔(*注記の表示のみ)〕も果てぬ。
十九日は、妙音堂の御幸なり。おもしろくめでたし。
二十日、夜は殊に引きつくろひたる御舟樂(おんふながく)あり。春宮御琵琶、花山院大納言笛、琴は連中(れんちう)なり。徳大寺大納言〔公松〕朗詠、大夫殿は、二位入道が御ものやどりの刀自といふものと、乘りたる舟にて、入江の松の下にかくろへて、琵琶を調べておとづれ給ふ。いづくならむ、いだしたれば、御舟さし寄せてまゐり給ふ。「傾城(けいせい)の舟に乘りたがり侍りつる程に〔遊女が舟に乘りたがりたる爲に遲參せり〕。」など申し給ふ、いとをかし。廿日月は、すこし心もとなく待たるゝ程、御堂の御あかしの光、かすかに水に映(うつろ)ひたるほど、おもしろく見ゆ。月さし出でぬれば、まばゆき程なるに、漕ぎまはす舟の■(楫+戈:しゅう::大漢和15677)の音に、立ち騷ぐ水鳥の景色、中島の松の梢、物ごとにおもしろきこと限なきにも、又かゝる事、いかなる世にか、と名殘かなしうこそ。遊び果てぬれば、また田向(たむき)〔地名〕の月御覽ぜらるゝに、春宮の御方は、道とほくこと離れたるやうなれば、ならず〔來られず〕、野上へぞ入らせ給ふ。田向の方、ことに草深く分け入りたるに、名におふも、げに覺えて、はては何處(いづく)と見えぬまで、はる\〃/と廣きに、稻葉におき渡す露の光は、玉を並べたらむやうなり。とり\〃/さま\〃/なる所々の景色、いひ盡すべうもあらず。還御なりて、入らせ給ひぬれば、女房たちは、なほ大御堂の廣庇に出で、横雲のひま見えゆくに、洲崎に立てる松の木立、釣殿近き松に、舟浮きたりし中島に、羽うちかはしたる鳥どもの群れ居たるまでも、よろづに見捨てがたけれど、心々にさしき〔地名歟〕の野上分け行くに、あるかなきかの月の名殘なほ慕ひけむ、さしきは、西の山もとゆかしくて行きぬ。松山に分けて生ひたる眞木の梢、露けき山田の庵(いほ)までも、はかなく稻葉の風に亂れたるほど、山の端ちかく雲に消え行く有明の影取り集めたる朝ぼらけ、もの悲しくて、心細くながめつるさへ入りぬれば〔月の入りぬれば〕、
よこぐもの空に消えゆく有明をこころぼそくもながめつるかな
しののめの明けゆく空の秋風になびくいな葉もつゆぞこぼるる
かやうにつゞかぬ事のみぞ、心の中に多き。また野上より還御なりて、曙に御舟召されて、明け果てぬれば、入らせ給ひて、やがてそのまゝながら御會(ぎょくゎい)あり。數ならぬ末々〔卑賤の者〕までも、心々にうち寢る時もなくぞ遊びあひぬる。
二十一日は還御なり。の御方は、暮るゝ程になりぬれば、御名殘あかず、月待つほど、御舟に召す。月出でぬれば、野上へ入らせおはします。さきには引きかへ、長閑にて更けぬれば、還御なる。その後御(おん)心地例ならず、瘧(わらはやみ)にて渡らせおはしませば、面白く忘れがたかりし名殘も、この御事のあさましさに、よろづ物憂くて、日數つもるに、八月にもなりぬ。ありし野上〔古の野上の行幸〕ふと思召し出でらるゝに、大夫殿の御歌あり。
いまかかる心にもなほわすられず野上のみちの今朝のあけぼの
御返事、
今思へばまことや今日にてありしかな。野上の松の夜の明けし色、あさましきなかにも、公私わすれ難く戀しきに、わかき女房たち、今日はいかに、などいふにつけても、思ひ出でらるゝ事おほし。更に露おきたるが、ありしながら〔昔ありし如く〕ぞかし、と思ふに、われから衣の戀しさも悲しくて、
わすれずよ野上にしげるわれもかう分けし袂のつゆもまだ乾ず
かくて日數つもらせ給ふ御事、あさましかりしに、めでたくおちさせ御坐しましぬ〔瘧病の全治したまふ〕。

晦日に里に出でて、九月四五日のほどに、尼崎といふ所に行くに、京(みやこ)を夜深く出でて、鳥羽殿ちかき程にて、夜やう\/明け行く空に、木々の梢も色づきそむる比なれば、艷なるほどにて、なか\/面白し。舟に乘らむとするに、數知らずさりあへぬまで舟多きに、聞き知らぬ樣に、おそろしげなる聲したる者ども、ひしめくを聞くにつけても、引きかへたるしきも哀にて、北山殿おもひ出でられて、如何にとだにいひ合はする人もなし。はる\〃/漕ぎ行くに、河霧立ちて、來しかた行先も見えず。禁野(きんや)、交野〔河内國交野郡にあり〕といふ所過ぐるに、音にのみ聞きわたるを、と思ひてしばし見るに、遠ければさだかにはあらねど、芝野の中より鳥の立つを、「雉(きゞす)にやあらむ。」などいへば、
いにしへもありとばかりはおとに聞く交野の雉今日見つるかな
また橋多く過ぎぬる中に、「これなむ天の川〔河内國交野郡にあり〕に侍る。」といふを見れば、橋やぶれて、その形(かた)ばかりぞ僅(はづか−ママ)に殘れる。
これやこの七夕づめ(*ママ)のこひわたるあまのかはらのかささぎの橋
かくて日の入る程に行き著きぬ。日は水の下に入るとのみ見えて、河より海になるけぢめ〔境〕波あらく立ち、遙かなる沖に漕ぐ舟は、繪に書きたらむやうなり。丑寅の方を見やれば、住吉の松むら立ち、絶え\〃/に霞みて見ゆ。立ちかへる波風も、うらならねどもいたう烈しき心地ぞする。晝きぶねの浦〔山城國か〕といふ方に出でて見れば、浦の松風波に通ひて、入海心すごく神(かん)さびて、いとたふとし。濱に蜑どもの貝拾ひ、また沖に釣するもあり。栲繩(たくなは)〔魚漁(*ママ)に用ふる栲布にて作れる繩〕、網などいふ干し置きたるを見れば、ほす暇(ひま)もありけるをと、
うちはへて苦しきものと思ひしにあまのたく繩ほすひまもあり
夕日の影おもしろきに、沖より、蜑の釣舟ども多くかへるも哀なり。暮るれば、遊女が舟ども、歌うたひ、物かずへなどするもをかし。一方ならず都のみ心とまりしに、海山へだたりぬる心細さを思ふに、面影ばかりかたみとて、波路はるかに、月をながむるさへ、よそに隈なき影も、我からは、猶くもらぬ夜半もなし。かくて心もとなくかずへられつる日數も、程なくてのぼるは、又立ち歸りあかぬ心地して、さすが馴れぬる浦風に、心は靡くからと、我ながらあやにくにて、思ひ知らるゝ。來し方も、遙になりぬるも心細く、梢をかへり見れども、隔りかすむ雲井ばかりをながめて、
來し方をかへり見れどもはるばると霞へだててそこはかとなし
遲く出でて、「明日も日暮れぬべし」といへば、夜もすがら、舟を漕ぐに、二十日の月なれば、更くるまゝに澄み増りておもしろきに、皆人寢ぬれば、一人起き居て見るに、影も流るゝと見ゆる月は、猶こそおくれざりけれ。よろづを思ひつゞくるに、はては物おそろしき心地して心細し。むしあけの迫門(せと)〔「むしあけの迫門の曙見る折ぞ都の事も忘られにけり」〕に、といひけむ昔物語さへぞ、あはれにおもひ出でらるゝ。人おどろきて、「遙にも來にけるかな、と道も怖しかなるを、何處にかとまるべき。」などいふ。橋本といふ所に著きぬ。あさまし、をかしげなる家ども、川の面(つら)に作りつゞけたる所にとまりぬ。かくする住居は如何ならむなど思ふも哀なり。明けぬといへば、また舟に乘る。夜もすがら一人ながめし月は、あけ行く霧に光も冴えにけり。ほのかに消え殘りたる景色に心つくしける秋の空なるは、物悲しき心地するに、あまり夜ぶかく出でて、遭ふ舟もなきに、霧に霞みてほのかに來るを、近くなるまゝに見れば、はかなき木を組みて、乘りて行くものあり。「なにぞ。」と問へば、「筏と申す物に侍る。」といふ。あだなる樣も、はかなく哀なり。
朝霧も晴れて川瀬にうきながら過ぎ行くものはいかだなりけり
水瀬(みなせ)〔攝津國島上郡にあり〕といふ所を過ぐるに、「これなむむかし御所〔後鳥羽帝の離宮なりし所〕にて、いみじかりしも、今かくなりぬる。哀に侍る。」と古めかしき物語するものあれば、
あさからぬむかしのゆゑを思ふにもみなせの川に袖ぞぬれぬる
還りて後、あはれなりしすさびも戀しくも忘れがたく、御所より人々、御文あり。とり立ててはなけれど、心地なやましくて、日數つもるに、さらでもはかなくもはかなきに、いつか浮世の風に誘はれむなど思ふも、心細く覺ゆる比なめれば、珍しさも嬉しさも一方ならず。いつしか御所ざまのさし木もゆかしく、悲しきに枯れゆく花も、同じ別の秋の色に、哀も深き御文は、何時よりありがたかりぬべし、と心一つにはかなく頼まるゝぞ哀なる。
花鳥の色にも音にもしのぶやとありのすさびもあらばあらまし
さりともと、おなじ心の頼(たのみ)にも待るゝ人の、久しく絶えて、かゝるをなどか、と思ふも恨めしくて、
身のうさもいのちもかぎるこの秋を哀れとばかり人の問へかし

