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落窪物語

笹川種郎・藤村作尾上八郎 編『落窪物語・住吉物語・堤中納言物語・徒然草』
博文館叢書 博文館 1930.1.8
※ 任意に章・段落を分け、標題を付した。頭注は省略した。

 生立ち  阿濃・少将  石山詣の留守居          
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生立ち

今はむかし、中納言なる人の、女あまたたまへるおはしき。大君中の君には聟どりして、西の對、東の對に、花々として住ませ奉り給ふ。四の君に裳著せ奉り給はんとて、かしづきぞし給ふ。又時々通ひ給うける王家統流わかんどほり腹の君とて、母もなき御女おはす。北方、心やいかゞおはしけん、仕うまつる御達の數にだにおぼさず、寢殿の放出はなちいでの、又一間なる落窪なる所の、二間なるになん住ませ給うける。君達ともいはず、御方とはまして云はせ給ふべくもあらず、「名をつけんとすれば、さすがにおとゞのおぼさん心あるべし。」と愼み給うて、「おちくぼの君といへ。」と宣へば、人々もさいふ。おとゞも、乳兒よりらうたくやおぼしつかずなりにけん、まして北方の御隨意まゝにて、わりなき事多かりけり。はかばかしき人もなく、乳母もなかりけり。たゞおやのおはしける時より、使ひつけたる童女わらはの、されたる女ぞ、後見とつけて使ひ給ひける。あはれに思ひかはして、片時はなれず。さるはこの君容儀かたちは、かくかしづき給ふ御女などにも劣るまじけれど、出で交らふこともなくて、ある物とも知る人なし。やう\/物思ひ知るまゝに、世の中のあはれに、心憂き事をのみ思されければ、かくのみぞうち歎く。
日にそへてうさのみまさる世の中に心づくしの身をいかにせん
といひて、いたう物思ひ知りたるさまにて、大方の心ざまさとくて、琴なども習はす人あらば、いとよくしつべけれど、誰かは教へん。母君の、六つ七つばかりまでおはしけるに、習はしおい給うけるまゝに、しゃうの琴を世にをかしく彈き給ひければ、嫡妻むかひ腹の三郎君、十ばかりなるに、こと心に入れたりとて、「これに習はせ。」と、北方の宣へば、時々教ふ。つく\〃/と暇のあるまゝに、物縫ふ事を習ひけるが、いとをかしげにひねり縫ひ給ひければ、「いとよかめり。ことなる面貌かほかたちなき人は、物まめやかに習ひたるぞよき。」とて、二人の聟の裝束さうぞく、いさゝかなるひまなく、かきあひ縫はせ給へば、しばしこそ物いそがしかりしか、夜もいもねず、いさゝか遲き時は、「かばかりの事をだに物憂げにし給ふは、何を役にせんとてならん。」と責め給へば、うち泣きて、「いかでなほ消えうせぬるわざもがな。」と歎く。三の君に御裳著せ奉り給ひて、やがて藏人少將あはせ奉り給うて、いたはり給ふ事かぎりなし。落窪の君、まして閑暇いとまなく、苦しき事まさる。若くめでたき人は、多くかやうの實事まめわざする人や少かりけん、あなづり易くて、いと侘しければ、うち泣きて縫ふまゝに、
世の中にいかであらじと思へどもかなはぬものは憂身なりけり

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阿濃・少將

後見といふは、髪長くをかしげなれば、三の君の方に、たゞ召しに召し出づ。後見いと本意なく悲しと思ひて、「わが君に仕うまつらんと思ひてこそ、親しき人のむかふるにもまからざりつれ。何の由にか、他君どりはし奉らん。」と泣けば、、「何か。同じ所に住まんかぎりは、同じ事と見てん。衣などの見苦しかりつるに、なか\/嬉しとなん見る。」と宣ふ。げにいたはり給ふ事めでたければ、哀に心細げにておはするをまもらへ馴ひていと心苦しければ、常に入り居れば、さいなむ事かぎりなし。「落窪の君も、これをさへ(*ママ)呼びこめ給ふ事。」と腹立たれ給へば、心のどかに物語もせず。