[御伽草子目次]

玉蟲の草紙

▼ 御伽草子 A-6
尾上八郎 解題、山崎麓 校註
『お伽草子・鳴門中將物語・松帆浦物語・鳥部山物語・秋の夜の長物語・鴉鷺合戰物語』
(校註日本文學大系19 國民圖書株式會社 1925.9.23)

※ 句読点を適宜改めたほか、引用符を施し、段落分け・章題を加えた。
※ ルビは<ruby><rt></rt></ruby>タグで表した。IE5 等で見える。

   蜻蛉      鈴蟲      蟷螂  蟋蟀  松蟲  蓑蟲  蛆蟲  結語

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天地あめつち開け、伊弉諾いざなぎ伊弉册いざなみの尊、浮橋の上にてこと始めし給ひし〔古事記に出て居る神話〕より、「八雲立つ出雲八重垣妻ごめに、八重垣造るその八重垣を」〔古事記に出て居る素盞嗚尊の歌。但し後世三十一文字に改作したのであらうと云はれて居る。〕と、ながめ給ひし〔吟じられた〕このかた、矛の露國となり、戀の煙たちなびきけり。さりながら百敷の内、または柴の編戸の外までも、男女夫婦の道ならずといふ事なし。過ぎ行くまゝに、このかた淺茅が末の世となりて、露の情の戲れ、鳥類畜類までも、この執心をこめられ、竹に鳴く鶯、水に住む蛙、野邊にある蟲の聲、みな歌にあらずといふことなし〔紀貫之古今集序に摸したのである〕。此にちかき頃、きたい〔稀代であらう。〕やさしき戀の道あり。頃は八月中の十日〔二十日〕許りの頃なるに、野もせの花の色めく草の下葉に、すだく〔聚る意。〕蟲のその中に、白練衣しろねりぎぬの十二ひとへ〔白の練絹の十二單〕に身をまとへる蟲、輝く程なれば、名をば玉蟲姫とぞ申しける。數々の蟲共かの玉蟲を見きき、「同じ憂き世に生れあひても、玉むし姫と草の枕を竝べ、すゝきが袖をも重ねばや。」と、思ひを懸けぬ蟲ぞなき。あまり思ふも苦しきに、各「玉章たまづさを通はし、歌にて心をひき見ばや。」と思ひけり。


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まづかげろふ〔蜉蝣。青白く小さい。蜻蛉に似て居る。羽化産卵すると間もなく死ぬ蟲。〕の兵衞の方よりも、葦の葉に文をかき、歌を咏みてぞ通はしける。
さても\/、いつぞや夕の月の影、ほの見えて〔月の光のほのかに見えるのと、戀人のほの見えるのをかけた。〕、憧れまゐらせ、心露に亂れ候まゝ、一首贈りまゐらせ候。
數ならぬ身はかげろふの袖のうへにいつか宿さむ玉むしの君
かやうに書きて送りければ、玉蟲取上げて見て、「玉章・歌の心は優しけれども、見るにつけても、かげろふの樣なる蟲に、いかで靡くべきか。」とて、たゞ歌の返しばかりありけり。
恥かしやいつまであらぬかげろふの影にやどさじ我が袖のつゆ


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次に、蛙の雅樂助うたのすけ〔雅樂寮の次官。蛙を歌よみとしたからである。〕方よりも、玉章・歌贈りけり。
さては申すにつけても御物笑ひの種と思ひ申し候へども、夕の露のひま毎に、音をのみ泣くばかりなり。御身故。
とてかくよめり。
かはづなく田の面の水に玉むしのひとり宿かせ秋の夕暮
かやうに遣はしければ、玉蟲取上げて、「なりは下種げす々々しくして、むさ\/げ〔汚なげ〕なれども、歌の心やさしさよ。」とて、たゞ返歌のみかくなむ。
およびなき田のもの井戸に雨乞ひてなくや蛙の空音なるらむ


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次にいなごの宰相〔參議〕の方より、
そよや吹く稻葉の風の便りにて、一筆傳へまゐらせ候。御面影身にうち添ひて、天雲のうはの空なる〔雲の上と上の空と。〕戀ゆゑに、うちまどろまむひまもなく、心つくし〔心つくしと筑紫と。〕にゆく船の、よるべも知らぬ思ひにてこそ候へば、かくなむ、
秋の田の穗の上てらす稻妻の光のうちもわれになびけよ
玉むしこれを見て、「あれが文のかきやう、歌のよみやう、やさしさよ。」とて、
たのめとて霜おく野邊の叢薄むらすゝきひとり殘らむ秋の末まで


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次に鈴蟲の三位の中將の方より、
さても\/宮城野〔陸前の萩の名所〕にて、秋の萩の陰より見初めまゐらせ、しのぶもぢずり〔忍草の葉で布帛に摺りつけ染めたもの。「みちのくのしのぶもぢずり誰故に」の歌を採つた。〕誰が故に、いつまで袖しぼりなむ。
おもひわびひとりふる野に鈴蟲の啼きもやあかす秋の夜な\/
かやうにかきて贈りければ、姫君御覽じて、「やさしの事や。」とて、返歌ありけり。
すゞ蟲のすゞろに物をおもふとて及ばぬ野邊に心かくるな


