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俳人蕪村

正岡子規
(『縮刷合本 俳諧大要』 俳書堂〔米刃堂・籾山書店〕
 1899.12.1、1913.7.20〔合本俳諧大要〕、1916.1.1〔縮刷合本〕
※ 俳諧大要・俳人蕪村・俳句問答・四年間(明29-32)の四冊の縮刷合本。
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俳人蕪村目次


俳人蕪村

獺祭書屋主人

緒言

芭蕉新に俳句界を開きしよりこゝに二百年、其間出づる所の俳人少なからず。或は芭蕉を祖述し或は檀林を主張し或は別に門戸を開く。然れども其芭蕉を尊崇するに至りては衆口一齊に(*一聲か。)出づるが如く、檀林等流派を異にする者も猶芭蕉を排斥せず、却つて芭蕉の句を取りて自家俳句集中に加ふるを見る。是に於てか芭蕉は無比無類の俳人として認められ復た一人の之に匹敵する者あるを見ざるの有樣なりき。芭蕉は實に敵手なきか。曰く否。
芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべき者たること論を竢たず。此點に於て何人か能く之に凌駕せん。芭蕉の俳句は變化多き處に於て、雄渾なる處に於て、高雅なる處に於て、俳句界中第一流の人たるを得。此俳句は其創業の力より得たる名譽を加へて無上の賞賛を博したれども、余より見れば其賞賛は俳句の價値に對して過分の賞賛たるを認めざるを得ず。誦するにも堪へぬ芭蕉の俳句を註釋して勿體つける俳人あれば、縁もゆかりも無き句を刻して芭蕉怩ニ稱へ之を尊ぶ俗人もありて、芭蕉といふ名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、咳唾珠を成し句々吟誦するに堪へながら、世人は之を知らず宗匠は之を尊ばず、百年間空しく瓦礫と共に埋められて光彩を放つを得ざりし者を蕪村とす。蕪村の俳句は芭蕉に匹敵すべく、或は之に凌駕する處ありて、却つて名譽を得ざりしものは主として其句の平民的ならざりしと蕪村以後の俳人の盡く無學無識なるとに因れり。著作の價値に對する相當の報酬なきは蕪村のために悲むべきに似たりといへども、無學無識の 徒に知られざりしは寧ろ蕪村の喜びし所なるべきか。其放縱不覊世俗の外に卓立せしところを見るに蕪村亦性行に於て尊尚すべきものあり。而して世は之れを容れざるなり。
蕪村の名は一般に知られざりしに非ず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村に非ず、畫家としての蕪村なり。蕪村歿後に出版せられたる書を見るに、蕪村畫名の生前に於て世に傳はらざりしは俳名の高かりしがために壓せられたるならんと言へり。これによれば彼が生存せし間は俳名の畫名を壓したらんかとも思はるれど、其歿後今日に至る迄は畫名却つて俳名を壓したること疑ふべからざる事實なり。余等の俳句を學ぶや類題集中蕪村の句の散在せるを見て稍其非凡なるを認め之を尊敬すること深し。ある時小集の席上にて鳴雪氏いふ、蕪村集を得來りし者には賞を與へんと。是れ固と一場の戲言なりとはいへども、此戲言は之を欲するの念切なるより出でし者にして其裏面には強ちに戲言ならざる者ありき。 果して此戲言は同氏をして蕪村句集を得せしめ、余等亦之を借り覽て大に發明する所ありたり。死馬の骨を五百金に買ひたる喩も思ひ出されてをかしかりき。是れ實に數年前(明治二十六年か)の事なり。而して此談一たび世に傳はるや、俳人としての蕪村は多少の名譽を以て迎へられ、余等亦蕪村派と目せらるゝに至れり。今は俳名再び畫名を壓せんとす。
斯くして百年以後に始めて名を得たる蕪村は其俳句に於て全く誤認せられたり。多くの人は蕪村が漢語を用うるを以て其惟一(*唯一)の特色となし、しかも其惟一の特色が何故に尊ぶべきかを知らず(*、)况んや漢語以外に幾多の特色あることを知る者殆んど之れ無きに至りては、彼等が蕪村を尊ぶ所以を解するに苦むなり。余はこゝに於て卑見を述べ蕪村芭蕉に匹敵する所の果して何處にあるかを辨ぜんと欲す。

積極的美

美に積極的と消極的とあり。積極的美とは其意匠の壯大、雄渾、勁健、艶麗、活潑、奇警なる者をいひ消極的美とは其意匠の古雅、幽玄、悲慘、沈靜、平易なるものをいふ。概して言はゞ東洋の美術文學は消極的美に傾き、西洋の美術文學は積極的美に傾く。若し時代を以て言はゞ國の東西を問はず上世には消極的美多く後世には積極的美多し。(m壯大雄渾なる者に至りては却て上世に多きを見る)。されば唐時代の文學より悟入したる芭蕉は俳句の上に消極の意匠を用うること多く從つて後世芭蕉派と稱する者亦多く之に倣ふ。其寂といひ雅といひ幽玄といひ細みといひ以て美の極となす者盡く消極的ならざるはなし。(但壯大雄渾の句は芭蕉之れ有れども後世に至りては絶えて無し)。故に俳句を學ぶ者消極的美を惟一の美 として之を尚び艶麗なる者活潑なる者奇警なる者を見れば則ち以て邪道となし卑俗となす。恰も東洋の美術に心醉する者が西洋の美術を以て盡く野卑なりとして貶するが如し。艶麗、活潑、奇警なる者の野卑に陷り易きは固より然り。然れども野卑に陷り易きを以て野卑ならざる者をも棄つるは其辨別の明無きが故なり。而して古雅幽玄なる消極的美の弊害は一種の厭味を生じ今日の俗宗匠の俳句の俗にして嘔吐を催さしむるに至るを見るに彼の艶麗ならんとして卑俗に陷りたる者に比して毫も優る所あらざるなり。
積極的美と消極的美とを比較して優劣を判せんことは到底出來得べきにあらず。されども兩者共に美の要素なることは論を竢たず。其分量よりして言はゞ消極的美は美の半面にして積極的美は美の他の半面なるべし。消極的美を以て美の全體と思惟せるは寧ろ見聞の狹きより生ずる誤謬ならんのみ。日本の文學は源平以後地に墜ちて復振はず(*、)殆ど消滅し盡せる際に當つて芭蕉が俳句に於て美を發揮し消 極的の半面を開きたるは(*原文「聞きたるは」)彼が非凡の才識あるを證するに足る。しかも其非凡の才識も積極的美の半面は之を開くに及ばずして(*原文「及はずして」)逝きぬ。蓋し天は俳諧の名譽を芭蕉の專有に歸せしめずして更に他の偉人を待ちしにやあらん。去來丈草も其人にあらざりき。其角嵐雪も其人にあらざりき。五色墨(*中川宗瑞、他『五色墨』〔1731〕)の徒固より之を知らず。新虚栗(*堀麦水編〔1777〕)の時何者をか攫まんとして得る所あらず。芭蕉死後百年に垂んとして始めて蕪村は現れたり。彼は天命を負ふて俳諧壇上に立てり。されども世は彼が第二の芭蕉たることを知らず。彼亦名利に走らず聞達を求めず、積極的美に於て自得したりと雖も唯其徒と之を樂むに止まれり。
一年四季の中春夏は積極にして秋冬は消極的なり。蕪村最も夏を好み夏の句最も多し。其佳句も亦春夏の二季に多し。是れ既に人に異なるを見る。今試みに蕪村の句を以て芭蕉の句と對照して以て蕪村が如何に積極的なるかを見ん。
四季の内夏期は最も積極なり。故に夏季の題目には積極的なる者多し。牡丹は花 の最も艶麗なる者なり。芭蕉集中牡丹を詠ずる者一二句に過ぎず。其句亦

尾張より東武に下る時
芭蕉
牡丹蘂深くわけ出る蜂の名殘かな
桃隣新宅自畫自賛
寒からぬ露や牡丹の花の蜜

等の如き(*、)前者は唯季の景物として牡丹を用ゐ(*、)後者は牡丹を詠じて極めて拙き者なり。蕪村の牡丹を詠ずるは強ち力を用ゐるにあらず、しかも手に隨つて佳句を成す。句數も二十首の多きに及ぶ。其内數首を擧ぐれば


牡丹散つて打重なりぬ二三片

牡丹剪つて氣の衰へし夕かな

地車(*四輪の荷車)とゞろとひゞく牡丹かな

日光の土にも彫れる牡丹かな

不動畫く琢磨(*絵仏師の一派の名。その絵仏師。)が庭の牡丹かな

方百里雨雲よせぬ牡丹かな

金屏のかくやく(*赫奕。光り輝くさま。)として牡丹かな
蟻垤(*蟻塚)

蟻王宮朱門を開く牡丹かな
波翻舌本吐紅蓮(*「舌本を波翻して紅蓮を吐く。」〔閻魔大王が赤い舌を出す。仏弟子が偽りの無いことを示す意という。〕)

閻王の口や牡丹を吐かんとす

其句亦將に牡丹と艶麗を爭はんとす。
若葉も亦積極的の題目なり。芭蕉の之を詠ずる者一二句にして

招提寺
芭蕉
若葉して御目の雫ぬぐはゞや
日光
芭蕉
あらたふと葉若葉の日の光

の如き皆季の景物として應用したるに過ぎず。蕪村には直に若葉を詠じたる者十餘句あり(*、)皆若葉の趣味を發揮せり。例


山にそふて小舟漕ぎ行く若葉かな

蚊帳を出て奈良を立ち行く若葉かな

不盡一つ埋み殘して若葉かな

窓の灯の梢に上る若葉かな

絶頂の城たのもしき若葉かな

蛇を截つて渡る谷間の若葉かな

をちこちに瀧の音聞く若葉かな

雲の峰の句を比較せんに

芭蕉
ひら\/とあぐる扇や雲の峰
雲の峰いくつ崩れて月の山
游刀亭(*原文「游力亭」。遊刀は膳所の能太夫。)

湖や暑さを惜む雲の峰

月山の句稍〃力強けれど猶蕪村のに比すべくもあらず。蕪村の句多からずといへども


楊州の津も見えそめて雲の峰  (*鑑真招提の渡唐のイメージか。)

雲の峰四澤の水の涸れてより  (*「春水四澤に満つ」という禅語を踏まえる。)
旅意(*旅心)

廿日路(*木曾路)背中に立つや雲の峰

の如き皆十分の力あるを覺ゆ。五月雨は芭蕉にも

芭蕉
五月雨の雲吹き落せ大井川
五月雨をあつめて早し最上川

の如き雄壯なるものあり。蕪村の句亦之に劣らず。


五月雨の大井越えたるかしこさよ

五月雨や大河を前に家二軒

五月雨の堀たのもしき砦かな

夕立の句は芭蕉に無し。蕪村にも二三句あるのみなれども雄壯當るべからざるの勢あり。


夕立や門脇殿の人だまり  (*平家物語を踏まえるか。)

夕立や草葉をつかむむら雀
双林寺獨吟千句

夕立や筆も乾かず一千言

時鳥の句は芭蕉に多かれど雄壯なるは

芭蕉
時鳥聲横ふや水の上

の一句あるのみ。蕪村の句の中には


時鳥柩をつかむ雲間より  (*時鳥の別名「死出の田長」から。)

時鳥平安城をすぢかひに

鞘ばしる友切丸や時鳥  (*津打治兵衛「助六所縁〔ゆかりの〕江戸桜」で花川戸助六こと曾我五郎が探す銘刀の名。)

など極端にものしたるものあり。
櫻の句は蕪村よりも芭蕉に多し。しかも櫻のうつくしき趣を詠み出でたるは

芭蕉
四方より花吹き入れて鳰の海
木のもとに汁も鱠も櫻かな
しばらくは花の上なる月夜かな
奈良七重七堂伽藍八重櫻

の如きに過ぎず。蕪村に至りては


阿古久曾(*紀貫之の幼名)さしぬき振ふ落花かな

花に舞はで歸るさ憎し白拍子

花の幕兼好を覗く女あり  (*塩冶判官妻が艶書の書き手を垣間見るという趣向か。)

の如き妖艶を極めたる者あり。其の外春月春水暮春などいへる春の題を艶なる方に詠み出でたるは蕪村なり。例へば


伽羅くさき人の假寢や朧月  (*小町のうたた寝のイメージか。)

女倶して内裏拜まん朧月

藥盜む女やはある朧月  (*后羿と嫦娥の伝説を踏まえる。)

河内路や東風吹き送る巫が袖

片町にさらさ染るや春の風

春水や四條五條の橋の下

梅散るや螺鈿こぼるゝ卓の上

玉人(*玉磨り)座右に開く椿かな  (*白玉椿か。)

梨の花月に書讀む女あり  (*清少納言のイメージか。)

