[INDEX]

俳諧大要

正岡子規
(『縮刷合本 俳諧大要』 俳書堂〔米刃堂・籾山書店〕
 1899.12.1、1913.7.20〔合本俳諧大要〕、1916.1.1〔縮刷合本〕
※ 俳諧大要・俳人蕪村・俳句問答・四年間(明29-32)の四冊の縮刷合本。
※ 俳諧大要初出は、1895.10-12 新聞「日本」。刊行は1899.1.20 東京ほととぎす発行所。
▼傍点を付した文字列▼○圏点を付した文字列○
句読点等を適宜補ったほか、本文中に原文ページ参照タグ<pg />を入れてある。
UNICODEにも無い漢字は『今昔文字鏡』フォントから拾って48ptの大きさで表示している。

俳諧大要目次

(*ページ数は省略。)

俳諧大要

獺祭書屋主人 編

こゝに花山といへる盲目の俳士あり。望一の流れを汲むとにはあらで只發句をなん詠み出でける。やう\/に此わざを試みてより半年に足らぬ程に、其聲鏗鏘(*かうさう)として聞く者耳を欹つ。一夜我假住居をおとづれて共に蟲の音を愛づるついでに、「我も發句といふものを詠まんとはすれどたよるべきすぢもなし。君わがために心得となるべきくだり\/を書きてんや。」とせつに請ふ。答へて、「君が言好し。昔は目なしどち\/後について來ませとか聞きぬ。われさるひじりを學ぶとはなけれど、覺えたる限りはひが言まじりに傳へん。なか\/に耳にもつぱらなる(*原文「もつはらなる」)こそ正覺のたよりなるべけれ。いざ\/。」と筆をはしらし、僅かに其綱目ばかりを擧げてこれを松風會ゥ子にいたす。ゥ子幸ひに之を花山子に傳へてよ。

第一 俳句の標準

一俳句は文學の一部なり。文學は美術の一部なり。故に美の標準は文學の標準なり。文 學の標準は俳句の標準なり。即ち繪畫も彫刻も音樂も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以て論評し得べし。
一美は比較的なり、絶對的に非ず。故に一首の詩一幅の畫を取て美不美を言ふべからず。若し之を言ふ時は、胸裡に記憶したる幾多の詩畫を取て暗々に比較して言ふのみ。
一美の標準は各個の感情に存す。各個の感情は各個別なり。故に美の標準も亦各個別なり。又同一の人にして時に從つて感情相異なるあり。故に同一の人亦時に從つて美の標準を異にす。
一美の標準を以て各個の感情に存すとせば、先天的に存在する美の標準なるもの有る無し。若し先天的に存在する美の標準(或は正鵠を得たる美の標準)ありとするも、其標準の如何は知るべからず。從つて各個の標準と如何の同異あるか知るべからず。即ち先天的標準なるものは吾人の美術と何等の關係を有せざるなり。
一各個の美の標準を比較すれば、大同の中に小異なるあり、大異の中に小同なるありと雖も、種々の事實より歸納すれば、全體の上に於て永久の上に於て略〃同一方向に進むを見る。譬へば船舶の南半球より北半球に向ふ者、一は北東に向ひ一は北西に向ひ、時ありて正東正西に向ひ、時ありて南に向ふもあれど、其結果を概括して見れば皆南より北に向ふが如し。此方向を指して先天的美の標準と名づけ得可くば則ち名づく可し。今假りに概括的美の標準と名づく。
一同一の人にして時に從ひ美の標準を異にすれば、一般に後時の標準は概括的標準に近似する者なり。同時代の人にして各個美の標準を異にすれば、一般に學問智識ある者の標準は概括的標準に近似する者なり。但し特別の場合には必ずしも此の如くならず。


第二 俳句と他の文學


[INDEX]