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次に、ひぐらし山陰の方より、
うつせみ〔日暮らし。茅蜩は蝉の一種であるからうつせみと云つたのである。うつせみは蝉のぬけがら。〕のもぬけに一首贈りまゐらせ候。
いつもたゞひぐらしのおく山陰をひと方ならず問ふ人もなし
玉蟲御返歌ありけり。
よそまでも夜は明けがたし日ぐらしの住む山陰に秋の來つらめ
この御返しを見て、「さてははや契らむこともいと難かるべし。」と、思ひに■(三水+冗:ちん:「沈」の異体字:17190)み、朝の露とぞ消えにける。


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其の後蝉の左大臣殿より、紅の花にふみかきそへて贈りけり。
過ぎにし頃、姫君をひと目見まゐらせ候より、心空にあこがれて、有明のつれなき命もはや消えまゐらせ候。
とて、一首かくなむ。
空蝉のもぬけの衣脱ぎおくぞたゞ君ゆゑとおもふ夜もなし
たまむし御覽じて、いと心細き樣より、かの君に心はより候へども、人目の關のはづかしければ、たゞ返しばかりありけり。
我もたゞ心はおなじ思へどもまた來む春をしばし待て君


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こゝに、いほ蟲〔螳■(虫偏+良:ろう::33108)の異名〕のへぼ入道〔生悟りの入道〕、心に思ふやう、「年よりといひ、しかも入道やうして、若き姫君の方へ玉章を贈らむこと恥かしくは思へども、戀のならひは、縁にまかせてある習ひなれば、かくのみ思ひ立ち候事も、前の世の縁ぞかし。」とて、文を通はす。
おそれなる申し事に候へども、此の道には、高きも賤しきも、老いたるも若きも、思ひ惑へる事はなし。かく申す入道に御靡き候へ。一は御利益りやく、二には人の思ひをかゝり候へば、末の世の障りとなるべし。昔志賀寺の上人〔東光寺の僧善祐寛平八年二條后に通じ罪せられた。〕は、八十三の歳御息所みやすみどころ二條后清和帝の后で藤原高子。〕を見そめ給ひてより、戀となり、御手を執りたまひて、讀み給ふと聞く。「初春の初音のけふの玉はゝき〔正月初子の日に蠶室を掃くため草帚で作つたもの。奈良朝時代のものは枝に玉を飾つたであらうと考へられて居る。〕手にとるからにゆらぐたまの緒。」〔萬葉集卷二十に出て居る大伴家持の歌。〕とあそばし、二條の后へ贈りたまへば、やがて御返歌に、「いざさらば眞の道にしるべして我を誘へゆらぐ玉の緒。」とかやあそばし、遂に一夜はなびき給ふと承る。姫君の御なびき候はずは、數多の蟲をたのみ、押寄せ奪ひとり申し候はむ時、われら怨みたまふなよ。
とて、一首かくなむ。
いほ蟲のいふこと聞かぬ玉蟲はいかなる鳥の餌ともなれかし
姫君このよし御覽じて、「あはれ、女の身ほど哀れなる事はよもあらじ。あのやうなる、いほ蟲入道などにさへ、玉章を得ることうさつらし。」とて、衣引きまとひうち臥したまふ。御乳母小蝶の前申しけるは、「情はさはなき御事にて候。ある歌にもよみ給ふ、
なさけには賤しき袖もなきものをもらさで宿れ夜半の月かげ
と候へば、御靡きの御返しは思召しより給はずとも、歌の返しばかり。」と申しければ、實にやと思ひ、むしん〔こゝでは無念の意味に用ゐてあるやうだ。〕にはおもへども、「さらば返歌ばかり。」とて、かくなむ。
いかにたゞおどすときかじいほ蟲のはいとるまでに我を思ふか
いほむし、かの御返歌を見て、「おどしそんじけり。」とて、其の儘にやみにけりとかや。


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次にきり\〃/すの帥のすけ〔帥は太宰帥。すけは権帥か大貳かを意味する。作者の無學か無頓著かから出た語だ。〕方より、文をまゐらせ候。
いつぞや垣ほのひまより、燈火のかげほの\〃/と見そめまゐらせ候後は、明けぬ暮れぬ盡きせぬ思ひ深く候まゝ、一筆まゐらせ候となむ。
きり\〃/すひとり啼くなる秋の夜の長きおもひを問ふ人もなし
姫君御覽じて、「文・歌の心もちやさしくは候へども、せいちひさく極めて聲高きものなり。」とて、たゞ御かへしばかりなり。
きり\〃/すいたくなわびそうき秋の思ひは我もおなじ心を