閉帳の(*原文「閉張の」)錦垂れたり春の夕

折釘に烏帽子掛けたり春の宿
ある人に句を乞はれて

返歌なき女房よ春の暮
琴心挑美人(*原文「琴心桃美人」。『史記』司馬相如伝に基づく語。)

妹が垣根三味線草(*薺)花咲きぬ

いづれの題目といへども芭蕉又は芭蕉派の俳句に比して蕪村の積極的なることは蕪村集を繙く者誰か之を知らざらん。一々こゝに贅せず。

客觀的美

積極的美と消極的美と相對するが如く客觀的美と主觀的美とも亦相對して美の要素を爲す。之を文學史の上に照すに上世には主觀的美を發揮したる文學多く後世に下るに從ひ一時代は一時代より客觀的美に入ること深きを見る。古人が客觀に動かされたる自己の感情を直叙するは自己を慰むる爲に(*、)將た當時の文學に幼稚(*ママ)なる世人をして知らしむる爲に必要なりしならん。是れ主觀的美の行はれたる所以なり。且つ其客觀を寫す處極めて麁鹵にして燕ラならず。例へば繪畫の輪廓ばかりを描きて全部は觀る者の想像に任すが如し。全體を現さんとして一部を描くは作者の主觀に出づ。一部を描いて全體を想像せしむるは觀る者の主觀に訴ふるなり。後世の文學も客觀に動かされたる自己の感情を寫す處に於て毫も上世に異ならずと雖も(*、)結果たる感情を直叙せずして原因たる客觀の事物をのみ描寫し觀る者をして之によりて感情を動かさしむること恰も實際の客觀が人を動かすが如くならしむ。是れ後世の文學が面目を新にしたる所以なり。要するに主觀的美は客觀 を描き盡さずして觀る者の想像に任すにあり。
客觀的主觀的兩者孰れか美なるかは到底判し得べきに非ず。積極的消極的兩美の並立すべきが如くこれも亦(*並立)して各自の長所を現すを要す。主觀を叙して可なるものあり(*、)叙して不可なるものあり。客觀を寫して可なるものあり(*、)寫して不可なるものあり。可なる者は之を現し不可なるものは之を現さず(*、)而して後に兩者各〃見るべし。
芭蕉の俳句は古來の和歌に比して客觀的美を現すこと多し。しかも猶蕪村の客觀的なるには及ばず。極度の客觀的美は繪畫と同じ。蕪村の句は直ちに以て繪畫となし得べき者少からず。芭蕉集中全く客觀的なる者を擧ぐれば四五十句に過ぎざるべく(*、)中に就きて繪畫となし得べき者を擇みなば

芭蕉
鶯や柳のうしろ藪の前
梅が香にのつと日の出る山路かな
芭蕉
古寺の桃に米踏む男かな
時鳥大竹藪を漏る月夜
  (*原文「さゝれ蟹」)
さゞれ蟹足はひ上る清水かな
荒海や佐渡に横ふ天の川
猪も共に吹かるゝ野分かな
鞍壺に小坊主乘るや大根引
鹽鯛の齒莖も寒し魚の店

等二十句を出でざらん。宇陀の法師(*李由許六編〔1702〕)に芭蕉の説なりとて掲げたるを見るに

木導
春風や麥の中行く水の音
説云(*、「)景氣の句世間容易にする(*、)以の外の事也。大事の物也。連歌に景曲と云ふ(*、)いにしへの宗匠深くつゝしみ一代一兩句には過ぎず。景氣の句初心まねよき故深くいましめり。俳諧は連歌程はいはず。總別景氣の句は皆ふるし。一 句の曲なくては成がたき故つよくいましめ置たる也。木導が春風景曲第一の句也。後代手本たるべし(*。」)とて褒美に「かげろふ(*原文「かけろふ」)いさむ花の糸口」と云ふ脇して送られたり。平句同前也。歌に景曲は見樣體に屬すと定家卿もの給ふ也。寂蓮の急雨(*「村雨の露もまだ干ぬ真木の葉に霧立ち上る秋の夕暮」)(*・)定頼卿の宇治の網代木(*「朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えにあらはれわたる瀬々の網代木」)(*、)是れ見る樣體の歌也(*。)

とあり。景氣といひ景曲といひ見樣體といふ、皆我謂ふ所の客觀的なり。以て芭蕉が客觀的叙述を難しとしたる事見るべし。木導の句惡句にはあらねど此の一句を第一とする芭蕉の見識は極めて低く極めて幼し。芭蕉の門弟は芭蕉よりも客觀的の句を作る者多しと雖も皆客觀を寫すこと不完全なれば直ちに之を畫とせんには猶ほ足らざる者あり。
蕪村の句の繪畫的なる者は枚擧すべきにあらねど十餘句を擧ぐれば


木瓜の陰に顔たぐひ(*並べて)すむ(*きぎす)かな

釣鐘にとまりて眠る胡蝶かな

やぶ入や鐵漿もらひ來る傘の下

小原女の五人揃ふて袷かな

照射(*ともし)してさゝやく近江八幡かな

葉うら\/火串(*松明を挟み持つ木)に白き花見ゆる

卓上の鮓に眼寒し觀魚亭

夕風や水鷺の脛を打つ

四五人に月落ちかゝる踊かな

日は斜關屋の槍に蜻蛉かな

柳散り清水涸れ石ところ\/

かひがねや穗蓼の上を(*塩車)

鍋提げて淀の小橋を雪の人

てら\/と石に日の照る枯野かな  (*芭蕉「蕭条と石に日の入る枯野かな」を踏まえる。)

むさゝびの小鳥喰み居る枯野かな

水鳥や舟に菜を洗ふ女あり

の如し。一事一物を畫き添へざるも繪となるべき點に於て蕪村の句は蕪村以前の句よりも更に客觀的なり。

人事的美

天然は簡單なり。人事は複雜なり。天然は沈默し人事は活動す。簡單なる者に就きて美を求むるは易く、複雜なる者は難し。沈默せる者を寫すは易く、活動せる者は(*ママ)難し。人間の思想感情の單一なる(*、)古代にありて比較的に善く天然を寫し得たるは易きより入りたる者なるべし。俳句の初より天然美を發揮したるは偶然にあらず。然れども複雜なる者も活動せる者も少しく之を研究せんか(*、)之を描くこと強 ち難きにあらず。只俳句十七字の小天地に今迄は輕うじて(*ママ)一山一水一草一木も寫し出だしゝものを、同じ區劃の内に變化極りなく活動止まざる人世の一部分なりとも縮寫せんとするは難中の難に屬す。俳句に人事的美を詠じたる者少き所以なり。芭蕉去來は寧ろ天然に重きを置き、其角嵐雪は人事を寫さんとして端無く佶屈聱牙(*原文「贅牙」)に陷り或は人をして之を解するに苦ましむるに至る。此の如く人は皆之を難しとする處に向つて獨り蕪村は何の苦もなく進み思ふまゝに濶歩横行せり。今人は之を見て却て其容易なるを認めしならん。しかも蕪村以後に於てすら之を學びし者を見ず。
芭蕉の句は事を詠みたる者多かれど、皆自己の境涯を寫したるに止まり


鞍壺に小坊主のるや大根引

の如く自己以外に在りて半ば人事を加へたるすら極めて少し。
蕪村の句は


行く春や選者を恨む歌の主

命婦より牡丹餅たばす(*原文「たはす」)彼岸かな

短夜や同心衆の川手水

少年の矢數問ひよる念者(*念入りな人)ぶり

水の粉(*麦こがしの類)あるじかしこき後家の君

虫干や甥の僧訪ふ東大寺

祇園會や僧の訪ひよる梶がもと  (*梶の葉に所願の歌を書く。)

味噌汁をくはぬ娘の夏書(*げがき。夏安居の写経。)かな

鮓つけてやがて去にたる魚屋かな

褌に團扇さしたる亭主かな

梅に眉あつめたる美人かな

旅芝居穗麥がもとの鏡立て

身に入むや亡妻の櫛を閨に踏む

門前の老婆子薪貪る野分かな

栗そなふ惠心の作の彌陀佛

書記典主(*でんす)故園に遊ぶ冬至かな

沙彌律師ころり\/と衾かな

さゝめごと(*原文「さゝめこと」)頭巾にかづく(*原文「かつく」)註ワかな

孝行な子供等に蒲團一つづゝ

の如き(*、)數さへ盡さず。此等の什(*歌)必ずしも力を用ゐし者に非ずと雖も(*、)皆善く蕪村の特色を現して一句だに他人の作とまがふべくもあらず。天稟とは言ひながら(*原文「言びながら」)老熟の致す所ならん。
天然美に空間的の者多きは殊に俳句に於て然り。蓋し俳句は短くして時間を容るる能はざるなり。故に人事を詠ぜんとする場合にも、猶人事の特色とすべき時間 を寫さずして空間を寫すは俳句の性質の然らしむるに因る。たま\/時間を寫す者ありともそは現在と一樣なる事情の過去又は未來に繼續するに過ぎず。こゝに例外とすべき蕪村の句二首あり。


御手討の夫婦なりしを更衣

打ちはたす梵論(*ぼろ。梵論字=乞食僧。)つれだちて夏野かな

前者は過去のある人事を叙し後者は未來のある人事を叙す。一句の主眼が一は過去の人事に在り、一は未來の人事に在るは二句同一なり、其主眼なる人事が人事中の複雜なる者なる事も二句同一なり。此の如き者は古往今來他に其例を見ず。

理想的美

俳句の美或は分つて實驗的理想的の二種となすべし。實驗的と理想的との區別は 俳句の性質に於て既に然るものあり。此種の理想は人間の到底經驗すべからざること、或は實際有り得べからざることを詠みたるもの是れなり。又た實驗的と理想的との區別(*、)俳句の性質にあらずして作者の境遇に在る者あり。此種の理想は今人にして古代の事物を詠み、未だ行かざる地の景色風俗を寫し、曾て見ざる或る社會の情状を描き出す者是なり。こゝに理想的といふは實驗的に對していふものにして兩者を包含す。
文學の實驗に依らざるべからざるは猶繪畫の寫生に依らざるべからざるが如し。然れども繪畫の寫生にのみ依るべからざるが如く文學も亦實驗にのみ依るべからず。寫生にのみ依らんか(*、)繪畫は終に微妙の趣味を現す能はざらん、實驗にのみ依らんか(*、)尋常一樣の經歴ある作者の文學は到底陳套を脱する能はざるべし。文學は傳記にあらず記實にあらず。文學者の頭腦は四疊半の古机にもたれながら其理想は天地八荒(*八方の隅。八紘。)の中に逍遙して無碍自在に美趣を求む。窒ネくして空に翔るべし、鰭 なくして海に潜むべし。音なくして音を聽くべく、色なくして色を觀るべし。此の如くして得來る者必ず斬新奇警人を驚かすに足る者あり。俳句界に於て斯人を求むるに蕪村一人あり。翻つて芭蕉は如何と見れば(*、)其俳句平易高雅奇を衒せず新を求めず盡く自己が境涯の實歴ならざるはなし。二人は實に兩極端を行きて毫も相似たる者あらず、是れ亦蕪村の特色として見ざるべけんや。
芭蕉も初めは


菖蒲生り軒の鰯の髑髏

の如き理想的の句無きにあらざりしも、一たび古池の句に自家の立脚地を定めし後は徹頭徹尾記實の一法に依りて俳句を作れり。しかも其記實たる(*、)自己が見聞せる總ての事物より句を探り出だすに非ず、記實の中にても只自己を離れたる純客觀の事物は全たく之を抛擲し只自己を本として之に關聯する事實の實際を詠ずるに止まれり。今日より見れば其見識の卑きこと實に笑ふに堪へたり。蓋し芭蕉 感情的に全く理想美を解せざりしには非ずして、理窟に考へて理想は美に非ずと斷定せしや必せり。一世に知られずして始終逆境に立ちながら、堅固なる意思に制せられて謹嚴に身を修めたる彼が境遇は苟にも嘘をつかじとて文學にも理想を排したるなるべく、將た彼が愛讀したりといふ杜詩に記實的の作多きを見ては俳句も斯くすべきものなりと自ら感化せられたるにもあらん。芭蕉の門人多しといへども芭蕉の如く記實的なるは一人も無く、又芭蕉は記實的ならずとてそを惡く言ひたる例も聞かず。芭蕉は連句に於て宇宙を網羅し古今を翻弄せんとしたるにも似ず、俳句には極めて卑怯なりしなり。
蕪村の理想を尚ぶは其句を見て知るべしといへども彼曾て召波に教へたりといふ彼の自記は善く蕪村を寫し出だせるを見る。曰く

(略)其角を訪ね嵐雪を訪ひ素堂を倡ひ(*「倡へ」か。)鬼貫に伴ふ(*。)日々此四老に會してわづかに市城名利の域を離れ林園に遊び山水にうたげし酒を酌て談笑し句を得るこ とは專不用意を貴ぶ(*。)かくの如くすること日々(*、)或日又四老に會す(*。)幽賞雅懷はじめの如し(*。)眼を閉て苦吟し句を得て眼を開く(*。)忽ち四老の所在を失す(*。)しらず(*、)いづれの所に仙化し去るや(*。)恍として一人自彳む時に花香風に和し月光水に浮ぶ(*。)是子が俳諧の郷なり(略)