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かくて、ほどなく年も返りぬれば、また三月(やよひ)十七日もめぐり逢ひぬ。さだめなき世にながらへにけるも嬉しながら、しめの外なる伏屋(ふせや)〔卑しき小家〕にうづもれ過(すご)しぬるも、おなじ浮世にめぐれども、猶かひなき身なりけり、と口惜しく覺ゆるに、道のたより梢ばかりをよそに見るも、なか\/なる心地して、大納言殿花につけて、
月もすむ雲井の花をよそに見てなれしむかしの今日ぞこひしき
御返事に、
おしなべてやよひの今日を忘れぬを花ゆゑにこそ思ひ出でけれ
花ゆゑとかや見ゆるも恨めしく、その世の事も只今の心地して、今宵は入るまで月を見るもかはゆく、われながらをかしく、興さめて覺えながら、
雲の上の月にこころはすむものをしめの外にやおもひなすらむ
猶はかなく、大方の數には漏れぬこともや、と覺ゆるぞをかしき。

又四月二十五日、祭〔賀茂の祭〕なれば、御啓(ごけい)〔皇后宮の御出〕などひしめく。めん\/に葵つけなどするも、年(とし)に一度も幾めぐり逢ひぬらむ、と思ふに、去年のこの比(ごろ)も、只今の心地して侍るほどなさも哀にて、その名につけて、古を忘れず忍ぶ人もあるらむ、まち\/心々に見るらむ、今日のかざしを、と思ふに、まことや、新宰相殿の今年は引きかへて、あらぬ樣にやよそに見て、かひなき當時(そのかみ)の事もいかに、とかず\/思ひやられて、〔歌を〕葵につけて、
そのかみのことやはかなき葵草なにゆゑよそに名のみ聞くらむ
かへりごと、程經て後、
さまざまに思ふ心をおしこめて問ふにぞいとどなみだ落ちける

五月六日、御幸延びて、六條殿へ十三日御幸なる。御(おん)留守も、いつしか人なくさびて、雨しめやかなる夕暮に、まつむき殿の御簾卷きあげて、御覽じ出されたり。御前に大納言殿ばかりさぶらひ給ふ。簀子に立ち出でて見れば、池には、分くべきひまもなく繁りたる蘆間に見ゆる舟の、ありかさだめず浮きたる樣もはかなきに、さはり多く見ゆれば、
はかなくて蘆間に見ゆるうき舟のよるべさだめず物ぞかなしき
暮れぬれば入らせ給ひぬ。今宵は御よる〔御寢〕も疾し。おそろしきまで人なく、長閑なる釣殿に出でて見れば、雨も少しをやむ氣色なり。雲の絶間に時々もり出でて霞める月の光も、珍しき心地して、大納言殿
あま雲にしばしやすらふ夜半の月ながむる人のこころをや知る
と覺え侍りて、いたく心つくしげなる影もうらめしく、何(なに)となくもの哀なり。南殿(なでん)〔紫宸殿〕の橘もさかりなるに、枯れたる軒の菖蒲(あやめ)も、一つになつかしくて、
かれがれに殘るあやめもなつかしく花たちばなも一つかをりて

七月二日、御會(ごくゎい)あり。夕月夜の比なれば、更けゆくまゝの空は、星の光ばかりなるに、靜りたる夜(よ)の氣色、長閑におもしろし。まつむき殿に御簾卷きあげて、御引直衣(おんひきなほし)にて出でさせ給ふ。廣庇〔母屋の周圍にある板敷〕に、三條三位頭辨、簀子に、殿上人どもはさぶらふ。講師(かうじ)ためざねなり。

あら玉の年を重ぬれば、春の御山の木がくれより、花郭公、月雪につけて心をのぶる慰(なぐさみ)も、さすがにありといへども、公私うち紛れて、物まゐりなどの暇(ひま)、いつを限となければ、奈良、長谷(はつせ)の方へ思ひ立ちて、未(ま)だ見ぬかたの梢もゆかしくて、暇(いとま)申し入れむとて、玄暉門院龜山帝の女御、山科左大臣の女〕御所、衣笠殿へ九月十三日にまゐりたれば、ひと\〃/多く、せうほう院の山にて松とらむとて行くに、時雨うちそゝぎ風すこしまきて、やう\/梢も色づく比の氣色、なにとなくもの哀に見えたるに、おなじ伏屋の中に、すこしよしある樣にしなして、軒ちかく植ゑたる荻の檜垣〔網代の如く檜板にて組みし垣〕の上より見えて、かきほに植ゑたる夕顔の蔓枯れ殘りたる、枯葉ども、月に亂れて、そよ\/と鳴る。耳も目もとまる心地して、「如何なる人の住むならむ。」といへば、「むかしの主は世を厭ふ人にて、今はなし。そのふるき住家(すみか)と聞く。」といへば、哀も増りて、
枯れのこる賤がかきほの夕顔にこころを染めて過ぎぞやられぬ
荻の葉もおなじ伏屋のかきなればただには過ぎぬ風のおとかな
おなじき十三日、播磨中將、日比の煩おもくなりて、今はたのみなくなむ、と聞く。哀にかなしきを思ひながら、今まで訪はぬ怠(おこたり)もうたてくて、
いかにしてしばし此世に影とめむ別れむ事の悲しくもあるかな
かぎりなく哀とのみは歎くともいはねば人の知らずぞあるらむ
「あるかなきかの樣にて、浮身世に影とゞむべき心地せぬ心細さは、たゞ思ひやれ。」といへば、
いざやげにあはれ悲しと思ひけるこころのほども今こそは知れ
理(ことわり)もげにと悲しく哀なり。今宵は十三夜〔九月の十三夜〕ぞかし。御會〔觀月の御會〕あれども、まじらねば、哀にいつしか此世ながらあらましかばの悲しさも、やう\/人々あはれがる。暮れぬれば、春宮は院の御所へ入らせおはしまして、御舟にめして月御覽ぜらる。空はくもり、村雲たちて、なか\/見どころある樣なり。心の中に、
晴れ曇る月ぞなかなかめづらしき空もこころのある夜なるかな
御舟ども果てぬ〔御舟を岸に著けたり〕。御(おん)湯殿の上の簀子に立ち出でて見れば、月のあたりなる雲も晴れて、庭の淺茅も、露の光も見えわくに、更けにける夜の景色、釣殿の方へ出でて見れば、燈籠(とうろ)の燈火(ともしび)かすかにて、遣水の石間(いしま)にもるゝ音のみ哀に聞ゆ。
岩間もるいしまの水のおと澄みて〔一本「おとまでも」〕秋はあはれと聞きぞなさるる