「後見といふ名、いと便なし。」とて、(*落窪君は)阿濃あこぎ(*「あこき」か。)とつけ給ひき。かゝる程に、藏人少將の御方なる小帶刀こたちはきとて、いとされたるもの、この阿濃に文通はして、年經て後、いみじう思ひて住む。互に隔なく物語しける序にこの若君の御事を語りて、北方の御心のあやしうて、哀にて住ませ奉り給ふ事、さるは御心ばへ・容貌のおはしますやう語り、うち泣きつゝ、「いかで思ふやうなる人にぬすませ奉らん。」と旦暮あけくれあたらものにいひ思ふ。この帶刀女親めおやは、左大將と聞えける御息子、左近少將にておはしけるをなん養ひ奉りける。まだ妻もおはさで、よき人の女など、人に語らせて問ひ聞き給ふ。帶刀落窪の君の上を語り聞えければ、少將耳とゞまりて、靜なる一間に、細に語らせて、「あはれ、いかに思ふらん。さるは王家統流腹ななりかし。われかれみそかにあはせよ。」と宣へば、「只今は世にもおぼしかけ給はじ。今かくなんと、ものし侍らん。」と申せば、「入れに入れよかし。はなれてはた住むなれば。」と宣へば、帶刀阿濃にかくなんと語れば、「只今はさやうの事、かけても思したらぬ中に。いみじき色好と聞き奉りしものを。」ともてはなれていらふるを、帶刀怨むれば、「よし、今御氣色見ん。」といふ。この御方のつゞきなる廂二間、曹司には得たりければ、「同じやうなる所は辱し。」とて、落窪一間をしつらひてなん臥しける。八月はづき朔日比なるべし。一人臥して、いもねられぬまゝに、「母君われを迎へ給へ。いと侘し。」と云ひつゝ、
われに露あはれをかけば立ちかへり共にを消えようき離れなん
心なぐさめにいへど、いとかひなし。つとめて物語のついでに、「これがかく申すは、いかがはし侍らん。かくてのみは、いかゞはし果てさせ給はん。」といふに、應答いらへもせず。言ひ煩ひて居たる程に、「三の君の御手水まゐれ。」とて召さるれば立ちぬ。(*姫君は)心の中には、「とありともかくありとも、よき事はありなんや。女親のおはせぬに、幸福さいはひなき身と知りて、いかで死なんと思ふ心深く、尼になりても、殿の内はなるまじければ、唯消え失せなんわざもがな。」と思ほす。
帶刀、大將殿に參りたれば、「いかにぞや、かの事は。」「いひ侍りしかば、云々しか\〃/なん申す。まことにいと杳氣はるけゞなり。かやうのすぢは、親ある人はそれこそともかくもいそげ、おとゞ北方に取り籠められて、よもし給はじ。」と申せば、「さればこそ『入れに入れよ。』とは言へ。聟どらるゝも、いとはしたなき心地すべし。らうたう猶おぼえば、ここに迎へてん。さらずば『あなかま。』とてもやみなんかし。」と宣へば、「その程の御さだめ、よく承りてなん仕うまつるべかなる。」と申せば、少將、「見てこそ定むべかなれ。それにはいかでかは。まめやかに猶たばかれ。世にふとは忘れじ。」と宣へば、帶刀、「『ふと』はあぢきなき文字ななり。」と申せば、うち笑ひ給ひて、「『長く』と言はんとしつるを、言ひ違へられぬるぞや。」などうち笑ひ給うて、「これを。」とて御文賜へば、しぶ\/に取りて、阿濃に「御文。」とて引き出でたれば、「あな見苦し。何しにぞとよ。よしない事は聞えで。」といへば、「猶御かへりせさせ給へかし。世に惡しき事にはあらじ。」といへば、取りて參りて、「かの聞え侍りし御文。」とて奉れば、「何しに、も聞き給ひては、『よし。』と宣ひてんや。」と宣へば、「さてあらぬ時は、よくやは聞え給へる。の御心にな愼み聞え給ひそ。」といへど、應答もしたまはず。阿濃、御文を紙燭さして見れば、唯かくのみぞある。
君ありと聞くにこゝろを筑波根の見ねど戀しきなげきをぞする
「をかしの御手や。」とひとりごち居たれど、かひなげなる御氣色なれば、おし卷きて御櫛の箱に入れて立ちぬ。