蕪村は如何にして理想美を探り出だすべきかを召波に示したるなり。筆にも口にも説き盡すべからざる理想の妙趣は輪扁の木を斷るが如く終に他に教ふべからず(*『荘子』の逸話から。)といへども、一棒の下に頓悟せしむるの工夫なきにしもあらず。蕪村は此理想的の事を猶理想的に説明せり。且つ其説明的なると文學的なるとを問はず(*、)斯の如き理想を述べたる文字に至りては上下二千載我に見ざる所なり。奇文なるかな。
蕪村の句の理想と思しき者を擧ぐれば


河童の戀する宿や夏の月

湖へ富士を戻すや五月雨

名月や兎のわたる諏訪の湖(*うみ。『古事記』の逸話を踏まえる。)

指南車を胡地に引き去る霞かな  (*涿鹿における黄帝と蚩尤の戦の故事を踏まえる。)

瀧口に燈を呼ぶ聲や春の雨

白梅や墨芳ばしき鴻臚館
(*元慶三年初夏、鴻臚館で渤海使と菅原道真・紀長谷雄らが応酬した『鴻臚贈答詩』を踏まえ、道真ゆかりの梅から春の季に改めた句か。)

宗鑑葛水たまふ大臣かな
(*瘧を病んだ山崎宗鑑に近衛公が戯れた「宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた」に宗鑑が「飲まんとすれど夏の沢水」と付けたという。)

實方の長櫃通る夏野かな
(*藤原行成の冠を打ち落とした藤原実方に激怒した一条天皇が「歌枕見て参れ。」と言って陸奥守に任じた故事。)

朝比奈が曾我を訪ふ日や初鰹
(*朝比奈三郎義秀と曾我五郎が鎧の草摺を引き合い力比べをする逸話と端午の節句を取りなした。)

雪信が蠅打ち拂ふ硯かな
(*狩野之信が伊勢国岩根山の絶景に筆を投げ捨てたため筆捨山の名が生れたという言い伝えを蠅のためとした句か。)

孑孑(*ぼうふり)水や長沙の裏長屋(*裏借家)

追剥を弟子に剃りけり秋の旅

鬼貫(*伊丹の酒造家の出身。)新酒の中の貧に處す

鳥駐aへ五六騎いそぐ野分かな
(*保元の乱で崇徳上皇方に集まった武家が僅少だったことを指す。)

新右衞門(*狩野秀信)蛇足をさそふ冬至かな

寒月や衆徒(*しゅと)の群議の過ぎて後
高野

隱れ住んで花に眞田が謠かな
(*関ヶ原合戦で敗将となった真田昌幸・幸村父子が高野山に配流されたこと。)

歴史を借りて古人を十七字中に現し得たる者以て彼が技倆を見るに足らん。

複雜的美

思想簡單なる時代には美術文學に對する嗜好も簡單を尚ぶは自然の趨勢なり(*。)我邦千餘年間の和歌の如何に簡單なるかを見ば人の思想の長く發達せざりし有樣も見え透く心地す。此間に立ちて形式の簡單なる俳句は却て和歌よりも複雜なる意匠を現さんとして漢語(*原文「漢話」)を借り來り佶屈なる直譯的句法をさへ用ゐたりしも、そは一 時の現象たるにとゞまり、古池の句は終に俳句の本尊として崇拜せらるゝに至れり。古池の句は足引の山鳥の尾のといふ歌の簡單なるに比すべくもあらざれど猶俳句中の最簡單なる者に屬す。芭蕉は之を以て自ら得たりとし終身複雜なる句を作らず(*、)門人は必ずしも芭蕉の簡單を學ばざりしも複雜の極點に達するには猶遠かりき。
芭蕉は「發句は頭よりすら\/と云下し來るを上品とす」と言ひ(*、)門人洒堂に教へて「發句は汝が如く物二三取集る物にあらず(*。)こがねを打のべたる如くあるべし(*。)」と言へり。洒堂の句の物二三取集るといふは


鳩吹くや澁柹原の蕎麥畑

刈株や水田の上の秋の雲

の類なるべく(*、)洒堂亦常に好んで此句法を用ゐたりとおぼし。然れども洒堂の此等の句は元祿の俳句中に一種の異彩を放つのみならず、其品格よりいふも鳩吹(*・)刈株 の句の如きは決して芭蕉の下にあらず。芭蕉が此特異の處を賞揚せずして、却て之を排斥せんとしたるを見れば、彼は其複雜的美を解せざりし者に似たり。
芭蕉は一定の眞理を言はずして時に隨ひ人により思ひ思ひの教訓をなすを常とす。其洒堂を誨へたるも此等の佳作を斥けたるにはあらで寧ろ其濫用を誡めたるにやあらん。許六が「發句は取合せものなり」といふに對して芭蕉が「これ程仕よき事あるを人は知らずや」といへるを見ても強ち取合を排斥するには非るべし。されどこゝに言へる取合とは二種の取合をいふ者にして洒堂の如く三種の取合をいふに非るは芭蕉の句許六の句を見て明なり。芭蕉凡兆に對して「俳諧もさすがに和歌の一體なり(*。)一句にしをりあるやうに作すべし」といへるも此の間の消息を解すべき者あり。凡兆の句複雜といふ程にはあらねど亦た洒堂等と一般、句々材料充實して、彼の虚字を以て斡旋する(*取り持ちをする)芭蕉流とはいたく異なり。芭蕉之に對して今少し和歌の臭味を加へよといふ、蓋し芭蕉は俳句は簡單ならざるべからずと 斷定して自ら美の區域を狹く劃りたる者なり。芭蕉既に此の如し。芭蕉以後言ふに足らざるなり。
蕪村は立てり。和歌のやさしみ言ひ古し聞き古して紛々たる臭氣は其腐敗の極に達せり。和歌に代りて起りたる俳句幾分の和歌臭味を加へて元祿時代に勃興したるも以後漸く腐敗して亦た拯(*すく)ふに道なからんとす。是に於て蕪村は複雜的美を捉へ來りて俳句に新生命を與へたり。彼は和歌の簡單を斥けて唐詩の複雜を借り來れり。國語の柔軟なる冗長なるに飽きはてゝ簡勁なる豪壯なる漢語もて我不足を補ひたり。先に其角一派が苦辛して失敗に終りし事業は蕪村によつて容易に成就せられたり。衆人の攻撃も慮る所にあらず、美は簡單なりといふ古來の標準も棄てゝ顧ず、卓然として複雜的美を成したる蕪村の功は沒すべからず。
芭蕉の句は盡く簡單なり。強ひて其複雜なる者を求めんか、


鶯や柳のうしろ藪の前

つゝじ活けて其陰に干鱈さく女

隱れ家や月と菊とに田三反

等の數句に過ぎざるべし。蕪村の句の複雜なるは其全體を通じて然り。中に就きて數句を擧ぐれば


草霞み水に聲なき日暮かな

燕啼いて夜蛇を打つ小家かな

梨の花月に書讀む女あり

雨後の月誰そや夜ぶり(*夜舟に松明を灯して釣ること。)脛白き

鮓をおす我れ酒かもす隣あり

五月雨や水に錢踏む渡し舟

草いきれ人死をると札の立つ

秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者

鹿ながら山影門に入日かな

鴫遠く鍬すゝぐ水のうねりかな

柳散り清水涸れ石ところ\/

水かれ\〃/蓼かあらぬか蕎麥か否か

我をいとふ寒夜隣家に鍋を鳴らす

一句五字又は七字の中猶「草霞み」「雨後の月」「夜蛇を打つ」「水に錢踏む」と曲折せしめたる妙は到底「頭よりすら\/と言ひ下し來る」者の解し得ざる所、しかも洒堂凡兆等も亦夢寐にだも見ざりし所なり。客觀的の句は複雜なり易し。主觀的の句の複雜なる


うき我に砧打て今は又やみぬ

の如きに至りては蕪村集中亦他にあらざるもの、若し芭蕉をして之れを見せしめば惘然(*ぼうぜん)自失(*原文「惘然失」)言ふ所ろを知らざるべし。

燕ラ的美

外に廣き者之を複雜と謂ひ、内に詳なる者之を燕ラと謂ふ。燕ラの妙は印象を明瞭ならしむるに在り。芭蕉の叙事形容に粗にして風韻に勝ちたるは、芭蕉の好んで爲したる所なりといへども、一は燕ラ的美を知らざりしに因る。芭蕉集中燕ラなる者を求むるに


粽結片手にはさむ額髪

五月雨や色紙へぎたる壁の跡

の如き比較的に爾か思はるゝあるのみ。蕪村集中に其例を求むれば


鶯の鳴くや小き口あけて

あぢきなや椿落ち埋む庭たづみ(*原文「庭たつみ」)

痩臑の毛に微風あり衣がへ

月に對す君に投網の水煙

夏川をこす嬉しさよ手に草履

鮎くれてよらで過ぎ行く夜半の門

夕風や水鷺の脛を打つ

點滴に打たれてこもる蝸牛

蚊の聲す忍冬の花散るたびに

梅に眉あつめたる美人かな

牡丹散て打ち重りぬ二三片

唐草に牡丹めでたき蒲團かな

引きかふて耳をあはれむ頭巾かな

緑子の頭巾眉深きいとをしみ

眞結び(*固結び)足袋はしたなき給仕かな

齒あらはに筆の氷を嚙む夜かな

茶の花や石をめぐりて道を取る

等いと多かり。
庭たづみ(*原文「庭たつみ」)に椿の花の落ちたるは誰も考へつくべし。埋むとは言ひ得ぬなり。若し埋むに力入れたらんには俗句と成り了らん。落ち埋むと字餘りにして埋むを輕く用ゐたるは蕪村の力量なり。善き句にはあらねど埋むと迄形容して俗ならしめざる處燕ラ的美を解したるに因る。燕ラなる句の俗了し易きは蕪村の夙に感ぜし所にやあらん、後世の俳家徒に燕ラならんとして益〃俗に墮つる者蓋し燕ラ的美を解せざるが爲なり。妙人の妙は其平凡なる處拙き處に於て見るべし。唐詩選を見て唐詩を評し展覽會を見て畫家を評するは殆し。蕪村の佳句ばかりを見る者は蕪村を見る者に非るなり。
「手に草履」といふことも若し拙く言ひのばしなば殺風景となりなん。短くも言ひ得べきを「嬉しさよ」と長く言ひて、長くも言ひ得べきを「手に草履」と短く言ひし者良工苦心の處ならんか。
「鮎くれて」の句、此の如き意匠は古來無き所、縱しありたりとも「よらで過ぎ行く」とは言ひ得ざりしなり。常人をして言はしめば鮎くれしを主にして言ふべし。そは平凡なり。よらで過ぎ行く處景を寫し情を移し時を寫し多少の雅趣を添ふ。』(*ママ)
(*「梅に」の句、)顔しかめたりとも額に皺よせたりとも斯く印象を明瞭ならしめじ、事は同じけれど「眉あつめたる」の一語美人髣髴として前に在り。
(*「唐草に」の句、)蒲團引きあふて夜伽の寒さを凌ぎたる句などこそ古人も言へれ、蒲團其物を一句に形容したる(*、)蕪村より始まる。
「頭巾眉深き」只七字(*、)あやせば笑ふ聲聞ゆ。
足袋の眞結び、これをも俳句の材料にせんとは誰か思はん。我此句を見ること熟 せり、しかも如何にして此事を捉へ得たるかは今に怪まざるを得ず。
「齒あらはに」齒にしみ入るつめたさ想ひやるべし。

用語

蕪村の俳句に於ける意匠の美は既に之を言へり。意匠の美は文學の根本にして人を感動せしむるの力亦多くこゝに在り。然れども用語句法の美之に伴はざらんには可惜意匠の美を活動せしめざるのみならず、却て其意匠に一種厭ふべき俗氣を帶びたるが如く感ぜしむることあり。蕪村の用語と句法とは其意匠を現すに最も適せる者にして、しかも自己の創體に屬する者多し。其用語の概略を言はんに
(一)漢語 は蕪村の喜んで用ゐたる者にして、或は漢語多きを以て蕪村の唯一の特色と誤認せらるゝに至る。此一事が如何に人の注意を惹きしかを知るべし。が漢語を用ゐたるは種々の便利ありしに因るべけれど、△第一△に漢語が國語より簡短なりしに因らずんばあらず(*原文「あらす」)、複雜なる意匠を十七八字の中に含めんには簡短なる漢語の必要あり。又簡短なる語を用うれば叙事形容を燕ラに爲し得べき利あり。