十月(かんなづき)十日ごろ、長谷(はつせ)に參り侍れば、河原の程にて、ほの\〃/と明くるに、川霧立ちて、行くさきも見えず、横雲の空ばかり氣色見えて、いとおもしろし。
川霧にみちこそ見えね小(を)ぐるまのまはりて何處わたせなるらむ
宇治なるをちといふ所を見れば、いづれ昔の跡〔昔の後鳥羽院の離宮の跡〕ならむ、と色々の紅葉ども見えたるに、知る人あらまほしく覺ゆ。
おぼつかな何れむかしの跡ならむをちかた人にことや問はまし
槇島(まきのしま)〔宇治にあり〕といふ所、洲崎(すさき)に鷺の居たる、大きなる水車(みづぐるま)に紅葉の色々錦をかけ渡したらむやうなり。芝つむ舟どもあり、積み果てて、いそぎ岸を離れむとするもあり。
こころぼそやゐぐひ〔堰關に立つる杭〕につなぐ芝舟(しばぶね)の岸をはなれて何地(いづち)行きなむ
平等院を見れば、極樂の莊嚴(しゃうごん)、ゆかしく見るとかや聞ゆるも理に、紅葉の色さへ異なるも、時雨もこの里ばかりわきて染めける。都のつとに折らまほしく、歸らむたびと思ひなして過ぐるに、又贄野(にへの)の池といふ池のはたを過ぐれば、鳥のおほく水に下り居てあそぶ。「なにぞ。」と問へば、「鴎(かもめ)といふ鳥なり。」といへば、
池水もあさけの風もさむけきに下り居てあそぶかもめどりかな
春日にまゐり著きて、宮めぐりすれば、春日野はる\〃/と入りて、鹿の伏す萩も霜枯れて見えず。
春日野はしかのみぞ臥す霜がれて萩のふる枝もいづれなるらむ
御前にまゐりたれば、假殿(かりどの)の御程にて、やう\/作りたてまゐらする、いとたふとし。心のうちに、
たのもしや三笠の山をあふぎつつかげにかくれむ身をし思へば
さて猿澤池を見れば、濁りなく澄みて、采女が身を投げけむ昔の影も〔采女投身の事、大和物語に載せたり〕、いま浮びたる心地して、今はと見けむ面影を、我ながらいかに鏡のかげの悲しと見けむ。御幸ありけむ帝の御(み)心地も、かたじけなく哀なり。
思ひやる今だに悲しわぎも子〔我妹子、親みて呼ぶ詞、采女の事をさす〕がかぎりのかげをいかが見つらむ
とあはれなり。長谷にまゐりたれば、あさぼらけ霧立ちて、刈田の面(おも)さびしきに、鶴の群れ居て鳴きあひたる聲、いとすごし。
秋はつる山田の庵のさびしきにあはれにも鳴くつるのこゑかな
三輪山(みわのやま)といふ所を見るに、音に聞くばかりなりしを、ゆかしく心もとなけれど、かへらむ度と思ひて過ぎぬ。長谷にまゐりつきて登廊(のぼりらう)を入るより、貴(たふと)く面白き事の世にあるべしとも覺えず。らんしゆのけしきもなべてならず貴く、かひ\〃/しく、心にしむる面影、信(しん)おこりて、年月のあらまし〔年來思ひこみし事を〕、今日こそと嬉しき事限りなくて、御帳(みちゃう)もあきて拜まれさせ給ふ。おりなむ後いかゞ、と覺ゆ。
へだたらむ後を思へば戀しさのいまよりかねてなみだこぼれぬ
かねては、長閑に思ひしかども、めでたき御世のひしめきて、京より使あれば、心も心ならず。曉はいそぎ下向するに、都もいそぎながら、又これも名殘おほし。この度ぞ、三輪にまゐる。音に聞きしよりは貴く、杉の木に輪を三(みつ)つけたる〔三輪にちなみて爲すにや〕もおもしろし。
年月はゆくへも知らで過ぎしかど今日たづね見る三輪の山もと
三(み)つなりなれる杉の實の落ちたるを取り拾ひて、宿願ありて、又まゐらむ折かへしおかむ、と思ふに、
しるし見むしるしの杉のかたみとて神世わすれず行く先を待て
又玉井(たまのゐ)といふ所過ぐる。「いでやあらむ水は」といへば、汲みて來たり。
汲み見れば戀さめにこそなかりけれ音に聞き來したまの井の水

あくる日は京(みやこ)へ歸りぬ。里に裝束(しゃうぞく)したゝめ設けたれば、やがて御所へ參りぬ。御讓位。二十一日、節會果てぬれば、劍璽〔神劍と神璽〕入らせおはします。たゞ行幸の儀式のやうなり。筵道敷きて、御劍(ぎょけん)は左近中將むねさだ、璽をば右近中將信基、先に公卿供奉(くぶ−ママ)、右大將、公卿のすけは、劍璽の左右(さう)の御後(おんうしろ)に供奉す。左右近衞つかさ、中門の外(と)にとゞまりて列(れち)に立ちたり。劍璽は、端の間より入御なれば、右大將さうこんの木〔左近櫻(*ママ)〕の下(した)に立つ。母屋(もや)の御簾すべらかして、御帳の前に、御引直衣にて渡らせ給ふ。勾當〔勾當内侍〕、左より御劍を受けとる。次に璽を渡す。右より少將内侍、璽を受けとる有樣、ゆゝしくめでたし。とかく儀式久しくて、明くるほどにぞ、内侍所は入らせ給ふ。明け果てぬれば、御前(ごぜん)も問籍(もんじゃく)〔禁中宿直の人名を呼ぶこと〕はなし。内豎(なじゅ−ママ)時を奏す。
三日は、をのこども殿上につきて、大盤〔饗應〕おこなふ。年中行事の障子のもとに出御(しゅつぎょ)なりて、ない\/御覽ぜらる。やがて今夜解陣(げぢん)〔陣をとりはらふ事〕なり。中門に出御(しゅつご−ママ)なる。
十一月九日、播磨中將ともあき、なくなりぬ。雲の上に心をかけて、今一度と願ども立て、なにかしけれども、限ある世の習なりければ、かなはず。妄念のみ哀にかはゆきことも、今はの際思ひ定めてといひしに、と悲し。
九日は、春日祭に内侍勾當たつ。
十五日、まつりごとはじめ。
十七日、解齋(けさい)〔祭祀潔齋の最終の日〕の御手水。
十二月五日、臨時祭なり。使は花山院宰相中將〔定教〕、清凉殿に出御なる。麹塵(きくぢん)の御袍(ごはう)、躑躅の御下襲、御簾に殿下〔師忠公〕御まゐりあり。御(おん)神馬(しんめ)引き立てて、使まゐりて、御幣とれば、御拜(ごはい)ありて入らせ給ひて、御椅子(ごいし)に御(おん)尻かけさせ給ふ。使、舞人ども座につく。中門の下に公卿著きたり。勸杯(けんぱい)三獻果てぬ。かざしの公卿、内大臣左大將〔兼忠〕、權大納言花山院中納言大炊御門(おほゐのみかどの)中納言〔良家〕、久我中納言皇后宮權大夫、ざしきに子細ありて、殿上ばかりにて著座なし。洞院(とうのゐんの)宰相中將左大辨宰相、巳の時に催されて、舞人ども疾くまゐりたれども、儀式とうも〔一本「とかく」〕久しくて日も暮る。勸杯果てぬれば、内大臣殿、使のかざし藤をとりて、冠(かうぶり)にさゝせ給ふ。つらにまがはぬ〔顔に似合はぬ〕かざしの色も、おもしろく、世の初にて、公卿の使よろづ映え\〃/しきにも、雨雪のさはりだになくて、長閑にめでたし。神もめづらしとや受け給ふらむ、と覺えて、
いろふかき雲井の藤をかざしにて神もうけみるつかひなるらむ
かざし果てぬれば、簀子に著座、舞人ども、左右に立ちて行きちがふ青摺(あをずり)の袖口をかし。主殿寮の立明(たちあかし)の光に見えたる、いひつくすべうもなし。笛のおと、和琴の音もをかしう聞ゆ。北陣(きたのぢん)わたさるゝに、長橋のつまに行幸なる。果てぬれば、やがて御拜あり。かくて更けぬるに、やがて還立ちなれば、この度は御引直衣にて出でさせ給ふ。庭火のかげに、舞人の櫻かざして、人長(にんぢゃう)〔舞人の長〕が拍子にあはせたる足蹈(あしぶみ)、和琴の音すごく、やう\/明け行く空の光かきあひて、いひ盡すべうもなく面白し。
八日(*原文「八月」)九日は、除目〔叙任の式〕なり。
十二月十二日、神今食(じんこんじき)〔六、十二月十一日に行はるゝ神事〕(の)使立つ。上卿(しゃうけい)權大納言、辨には右大辨宰相、門より筵道敷きておりて、役に從ふことども、幼き遊のやうに、をかしきことどもなり。
十五日、内侍所御(み)神樂、雪宮中(みやのうち)におびたゞしく降りたるに、和琴に、冷泉侍從よりなり、本(もと)拍子、二條中將すけかた、末(すゑの)拍子、綾小路少將信有、篳篥、山本中將かね行、笛、伯新少將やすなか。月は更け行くまゝに冴えたるに、日數へて降り積みたる雪に、かつ降りそふ景色、池の中島、松の梢、木々の梢かゞやきたるも、庭火のかげに、束帶のKきが上に降りかゝる雪は、うちはらふも折から殊にすみ、神さびたる景色かぎりなし。雪おびたゞしく、所作の人〔舞などする人〕堪ゆべくもなければ、はしをとりて、中門の下にてあり。
二十五日は、北山殿へ御方違〔塞りたる方角を避けて他所へ行幸をなすこと〕の行幸はじめなり。また雪降りて、月だにあらばと覺えし。劍璽の役、花山院宰相中將やくの内侍勾當内侍新内侍となり。すけに權大納言のすけ按察殿少將内侍伯耆殿、まうけの御所へ參りてむかひて、勾當といそぎ髪あげて、母屋の御簾のうちにて、御(おん)輿待ち參らせて侍ふ。入御なりぬれば、御裝束、御引直衣めしかへて、月もなきころなれば、殿上人ども、紙燭さして〔紙燭をともして〕雪御覽ぜらる。入らせ給うて御會あり。男には左中將爲兼ばかりなり。警固の姿にて參りたる。いとやさしく見ゆ。權大納言のすけ殿新宰相殿、女房三人、男三人、數に漏れぬ身、我ながら嬉しうこそ覺ゆれ。還御はほの\〃/と明くる程になりぬれば、雪うち拂ふ警固の姿ども、やさしくおもしろく見えたり。
二十六日、皇后宮(くゎうごうぐう)〔遊義門院〕の御方へなる〔主上の御幸〕。人なくて御供も唯一人まゐりたれば、還御待ちまゐらせて、池のかた見出して、つく\〃/とながむるに、雁の鳴きて過ぐるが、昨日よりこそ春も立ちしに、いつしか越路にやかへるらむ、今は秋こそ頼みなるらめ、と思ふに、
春來ぬとかりは越路にいそぐなりこころに秋をたのめてぞ行く

