[御伽草子目次]

浦島太郎

▼ 御伽草子 B-20
尾上八郎 解題、山崎麓 校註
『お伽草子・鳴門中將物語・松帆浦物語・鳥部山物語・秋の夜の長物語・鴉鷺合戰物語』
(校註日本文學大系19 國民圖書株式會社 1925.9.23)

※ ルビは<ruby><rt></rt></ruby>タグで表した。IE5 等で見える。


昔丹後の國に浦島といふもの侍りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり。あけくれ海のうろくづを取りて、父母ちゝはゝを養ひけるが、ある日のつれ\〃/に釣をせむとて出でにけり。浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし、貝をひろひ、みるめを刈りなどしける所に、ゑじまが磯といふ所にて、龜を一つ釣り上げける。浦島太郎此の龜にいふやう、「汝しゃうあるものの中にも、鶴は千年龜は萬年とて、いのち久しきものなり、忽ちこゝにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり、常には〔常にの語氣を強めた用法〕此の恩を思ひいだすべし。」とて、此の龜をもとの海にかへしける。
かくて浦島太郎、其の日は暮れて歸りぬ。又つぐの日、浦のかたへ出でて釣をせむと思ひ見ければ、はるかの海上に小船せうせん一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば〔留まり見れば〕、うつくしき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ著きにけり。浦島太郎が申しけるは、「御身いかなる人にてましませば、斯かる恐ろしき海上に、只一人乘りて御入り候やらむ。」と申しければ、女房いひけるは、「さればさるかたへ便船申して候へば、をりふし浪風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人ありて自らをば、此のはし舟〔はしけ舟、小舟〕に載せて放されけり、悲しく思ひ鬼の島へや行かむと、行きかた知らぬをりふし、只今人に逢ひ參らせ候、此の世ならぬ〔前世の〕御縁にてこそ候へ、されば虎狼も人をえんとこそし候へ。」とて、さめざめと泣きにけり。浦島太郎もさすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ綱をとりて引きよせにけり。
さて女房申しけるは、「あはれわれらを本國へ送らせ給ひてたび候へかし、これにて棄てられまゐらせば、わらはは何處いづくへ何となり候べき、すて給ひ候はば、海上にての物思ひも同じ事にてこそ候はめ。」とかきくどきさめ\〃/と泣きければ、浦島太郎も哀れと思ひ、おなじ船に乘り、沖の方へ漕ぎ出す。かの女房のをしへに從ひて、はるか十日あまりの船路を送り、故里へぞ著きにける。さて船よりあがり、いかなる所やらむと思へば、白銀しろがねの築地をつきて、黄金の甍をならべ、もんをたて、いかなる天上の住居すまひも、これにはいかで勝るべき、此の女房のすみ所詞にも及ばれず、中々申すもおろかなり。さて女房の申しけるは、「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁〔前の世からの因縁〕ぞかし、ましてやはるかの波路を、遙々とおくらせ給ふ事、偏に他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契りをもなしたまひて、おなじ所に明し暮し候はむや。」と、こま\〃/と語りける。浦島太郎申しけるは、「兎も角も仰せに從ふべし。」とぞ申しける。さて偕老同穴のかたらひもあさからず、天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならむと、互に鴛鴦のちぎり淺からずして、明し暮させ給ふ。さて女房申しけるは、「これは龍宮城と申すところなり、此所に四方に四季の草木さうもくをあらはせり。入らせ給へ、見せ申さむ。」とて、引具して出でにけり。まづ東の戸をあけて見ければ、春のけしきと覺えて、梅や櫻の咲き亂れ、柳の絲も春風に、なびく霞の中よりも、黄鳥うぐひすの音も軒近く、いづれの木末も花なれや。