○指南車○○胡地○▼引き去る▼かすみかな

○閣○▼坐して▼遠き蛙を聞く夜かな

▼祇や鑑や▼髭に落花を捻りけり  (*宗祇〔炭太祇?〕・宗鑑等を指すか。)

鮓桶をこれへと○樹下○床几かな

三井寺や日は○午○▼に逼る▼若楓

柚の花や善き酒○藏す○塀の内

○耳目肺膓○こゝに玉卷く芭蕉庵

○採蓴○うたふ彦根の○傖夫○(*田舎爺)かな

鬼貫新酒の中の○貧に處す○

○天心○貧しき町を通りけり

秋風や○酒肆○▼に詩うたふ▼○漁者樵者○

雁鳴くや舟に魚燒く▼琵琶▼○湖上○

の如き此例なり。されども漢語の必要ありとのみにて濫りに漢語を用ゐ、爲に一句の調和を缺かば佳句とは言はれじ。「胡地」の語の如き(*、)餘り耳遠く普通に用ゐるべきには非るを「指南車」の語上に在り「引去る」といふ漢文直譯風の語下にあるために一句の調和を得たるなり。「落花」の語は「祇や鑑や」に對して響き善く、「芭蕉庵」といふ語なくんば「耳目肺膓」とは置く能はず。「採蓴」は漢語に非れば言ふ可らず、さりとて此語ばかりにては國語と調和せず。故にことさらに「傖夫」とは受けたり。
△第二△は國語にて言ひ得ざるにはあらねど漢語を用ゐる方善く其意匠を現すべき 場合(*原文「現すべき合」)なり。漢語を用ゐて勢を強くしたる句


五月雨や○大河○を前に家二軒

夕立や筆も乾かず○一千言○

時鳥○平安城○すぢかひに

○絶頂○城たのもしき若葉かな

○方百里○雨雲よせぬ牡丹かな

「おほかは」と言へば水勢ぬるく「たいが(*原文「たいか」)」と言へば水勢急に感ぜられ、「いたゞき」と言へば山嶮しからず「ぜつちやう」と言へば山嶮しく感ぜらる。
漢語を用ゐていかめしくしたる句


蚊遣してまゐらす僧の○坐右○かな

○賣卜先生○木の下闇の訪はれ顔

「坐右」の語は僧に對する多少の尊敬を表し、「賣卜先生」と言へば「卜屋算」(*うらやさん=「占屋算」とも。占い師、またその呼び声〔占や算〕。)と言ひ しよりも鹿爪らしく聞えて善く「訪はれ顔」に響けり。


○寂○として客の絶間の牡丹かな

○蕭條○として石に日の入る枯野かな

の如きは「しんとして」「淋しさは」など置きたると大差無けれど猶漢語の方適切なるべし。
△第三△は支那の成語を用うる者にして、こは成語を用ゐたるが爲に興ある者又は成語を其儘ならでは用ゐるべからざる者あり。支那の人名地名を用ゐ、支那の古事風景等を詠ずる場合は勿論、我國の事をいふ引合に出されたるも少からず。其句


○行き\/てこゝに行き行く○夏野かな  (*「行行重行行」〔『文選』古詩十九首〕)

朝霧や杭打つ音○丁々○たり

○帛(*きぬ)を裂く○琵琶の流れや秋の聲  (*琵琶の奏でる裂帛の響き)

釣り上げし鱸の○巨口○玉や吐く  (*龍・麒麟が玉を吐くということがあるらしい。)

○三徑○十歩に盡きて蓼の花
(*「三逕」とも。隠者の住まい、その庭。漢蒋詡〔しょうく〕が庭に松菊竹の小徑を作った故事〔『蒙求』〕から。『帰去来辞』等に出る。)

冬籠り○燈下に書す○書かれたり

佗禪師からC(*さけ=鮭)○白頭の吟○を彫る
(*卓文君「白頭吟」〔『玉台新詠』〕に拠り、「願得一心人、白頭不相離。竹竿何嫋嫋、魚尾何簁簁。男子重意氣、何用錢刀爲〔何ぞ錢刀を用ゐることを爲さん〕。」の句を念頭に置く。原詩は魚尾に女性を喩え、夫司馬相如に離縁を迫る意だが、これは結尾の句や芭蕉の句に依り乞食僧が乾鮭をねだる様を歌ったものか。)

○秋風の(*原文「秋の」の後一字分空白。)呉人○は知らじふぐと汁(*ふくと汁)
(*呉汁からの連想か。劉禹錫「秋風引」などの連想もあるか。)

右三種類の外に


春水(*圏点無し。)四條五條の橋の下

の句は「春の水」ともあるべきを「橋の下」と同調になりて耳ざはりなれば「春水」とは置たるならん。但し四條五條といふ漢音の語なくば「春水」とは言はざりけん。


蚊帳釣りて○翠微○(*靄の立ち籠めた青い山。翠嵐。)つくらん家の内

特に翠微といふは翠の字を蚊帳の色にかけたるしやれなり。


○桾浴ともしたてかねつ嚴島

「風桙驕vとは俳句の普通に用ゐる所なれど爾か言ひては「桙驕vの意強くなりて句 を成し難し。只夏の風といふ位の意に用ゐる者なれば「桾浴vとつゞけて一種の風の名と爲すに如かず。蓋し蕪村の烱眼は早く此に注意したる者なるべし。
(二)古語 も亦蕪村の好んで用ゐたる者なり。漢語は延寶天和の間其角一派が濫用して終に其調和を得ず、其角すら是より後、復用ゐざりしもの、蕪村に至りて始て成功を得たり。
古語は元祿時代に在りて芭蕉一派が常語との調和を試み十分に成功したる者(*、)今は蕪村に因て更に一歩を進められぬ。


およぐ時○よるべなきさま○蛙かな

命婦より牡丹餅○たばす○(*原文「たはす」)彼岸かな

更衣○なん○藤原氏なりけり

○眞しらげ○(*原文「眞しらけ」)よね一升や鮓のめし

おろしおく笈に○なゐふる○夏野かな

夕顔や黄に咲いたるも○あるべかり○

○夜を寒み○小冠者臥したり北枕

高燈籠消え○なん○とする○あまたゝび○

渡り鳥雲の○はたて○(*原文「はたで」)錦かな

大高に○しろしめせ○今年米

蕪村の用ゐたる古語には藤原時代のもあらん、北條足利時代のもあらん、或るは漢書の譯讀に用ゐられたる(*、)即ち漢語化せられたる古語も多からん。いづれにもせよ今迄俳句界に入らざりし古語を手に從て拈出したるは蕪村の力なり。只漢語を用ゐいたづらに佶屈の句を作り以て蕪村の眞髓を得たりと爲す者未だ他の半面を解せざるべし。
(三)俗語 の最俗なる者を用ゐ初たるも亦蕪村なり。元祿時代に雅語俗語相半せし俳句も享保以後無學無識の徒に翫弄せらるゝに至て雅語漸く消滅し俗語益〃用 ゐられ意匠の野卑と相待て純然たる俗俳句となり了れり、されど其俗語も必ずしも好んで俗語を用ゐしにあらで雅語を解せざるが爲知らず識らず卑近に流れたる者、故に彼等が用ゐる俗語は俗語中の成るべく古に近きを擇みたりとおぼしく(*、)俗中の俗なる日常の話語に至りては固より用ゐざりしのみならず、彼等猶之を俗として排斥(*原文「排斤」)したり。檀林派の作者といへども其意匠句法の滑稽突梯(*とらえどころのない、庸俗な様)なるに拘らず、亦此俗語中の俗語を用ゐたるものを見ず。蕉門も檀林も其嵐派も支麥派も用ゐるに難じたる極端の俗語を取て平氣に俳句中に插入したる蕪村の技倆は實に測るべからざる者あり。しかも其俗語の俗ならずして却て活動する、腐草螢と化し淤泥蓮を生ずる(*それぞれ『礼記』月令、周敦頤『愛蓮説』の言葉。)の趣あるを見ては誰か其奇術に驚かざらん。


出る杭を打たうとした○りや○柳かな

酒を煮る家の女房○ちよとほれた○

繪團扇のそれも○清十郎○(*「それも」に圏点があるべきか。)お夏かな

蚊帳の内に螢放して○アゝ樂や○

杜若○べたり○と鳶の○たれ○てける

藥喰(*滋養・保温のために猪鹿等の獣肉を食うこと。)隣の亭主○箸持參○

○化さうな○傘かす寺の時雨かな
(*「かな」以外、一行欠字。後文より「時雨」の句と思われる。「化さうな傘かす寺の時雨かな」等か。)(*以下、欠字部分4ヶ所を講談社文芸文庫版『俳人蕪村』により補う。〔2006.3〕)

後世一茶の俗語を用ゐたる(*、)或は此等の句より胚胎し來れるには非るか。藥喰の句は蕪村集中の最俗なる者一讀に堪へずといへども、一茶は殊に此邊より悟入したるかの感なきに非ず。蓋し一茶の作時に名句無きにはあらざるも全(*以下、6字分空白。)体を通じて言はゞ(*講談社版では「言へば」)句法に於て蕪村の「酒を煮る」「繪團扇」の如きしまり無く、意(*1字分空白。「意匠」か。)に於て「杜若」「時雨」の如き趣味を缺きたり。蕪村は漢語をも(*以下、15字分空白。最初は「古語をも俗語をも」等か。最後は「佶屈な」か。)古語をも極端に用ゐたり。佶屈なり易き漢語も佶屈ならしめざりき。冗漫なり易き古語も冗漫ならしめざりき。野卑なり易き俗語も野卑ならしめざりき。俗語を用ゐたる一茶の外は漢語にも古語にも彼は匹敵者を有せざりき。用語の一點に於ても蕪村は俳句界獨歩の人なり。

句法

句法は言語の接續をいふ。俳句の句法は貞享元祿に定まりて享保寶暦を經て少しも動かず。寧ろ元祿に變化したるだけの變化さへ失ひ「何や」「何かな」一天張(*ママ)の極めて單調なる者となり了りて唯時に檀林一派及び(*原文「及ひ」)鬼貫等の奇を弄するあるのみ。此際に當りて蕪村は句法の上に種々工夫を試み或は漢詩的に或は古文的に、古人の未だ曾て作らざりし者を數多造り出せり。


春雨やいざよふ月の海半

春風や堤長うして家遠し

雉打て歸る家路の日は高し

玉川に高野の花や流れ去る

祇や鑑や髭に落花をひねりけり

櫻狩美人の腹や減却す

出べくとして出ずなりぬ梅の宿

菜の花や月は東に日は西に

裏門の寺に逢著す蓬かな

山彦の南はいづち春の暮

月に對す君に投網の水煙

掛香(*かけごう=匂い袋)啞の娘の人となり

鮓を壓す石上に詩を題すべく

夏山や京盡し飛ぶ鷺一つ

淺川の西し東す若葉かな

麓なる我蕎麥存す野分かな

蘭夕狐のくれし奇楠(*奇楠香=伽羅)を炷ん
(*らん、ゆふべ…。「蘭」は藤袴〔蘭草・香草〕か。乾燥茎葉に芳香があるという。)

漁家寒し酒に頭の雪を燒く

頭巾二つ一つは人に參らせん

我も死して碑にほとりせん(*「ほとり」は「辺」という。)枯尾花 (蕉翁碑)

の如きは漢文より來りし句法なり。蕪村最多く此種の句法を爲す。


しのゝめや鵜をのがれたる魚淺し

鮓桶を洗へば淺き遊魚かな

古井戸や蚊に飛ぶ魚の音暗し

魚淺し(*・)音暗しなどいへる警語(*奇警な表現)を用ゐたるは漢詩より得たるものならん。從來の國文いまだ此種の工夫無し。


陽炎や名も知らぬ虫の白き飛ぶ

橋なくて日暮れんとする春の水

罌粟の花まがきすべくもあらぬかな

の如きは古文より來る者、


春の水脊戸に田つくらんとぞ思ふ

白蓮を剪らんとぞ思ふ僧のさま

此「とぞ思ふ」といふは和歌より取り來りし者なり。其外


衣がへ野路の人はつかに白し

蚊の聲す忍冬の花散るたびに

水かれ\〃/蓼かあらぬか蕎麥か否か

の如きあり。
元祿以來形容語は極めて必要なる者の外俳句には用ゐられざりき。いたづらに場所塞ぎを爲すのみにて有りても無くても意義に大差なしとの意なりしならん。然れども形容語は句を活動せしめ印象を明瞭ならしむるには之を用ゐて効多し。は巧に之を用ゐ、殊に中七音の中に簡單なる形容詞を用うることに長じたり。