帶刀、「いかにぞ。御覽じつや。」「いで、まだ答をだにせさせ給はざりつれば、置きて立ちぬ。」といへば、「いでや、かくておはしますよりはよからむ。われ等が爲にも思ふやうにて。」といへば、「いでや、御心のたのもしげにおはせばなどかはさも。」といふ。翌朝、おとゞ殿におはしけるに、落窪をさし覗きて見給へば、なりのいと惡しくて、さすがに髪のいとうつくしげにてかゝりて居たるを、あはれとや見給ひけん、「みなりいと惡し。あはれとは見奉れど、まづやんごとなき子どもの事をするほどに、え心知らぬなり。よかるべき事あらば、心とものし給へ。かくてのみいますが、いとほしや。」と宣へば、恥しうて物も申されず。歸り給ひて北方に、「落窪をさし覗きたりつれば、いと頼みすくなげなる、白き袷一つをこそ著て居たりつれ。子どもの古衣やある。著せ給へ。夜いかに寒からん。」と宣へば、北方、「常に著せ奉れど、はふらかし給ふにや、あくばかりもえ著つき給はぬ。」と申し給へば、「あなうたての事や。親に疾くおくれて、心もはかばかしからずぞあらんかし。」といらへ給ふ。聟の少將の君の、うへの袴縫はせにおこせ給ふとて、「これはいつよりもよく縫はれよ。祿に衣著せ奉らん。」と宣へるを聞くに、いみじきこと限なし。いと疾く清げに縫ひ出で給へれば、北方「よし。」と思ひて、おのが著たる綾のはり綿の萎えたるを著せたまへば、風はたゞはやになるまゝに「いかにせまし。」と思ふに、少し嬉しと思ふぞ、心地のし過ぎたるにや。この聟の君は、惡しき事をもかしがましく言ひ、よき事をば掲焉に譽むる心ざまなれば、この裝束どもをも「いとよし。よく縫ひおふせたり。」と譽むれば、御達、北方に申せば、「あなかま、落窪の君に聞かすな。心おごりせんものぞ。かやうの者は、屈せさせておくぞよき。それを幸にて、人にも用ゐられんものぞ。」と宣へば、御達、「いといみじげにも宣ふかな。あたら君を。」と忍びて言ふもありかし。
かくて少將いひそめ給うてければ、又御文薄にさしてあり。
穗に出でゝいふかひあらば花すゝきそよとも風にうちなびかなん
かへりなし。時雨いたうする日、「さも聞き奉りし程よりは、物思し知らざりけり。」とて、
雲間なきしぐれの秋は人こふる心のうちもかきくらしけり
御かへりもなし。又、
天の川雲のかけはしいかにしてふみ見るばかりわたしつゞけん
日々にあらねど、絶えず言ひわたり給へど、絶えて御返なし。「いみじう物つゝましきうちに、かやうの文もまだ見知らざりければ、いかに云ふとも知らぬにやあらん。物思ひ知りげに聞くを、などかははかなき返事をだに絶えてなき。」と、帶刀に宣へば、「知らず。北方のいみじく心の惡しくて、我ゆるさゞらん事、つゆばかりもし出でばいみじからんと、旦暮おぼえたるに、恐ぢつゝみたまへるとなん聞き侍る。」と申せば、「われを密に。」といひ渡り給へば、わが君の御言をばいなびがたくやありけん、いかでと見ありく。十日ばかり音づれ給はで、日ごろは、
かき絶えてやみやしなましつらさのみいとゞます田の池の水ぐき
思う給へ忍びつれど、さてもえあるまじかりければ、人知れず、人わろく。」
とあれば、帶刀、「この度だに御返事かへり聞え給へ。しか\〃/なん宣ひて、『心に入れぬぞ。』とさいなむ。」といへば、阿濃、「『まだ言ふらんやうも知らず。』とて、いと難げに思したるものを。」とて、參りて見奉れど、中の君の御をとこの右中辨とみの事にて出で給ふ、うへの衣縫ひ給ふほどにて、御かへりなし。

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石山詣の留守居