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弘安十一年二月五日、春日祭に立つ。上卿一條大納言、辨には兼仲なり。雨すこし降りて霞みたるに、木津(こづ)川の端を行けば、橋あり。柴を組みて渡したる橋と申す。
十日、園韓神(そのからかみ)〔園神、韓神〕(の)祭。上卿大井御門大納言、辨には爲俊
十二日、大原野〔山城國乙訓郡、奈良春日社を移して祭れる所〕(の)祭なり。雨うちそゝぎ霞めるに、まだ見ぬ里とめづらしく見ゆれば、桂川などいふ所も過ぎて、「西山とこそ申せ。」といふ。
こころぼそくつねに慕ひてながめせしこれや日の入る西の山本
宮にまゐり著きぬれば、辨、上卿つきて事ども行ふ。几帳さして、御前にまゐりて見れば、四所(よつどころ)の御戸(みと)ひらきて、西の御帳に、太刀を横ざまにすぢかへたるやうにつけて、扉の脇に矛立てたり。日暮るれば、いとめづらかに尊(たふと)し。〔祭禮が〕果てぬれば歸るに、雨も時々猶そゝぐものから、夕日のかげに、影もすこし見えつるに、又ありつる桂川にもなりぬ。鵜舟も二三あり。橋の下行くやうにて、さしとゞめたるに、綱手引くやうに、人二人ばかり綱を引きてさきにあり。車の通れば、綱を水に沈めて、
かつら川くだす鵜舟の綱手なはしづむるはてよ如何になりなむ
今宵、北山殿へ行幸にかへり參らむと急ぐに、亥の初にぞまゐり著きたる。やがて髪あげてまゐる。あくる日、御舟にめされむとて、筵道敷かせて、兩貫首(くゎんす)皇后宮大夫殿、職事ども、さらぬ殿上人、六位など、御供にてあり。御堂の釣殿より御舟にめす。漕ぎわたせば、中島の松のしづえに、鳥の巣(すく)ひたる、「浮巣」と申し侍れば、「これよ。」などて〔「などとて」の誤なるべし〕御覽ず。かゝるすみかとて、今より浮きたるはかなさも哀なり。
はかなげの鳥のうき巣のあはれさや池のこじまの松のしづえに
今日十三日なれば、嵯峨殿の御八講(みはかう)〔法華八講〕とて、御幸なれば、いそぎ還御なる。その後暮るゝほどに、野上へ行幸なる。人々先にまゐりて、ありつるやうに筵道敷きて、殿上人、六位しりなりつる〔後なりつる〕を急ぎとりて、さきに劣らじとして、少藏人の衞門佐、赤衣(せきい)〔あかぎぬ、五位以上の人の著るもの〕の姿ことごとしきに、ときはる青色著て交りたり。野中にはしり散りたる女郎花の中に、萱草(くゎんざう)の咲きたる秋の野を見るにて、こだまの目もや立つらむ、と面白くぞ見ゆる。春宮の御時もなりたりしが、思ひ出でられて、松山の中なれば、たゞ昔の秋にかはらず、筧の音、峰の松の景色かはる差別(けぢめ)なし。伊豫簾〔伊豫國より産する葦簾〕かけ渡して涼しげなるに、月は漸々(やう\/)さし出でて、このもとにて御酒(き)まゐる。兩貫首、殿上人どもは、心とけて遊びあひたり。御前(ごぜん)と忘れたる〔天子の前なるを忘れたる〕氣色笑はせおはします。
おもひ出のむかしの秋もほど經ればこの夕暮にまさりしもせじ
心の中に、おの\/詠みあへる歌ども、あくる日ぞ見參(けざん)に入りける。やがて北山殿へまゐらせらる。
二月二十七日、官廳(くゎんのちゃう)〔太政官〕の行幸。髪上内侍、勾當少内侍なり。
三月八日は、除目なれば、曉ちかく御夜なれど、奏書を持ちて明くるまで寢ず。ほのぼのとするに、「曙の花見む。」といひて、大納言權大納言佐殿新少將四人、釣殿に出でて池の花を見れば、盛りなるもあり、すこし散るもあり。「今年は風や吹かぬ。花や盛と見えて久しくなりぬ。」といへば、
九重は風もよぎてや吹き過ぐるさかりひさしく見ゆるはなかな
八日は、御馬御覽。
九日、臨時祭〔賀茂の臨時祭〕なり。使にまゐる。花もさかりなるに風すこし吹きて、散りまがふ花の下に、舞人ども繪に書きたらむやうなり。立ち舞ふ袖の氣色、神垣も思ひやられて、
待ちえたる御世の初に咲きにほふ花のかざしをいかが見るらむ
三月二十一日、禮服(らいぶく)御覽、日御座〔清凉殿の晝御座〕に出御ならせ給ふ。御引直衣、母屋の御簾を垂れたる端の御簾をあげて、簀子に圓座を敷く。關白大臣のは厚圓座(あつゑんざ)、その外の公卿のは薄圓座なり。奉行五位の職事顯世(あきよ)・六位なかかた、公卿に關白殿内大臣殿久我右大將殿大炊御門大納言皇后宮權大夫殿なり。御覽果てて入らせ給ふ。鬼の間〔清凉殿の西廂の間〕にて御覽あり。殿下大炊御門大納言皇后宮權大夫殿召し入れらるゝ、よく\/御覽ありて、この度用ゐられむずるは、めし止められぬ。其外は、禮具藏(らいぐざう)〔禮式用の器具を納むる藏〕へかへし納められぬ。うち\/次の日より、玉の御冠(おんかうぶり)めして御覽あり。ながつね召して御覽、したゝめすべき御冠など御用意あり。御もの損じたる所、御乳母の沙汰にて直さる。
三月十五日、御(ご)即位〔伏見天皇御即位〕。行幸の儀式、關白殿左大將以下、供奉の人々、めづらしくおもしろし。髪上内侍、この御所より少將内侍少輔内侍(せうのないし)なり。御所御裝束(おんしゃうぞく)めされぬ。殿入らせ給ふ。めし仰果てぬるよし、奉行の職事申せば、南殿(なんでん)へならせ給ふ。御輿にめされぬれば、官廳へいそぎ勾當もまゐる。髪上の得選(とくせん)〔女官〕設けたれば、車の尻に乘せて官廳の北むきより參りて、髪上したゝめて、朝所(あしたどころ)の南むきに、勾當もさぶらへば、やう\/行幸近かせおはしますとて、供奉の公卿、次第に列(れち)に立ちたり。御輿よらせ給ひぬ。關白殿の御(おん)下襲、引直衣まゐらせらる。公卿のすけまゐりて、劍璽とりて、内侍につたへて後、御輿につきて御(み)綱のすけさうぞきぬ〔裝束きたり〕。奏果てて主上入らせ給へば、殿御輦(ごれん)にまゐらせ給ふ。庇の御簾(みす)あらはより、職事あきよ(*顯世)たれては、御(おん)母屋の御簾(ぎょれん)あげられて、主上大床子(だいしゃうじ)〔御膳を載する臺〕にわたらせたまふ。