水の粉やあるじ○かしこき○後家の君

尼寺や○善き○蚊帳垂るゝ宵月夜

柚の花や○能○(*よき)酒藏す塀の内

手燭して○善き○蒲團出す夜寒かな

緑子の頭巾○眉深き○いとをしみ

眞結びの足袋○はしたなき○給仕かな

宿かへて火燵○嬉しき○(*原文圏点無し。)在處

後の形容詞を用ゐる者多くは句勢にたるみを生じて却て一句の病(*へい)と爲る。蕪村の簡勁と適切とに及ばざる遠し。
蕪村の句は堅くしまりて搖かぬ(*揺がぬ)が其特色なり。故に無形の語少く有形の語多し。簡勁の語多く冗漫の語少し。然るに彼に一つの癖ありて或る形容詞に限り長きを 厭はず屢々之を句尾に置く。


つゝじ咲て石うつしたる嬉しさよ

更衣八瀬の里人(*八瀬女)ゆかしさよ

顔白き子のうれしさよ枕蚊帳(*顔の所だけ蠅除けのために蔽う小さな蚊帳。)

五月雨大井越えたるかしこさよ

夏川を越す嬉しさよ手に草履

小鳥來る音嬉しさよ板庇

鋸の音貧しさよ夜半の冬

の如き是なり。普通に嬉しと思ふ時嬉しといはゞ俳句は無味になり了らん、况して嬉しさよと長く言はんは猶更の事なり。嬉しさよといはねば感情を現す能はざる時にのみ用ゐたる蕪村の句は固より此語を無雜作に置きたるにあらず。更に驚くべきは蕪村が一句の結尾に「に」といふ手爾葉を用ゐたる事なり。例へば


歸る雁田毎の月の曇る夜に

菜の花や月は東に日は西に

春の夜や宵曙の其中に

畑打や鳥さへ鳴かぬ山陰に

時鳥平安城をすぢかひに

蚊の聲す忍冬の花散るたびに

廣庭の牡丹や天の一方に

庵の月あるじを問へば芋掘りに  (*《尋隠者不遇》の主題。)

狐火や髑髏に雨のたまる夜に

常人をして此句法に傚はしめば必ずや失敗に終はらん、手爾葉の結尾を以て一句を操る者蕪村蕪村たる所以なり。
蕪村は下五文字に何ぶり、何がち、何顔、何心の如き語を据うることを好めり。


三椀の雜煮かふるや長者ぶり

少年の矢數問ひよる念者ぶり

鶯のあちこちとするや小家がち

小豆賣る小家の梅の莟がち

耕すや五尺の粟のあるじ顔

燕や水田の風に吹かれ顔

川狩(*川で魚を捕らえること)樓上の人の見知り顔

賣卜先生木の下闇の訪はれ顔

行く春やおもたき琵琶の抱き心

夕顔の花嚙む猫やよそ心

寂寞と晝間を鮓の馴れ加減

又此類の語の中七字に用ゐられたるもあり。後世の俗俳家何心何ぶりなどゝ詠ず る者多くは卑俗厭ふべし。


なれすぎた鮓をあるじの遺恨かな

牡丹ある寺行き過ぎし恨かな

葛を得て清水に遠き恨かな  (*葛水)

「恨かな」といふも漢詩より來りし者ならん。

句調

蕪村以前の俳句は五七五の句切にて意味も切れたるが多し。たま\/變例と見るべき者も猶

芭蕉
行春や鳥啼き魚の目は涙
松風の落葉か水の音凉し
芭蕉
松杉をほめてや風の桙驩ケ

の如き者にして多くは「や」「か」等の切字を含み、然らざるも七音の句必ず四三又は三四と切れたるを見る。蕪村の句には


夕風や水鷺の脛を打つ

鮓を壓す我酒釀す隣あり

宮城野の萩更科の蕎麥にいづれ  (*どちらがよいか。)

の如く二五と切れたるあり、


若葉して水白く麥黄ばみたり

柳散り清水涸れ石ところ\〃/

春風や人住みて煙壁を漏る

の如く五二又は五三と切れたるもあり。是れ恐らくは蕪村の創めたる者、曉臺(*・)蘭更によりて盛に用ゐられたるにやあらん。
句調は五七五調の外に時に長句を爲し、時に異調を爲す、六七五調は五七五調に次ぎて多く用ゐられたり。


花を踏みし草履も見えて朝寐かな

妹が垣根三味線草の花咲きぬ

卯月八日死んで生るゝ子は佛

閑古鳥かいさゝか白き鳥飛びぬ

虫のためにそこなはれ落つ柹の花

戀さま\/願の絲も白きより

月天心貧しき町を通りけり

昼a飛ぶや富士の裾野の小家より

七七五調(*・)八七五調(*・)九七五調の句


獨鈷鎌首水かけ論の蛙かな
(*六条家出身の顕昭と御子左家出身の寂蓮の論争を「独鈷鎌首の争」と呼んだことから。)

賣卜先生木の下闇の訪はれ顔

花散り月落ちて文こゝにあら有難や  (*独居を慰める友ができたという意か。)

立ち去る事一里眉毛に秋の峰寒し

門前の老婆子薪貪る野分かな

夜桃林を出でゝ曉嵯峨の櫻人

五八五調(*・)五九五調(*・)五十五調の句


およぐ時よるべなきさまの蛙かな

おもかげもかはらけ\/年の市
(*昔の俤も変わらない意と陶器・什器を売り捌く声とを掛けた。)

秋雨や水底の草を踏み渉る

茯苓は伏かくれ松露はあらはれぬ

佗禪師乾鮭に白頭の吟を彫

五七六調(*・)五八六調(*・)六七六調(*・)六八六調等にて終六言を


夕立や筆も乾かず一千言

ぼうたん(*原文「ほうたん」)しろがね(*原文「しろかね」)の猫こがね(*原文「こかね」)の蝶
(*牡丹の別名富貴草に銀猫金蝶を取り合わせた縁起物の画題。猫と蝶とを組み合わせる放胆さを掛けるか。)

心太さかしまに銀河三千尺

炭團法師火桶の穴より覗ひけり
(*炭団法師は炭団の別名と思われる。加持祈祷の法師が女房たちを盗見する様に見立てた句。)

の如く置きたるは古來例に乏しからず。終六言を三三調に用ゐたるは蕪村の創意にやあらん。其例(*以下、下線は二重線。)


嵯峨へ歸る人はいづこの花に 暮れし

一行(*ひとつらの)雁や端山に月を 印す

朝顔や手拭の端の藍を かこつ

水かれ\〃/蓼かあらぬか蕎麥か 否か(*原文「蕎麥 か否か」)

柳散り清水涸れ石ところ \/

我をいとふ隣家寒夜に鍋を ならす

霜百里舟中に我月を 領す

其外調子のいたく異なりたる者あり。


梅遠近南すべく北すべく

閑古鳥寺見ゆ麥林寺とやいふ
(*伊勢の蕉門中川乙由〔麥林〕は画をも善くしたという。連想があるか。)

山人は人なり閑古鳥は鳥なりけり

更衣母なん藤原氏なりけり

最も奇なるは


をちこちをちこちと打つ砧かな

の句の字は十六にして調子は五七五調に吟じ得べきが如き。

文法

漢語俗語雅語の事は前にも言へり。其の他動詞助動詞形容詞にも蕪村ならでは用ゐざる語あり。


鮓を壓す石上に詩を題すべ○く○

緑子の頭巾眉深きいとをし○み○

大矢數弓師親子も參りた○る○

時鳥歌よむ遊女聞ゆな○る○

麻刈れと(*麻の収穫は晩夏から初秋)夕日此頃斜な○る○

「たり」「なり」と言はずして「たる」「なる」と言ふが如き、「べし」と言はずして「べく」と言ふが如き、「いとをし(*「いとをしむ」か。)」と言はずして「いとをしみ」と言ふが如き、蕪村の故意に用ゐたる者とおぼし。前人の句亦此語を用ゐたる者無きにあらねど、そは終止言として用ゐたるが多きやうに見ゆ。蕪村のはことさらに終止言ならぬ語を用ゐて餘意を永くしたるなるべし。(*萩原朔太郎の連用形終止の手法を参照。)


をさな子の▼なつかしむ▼銀杏かな

「なつかしむ」といふ動詞を用ゐたる例ありや否や知らず。或は思ふ、「なつかし」といふ形容詞を轉じて蕪村の創造したる動詞にはあらざるか。(*「なつかしむ」の用例は僅かながらあった。「春の野に菫つみにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」は「名詞+を+形容詞語幹+み」の用例。)果して然りとすれば蕪村は傍若無人の振舞を爲したる者と謂べし。然れども百年後の今日に至り此の語を襲用するもの續々として出でんか、蕪村の造語は終に字彙(*辞書)中の一隅を占むるの時あらんも測り難し。英雄の事業時に斯の如き者あり。
蕪村は古文法など知らざりけん、縱し知りたりともそれに抅はらざりけん、(*。)文法に違ひたる句


更衣母なん藤原氏なりけり

の如きあり。


我宿にいかに引くべき清水かな

の如く「いかに」「何」等の係りを「かな」と結びたるは蕪村以外にも多し。


大文字近江の空もたゞならね

の「ね」の如き例も他に無きにあらず、(*。)蕪村は終止言として之を用ゐたるか、或は前に擧げたる「たる」「なる」の如く特に言ひ殘したる語なるか。縱令後者なりとも文法學者をして言はしめば文法に違ひたりとせん、(*。)果して文法に違へりや、將た韻文の文法も散文の如くならざるべからざるか、そは大に研究を要すべき問題なり。余は文法論に就きて猶幾多の疑を存する者なれども、此等の俳句を盡く文法に違へりとて排斥する説には反對する者なり。况して普通の場合に「ならめ」等の結語を用ゐる例は萬葉にもあるをや。


二本の梅に遲速を愛すかな

麓なる我蕎麥存す野分かな

の「愛すかな」「存す野分」の(*原文「野分の」」)連續の如き


夏山や京盡し飛ぶ鷺一つ

の「京盡し飛ぶ」の連續の如き


蘭夕狐のくれし奇楠を炷ん

の「蘭夕」の連續の如き(*、)漢文より來りし者は從來の國語に無き句法を用ゐたり。此等は固より故意に此新句法を造りし者(*、)而して明治の俳句界に一生面を開きし者亦多く此邊より出づ。

材料

蕪村は狐狸怪を爲すことを信じたるか、縱令信ぜざるも此種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿新花摘は怪談を載すること多く、且つ彼の句にも狐狸を詠じたる者少からず。


公達に狐ばけたり宵の春

盜む狐追ふ聲や麥の秋

狐火やいづこ河内の麥畠

麥秋や狐ののかぬ小百姓

秋の暮佛に化る狸かな

戸を叩く狸と秋を惜みけり

石を打狐守る夜の砧かな

蘭夕狐のくれし奇楠を炷ん

小狐の何にむせけん小萩原

小狐の隱れ顔なる野菊かな

狐火の燃えつくばかり枯尾花

草枯れて狐の飛脚通りけり

水仙に狐遊ぶや宵月夜

怪異を詠みたる者


化さうな傘かす寺の時雨かな
西の京にばけもの栖て久しくあれ果たる家ありけり(*。)今は其さたなくて

春雨や人住みて煙壁を洩る

狐狸にはあらで幾何か怪異の聯想を起すべき動物を詠みたる者


(*をそ)の住む水も田に引く早苗かな

獺を打し翁も誘ふ田植かな

河童(*「がわっぱ」とも読めるが「かはたろ」と読むらしい。)戀する宿や夏の月

(*くちばみ)鼾も合歡の葉陰かな

麥秋や鼬啼くなる(*をさ)がもと

黄昏や萩に鼬の高臺寺

むさゝびの小鳥喰み居る枯野かな

此外犬鼠などの句多し(*。)そは怪異といふにはあらねど此の如き動物を好んで材料に用ゐたるも其特色の一なり。
州名國名など廣き地名を多く用ゐたり。


河内路や東風吹き送る巫女が袖

雉鳴くや草の武藏の八平氏  (*千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾の各氏。)

三河なる八橋も近き田植かな

楊州の津も見えそめて雲の峰

夏山や通ひなれたる若狹人

狐火やいづこ河内の麥畠

しのゝめや露を近江の麻畠

初汐や朝日の中に伊豆相模

大文字や近江の空もたゞならね

稻妻の一網打つや伊勢の海

紀路にも下りず夜を行く雁一つ

虫鳴くや河内通ひの小提灯

糞尿屁など多く用ゐたるは其角なり。其角の句は稍奇を求めて故らにものせしが如く思はる。蕪村は之を巧に用ゐ(*、)此等不淨の物をして殺風景ならしめざるのみならず幾多の荒寒凄涼なる趣味を含ましむるを得たり。


大とこ(*大徳)糞ひりおはす枯野かな

いばりせし蒲團干したり須磨の里

糞一つ鼠のこぼす衾かな

杜若べたりと鳶のたれてける

蕪村は此等糞尿の如き材料を取ると同時に亦上流社會のやさしく美しき樣をも巧に詠み出でたり。


春の夜に尊き御所を守身かな

春惜む座主の連歌に召されける

命婦より牡丹餅たばす(*原文「たはす」)彼岸かな

瀧口に灯を呼ぶ聲や春の雨

よき人を宿す小家や朧月

小冠者出て花見る人を咎めけり

短夜や暇賜はる白拍子  (*祇王の故事。)

