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 Progress 

2006.3.25
正岡子規『俳人蕪村』の底本欠字部分(4ヶ所)を講談社文芸文庫版により補う。
2006.3.20
相馬御風『一茶と良寛と芭蕉』のうち「野人一茶の悟」入力完了。引用文などを見ると、御風は束松露香『俳諧寺一茶』等により一茶の概観を試みているように思われる。もちろん「野人」の悟りというのは御風が描いた軸線だろう。説得力は十分である。「焚くほどは風がもてくる落葉かな」(一茶の句は「…くれたる落葉かな」)という良寛の句が一茶のものに基づくらしいということを読者の投稿によって知るところなどは面白かった。蕪村と几董の句を子規が並べて論じている文も面白かったが、これらを見ると「模倣」「剽竊」という評価ではいかにも杓子定規に陥ることが分かる。几董の場合など、付句のような発想で、師の句の解説を試み、あるいは胸を借りて稽古しているかのような印象を受ける。良寛にしても、父以南の若い友人の一人である一茶の句を何かの機会に知り、面白く思ったということではなかろうか。俳諧と和歌とで畑違いであることも、いかにも気楽に取り込める条件だったのではないか。
2006.3.18
正岡子規『芭蕉雑談』『俳人蕪村』入力完了。後者は、原本に印刷上の空白があり(一ページだけ、数ヶ所)、補わなければならないが、文芸文庫が手許になく空白のままにしている。前後からほぼ類推できる範囲ではある。どちらも熱のこもった文体であり、美文であるのに言葉に空回りしているところがほとんど感じられない。内容の充実はいうまでもない。もちろん参考書は獺祭のごとく広げてあったと思うが、該博な知識にも圧倒された。蕪村は萩原朔太郎の感じによく似ているなと思いながら入力していた。自分はただテキストを入力しているだけだが、関心の範囲は広がってくる。高井几董『井華集』等、多少の興味を覚えた。
2006.2.26
『獺祭書屋俳話』本編入力完了(「正誤」はまだ。)ついでに、『増補』の「序」より、性懲りもなく引用しよう。
「…如何にしてか斯うは面白く詠み出だせると覺えず膝を打ちて感ずるにつけても猶今の人の名利に耽り賤しき言の葉をつゞけておのが耻を世に賣 り若干の財を力に宗匠となん呼ぶことのうとましさよ書讀までも發句は作りなん文字知らでも俳諧は出來なんと獨り文臺に向ひて鼻うごめかす非修非學の男だち人のそしりも大方は俚耳に入らざるべし世の中は斯くてもありなんを我は人の如くならで人は我の如くなれかしと思ふ事言はねば腹ふくるゝを蚯蚓のあと覺束なくも書きつらねて一卷とはなりぬ…」
どうにも、こういう文章…好きだなあ。「非修非學」というのは胸にずきっとくるのだが。子規がそそくさと退散もせずに堂々と筆を進めているのは小気味よい。
2006.2.19
実に4年半ぶりの更新。コンピュータの不調を繰り返しているうち、SannetへのFTPさえ出来なくなり、Help Deskはあいかわらず親切だったがそれでも埒が明かなかったのでしかたなくBiglobe一本に絞ることとなった。それからでももう3ヶ月ぶりである。零細HPの21世紀への発展を期したのだったが、努力?の甲斐あってアクセスカウンタは7000,8000を超えることはなかったように思う。21世紀もぱっとしない。紀年法を自分だけ変えてみようかと思うくらいだ。5年前の記事を読んで更めてつらつら思うのだが、今世紀のキー・ワードの一つは猫と杓子の演出による官僚社会化現象ではあるまいか。官の中央は昔ながらとして、周縁部がだめだめなのである。何はさて反吐が出る、というのは後から付け足した悪い洒落だが、とりあえず正岡子規『獺祭書屋俳話』の入力から始めることにする。
一方また創作について—この俳話で子規はいっていた。「誠實なきの風流は浮華に流れ易く節操なきの詩歌は卑俗に陷るを免れず。文學美術は高尚優美を主とするものなり。而して浮華卑俗を以て作られたる文學美術ほど面白からぬものはあらじ。否これほど世を害するものはまたとあるまじと思はる。」(武士と俳句)このまま、この通りだと思った。
2001.10.3
半年ぶりにページを更新。Vol.1 の方に掛かりきりになっていた形です。『たはれぐさ』:いちいちうなづきながら入力していました。どうも、時代は変わっても、人間はどこが進歩したのか。こういう文章を入力しながら、本当に大きな疑問符が湧いてきます。[Access Counter: 300(4.24), 400(6.23), 500(8.8), 600(9.9?)]
2001.2.27
いろいろきっかけがあり、思うところがあって、福沢諭吉「丁丑公論」を電子化して Web に載せたいと考えました。いずれ、「瘠我慢の説」も同様に入力したいと思っています。ちょうど100年前の発表ですが、筆力・迫力ともに備わった大文章です。これを読むと、見かけは様変わりしても本質的に変わらない官僚制の弊害というものを認識します。今月の「文學界」の巻末に紹介記事があることを知り、見てみましたが、こちらのほうは(1ページの制限もあるためか)あまり気迫が感じられませんでした。なお、勤務先にあるやや古い福沢全集(岩波書店)のものをはじめ読んだのですが、入力時にもとの合本版を見ると字句の異同がかなりあります。今では、どのようになっているのでしょうか。ふだん時間がとれないため、見る機会がありません。[Access Counter: 100(11.22), 200(2.28)]
2001.1.14
メニューを多少変更しました。日本古典文学資料は、vol.1 の日本古典文学テキストと併せ見られることをお勧めします。しばらく怠けていた間に、プロバイダの WEB ページ容量もずいぶん改訂されてきました。
2000.8.2
SANNET に Notebook vol.2 を掲げることにした。Vol.1 は http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/index.html を参照。古典文学の電子テキスト等を載せている。BIGLOBE が手狭になってきたのと、バナー広告は嫌だったので、他のプロバイダを探すこととなったわけだが、こちらは接続が早く、使いやすい。ヘルプデスクもよく対応してくれる。
 電子テキストのホームページを設けてから3年になるが、テキスト作成は思うように進まない。リンクをいくつか張っていただいたことでもあり、何とか続けたいとは思う。Vol.1 の方では、古典作品のフルテキストを主に扱い、こちらでは近現代の作品のテキストや抄録を中心に載せていく考えでいる。過去の履歴については、Vol.1 を参照願います。

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