劍璽も大床子に置き奉りて、内侍朝所の北むきに出でて侍(さぶら)ふ。その後、大床子の東(ひんがし)に平敷(ひらじき)の御座に、繧繝(うげん)〔暈繝(錦の一種)の縁疊〕二帖の上に、御茵(おんしとね)よそひて、この上にて、わきの御膳などまゐらす。御(ご)配膳は女房、役送の女房は小上臈、朝所の北むきに北にさぶらふ。奉行の職事を召して、「高御座の事は具したるか。」と仰くださるれば、職事かへりまゐりて、具したるよし奏す。平敷の御座にて、御(おん)束帶解きくつろげさせ御坐しまして、玉の御冠(おんかうぶり)召さる。禮服召されて、大床子に主上わたらせおはします。玉の御冠に緋(あけ)の緒を附く。赤(あけ)の御袍(ごはう)に、左右(さう)の御(おん)肩は月と日とを出し、御(おん)直衣には、北斗七星をあらはし奉る。御胸御袖には、龍(たつ)の上りたるを縫ひたり。霰地の御表(うへ)の袴のうへに、禮服の御裳(おんも)をめす。その上に御(おん)大袖の御袍(ぎょはう)をめす。御くびかみ〔襟なるべし〕御まひもなり。その上にたかくびの御小袖の御袍をめす。このいろ\/の御紋は、御小袖の御袍にあらはして、上にめしたり。赤地の錦の御(おん)襪(したうづ)、花形の唐の御沓、赤地の錦にて包みたり。御腰には御綬(ぎょじゅ)とて、平緒の白きを引かせ給ひたり。左右の御うしろの御脇の通(とほり)に、短綬(たんじゅ)とて二筋、御膕(よぼろ)〔ひかがみ〕のほどにさせられたり。御前の左右の御脇に玉佩とて、玉を貫きて著けられたり。御裾に火打形のからかね〔唐金〕を著けられたれば、普賢〔菩薩〕の如くにりやらめきならせ給ふ。御ちかへには大綬を結びさせられたり。太刀の平緒の如く結び垂れたり。高御座の事具したるよし、職事申せば、軈(やが)て行幸あり。御劍は勾當給はる。璽(じ)はこれの役〔中務の役〕なり。右の御脇にまゐる。殿下の仰に、「その璽(しるし)の御筥のうへにかけたる網を指にかけつれば、取りはづしてあやまちはせぬぞ。」と仰あるに、御情のありがたく、心もつよ\〃/しく覺えて、あやまちなし。高御座へ事故(ことゆゑ)なくまゐり著きぬ。帳■(寒の脚を衣に:けん::大漢和34513)役(とばりあげのやく)〔高御座の御帳をかゝぐる役〕は、伯三位の女なり。命婦・藏人四人、やくの内侍六人、うら濃き蘇芳(そはう)こきもののぐ、行幸高御座へなれば、御さきの命婦四人、御(み)先に立つ。その後髪上内侍二人、二行(ぎゃう)にならびてまゐる。高御座の御はしの左右に、内侍立ちとまれば、殿下御簾(ぎょれん)の役にまゐり給ひぬ。ひだりの内侍まづのぼりて、左の御わきより御劍を參らせ置く。御はしを退きて、右の下(しも)に内侍の座につきぬ。女王(にょわう)の裝束、二色(ふたいろ)紅のひとへ、蘇芳(そはう)の上著、紅色(あかいろ)の唐衣。
髪上内侍は、勾當これ新内侍なり。御前(ごぜん)の命婦、
みあれのいつぬき宮人いしかは
威儀命婦〔儀式の際其事にあづかる命婦〕、
はゝ木さぬきひぜんたまがき
これ皆うら濃き蘇芳、柳の唐衣なり。
扈從(こしゃう)命婦、
右衞門督殿、〈柳に紅の單、紅梅の上衣、〉
新左衞門督殿、〈萌黄に紅の單、山吹の上衣、〉
新宰相殿、〈紫の薄樣にしろき單、山吹の上衣萌黄の唐衣、〉
宮内卿(くないのきゃう)殿、〈新宰相におなじ、〉
治部卿(ぢぶのきゃう)殿、〈紫の薄樣に萌黄の上衣、葡萄染の唐衣、〉
少將内侍少輔内侍、〈松重に紅の單、柳の唐衣おなじ、〉
 つねの衣の上に、海部(かいぶ)〔大波、磯貝など附けたる模樣〕に唐衣、纐纈(かうけち)の衣、平額(ひらびたひ)なり。
行列の間の事、
御先に、威儀命婦四人、〈筵道の左右につくなり、〉
正廳(しゃうちゃう)の左につく、
次に、劍璽内侍二人、〈左勾當、右はこれ(*中務内侍)なり、〉
扈從女房、御後に歩みつゞきてまゐる。事しづまりて、南を遙に見やれば、節下(せちげ)の旗〔儀式の時執事の大臣其標として立つる旗〕とて、風にひらめきて立ちたり。大(おほき)なる香盤(かうばん)に名香(みゃうかう)や匂ふらむと見えたり。こがねの咫烏(たがらす)とて、足の三つある鳥見ゆ。しんこんたけうの中には、日の中に三足(そく)の烏あり。月の中には六足の兎ありと聞きしも、本説(ほんせち)あることなりけり、と信おこりて覺えて、唐人の姿ども、なみ立ちて拜し奉るに、身の毛も立ち、涙がましくめでたく嬉し。右大臣殿、からめかしき御(おん)姿にて、幕の中よりねり出で給へば、玉佩〔束帶の時胸につくる玉の錦〕の音かや、道にりやらめきてひさしく、御たけの高さ、御天(おんてん)の高さにもたち劣り給はず。高御座に向きて、拜し給ふを見るにも、めでたく侍る。
ためしなき心地こそすれ君が世のかかる御幸に今日つかへつる
と思ひ續けたれども、うち紛れぬ。やう\/大禮(たいれい)の儀どもも果てぬれば、殿、高御座へのぼり給ふ。朝所へ歸り入らせおはします、御劍・璽(しるし)の御(おん)筥など元の如くつとむ。主上御裝束めしあらためて、還御の儀になるほどに、この御休幕(みやすまく)〔幄屋などの休所なるべし〕へ入らせ給ひぬ。花山院西園寺殿さぶらはせ給ふ。還御の御(おん)儀式、具せらるゝほど、大床子の東平敷にては供御まゐる。御配膳は、女房もとの如し。また大床子の西に唐繪の御屏風を立てられたり。その西にて、兩大納言殿、御割籠(わりご)〔辨當〕開き給ふにや。その役送にて五位の職事よりふぢあきよ(*顯世)など見え侍りつ。御膳果てぬれば還御なる。公卿の列(れち)、御(おん)輿よりてめされぬれば、從者(ずさ)どもよせて又歸りまゐりぬ。出車(いだしぐるま)〔儀式用の飾車〕には、
一の車に、
左衞門督殿新左衞門督殿はゝきさぬき
二の車に、
宮内新ざひぜんたまがき〔一本「たまき」〕、
三の車、
新兵衞ぢぶみあれいつぬき
四の車、
少將宮人いつぬき