葛水や入江の御所に詣づれば

稻葉殿の御茶たぶ夜なり時鳥

時鳥琥珀の玉を鳴らし行く

狩衣の袖の裏這ふ螢かな

袖笠(*袖を笠にすること。)毛蟲をしのぶ古御達  (*虫愛づる姫君を怖々と見守る古参の女房の姿。)

名月や秋月どのゝ(*ふなよそひ)  (*文祿の役で秋月種長が渡海したことを踏まえるか。)

蕪村の句新奇ならざる者なければ(*、)新奇を以て論ずれば蕪村句集全部を見るの完全なるに如かず。且つ初より諸種の例に引きたる句多く新奇なるを以てこゝに擧ぐるの要無しと雖も、前に擧げざりし句の中に新奇なる材料を用ゐし句を少し記し置くべし。


野袴の法師が旅や春の風

陽炎や(*もっこ)に土をめづる人

奈良道や當歸畠の花一木(*ひとき)

畑打や法三章(*漢高祖の故事)札のもと

巫女町によき衣すます(*洗い清める)卯月かな  (*更衣)

更衣印籠買ひに所化二人

(*ゆか)凉み笠着連歌の戻りかな
(*床涼みは四条河原の納凉。笠を着て匿名で参加する連歌。)

秋立つや白湯香しき施藥院

秋立つや何に驚く陰陽師

甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋

いでさらば投壺參らせん菊の花
(*投壺は上代に渡来したが、天明・寛政の頃流行ったという。矢の代りに菊を投げ入れようという趣向。)

易水に根深(*葱)流るゝ寒さかな  (*荊軻の故事。「流れ行く大根の葉の早さかな」〔虚子〕を参照。)

飛騨山(*原文「飛驛山」)質屋鎖しぬ夜半の冬

乾鮭や帶刀殿の臺處

此等の材料は蕪村以前の句に少きのみならず、蕪村以後も亦用ゐる能はざりき。

縁語及譬喩

蕪村が縁語其他文字上の遊戲を主としたる俳句をつくりしは怪むべきやうなれど、其句の巧妙にして斧鑿の痕を留めず、且つ和歌若しくは檀林支麥の如き沒趣味の作を爲さゞる處、亦以て其技倆を窺ふに足る。縁語(*掛詞を含めて用いている。)を用ゐたる句、


春雨や身にふる頭巾着たりけり

出代や春さめ\〃/と古葛籠

近道へ出てうれし野のつゝじかな

愚痴無智のあま酒つくる松が岡

蝸牛や其角文字のにじり書(*下手な文字)

橘のかはたれ時や古館

橘のかごとがましき袷かな

一八(*いちはつ)しやが父に似てしやがの花

夏山や神の名はいさしらにぎて(*白和幣)

藻の花やかたわれからの月もすむ

忘るなよ程は雲助時鳥
(*「忘るなよ程は雲居になりぬとも空行く月のめぐり逢ふまで 」〔『拾遺集』橘忠幹〕)

角文字のいざ月もよし牛祭
(*「ふたつ文字牛の角文字すぐな文字ゆがみ文字とぞ君はおぼゆる」〔『徒然草』〕)

葛の葉のうらみ顔なる細雨かな
(*「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉.」〔『信太妻』、他〕)

頭巾著て聲こもりくの初瀬法師
晉子三十三囘忌辰

擂盆(*刷本を掛けるか。味噌を擂るで縁語。)みそみめぐりや寺の霜

又は
題白川

K谷の隣は白し蕎麥の花

の如き固有名詞をもぢりたるもあり。又は


短夜や八聲の鳥(*鶏)八ツに啼く

茯苓は伏しかくれ松露は露れぬ
思古人移竹

去來去り移竹移りぬ幾秋ぞ

の如く文字を重ねかけたるもあり。
俳句に譬喩を用ゐる者俗人の好む所ろにして(*、)其句多く理窟に墜ち趣味を沒す。蕪村の句時に譬喩を用ゐる者ありといへども譬喩奇拔にして多少の雅致を具ふ。亦支麥輩の夢寐にも知らざる所なり。


獨鈷鎌首水かけ論の蛙かな

苗代の色紙に遊ぶ蛙かな

心太さかしまに銀河三千尺

夕顔のそれは髑髏か鉢叩

鴛鴦や國守の沓も錦革  (*雄鳥の格好を錦沓に見立てた。)

あたまから蒲團かぶれば海鼠かな

水仙や鵙の草莖花咲きぬ
ある隱士のもとにて

古庭に茶筌花咲く椿かな
雁宕(*砂岡雁宕)久しく音づれせざりければ

有と見えて扇の裏繪覺束な
波翻舌本吐紅蓮

閻王の口や牡丹を吐かんとす
蟻垤

蟻王宮朱門を開く牡丹かな
(*夢に胡蝶となって舞い降りる連想があるか。)
浪花の舊國主して諸國の俳士を集めて圓山に會筵しける時

萍を吹き集めてや花筵
素堂

乾鮭や琴に斧うつ響あり
(*『宇津保物語』「俊蔭」巻の連想があるか。)

時代

蕪村享保元年に生れて天明三年に歿す。六十八の長壽を保ちしかば其間種々の經歴もありしなるべけれど、大體の上より觀れば文學美術の衰へんとする時代に生れて其盛ならんとする時代に歿せしなり。俳句は享保に至りて芭蕉門の英俊多 くは死し支考乙由等が殘喘を保ちて益俗に墮つるあるのみ。明和以後枯楊孽を生じて漸く春風に吹かれたる俳句は天明に至りて其盛を極む。俳句界二百年間元祿と天明とを最盛の時期とす。元祿の盛運は芭蕉を中心として成りし者、蕪村の天明に於けるは芭蕉の元祿に於けるが如くならざりしと雖も、天明の髏キを來せし者其力最も多きに居る。天明の餘勢は寛政文化に及んで漸次に衰へ文政以後復痕迹を留めず。
和歌は萬葉以來新古今以來一時代を經る毎に一段の墮落を爲したる者(*、)眞淵出でゝ僅に之を挽囘したり。眞淵歿せしは蕪村五十四歳の時、略〃其時を同じうしたれば和歌にして取るべくは蕪村は之を取るに躊躇せざりしならん。されど蕪村の句其影響を受けしとも見えざるは音調に泥みて清新なる趣味を缺ける和歌の到底俳句を利するに足らざりしや必せり。
當時の和文なる者は多く擬古文の類にして見るべきなかりしも、擬古といふこと は或は蕪村をして古語を用ゐ古代の有樣を詠ぜしめたる原因となりしかも知らず。而して蕪村は此材料を古物語等より取りしと覺ゆ。
蕪村が最も多く時代の影響を受けしは漢學殊に漢詩なりき。且つ漢學は蕪村が少年の時に寧ろ髏キを極め徂徠一派は勃興したるなり。蕪村は十分に徂徠の説を利用し以て腐敗せる俳句に新生命を與へたるを見る。蕪村徂徠等修辭派(*古文辞学派)の主張する、文は漢以上(*以前)、詩は唐以上と言へるが如き僻説には同意する者にあらざるべけれど、唐以上の詩を以て粹の粹と爲したること疑あらじ。蕪村が書ける春泥集の序(*召波春泥舎〕『春泥句集』〔1777〕序。離俗論を述べる。)の中に曰く

(略)彼も知らず我も知らず自然に化して俗を離るゝの捷徑ありや(*。)答曰(*、)詩を語るべし(*。)子もとより詩を能す(*。)他に求むべからず(*。)波疑敢問(*、)夫詩と俳諧といさゝか其致を異にするを(*、)俳諧を捨て詩を語れと云(*、)迂遠なるにあらずや(*。)答曰(略)畫の俗を去だにも筆を投じて書を讀しむ(*。)况詩と俳諧と何の遠しとする事あらんや(*。) (略)
(略)詩に李杜を貴ぶに論なし(*。)猶元白を捨ざるがごとくにせよ(*。)(略)

之を讀まば蕪村が漢詩の趣味を俳句に遷しゝ事も李杜を貴び元白を賤みし事も明瞭ならん。漢書は蕪村の愛讀せし所(*、)其詩を解すること深く、芭蕉が極めておぼろに杜甫の詩想を認めしとは異なりしなるべし。
繪畫の上よりいふも蕪村は衰運の極に生れて盛ならんとして歿せしなり。蕪村は自ら畫を造りしこと多く南宗の畫家として大雅と並稱せらる。天明以後繪畫俄かに勃興して美術史に一紀元を與へたる事に就きて蕪村も亦多少の原因を爲さゞりしには非るも、其影響は極めて微弱にして、彼が俳句界に於ける關係と同日に論ずべきに非ず、(*。)
天明は狂歌盛んに行はれ黄表紙漸く勢を得たる時なり。されど俳句とは直接に關係する所無し。只此時代が文學美術全般の勃興を成したるは文運の髏キを促すべ き大勢に驅られたる者にして、其大勢なる者は却て各種の文學美術が相互に影響したる結果も多かりけん。
蕪村の交りし俳人は太祇(*・)蓼太(*・)曉臺等にして其中曉臺蕪村に擬したりとおぼしく(*、)蓼太は時々ひそかに蕪村調を學びし事もあるべしといへども、太祇に至りては蕪村を導きしか蕪村に導かれしか今之を判するを得ず。とにかくに蕪村が幾分か太祇に導かれし部分もあり得べきを信ずるなり。然れども彼が師巴人に受くる所多からざりしは成功の晩年にありしを見て知るべし。

履歴性行等

蕪村は攝津浪花に近き毛馬塘の片ほとりに幼時を送りしこと其春風馬堤曲に見ゆ。彼は某に與ふる書中に此曲の事を記して「馬堤は毛馬塘なり(*。)則余が故園なり」 といへり。稍長じて東都に遊び巴人の門に入りて俳諧を學ぶ(*。)夜半亭は師の名を繼げるなり、(*。)寶暦の頃なりけん(*、)京に歸りて俳諧漸く神に入る。蕪村もと名利を厭ひ聞達を求めず(*、)然れども俳人として彼が名譽は次第に四方雅客の間に傳稱せらるゝに至りたり。天明三年十二月廿四日夜歿し亡骸は洛東金福寺に葬る。享年六十八。蕪村は總常兩毛奧窒ネど遊歴せしかども紀行なるものを作らず。又其地に關する俳句も多からず(*原文「多らず」)。西歸の後丹後に居ること三年因て谷口氏を改めて與謝とす。彼は讃州に遊びしこともありけん(*、)句集に見えたり。又嚴島の句あるを見るに此地の風情寫し得て最も妙なり(*、)空想の及ぶべきにあらず。蕪村或はこゝにも遊べるか。
蕪村は讀書を好み和漢の書何くれとなくあさりしも字句の間には眼もとめず只だ大體の趣味を翫味し且滿足したりしが如し。俳句に古語古事を用ゐること蕪村集の如く多きは他に其例を見ず。
彼が字句に拘らざりしは古文法を守らず假名遣に注意せざりし事にもしるけれど 猶ほ其他に爾か思はるゝ所多し。一例を擧ぐれば彼が自筆の新花摘


射干して咡く近江やわたかな

とあり。射干は「ひあふぎ」「からすあふぎ」などいへる花草にして、こゝは「照射して」の誤なるべし。蕪村が照射と射干との區別を知らざる筈はなけれど斯る事に無頓著の性とて氣のつかざりしものならん。近江も大身と書くべきにや。秀吉が奧州を「大しゆ」と書きしことさへ思ひ出されてなつかし、蕪村の磊落にして法度に拘泥せざりし事此類なり。彼は俳人が家集を出版することをさへ厭へり。彼の心性高潔にして些の俗氣なき事以て見るべし。然れども余は磊落高潔なる蕪村を尊敬すると同時に、小心ならざりし、餘り名譽心を抑へ過ぎたる蕪村を惜まずんばあらず。蕪村をして名を文學に揚げ譽を百代に殘さんとの些の野心あらしめば彼の事業は此に止まらざりしや必せり。彼は恐らくは一俳人に滿足せざりしならん。春風馬堤曲に溢れたる詩思の富贍にして情緒の纒綿せるを見るに十七字中に屈す べき文學者にはあらざりしなり。彼は其餘勢を以て繪事を試みしかども大成するに至らざりき。若し彼をして力を繪畫に伸ばさしめば日本畫の上に一生面を開らき得たるべく應擧輩をして名を擅にせしめざりしものを、彼はそれをも得爲さゞりき。余は日本の美術文學のために惜む。
春風馬堤曲とは俳句やら漢詩やら何やら交ぜこぜにものしたる蕪村の長篇にして蕪村を見るにはこよなく便となる者なり。俳句以外に蕪村の文學として見るべき者もこれのみ。蕪村の熱情を現したる者もこれのみ。春風馬堤曲とは支那の曲名を眞似たる者にて、其斯く名けし所以は蕪村の書簡に詳なり。書簡に曰く