少將、「實にいひ知らぬにやあらん。」と思へど、いと心深き御心も聞きしみにければ、さる心ざまやふさはしかりけん、「帶刀、おそし\/。」と責め給へど、御方々すみ給うて、いとさわがしきほどなれば、さるべき折もなくて思ひありく程に、この殿、ふるき御願はたしに、石山に詣で給ふに、御供にしたひ聞ゆるまゝに率ておはすれば、おむなさへとゞまらん事を恥と思ひて詣づるに、落窪の君、人かぞへのうちにだにも入らざれば、辨の御方(*中君か)、「落窪の君率ておはせ。一人とまり給はんがいとほしき事。」と申し給へば、「さてそれがいつかありきしたる。旅にては縫ひものやあらんとする。なほありかせそめじ。内に籠めて置きたらんぞよき。」とて、思ひかけで止み給ひぬ。阿濃三の君の御方人にて、いと二なくさうぞかせて率ておはするに、「おのがの唯一人おはするに、いみじ。」と思ひて、「俄にけがれ侍りぬ。」と申して止まれば、「世にさもあらじ。かの落窪の君の一人おはするを思ひていふなめり。」と腹立てば、「いとわりなき事にて侍るなり。『さむらへ。』とあらば參らん。かくをかしき事を見じと思ふ人ありなんや。嫗だにしたひゆく道にこそあめれ。」といへば、實にさや思ひけん、はしたわらはのあるにさうぞかせて、とゞめ給ふ。のゝしり出で給ひぬれば、かいひすみて(*かき潜みて)心細げなれど、わが君とうち語らひ居たるほどに、帶刀がもとより、
御ともに參り給はずと聞くはまことか。さらば參らん。
と云ひたれば、(*阿濃が返事に)
御方のなやましげにおはしてとまらせ給ひぬれば、何しにかは行かん。いとつれ\〃/なるをなん、慰めつべくておはせ。ありと宣ひし繪、必ずもておはせ。
といひたるは、(*かつて帯刀が)女御殿(*少将の妹)の方にこそ、いみじく多くさぶらふべけれ。おはし通はゞ(*落窪君も)見給ひてんかし。」といへるなりけり。帶刀、やがてこの文を少將の君に見せ奉れば、「これや惟成これなりの、手いたうこそ書きけれ。よき折にこそありけれ。往きてたばかれ。」と宣ふ。「繪一まきおろし給はらん。」と申せば、、「かのいひけんやうならん折こそ見せめ。」と宣へば、「さも侍りぬべき折にこそは侍るめれ。」と申す。うち笑ひ給うて、御かたにおはして、白き色紙に小指さして、口すぼめたるかたをかきたまひて、
召し侍れば、
つれなきをうしと思へる人はよにゑみせじとこそ思ひがほなれ
をさな。
と書い給へれば、出づとて、に「をかしきさまならん果子くだもの、一餌袋ゑぶくろして置い給へれ。今只今とりに奉らん。」と言ひ置きて往ぬ。阿濃呼び出でたれば、「いづこ、繪は。」といへば、「くは、この御文見せ奉り給へ。」「いで、空言にこそあらめ。」といへど、取りていぬ。
いとつれ\〃/なる折にて見給へば、「繪や聞えつる。」と宣へば、「帶刀が許に、しか\〃/言ひて侍りつるを、御覽じつけけるに侍るめり。」といへば、「うたて、心など見えられたるやうにこそ。人に知られぬ人は、無心なるこそよけれ。」とて、物しげに思ほしたり。帶刀が呼べば往ぬ。物語して、「誰々かとまり給へる。」とさりげなくてあない問ふ。「いとさう\〃/しや。嫗どもの御許に、果子取りにやらん。」とて、「何もあらん物賜へ。」といひにやりたれば、餌袋二つして、をかしきさまにして入れたり。今一つの大きやかなるには、さま\〃/の果物、いろいろの餅、薄き濃き入れて、紙へだてゝ、■(米偏+扁:へん:焼米:大漢和27017)米やいごめ入れて、「こゝにてだにあやしく、あはたゞしき口つきなれば、對にてさへいかに見給ふらん。恥しう。この■(米偏+扁:へん:焼米:大漢和27017)米は、といふらん人(*阿濃の下仕えの女。)にものし給へ。」といへり。さう\〃/しげなる氣色を見て、「いかではかなき志を見せん。」と思ひてしたるなりけり。見て、「いであやし。こめ・果子やけしからず。そこ(*帯刀)にし給へるにこそ。」と怨ずれば、帶刀打ち笑ひて、「知らず。麻呂はかやうに見苦しげにはしてんや。おうなどもの御さかしらなめり。、これ取り隱してよ。」とてやりつ。二人ふして、かたみの御心ばへどもを語る。「今宵雨降れば、よもおはさじ。」とて、打ちたゆみて臥したり。女君、人なき折にて琴いとをかしうなつかしう彈き臥し給へり。帶刀、「をかし。」と聞きて、「かゝるわざし給へるは。」といへば、「さかし。故上の、六つにおはせし時より教へ給へるぞ。」といふ程に、少將いと忍びておはしにけり。人を入れ給ひて、「聞ゆべき事ありてなん。帶刀出で給へ。」