十六日、夜ふけ靜りたるに、清凉殿へ月に誘はれて、花見に出でければ、大納言殿、「池の花の面影、月にさだかに覺えて戀し。九重になる花の色、あかでむかしや戀しかるらむ、と覺ゆれど、それにつけても、ふりにし昔は思ひ出でらるゝを、忘れじといひしその世の友はなきもあるに」とぞ。「引きかへたる雲の上、草の蔭にや思ひやるらむ。かゝる情の序に、忘れぬ、おほく忍ばれむとや言ひおきつらむ。」などいふに、舟に乘らむとて、池の汀なる花の下に、月の顔〔月のかげ〕のみ守(まぼ)られて、暫時(しばし)あるに、大納言殿、「哀にこの世ならでも思ひ出づらむや。」とてあれば、
月にとひ花にかたりてしのぶるをまたあはれなる人もありけり
つとめて、大納言殿
年を經て今日をかならず契り來し人しもなどかとまらざるらむ
御かへし、
はるを經てかはらぬ花の色なればさこそ見し世の友と戀ふらめ
いつとても哀は絶えてありながら忘るなといひし今日ぞ悲しき


三月二十六日、雲井の花みな散り果てたるに、春日殿へ御文のまゐりたる御かへりごとに、花を參らせらるゝに、少將殿、小き枝を折り具して、ことづけ侍るに、世にありがたき〔世上に稀なる〕比なれば、初花よりも珍しと思ふに、折り具しぬればとてやらむ召されぬ。やつれぬ花の契はいみじけれど、ころはしも、と覺えて、花の返事、
思ひきやまれなるころのさくら花君がなさけをそへて見るほど
いたづらに散りなむ花をあはれあはれ今一枝と見るよしもがな
また返事、
なべて咲くころにしあらば櫻花かかることばのいろも添へじな
雨風にはなはあとなく散り果てぬむなしき枝をかたみとは見よ
四月(うづき)十九日、祭〔賀茂祭〕なり。使一條中將さねつぐの朝臣。皇后宮(きさいのみや)のつかひは知るべし。
五月五日、軒の菖蒲(あやめ)も今年は珍しき樣に葺きたり。菖蒲の御輿〔五日は御輿に菖蒲を結びてかざれり。〕かき立てて、殊におもしろし。もとへの女官ども、藥玉の菖蒲持ちて行きかふ。御藥玉の花どもまゐらす。
五月八日、紫野の若宮より、松の緑にしつけて參らせたり。御拜(ごはい)まだしきほどなるに、御所へまゐりたるに、何となく聞くもやさしく、「これを題にて、歌をよみ侍らばや。」と沙汰あれば、
むらさきにみどりかへたる姫小松あだし色とやきみに見すらむ
九日は、小五月(こさつき)の御幸なり。
五月十五日、御拜の御供に、清凉殿の簀子に侍へば、花はあとなくて、木暗き青葉の梢もおもしろし。
六月二日、女御まゐり。
五日、露見(ろけん)〔披露〕なり。御使に、一條中將さねつぐ、紅の薄樣の御文、朝餉(あさがれひ)より參らせて、女御の御方の臺盤所より禄たまへる。
六月六日、御殿油(おほとのあぶら)〔燈火〕まゐらせて後、常の御所の御縁(ごえん)を、新宰相殿と通るに、蟲の鳴き初むるを聞きて、新宰相殿
鳴きそむる蟲の聲をし聞きつれば
とて、下句(しものく)なければ、
すでに秋なる心地こそすれ
と附けたるを、新宰相殿の、心地さへするに、いひたきに難ぜさせ給ふ、いかが。
おなじき七日、人の許より、
女御御參(おんまゐり)のめでたく、仁治後堀河の御宇〕の例のまゝに、雨さへたがはぬ〔後堀河帝の女御入内の夜雨天なりしをいふ。〕も、めでたくて、
いにしへを今につたふる雲の上は雨さへふるきためしをぞ知る
返事に、
そのままをつたふる雲のうへなれば雨さへぞげに時をたがへぬ


六月十六日、月さし出でて、空は叢雲立(だ)ちて、晴れ曇りするしも、心あり顔なるに、花山院中納言、御ともにて、清凉殿に出でさせ給ひて、月御覽ぜらる。皇后宮權大夫(ごんのだいぶ)まゐり給ひて、「舟に乘り侍らむ。」と申し給ふほどにしも、臺盤所の者ども召し出でて、舟に乘せらる。洞院宰相中將もまゐりて、やがて御(み)舟に參りて、藏人左衞門のりなほ篳篥、權大夫笙の笛、花山院横笛(よこぶえ)、いとおもしろし。
おなじき廿七日、新王の宣旨なり。その日、常盤井殿の泉殿へ御わたましに、女房たち御まゐりどもあり。いと御人ずくなにて、長閑やかなるに、御拜(ごはい)の御(おん)手水持ちてまゐりて見出したるに、女御の立蔀に、青やかに藤の繁りたるを、「今年は花咲かで過ぎぬる。」と申せば、「このほど咲きたるを、いまだ見ずや、うたて。」と仰言あれば、「さも侍らず。」と申せば、「さてそれは、こなたより見えざりけり。五ふさばかり咲きたりき。いつもの比にはあらで、今年もをり知りて咲きける花の心もありがたし。」
をり知りてかく咲きあへる藤の花なほなべてには思ふべきかは
例のまゝならば、今はさかりも過ぎまし。

七月七日、院の御所より、露の御草子とて、面々に賜へりて(*ママ)歌よみ侍る。權大納言のすけ殿に尋ねまゐらすれば、「御下(おんしも)に。」とあり。御(おん)局〔一本「御つぼ」〕を引き開けたれば、この御草子書けば、北山殿の、今日戀しく思ひ出されて、とて、
たきもののふけしけぶりの末までも四年の秋はあはれなりしを
と、やがてかへらせ給へば、思ひいでの戀しきも、かくなればいとど色添ひて、
げにやげにいつも星合(ほしあひ)の空なれど四とせの秋はあはれなりしを
待ちえたる今日も今日こそ嬉しけれ七夕つめや今日も今日なる
暮れぬれば、乞巧奠〔公事根源に、「七日になれば…夜に入て乞巧奠あり。御殿の庭に机四脚を立て燈臺九本各燈あり。」〕の火の光〔燈明の光〕、水にうつろひて景色殊におもしろし。琴柱たてよ、洞院宰相中將なり、會のしるしと珍しくや、七夕つめも思ひやられて、
手向けおくたまの小琴(をごと)も此のあきは七夕つめのいかに聞くらむ
この秋はたなばたつめに手向けおく玉の小琴に音もや添ふらむ
たむけする空だきものに如何ばかり天のはごろも袖かをるらむ
權大納言參らせ給うて、御語(おんかたり)あり。前大納言殿琵琶、琴は女御の御方權大納言殿洞院宰相中將、笛、花山院中納言殿伯少將やすなか(*源康仲)、拍子、綾小路少將。御(おん)樂果てぬ。心のうち靜り果てて、月見む、といひて、女御の御方に忍びて、御琵琶彈かせ給ふ。


十月十九日、官廳の行幸なり。
二十一日、御禊の行幸。出御内侍、少將(*少將内侍)・少輔内侍なり。女御所の内侍、馬には乘るべしとて、勾當これ(*中務内侍)と、命婦四人、伯耆(はゝき)かはち備前肥前、藏人に、みあれのすむつる。陰陽寮(おんやうれう)にて出で立つ。裏濃き蘇芳(そはう)の三衣(さんえ)〔三重の襲の衣〕、あをき單、纐纈の裳、濃きはかま紫の指貫の股立(もゝだち)より褄を出して、くはんの沓とて履きて、髪あげて馬に乘りてくだる。すかりや〔簀借屋〕に幔(まん)を引きて、女御代の御(み)車立てられたり。出車(いだしぐるま)いろ\/に見えて、ひんてう〔嬪長か〕尚侍(さうじ)車の前に立つ。そらだきものの匂心あしく薫(くゆ)りみちてなむ。
閑院殿のあとに、御ざしき七間(けん)、中の間は、院の御方、左は皇后宮の御方なり。紅葉重のおしいだし〔出衣〕見ゆ。御所の西に、平板敷に紫縁(むらさきべり)しきて、尚侍(さうじ)二人ていしたり。御端の間に、西園寺大納言殿著かせ給ふ。右の方の假屋に、殿上人ども著座したり。その下に、北面(きたおもて)御隨身居たり。菊紅葉植ゑて、御ざしきの儀式いひつくすべくもなし。過ぎぬれば、道よりおりて、車にて蔀屋〔蔀にて構へたる借屋〕にまゐる。石たて松植ゑたり。主上腰輿(えうよ)にめして祓殿(はらへどの)へなる。還御なりて後十三日、その度に、その折つら\/久しからむ折などあり。御わきまへは、その折にとあり。