春風馬堤曲〔馬堤は毛馬塘なり/即ち余が故園なり〕(*〔 〕内は原文割注。以下同じ。)
余幼童之時春色清和の日には心友どちと此堤上にのぼりて遊び候(*。)水には上下の船あり(*、)堤には往來の客あり(*。)其中には田舍娘の浪花に奉公してかしこく浪花の時勢粧に倣ひ髪かたちも妓家の風情をまなび○(*ママ)傳しげ太夫の心中のうき名 をうらやみ故郷の兄弟を恥いやしむ者有り(*。)されども流石故園情に不堪偶〃親里に歸省するあだ者成べし(*。)浪花を出てより親里迄の道行きにて引道具の狂言座元夜半亭と御笑ひ可被下候(*。)實は愚老懷舊のやるかたなきよりうめき出たる實情にて候。

代女述意と稱する春風馬堤曲十八首に曰く


やぶ入や浪花を出て長柄川

春風や堤長うして家遠し

堤下摘芳草  荊與棘塞路  荊棘何無情  裂裙且傷股

溪流石點々  踏石撮香芹  多謝水上石  教儂不沾裙

一軒の茶店の柳老にけり

茶店の老婆子儂を見て慇懃に無恙を賀し且儂が春衣を美む

店中有二客  能解江南語  酒錢擲三緡  迎我讓榻去  (*緡銭〔びんせん・さしぜに〕:100文)

古驛三兩家猫兒妻を呼妻來らず

呼雛籬外雞  籬外艸滿地  雛飛欲越籬  籬高隨三四

春草路三叉中に捷徑あり我を迎ふ

たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に三々は白し記得す去年此路よりす

憐しる蒲公莖短して乳を浥す

むかし\/しきりにおもふ慈母の恩慈母の懷抱別に春あり

春あり成長して浪花にあり

梅は白し浪花橋邊財主の家

春情まなび得たり浪花風流  (*原文字下げ無し。)

郷を辭し弟に負て身三春

本をわすれ末を取接木の梅

故郷春深し行々て又行々

楊柳長堤道漸くくれたり

矯首はじめて見る故園の家黄昏戸に倚る白髪の人弟を抱き我を待春又春

君不見古人太祇が句

藪入の寢るやひとりの親の側

猶此外に澱河歌三首あり。此等は紀行的韻文とも見るべく諸體混淆せる叙情詩とも見るべし。惜いかな、蕪村は之を一篇の長歌となして新體詩の源を開く能はざりき。俳人として第一流に位する蕪村の事業も之を廣く文學界の産物として見れば誠に規摸の小なるに驚かずんばあらず。
蕪村鬼貫句選の跋にて其角嵐雪素堂去來鬼貫を五子と稱し、春泥集の序にて其角嵐雪素堂鬼貫を四老と稱す。中にも蕪村其角を推したらんと覺ゆ、「其角は俳中の李蓮(*李白と呼れたるもの也」といひ「讀むたびにあかず覺ゆ是がまされる所也」ともいへり。しかも其缺點を擧げて「其集も閲するに大かた解し がたき句のみにてよきと思ふ句はまれ\/なり」といひ「百千の句のうちにめでたしと聞ゆるは二十句にたらず覺ゆ」と評せり。自己が唯一の俳人と崇めたる其角の句を評して佳什二十首に上らずといふ、見るべし蕪村の眼中に古人なきを、其五子と稱し四老を稱す(*、)固より比較的の賛辭にして、芭蕉の俳句といへども其一笑を博するに過ぎざりしならん。蕪村の眼高きこと此の如く手腕亦之に副ふ(*。)而して後に俳壇の革命は成れり。
ある人咸陽宮の釘かくしなりとて持てるを蕪村は誹りて「中々に咸陽宮の釘隱しと云はずばめでたきものなるを(*、)無念の事におぼゆ」といへり。蕪村の俗人ならぬこと知るべし。蕪村甞て大高源吾より傳はる高麗の茶碗といふをもらひたるを、それも咸陽宮の釘隱しの類なりとて人にやりし事あり。又ある時松島にて重さ十斤ばかりの埋木の板をもらひて、辛ふじて白石の驛に持出でしが、長途の勞れ堪ふべくもあらずと、旅舍に置きて歸りたりとぞ。此等の話しを取りあつめて考ふ れば蕪村の人物は自から描き出されて目の前に見る心地す。
蕪村とは天王寺蕪(*大阪の伝統的野菜)の村といふ事ならん(*。)和臭を帶びたる號なれども字面はさすがに雅致ありて漢語としても見られぬにはあらず。俳諧には蕪村又は夜半亭の雅名を用うれど畫には春星長庚三菓宰鳥碧雲洞紫狐庵等種々の名異名ありきとぞ。彼の謝蕪村謝寅謝長庚春星など言へる、門弟にも高几董阮道立(*樋口道立。江村北海の子。)などある、此一事にても彼等が徂徠派の影響を受けしこと明なり、二字の苗字を一字に縮めたる(*単姓に修姓すること。文人趣味の一つ。)は言ふ迄も無く其字面より見るも修辭派の臭味を帶びたり。
蕪村の繪畫は余曾て見ず、故に之を品評すること難しと雖も其意匠に就きては多少之を聞くを得たり。(筆力等の技術は其書及び俳畫を見て想像するに足る(*。)蕪村は南宗より入りて南宗を脱せんと工夫せしが如し。南宗を學びしは其雅致多きを愛せしならん。南宗を脱せんとせしは南宗の粗鬆なる筆法、狹隘なる規模が能く自己の美想を現すを得ざりしが爲ならん。彼は俳句に得たると同じ趣味を繪畫に 現したり。固より古人の粉本を摸し意匠を剽竊することを爲さゞりき。或は田舍の風光、山村の景色等自己の實見せし者(且つ古人の畫題に入らざりし者)を捉へ來りて支那的空想に耽りたる繪畫界に一生面を開かんと企てたり。或は時間を寫さんとし、或は一種の色彩を施さんとして苦心したり(*。)(色彩に關する例を擧ぐれば春の木の芽の色を樹によつて染分けたるが如き、夜間燈火の映じたる樹を寫したるが如き)繪畫に於ける彼の眼光は極めて高く、到底應擧呉春(*松村月渓。四条派の祖。)等の及ぶ所に非ず。然れども蕪村は成功する能はずして歿し、却て豎子をして名を成さしめたり。
蕪村の畫を稱する者多く俳畫をいふ。俳畫は蕪村の書きはじめし者にして一種摸すべからざるの雅致を存す。然れども俳畫は字の如き者のみ、終に畫に非ず、(*。)畫を知らざる者之を以て畫となす、取らざるなり。蕪村の字支那の書風より出でゝ稍和習あり。縱横自在にして法度に拘らず、しかも俗氣無きこと俳畫に同じ。
蕪村の文章流暢にして姿致あり。水の低きに就くが如く(*、)澁滯する所無し。恨むらくは彼は一篇の文章だも純粹の美文として見るべき者を作らざりき。
蕪村の俳句は今に殘りし者一千四百首あり、千句の俳句を殘したる俳人は四五人を出でざるべし。蕪村は比較的多作の方なり。然れども一生に十七字千句は文學者として珍とするに足らず。放翁(*陸放翁・陸游)は古體今體を混じて千以上の詩篇を作りしに非ずや。只だ驚くべきは蕪村の作が千句盡く佳句なることなり。想ふに蕪村は誤字違法などは顧ざりしも俳句を練る上に於ては小心翼々として一字苟もせざりしが如し、古來文學者の爲す所を見るに多くは玉石混淆せり、爲す所多ければ巧拙兩ながらいよ\/多きを見る。杜工部集の如き是なり。蕪村の規模は杜甫の如く大ならざりしも、兎に角千首の俳句盡く巧なるに至りては他に例を見ざる所なり。蕪村の天材は咳唾盡く珠を成したるか、蕪村は一種の潔癖ありて苟も心に滿たざる句は之を口にせざりしか、抑も惡句は埋沒して佳句のみ殘りたるか。余は三者 皆な原因の一部を分有したりと思ふ。俳句に於ける蕪村の技倆は俳句界を横絶(*横切ること。「鴻鵠四海を横絶す」のように使う。)せり、終に芭蕉其角の及ぶ所に非ず。連句も亦蕪村は蕪村流を應用して面目を新にせり。然れども蕪村芭蕉が連句に力を用ゐしだけ、熱心には力を爰に伸さゞりき。
蕪村の俳諧を學びし者月居(*・)月渓(*呉春(*・)召波(*・)几圭(*几董の父)(*・)維駒(*召波の子)等皆師の調を學びしかども獨り其堂に上りし者を几董とす、几董は師號を繼ぎ三世夜半亭を稱ふ。惜むべし(*、)彼れ蕪村歿後數年ならずして亦歿し、蕪村派の俳諧茲に全く絶ゆ。
明治廿九年草稿
明治卅二年訂正

俳人蕪村

俳人蕪村附録

蕪村几董

獺祭書屋主人

芭蕉去來に傳へ、去來は傳ふる所無し。蕪村几董に傳へ、几董は傳ふる所無し。去來の器は芭蕉の器の大なるに如かず、几董の才は蕪村の才の敏なるに及ばざりしなり。芭蕉の俳諧は自然にして善く變化す、去來は自然の趣を得て、しかも變化する能はざりき。蕪村の俳諧は勁健にして且つ自然なり、几董は勁健の處を學びて、しかも自然なる能はざりき。但去來の縁と几董の洗錬とは各其面目を現して優に時流に超出する者、此點に於て芭蕉蕪村猶如かざる所あるを見る。
几董は高井氏、春夜樓といひ晋明といふ。京師の人、几圭の子なり。几圭宋阿(*巴人の弟子にして蕪村の友なり。几董蕪村に從ふて俳諧を學ぶ。幾多の門弟中、嶄然 として頭角を露す。蕪村歿するに及びて夜半亭を繼ぐ。寛政元年歿す。蕪村の死に後るゝ事僅に六年なり。
余常に想ふ、蕪村死すると共に蕪村の系統全く絶えて其流派の傳はらざりし者、几董が直に蕪村に續ぎて世を去りしに因らずんばあらず。若し之れに年を假すこと猶十餘年ならしめば、よし其眞髓は傳はらざりしとも、少くも其形式上の相續者を出すべく、形式上の相續者だにあらば虚更に實を生じて多少の俳人を生ずること無しとせんや。然らば則ち蕪村の系統絶つ者は天か。
又想ふ、几董をして人を教ふるの學と人をなつくるのコとあらしめば、蕪村生存中と雖ども猶弟子を導くこと、芭蕉生存中の其角の如きを得べし。况んや蕪村死後六年の間に於て、彼は其技倆を現すべき機會を有したるをや。彼が一人の相續者をも造る能はざりしは其力の足らざりし事を證明するの外はあらず。然らば則ち蕪村の系統(*原文「系絶」)を絶つ者は几董か。
然れども一世の風潮を支配すべき偉人を生ずるは時運にして人にあらず。教育し啓發すべきは第二流以下のみ。孔子の聖ありて孔門の十哲あり、しかも孔子は第二の孔子を造る能はず。芭蕉のコありて蕉門の十哲あり、しかも芭蕉は第二の芭蕉を造る能はず。蕪村の大才にして僅に一几董を得たるが如き、第二流の人猶時運に關する者あるを知る。蕪村が蕪村を造る能はざりしも亦怪むに足らざるなり。何ぞ几董に於て之を責めん、几董に形式上の相續者無かりしは、たま\/以て其純潔、人に媚びず世を衒せざるを見るに足る。彼蓼太の如き門弟天下に滿ちて一人の俳人らしき者をも出ださゞるに比して高き事幾等ぞ。
几董には多少の學識あり。普通俳人の無學無識に比すべくもあらず。さはれ彼の學識も深淵該博なるにはあらずして寧ろ蕪村の餘波を受けたるがために幾何の修養を得しに過ぎざるべし。且つ彼の才は小に適して大に適せず。其作る所の文章の如きは穉氣を免れず。蕪村終焉記は彼が畢生の力を盡して書ける者から、修飾 に過ぎて摯實ならざる、恰も小兒が大人の語調を學ぶが如くにして稍厭ふべし、其俳句の端書(*前書)は文章拙しとにはあらねど其端書の無用なる者多きに至りては見識の卑きことを示すに過ぎず。謂ふ所の俳諧宗匠にして僅に四五册の書を讀みし者好んで俳句の端書を作り以て俗人を瞞着せんとすること少からず。几董も亦此流弊を脱する能はざりしなり。余几董のために惜む。
几董の俳句は蕪村の大作に及ばざりしも亦俳諧界有數の大家たるを失はず(*原文「失はす」)白雄曉臺闌更の徒に比肩して却て一頭地を拔かんとする者あり。其句の勁拔にして一字の懈筆無きは彼の長所にして、觀察の細微にして却て俗に陷らざるは彼の特色なり。彼が一句を作るには多時の熟慮を要せし者と覺しく、一字の推敲に案じわづらひて闇Kの裡に捨て去りし半成の名句、思ふに應に少からざるべし。故に彼の句には全體に無味なる者あるも一語一字の易ふべき者を見ず。蓋し彼は性の鈍きに拘らず、黽勉刻苦、工夫を積みて而して後に此境に到りしならんか。彼と 性を同くする者彼の俳句を讀まば必ず多少の發明する所あるべし。余も亦彼に導かれたる一人なり。彼の自撰句集を井華集といふ。
几董の俳句半ば之を蕪村に學び半ば之を太祇に得たり。全句の氣格よりしていふ時は寧ろ太祇に似たる者多からん。今は其句と蕪村の句とを駢列して之を比較するに止めん。
蕪村の句と几董の句とを比す。(*、)雄勁の處相似たり。瑰麗の處相似たり。奇警の處相似たり。用語の清新にして自在なる處相似たり。其異なる處をいはんか、蕪村の規模は大にして几董の規模は小なり。蕪村は一氣呵成の句に乏しからず、几董は曲折容を爲す者極めて多し。蕪村は材料富贍にして配合斬新なり。几董は尋常事物に就きて或る新奇なる場合を擇び、平凡なる現象を極めて明瞭に叙し、陳腐なる趣向に一點の生命を與へて能く之を新鮮ならしむるの妙を得たり。之を要するに蕪村の句集は到る處に天才の流動煥發するを見、几董の句集は苦心の痕跡の 此處彼處に存在するを認む。多數の人は蕪村句集を讀みて得る所の一種の愉快なる感情井華集中に見出だすこと能はざるべし。是れ實に几董蕪村に及ばざる所なり。只吾儕遲鈍の者其經營慘澹の跡を見て昇天の金楷を得たるが如き心地に多少の愉快を感ぜずんば(*原文「感ぜずんは」)あらず。
左に並記する句は蕪村几董二人の作の稍相似たる者なり。其相似たるは暗合もあるべく或は蕪村几董を模したるもあるべけれど、概して几董蕪村を學びたること論を竢たず。他を摸倣して眞髓を得れば摸倣は其痕跡を止めず。几董の佳什亦然り。其摸倣の痕跡ある者は寧ろ句の拙き者にして、其摸倣せらるゝ原句も亦天籟的の作ならざるべし。左記の句多くは然り。然れども同一の材料又は語句を主眼として二樣の句作あるは之を比較して研究するに極めて利あり。其痕跡の明らさまなる程それ程猶興味を感ぜん。