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次に、松蟲の左大臣殿の方より、玉章を通はしたまひけり。
初秋風を便りにて、心そらにあこがれて、雲ゆく月の御面影、身にうちそひて、今更忘れやらぬ戀草の身もうは枯れの野邊の露、消ゆるとすれば天雲の、晴るゝひまなく思へども、いつかは君をみよしのの、花の匂ひをわが袖にうつしもやせむと、心のみはや五月雨の、夜な\/のしぢ端書はしがき〔榻は牛車の轅を支へる臺。或る女に戀ひし男の心を試みると云ふので、女「百夜此の榻の上に來て寢よ。」と云つた。男九十九夜まで通つたが、百夜目に障る事があつて遂に通へなかつた故事がある。榻に毎夜來た印をつけたから端書と云ふ。〕數へつゝ、九十九つくも夜まで通ひつゝ、一夜をまたで死したりける、人の心も知られけり。たゞ悔しきは錦木の、朽ちも果てなむ〔後拾遺の歌「錦木は立てながらこそ朽ちにけれ今日の細布むねあはじとや。」〕夕暮の、くれ\〃/おもひ參らせ候へども、御面影忘れやらで、一首かくなむ。
わが戀は難波の浦の海人ごろもしほたれのみにぬるゝ袖かな
玉蟲姫御覽じて、「さても\/やさしき文の書きやうかな。古今萬葉伊勢物語源氏狹衣の御面影、今のやうに見えまゐらせ候。これほど心の細き君に、さのみつれなかるまじ。」とて返歌あり。
人もこそ心つよくもたまかづら〔蔓草の總稱。「繰る」にかけたのである。〕暮るゝ夕をわれもまたなむ
とありければ、松蟲なのめならず喜び、比翼連理の契り、偕老同穴のかたらひ淺からずと見えたりける。


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其の後蓑蟲の方より、
身づから參り候て申したうは候へども、一しやうたゞ一の身にて候まゝ、餘所の面目もはづかしくて、まづ文にて申しまゐらせ候。
數ならぬみのむしなれどたまむしと一夜の枕竝べてもがな
姫君聞しめされ、「古のひとりある身なりとも〔過去の獨身時代の身でも。今は松蟲に身を許したからかく云ふのだ。〕、あれていのものをとりあげ、再度いふことなかれ。おうのにはめ〔未詳〕、岩のものいふ世の中に、人の耳に入りなば、無き名〔無き浮名〕の立たむこと口惜しさよ。」とて、遂に返事もなし。


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その後、又此にこえむし〔肥料の中にすむ蟲。蛆蟲であらう。〕とて、あけくれ春秋のこえの中にすむ蟲、心に思ふやう、「なさけは人によらずあるものなり。其の上わが名も世の中の人をこえむし〔人を越える意。〕なれば。」とて、「いかでか玉蟲姫もなびかざるべき。」とて、墨すりながし、筆にそめ、頃は秋の中ばの事なるに、薄樣に紅葉重〔表紅、裏青。これは著物でなく紙の色であらう。〕ひきかさね、
はつのに薄ほのめきて、風を便りながら一筆まゐらせ候。雲のよそなる人故に海人小舟こがれて物を思ふかや。小夜千鳥ひとり枕のさびしきに、起臥の涙のゆかにうきぬべし。かやうの心をも御慰めたまひなば、さこそ嬉しくおもひ參らせ候。
とて、
かず\/のむしに御なびきたまはぬに、いかゞとはおもへども、一首かくなむ。
かず\/の蟲に心のおとらめやこのひめ君を我もこえむし
玉蟲姫御覽じて、「こは如何に。あけくれこえの中に住居する蟲の身として、おもひをかくる無念さよ。さりながらあまり心つきなき〔氣にくはない〕。」とて返しばかり。
世の中の人の噂の戀をのみ田の面のこえとおもふあはれさ
いかに平生一人の時も、御身のやうなる人に、おもひかけらるべきとは知らず。今ははやひとりならぬ身なるに、玉章たまはり候事不思議におもひ候。この水莖をば置きて殿に見せまゐらせむ。
とて、便をかへしけり。


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さて其の後のこりの蟲ども、「『はや人のもとに御出でわたらせたまふ。』と聞く程に、水ぐき歌かよはし候は口惜し。」とて、おの\/已みにけり。「末の世なれど、誰かは蟲と生れ來て、秋の思ひの音をやなくらむ。」とおもひつゞけて、一首かくなむ。
戀ひこふる蟲もうき世の人も皆のこらむものか秋の夕ぐれ
かやうに心なき蟲までも、うき世の中の思出おもひでに〔此の憂き世に生れた記念のために〕、戀を心にかけ、文・玉章を書きかよはし、歌をよみ、互になさけ〔戀の情〕を忘れじと契ることの葉も、たゞ人の心を和らげ、末もめでたかるべきまゝ、かやうにかきとゞめおくなり。

(*了)

   蜻蛉      鈴蟲      蟷螂  蟋蟀  松蟲  蓑蟲  蛆蟲  結語
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