十一月は、大嘗會とて、霜月八日、女工所(にょうぐどころ)はじめとて、悠基(ゆき)・主基(すき)〔大嘗會の時用ふる新穀を奉る國〕にてつくるが、未だ出で來ねば、悠基には神祇官を用ゐらるとかや。主基には陰陽寮なり。
八日、月さし出づるほどに、勾當と一(ひとつ)車にて行く。夕月夜のさびしき影、内野のはるばると霜枯の野邊にさはるものなく見えたるも、なか\/をかしきに、
霜がれの野邊にしあればはるばると所えがほにつきのみぞ澄む


さて月入りて後かへる。女工所(にょうぐどころ)に、かねて十二日とてありしかど、おそく作り出すに、十七日より入るに、雪うち散りて、冬篭りたる空のけしきのすごきに、陰陽寮のなかなるに、社のみぞ一つに見いだしたる。勾當は、神祇官の司の東(ひんがし)に、女工所の屋立てたるに侍る。これには陰陽寮の中(うち)に戌亥のすみなり。得選〔采女中の上首〕おとらぬおとゝえ女官には、つかさとて、代々のくわんと名のりて、例ども引き、行事官に疊せめ出して敷く。里より屏風、棹、厨子やうの調度ども召し寄せてしつらひつる。さるほどに、日暮れぬ。里より人まゐりて、厨子立て棹つらせなどす。思ひもよらぬほどに御幸ありと聞き、勾當の所より、これへ入らせおはします。晴れがましくなる。女房たちいくらも\/おし入りて、いかにいかになど仰せらるゝ。棹なる袴引きおとして著つ。やがて入らせ御座しまして、「衣の掛けやう思ひ所あり。幸にこそ掛けたれ。」と仰言ありて、「しつらひ優し。」など御感にあづかる。今宵おとなしき人參らずは、如何に\/恥ぢがましからまし、と覺ゆ。几帳なども立てめぐらしつ。よく\/御覽ありて、還御なりぬ。面目も恥ぢがましさも劣る方なくこそ覺え侍れ。さても夜も明けぬれば、官より行事官とて、入りさぶらはむ事うけ給はらむと申す。大嘗會のいなのみのおきな〔大嘗會の時の司の名〕、いんこや〔忌火屋〕女とかや、いろ\/のものの裝束の衣、いろ\/の染草、花紅(はなくれなゐ)などまゐらせたり。かたの如くなれば、女官、この廳にては道行きがたき次第ども、奉行辨仲兼(なかかぬ)にふれ申せば、「國々へ下知(げぢ)し侍れども、いまだ沙汰せず。せめふせ侍らむ。」など申す。行事官と女官といさかふ、怖しながらをかし。
十八日には行幸なる。
十九日、權大納言、御局へくるゝほどに、
きのふより近きたのみはなぐさむに覺束なくて今日も暮れぬる
と申せば、御返事、
今しかく書きかよはせば情こそ逢ひにあひぬるちかきしるしに〔一本「しるしよ」〕
今は心つよく覺ゆるにつけて、
つれづれは見る心地せよここにいま大内山のくれのけしきを
二十一日は、まゐりの夜、帳臺の出御に、御つまいだしてなる〔一本に「いさしてなる」〕。女房たち、御後(おんしり)につきてまゐる。女工所果てぬほどは、夜を越さぬことにて、あから樣にまゐりて、鐘うたぬさきに、女工所へかへる。つぎの日、新宰相殿のもとより、事のまぎれなるに斯く、
人知れずやさしくぞ見し月かげもおほみや人のそでのけしきも
よそに見むものとはかねて知らざりきとよの明(あかり)のありあけの月
夜もすがら大内山のつきかげに立ち舞ふそでをおもひこそやれ
せめてただもしや心のなぐさむとはこやの山のつきをこそ見れ
おのづから馴れし名殘を忘れずは見せばやともや思ひ出づらむ
かへし、
ありしにもあらずや人のうらむらむ思ひながらに日數經ぬれば
よそに見てさこそ昨日は思ひけめおもみや人のそでのけしきを
まぎれつつ忘るらむとや思ふらむこころの中に問はぬ日はなし
あはれにも心よわくぞながめける豐のあかりのもろ人のたち舞ふ袖もおもひやりけめ
さるほどに、行事官、いろ\/の染草まゐらせたれば、女官司(にょうくゎんつかさ)に受け取らす。しるしぶみにまかせて、御帳(みちゃう)の帷(かたびら)、いなのみのおきな、いんこや女の裝束の衣受け取らするに、染草ども、りやうの國守〔悠基・主基の兩國守〕のもとへつみ遣す。また奉行の辨仲兼とさまの催もしきりかけて、御けうぞつかはす。行事官、「直に受けとらせ給へ。」とて、出で來れば、侍どもを出してあひしらはするに、心得ぬ事どもあれば、女工所の女房をはしに出して、御簾のきはへ、かの行事官を召し寄せて、衣の寸法など細にあひしらはせたれば、心得てよろこぶといへども、染草のいろ\/見えずして、御所の御力者(おんりきしゃ)〔ちからわざを以て門跡に仕ふる者〕を申して、ところ\〃/へつけてかたの如くせめ出しつ。衣をとり重ねて、花のいろ\/紅のいろ\/を、ひとへによせて調ぜさせて、後にそのいろ\/品々に分ち縫はせて、程なくさたし出でたれば、行事辨よりはじめて悦ぶ。いまだ夜の中に、行事官ならびに、奉行辨、めん\/に裝束うけ取らす。そのきもつき、ぬし\/女工所に出來て裝束もあり。稻實翁(いなのみのおきな)とて、鬢白く髭は帶のもとまで長くて、年も百歳にもやと見ゆるに束帶せさす。これを見て心の中に、
いなのみの翁さびたる鬢しろしきみがちとせもかねて知られて
斯樣のともがら裝束きつれだちて出でぬれば、内裏より出車給はりまゐりぬ。局どもせばくて、殿の御休幕(みやすまく)の西の廊に集りてぞ侍ふ。


二十二日、標山(ひをのやま)〔大嘗會の時悠紀(*悠基)主基國司のひき出す■(金偏+勞:ろう::大漢和40889)物〕引く、ひしめく。裝束どもして渡しつれば、心やすくて暮るれば、廻立殿(くゎいりふでん)の行事に勾當はまゐらせ給はず。少將・内侍殿とぞまゐり侍る。K木の屋に參る。行事なりて、山陰(やまかげ)の氏の藏人待たせて、御湯(みゆ)まゐりて、帛の御裝束にて筵道敷き神殿になる、御儀式申すもおろかなり。殿いけ、しよしの小忌(をみ)〔大嘗會に著る小藍色の衣〕ども來て、神殿に内侍もまゐるべかりしかども、かたてがはりて、女工所のならでは、參らぬことなれば、一人して二つの事を務むべきにもあらずとて、是にとゞまりて、還御なりて、また御湯をめして又なる。殿はたび\/御まゐりありて、されども又御歸ありて、還御のほどに、御迎に御まゐりあり。ほの\〃/と明け行くに見れば、小柴〔大嘗會の時は小柴垣とす〕あちこち多く結ひまはして、K木の鳥居あまた立てたるめづらかに面白きに、かゝる公事の御けいきを見殘したらましかば、とさはりなく、今日までの事見つるも嬉しくてありがたく、事果ててあふべきにもあらず。
君にかく契りありけりかしこくて今朝の御幸にかくて逢ふ身よ
還御なれば、夜は明け果てて、日さし出づる程に、風もしづかに、さし出づる日影ものどかなれば、
みゆきなる今朝とや峯に出づる日も常よりことに影ものどけき
悠紀(*ママ)主基の節會、豐明節會(とよのあかりのせちゑ)ことになごり多く覺えて、露臺(ろたい−ママ)の亂舞、ほの\〃/とするほどに聲ばかり聞く。悠基主基とよみしにかはる\〃/かみあく。豐明節會果てがたに、舞姫のほか大歌所うたふを奏す。舞人樂を奏す。舞事(まひごと)のもと果てて、よごとの奏〔さま\〃/の祝詞を上申すること〕とて祭主炬火(たてあかし)〔和名抄に「炬火、束薪灼元」〕の光に見れば、小忌の裝束殊に美(うるは)しく、こは\〃/しげに、裝束きて拜し奉るを見るにも、
すべらぎのやほよろづ世と祈るらしあまつ日靈(ひるめ)の神ぞしるらむ
と思ひつゞけらる。事果てて、高御座(たかみくら)より朝所へなりぬ。清暑堂の御(み)神樂は、御代のはじめの御(おん)祈なれば、ことに君も臣も御(おん)神事にてもてはやし給ふことなれば、所作(そさ)の人、かねてより其人々と定められて皆まゐりぬ。御神樂の裝束果てて、出御なりてはじまりぬ。物の音すみのぼりて、玄上(げんしゃう−ママ)〔琵琶の名品〕の御(おん)撥音(ばちおと)ことに響きのぼりて、和琴の調、本末〔神樂歌の〕の拍子に合せて掻きなす、面白くやさしきに、古めかしなど申すもおろかなり。八十(やそぢ)にあまりたる實清(さねたか)二位の聲の色、むかしゆかしく覺ゆ。時々消えかへりて、年のしるしと、かすかなる折にも、玄上の御撥音にまぎれて、おもしろくやさしく聞ゆ。やう\/御神樂も果つれば空も明けぬ。神祇官もことに近ければ、納受(なふじゅ)し給ふらむ、と覺えて、心のうちに、
君が世を千世のはじめと祈るかな神のつかさのちかきたよりに
御神樂果てぬれば、人々祿たまはりて出でぬ。小忌(をみ)の姿、あくる日影にかゞやきて、やさしく見ゆ。
やまあゐ〔小忌の衣の色〕の色やこほりに亂るらむ日影うつろふ小忌のころもで
その後、御前(ごぜん)のめし、朝所の南おもての廣庇に、殿上人まゐりて、舞ひのゝしる物のまねなどするに、何をもよく相するいま參り召し出したれば、馬をよく相して〔相を見て〕、「この御馬(おんうま)はかさ驚きやし侍らむ。」と申せば、いしく〔うまく〕相したりとて、衆人(しうじん)、「わが身相せよ。」といふに、「上(かみ)は何事もめでたくわたらせ給ひて、常に御からかさ驚きや候らむ。」と相したりしもをかしう、そのふもとの中將、久しく内裏ざまへもまゐらず。如何にとなりたるやらむ、いとほし。