蕪村
折釘に烏帽子かけたり春の宿
几董
正月や烏帽子かけたる木工頭
蕪村
長き夜や通夜の連歌のこぼれ月
几董
春の夜や連歌滿ちたる九條殿
蕪村
衣がへ印籠買ひに所化二人
几董
摘草や印籠提げし尼の公

右三對の句を比較するに蕪村の趣向は皆几董よりも複雜なり。されど之を讀むに蕪村の句は自然にして几董(*原文「凡董」)の句には工夫あるを覺ゆ。是れ實際に於て蕪村の句は複雜ながら自然に口より漏れし者なるべく、几董の句は簡單ながら工夫を費したるなるべし。蕪村の句は自然なるが故に勢ひあり。勢あるが(*原文「あるか」)故に句法に變化あり。几董の句は工夫せしが故に活動せず、活動せざるが故に句法悉く同じ。見よ、几董の三句は初五皆「や」の切字を用ゐ、中七の初に賓格的名詞(*目的格の名詞)を置き、次に連體動詞を置き、終五には一箇の人物を著く。三句皆同一模型を取る者固より故意にあ らずといへども、工夫の上より製作したるがために自ら同一の痕跡を止めし者と覺ゆ。

蕪村
手燭して庭蹈む人や春惜む
几董
行燈をとぼさず春を惜みけり
蕪村
梶の葉を朗詠集の栞かな
几董
道の記に假の栞やつく\/し
蕪村
蒲公英の忘れ花あり路の霜
几董
山吹の忘れ花咲く清水かな
蕪村  (*狩野探幽の名)
時鳥繪に鳴け東四郎次郎
几董
探幽曙の夢や時鳥
蕪村
蝸牛其角文字のにじり書
┃   金福寺芭蕉庵落成
几董
角文字のいほりに題す蝸牛
蕪村
淺河の西し東す若葉かな
几董
紅楓深し南し西す水の隅
蕪村
鮒鮓や彦根の城に雲かゝる
几董  (*宇治山)
鮎汲や喜撰が嶽に雲かゝる

此等は最も相類似する者(*、)痕跡甚だ露る。されど朗詠集の梶の葉に對して道の記と土筆の配合を爲したるが如き、霜の蒲公英を學びて清水の山吹を見出したるが如きは凡庸作家の手段にあらざるを見ん。但鮒鮓と鮎汲との句は剽竊に近し、蓋し几董蕪村の句あることを忘れて作りし者ならんか。

蕪村
阿古久曾の指貫ふるふ落花かな
几董
山吹や指貫濡るゝ歩わたり

風吹く夕の櫻狩、雨霽るゝ朝の野の遊び、いづれも土佐(*土佐派)の極彩色なるべし。

蕪村
銀杏蹈んで靜に兒の下山かな
几董
御しのびの下山や萩のから衣

前と同じやうの對ながら「銀杏蹈んで」の一語は全句に活動を與へたり。

蕪村
腰ぬけの妻うつくしき火燵かな
几董
朝顔や悋氣せぬ妻うつくしき

同じ七字を用ゐながら意匠の毫も相侵さゞる處見るべし。

蕪村
初雪の底をたゝけば竹の月
几董
底たゝく春の隅より遲櫻
蕪村
紅葉見や用意かしこき傘二本
几董
かしこくも花見に來たり翌は雨
蕪村  (*「いざ行かむ雪見にころぶところまで」〔芭蕉〕を踏まえる。)
いざ雪見かたちづくりす蓑と笠
几董
梅の樹のかたちづくりす初時雨
蕪村  (*『伊勢物語』東下りを踏まえる。)
かれ飯にからき涙や蕃椒
几董  (*原文「かけにして」)
かげにして蕃椒くふ涙かな

換骨脱胎(*ママ)の工夫を知るべし。

蕪村
賣卜先生木の下闇の訪はれ顔
几董
藤棚や酒賣る家の訪はれ顔

此外に太祇の「見通しに菊つくりけりな訪はれ顔」の句あり。訪はれ顔といふ語は「宿札にかなつけしたる訪はれ顔」といふ其角の連句に始まりて俳句になりしはこれが始なるべし。三人の内いづれか(*あるいは「が」か。)先づ作りしにや知らず。

蕪村
三軒家大阪人の蚊遣かな
┃   東山吟歩
几董
大阪の遊女か知らず櫻狩

蕪村の句は嵯峨をいへるにか。大阪人浮きて利かず。几董の句、東山を前書にて すませたる處狡獪なる手段なり。句柄は几董勝りたり。

蕪村
裏門の寺に逢著す蓬かな
┃   白馬金鞍入誰家
几董
菫蹈んで今去る馬の蹄かな

張籍賈島に逢ふといふ詩「僧房逢著欵冬(*山吹)花、出寺吟行日已斜、十二街中春雪遍、馬蹄今去入誰家」の起句を蕪村は取り、結句を几董は取りたり。几董既に此詩句を借りながら他の詩句を題に置きたるは拙し。蕪村が僧房の句を摘出したるは眼識の高きを知るべく、其蓬を置きたるが如き亦夷の思ふ所に非ず。

┏   加茂の西岸に榻を下して
蕪村
丈山口が過ぎたり夕凉
┃   詩仙堂の邊にて時鳥のしきりに鳴きけるにぞ
几董
時鳥鴨河越えぬ恨かな

共に善き句ならねど几董のは餘りに平凡なり。

蕪村
筍や五助畠の麥の中
几董
茂助田に愛すともなき蓮かな

茂助田は周茂叔(*周敦頤「愛蓮説」)の縁にいひしなり。五助畠といふこといはれありや否や。

蕪村
橘のかごとがましき袷かな
几董
橘のかたみの衣に夏書せん

共に橘の香とかけたる詞なり。されど蕪村のは「か」の字善く響きて、几董の「か」は響かず。蓋し蕪村のは自然に出で、几董はことさらに蕪村に摸したるがためなり。句は共に善し。

蕪村
短夜や毛虫の上に露の玉
几董  (*「朝嵐」か。)
短夜や蟹の脱(*もぬけ)朝の風

共に細工に墮ちて品卑し。只毛蟲の露を蟹の殻の風に轉じたる工夫を思へば自ら ほゝゑまるゝ者あり。

蕪村
斧入れて香に驚くや冬木立
几董  (*蚊遣りに焚く木。榧・杉・松等。榧の名と関わるか。)
蚊遣木にたま\/沈の匂ひかな

几董のは摸すべし。蕪村のは及ぶべからず。

蕪村
閑古鳥櫻の枝も蹈んで居る
几董
合歡の木の其花鳥や閑古鳥

櫻も合歓も手柄なし。

蕪村
麥秋や遊行の棺通りけり
几董  (*琵琶法師か。)
麥秋や埃の中を薩摩殿

同じやうな景色ながら餘り似たりとも思はぬは句の面白き故にやあらん。

蕪村
鳥駐aへ五六騎いそぐ野分かな
几董
鳥駐aへ御歌使や夜半の雪

共に妙。これには限らねど蕪村の句は活動し几董の句は沈靜せり。沈靜は工夫すべし。活動は工夫すべからず。

蕪村
鮓つけてやがていにたる魚屋かな
几董
疊屋のいなでぞありぬ夕時雨

これにも活動と沈靜との差あり。

蕪村
葱買ふて枯木の中を歸りけり
几董
寒き野を都に入るや(*ねぶか)

此二句趣向に動靜の差は無けれど句法に動靜の別あり。「けり」と「や」の區別を知るべし。

蕪村
我をいとふ隣家寒夜に鍋を鳴らす
几董
さかしらいふ隣も遠く冬籠

一動一靜明々瞭々。

蕪村
からCや琴に斧うつ響あり
几董  (*原文「雁かねも」。「夕暮〔ゆふべ〕」か。)
雁がねも春の夕暮となりにけり

右二句共に素堂の調に倣ふと題せる者なり。蕪村のは素堂の調に似て素堂より面白し。素堂の作いかでか此趣味あるを得ん。几董のは其調の素堂に似ざるのみならず、且つ自家の本領を失ひて其句見るに足らず。几董の才能は終に多岐なる能はず。

┏   几董判句合
蕪村  (*鯨波の意味を込めるか。)
鯨賣市に刀を[ナラ]しけり
┃   蕪叟判句合
几董
後シテの面や月の痩男

あてこみ(*受けを狙った際物)の作なるべし。鯨賣の句はたしかに几董の壺に入りたり(*壺にはまる・図に当たる)とおぼし。後の月の句惡句にはあらねど格の卑しきは飽かぬ心地す。但し几董が後の月(*十三夜の月〔秋〕)といふ難 題を課せられたるものとすれば彼が此句ある(*、)怪むに足らざるなり。

蕪村
立去事一里眉毛に秋の峰寒し
几董
聲非大とのあぶら白き迄

共に長句法を用う。几董の句勝りたり。
中七に五字の名詞を用うるもの(*、)蕪村にも「山祭りせん」「忘れ花あり」の如き無きにあらねど(*、)几董

几董
旅涼し裏表無き夏衣
等閑に杜若咲く古江かな
   (*原文「かけにして」)
かげにして蕃椒喰ふ涙かな

の如きは稍趣を異にせり。中七に六字の名詞を用うる者(*、)几董にもあれど蕪村のは更に多し。終五を六字にする者(*、)几董には一二句あるのみ、蕪村には十句以上あり。蕪村には長句あれど几董には十九字以上の句甚だ少し。蕪村

蕪村
玉川に高野の花や流れ去る
櫻狩美人の腹や減却す

の如きはあれど

几董
たれこめて祭見る家や(*たきもの)

の「や」は趣を異にす。此等は些細の相違なれども、蕪村の句に活動多く、几董の句に曲折多きは主として此句法の相違より來ることを忘るべからず。
上に擧げ來りたる幾多の句は多少摸倣の痕跡を露したる者なれども、さりとていづれも剽竊として擯斥すべきに非ず、却て其工夫を見るに便多きを以て特に兩々對照したるのみ。几董の佳句が此等の外に存在することは前にいへるが如し。此數十句を以て几董を盡す者と誤解するなからんことを希望す。

俳人蕪村附録

『俳人蕪村』 <了>