といはすれば、帶刀心得て「おはしにけり。」と思ひて、心あわたゞしくて、「只今對面す。」とて出でゝいぬれば、阿濃御前に參りぬ。少將、「いかに。かゝる雨に來たるを。徒に歸すな。」と宣へば、帶刀、「まづ消息を賜はせで、音なくてもおはしましにけるかな。の御心も知らず、いと難き事に侍る。」と申せば、少將、「いといたくなすぐだちそ。」とえ、しとゝ打ち給へば、「さばれ、下りさせ給へ。」とて、諸共に入り給ふ。「御車はまだ暗きに來。」とて返しやりつ。わが曹司の遣戸口にしばし居てあるべき事を聞ゆ。人少ななる折なれば、「心やすし。」とて、「まづかいまみをせさせよ。」と宣へば、「しばし。心劣りもぞせさせ給はん。物忌の姫君のやうならば。」と聞ゆれば、「笠も取り敢へで、袖をかづきて歸るばかり。」と笑ひ給ふ。格子のはざまに入り奉りて(*ママ)、「留守の宿直人や見つくる。」と、おのれもしばし簀子に居る。の見給へば、消えぬべく火ともしたり。几帳・屏風だになければ、よく見ゆ。「むかひ居たるは、阿濃めり。」と見ゆる。容體ようだい頭つきをかしげにて、白き衣、うへにつやゝかなる掻練の袙著たり。そひ臥したる人あり。なるべし。白き衣の萎えたると見ゆるを著て、掻練のはり綿なるべし、腰より下に引きかけて、側みてあれば顔は見えず。「頭つき髪のかゝりはいとをかしげなり。」と見る程に、火消えぬ。「口惜し。」と思ほしけれど、「遂には。」と思しなす。「あな暗のわざや。人ありといひつるを、はや往ね。」といふ聲も、いといみじくあてはかなり。「人にあひにまかりぬるうちに、御前に侍はん。大かたに人なければ、恐しくおはしまさんものぞ。」といへば、「なほ、はや。おそろしさは目馴れたれば。」といふ。
出で給へば、「いかゞ、御送り仕うまつるべき。笠は(*前出「笠も取り敢へで」以下を承ける。)。」と申せば、「妻を思へば、いたくかたびく。」と笑ひ給ふ。心の中には、「衣どもぞ萎えためる。恥しと思はんものぞ。」と思ほしければ、「はやその人呼び出でゝ寢よ。」と宣へば、曹司に行きて呼ばすれど、「今宵はおまへに侍ふ。はやうさむらひにまれおはしね。」といへば、「只今人の言ひつる事聞えん。唯あからさまに出で給へ。」と聞えさすれば、「何事ぞとよ。かしがましや。」とて、遣戸押し開けて出でたれば、帶刀捕へて、「雨降る夜なめり。一人な寢そ。」といひつれば、「いざ給へ。」といへば、笑ひて、「そよ、異なかり。」といへど、強ひて率て行きて臥しぬ。ものも言はで、寐入りたるさまをつくりて臥せり。女君、なほ寐入られねば、琴を臥しながらまさぐりつゝ、
なべて世のうくなる時は身隱さんいはほの中の住所すみかもとめて
(*「いかならんいはほの中に住まばかは世の憂き事の聞えこざらん」〔古今集・雑下〕を本歌とする。)
といひて、とみに寐入るまじければ、(*少将は)「又人はなかりつ。」と思ひて、格子を木の端にていとよう放ちて、押しあけて入りぬるに、いとおそろしくて起きあがる程に、ふと寄りてとらへ給ふ。阿濃、格子をあげらるゝを聞きて、「いかならん。」と驚き惑ひて起くれば、帶刀さらに起さず。「こはなぞ。御格子の鳴りつるを。『なぞ。』と見ん。」といへば、「犬ならん。鼠ならんぞ。な驚きたまひそ。」といへば、「なでふ事ぞ。したるやうのあればいふか。」といへば、「何わざかせん。寐なん。」と抱きて臥したれば、「あな侘し。あなうたて。」といとほしく腹立てど、動きもせず。抱き籠められてかひもなし。少將とらへながら、裝束ときて臥し給ひぬ。、おそろしう侘しくて、わなゝき給ひて泣く。少將、「いと心憂くおぼしたるに、世の中のあはれなる事も聞えぬ(*ママ)。岩ほの中もとめてたてまつらんとてこそ。」と宣へば、「誰ならん。」と思ふよりも、衣どものいと侘しう、袴のいとわろびれ過ぎたるを思ふに、



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