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正月元日の御儀式、常の如し。
二月五日、大原野へ立つ。桂川を渡るに、見れば巳の時のなりぬ。いま幾度か斯くこれを通るらむ、と思ひて、
久しからむ君が世なれば我もかくていま幾たびか此瀬わたらむ
西山といふ所になれば、哀にいとほしくおぼし出づらむ、といひしの住みし所、今はなくなりぬ。向日明神(むかひのみゃうじん)〔山城國乙訓郡西岡にあり。〕ちかき程にて、常にまゐるといひしが、おもひ出づるより、哀になつかしくて、
なつかしむ心を知らば行くさきをむかひの神のいかが見るらむ
さて大原野にまゐり著きぬ。辨としみつ、上卿おそくて、かへさ暮れ果てて、道たどたどしきに、夕月夜かすかなるに、暮るゝまゝに少し光もさしゆけば、
夕月夜うすきひかりを待ち出でて道のしるべもながめてぞ行く


二月十日、春日の臨時祭に立つ。このきはしめたる事なれば、おもしろく嬉しくて、酉のはじめに梨原に著きぬ。子にもやなりぬらむの程にぞ、宮にまゐる。更けたる月の木の間より見えて、庭火のかげ、神(かん)さびたる笛の音(ね)、拍子の音(おと)もすごく、舞人の立ち舞ふけしき、光〔庭火の光〕を神もいかにと、面白くめでたし。
君が世にかかるひかりの色そふる神のこころもおもひ知られて
事果てぬれば、梨原へかへりぬ。序にちと入湯などして、京へ參り著きぬ。
三月九日夜、清凉殿にむしや〔武者〕(*浅原為頼の天皇暗殺未遂事件)參りて、つねの御所へまゐらむ道を、藏人安世に問ひける程に、逃げてかゝることと申せば、御所中宮の御方にぞ渡らせおはします程に、常の御所へ、中宮具しまゐらせて、逃げさせおはしましぬ。女つどひひしめきのゝしりて、とく女嬬火を消ちて、玄上〔琵琶〕とりて、「これ。」と申せば、手さぐりに受けとりて、御所に置きつ。夜のおとゞへ、劍璽取りにまゐれば、人の取り出しまゐらせて、道にあひたり。世間その後ひしめき、大番(だいばん)の武士(ぶし)〔京都を守護する武士〕ひしめく、怖しきことども出できぬ。清凉殿けがれて、御所もあくれば、春日殿へなる。取りあへぬ事なれば、御引直衣にて、腰輿にてなる。供奉の人々直衣(ちょくい)なるすがたにて、めづらしくこと\〃/しき、常よりもおもしろくて。
十九日、富の小路殿へ御具足とり具して、花、山吹折り具して參りたるに、權大納言のすけ殿
ながめ來しただ人づてのひと枝に花も〔一本「よも」〕あはれや添へて見ゆらむ
返に、
折りて見るこの一枝のあはれよりのこるみぎはの花ぞこひしき
君しかく殘るこずゑを問へとこそつねより花のいろもふかきは
藤の花にさして、
人知れずこころになれて見し藤のたれ待たねども時を知りけり
皆人の折りて、木ずゑの殘なく、と聞けば、
君待ちて散らじと花や思ふらむたれなさけなく折りや捨つらむ
大納言殿櫻木につけて、
折りて見る人のこころのなさけよりみぎはの花の色ぞ添ひぬる
また中務
思ひきや待ちし軒端のさくら花ただひとえだをつて〔傳言〕に見むとは
いかにまた見るにあはれのいろ添ひて咲きのこりける花の心よ
一枝も折りて見せずはさくら花ただいたづらに散りぞ過ぎまし
この花を一ふさ、東へ行きたる人のもとへ、文の中に入れて、おなじく遣るとて、
あづま路のみちの奧にも花しあらば雲居の春やおもひ出づらむ
かへし、
今さらにあはれぞまさるこの花のおなじこずゑを眺めてしかば


三月二十日、夜(よ)雨ふる。中宮大夫殿(ちうぐうのだいぶどの)神樂をうそぶき給ひて、「蕭々たる暗き雨の窓を打つ聲」〔朗詠の句、「蕭々暗雨打窓聲」〕とくちずさみ給ふ。繪物語に書きたらむことを聞くやうにて、おもしろし。雨風も共にはげしければ、
物ごとにあはれすすむるけしきにて秋とおぼゆる雨のおとかな
あくる日、清凉殿の方に、大納言殿へ御ともに、三人出でて見れば、雨風に花はあとかたなく散りて、簀子に白く散りたり。
夜とともの雨と風とにしをられて軒端のさくら散り果てにけり
大納言殿
をりしもあれ花散るころの雨風ようたても春のすゑに降りぬる


四月十四日、松尾〔山城國葛野郡にある神社〕へ立つ。大幣(おほぬさ)に葵(あふひ)を具して車に入る。加茂ならで、又あふひはありけり、今日初めてめづらしう覺えて、
待ち侘びしその神山のあふひ草またゆるすよのかみもありけり
大納言殿の御局(おんつぼね)へ、
待つかひありて、只今郭公の鳴き侍りつるは、もしおなじ聲をや聞く。
とて、
今鳴かむ聲をし聞かばほととぎすをしへやりつる初音とは知れ
御返に、
君がやどに待つかひありて郭公うらやましくも鳴きてけるかな
いかにいかに哀と聞かむほととぎすいましもおなじ聲と思はば
雨晴るる空にのどけくながめして待つらむほどぞ思ひやらるる


病わづらはしくて里に侍るに、新宰相殿
もろともに眺めばとのみおもほえて今朝の雪にも君ぞこひしき
かへし、
さこそとぞおもひやらるる降る雪に我もきみをし思ひ出でては
あはれなり思ひ出でつつながめつる時しも人に問はれぬるかな
正應五の二月(きさらぎ)まで〔中務が〕局に侍(さぶら)へば、いよ\/病おもくて里に出でたるに、三月(やよひ)晦に、散りたる花に書きつけて、新宰相殿
散る花のなごりのみこそ歎かるれまた來む春も知らぬ我が身に
かへし、
ことしはた花吹く風もいとはれずただわが身をも誘へと思ふに

(右中務内侍日記以扶桑拾葉集校合)
中務内侍日記


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