南面をみてあれば、夏の景色とうちみえて、春を隔つる垣穗かきほには、卯の花やまづ咲きぬらむ、池のはちすは露かけて、みぎは涼しきさゞなみに、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつゝ、空に鳴きぬる蝉の聲、夕立過ぐる雲間より、聲たて通るほとゝぎす、鳴きて夏とは知らせけり。西は秋とうちみえて、四方の梢紅葉して、ませ〔ませ垣、低い垣〕のうちなる白菊や、霧たちこもる野べのすゑ、まさきが露をわけ\/て、聲ものすごき鹿のねに、秋とのみこそ知られけれ。さて又北をながむれば、冬の景色とうちみえて、四方の木末も冬がれて、枯葉における初霜や、山々や只白妙の雪にむもるゝ谷の戸に、心細くも炭竃の、煙にしるき賤がわざ、冬としらする景色かな。かくて面白き事どもに心を慰め、榮華に誇り、あかしくらし、年月をふるほどに、三年みとせになるは程もなし。浦島太郎申しけるは、「我に三十日のいとまをたび候へかし、故里の父母をみすて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて心安く參り候はむ。」と申しければ、女房仰せけるは、「三とせが程は鴛鴦ゑんわうの衾のしたに比翼の契りをなし、片時みえさせ給はぬさへ、兎やあらむ角やあらむと心をつくし申せしに〔心遣ひをしましたのに〕、今別れなば又いつの世にか逢ひまゐらせ候はむや、二世の縁と申せば、たとひ此の世にてこそ夢幻ゆめまぼろしの契りにて候とも、必ず來世にては一つはちすの縁と生まれさせおはしませ。」とて、さめ\〃/と泣き給ひけり。又女房申しけるは、「今は何をか包みさふらふべき、みづからはこの龍宮城の龜にて候が、ゑじまが磯にて御身に命を助けられまゐらせて候、其の御恩報じ申さむとて、かく夫婦とはなり參らせて候。又これはみづからがかたみに御覽じ候へ。」とて、ひだりの脇よりいつくしき筥を一つ取りいだし、「相構へて〔決して〕この筥を明けさせ給ふな。」とて渡しけり。
會者定離ゑしゃぢゃうりのならひとて、逢ふ者は必ず別るゝとは知りながら、とゞめ難くてかくなむ、
日かずへてかさねし夜半の旅衣たち別れつゝ〔立つと衣を裁つとかけた。〕いつかきて見む〔來てと著てとをかけた。〕
浦島返歌、
別れゆくうはの空なる〔うはの空であるから空虚の意で、からと唐をかけた。〕から衣ちぎり深くば又もきてみむ
さて浦島太郎は互に名殘惜しみつゝ、かくてあるべき事ならねば、かたみの筥を取りもちて、故郷ふるさとへこそかへりけれ。忘れもやらぬこしかた行末の事ども思ひつゞけて、はるかの波路をかへるとて、浦島太郎かくなむ、
かりそめに契りし人のおもかげを忘れもやらぬ身をいかゞせむ
さて浦島は故郷へ歸りみてあれば、人跡絶えはてて、虎ふす野邊となりにける。浦島これを見て、こはいかなる事やらむと思ひける。かたはらを見れば、柴の庵のありけるにたち、「物いはむ〔一寸お伺ひしますの意〕。」と言ひければ、内より八十許りのいであひ、「誰にてわたり候ぞ。」と申せば、浦島申しけるは、「此所に浦島のゆくへ〔浦島のゆかり〕は候はぬか。」と言ひければ、申すやう、「いかなる人にて候へば、浦島の行方をば御尋ね候やらむ、不思議にこそ候へ、その浦島とやらむは、はや七百年以前の事と申し傳へ候。」と申しければ、太郎大きに驚き、「こはいかなる事ぞ。」とて、そのいはれをありのまゝに語りければ、も不思議の思ひをなし、涙を流し申しけるは、「あれに見えて候ふるき塚、ふるき塔こそ、その人の廟所と申し傳へてさふらへ。」とて、指をさして教へける。
太郎は泣く\/、草ふかく露しげき野邊をわけ、ふるき塚にまゐり、涙をながし、かくなむ、
かりそめに出でにし跡を來てみれば虎ふす野邊となるぞかなしき
さて浦島太郎一本ひともとの松の木陰にたちより、呆れはててぞゐたりける。太郎思ふやう、龜が與へしかたみの筥、あひ構へてあけさせ給ふなと言ひけれども、今は何かせむ、あけて見ばやと思ひ、見るこそ悔しかりけれ。此の筥をあけて見れば、中より紫の雲三筋のぼりけり。これをみれば二十四五のよはひも忽ち變りはてにける。
さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり、さてこそ七百年の齡を保ちけれ。明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ。
君にあふ夜は浦島が玉手筥あけて〔筥を明けてと夜が明けてとをかけた。〕悔しきわが涙かな
と歌にもよまれてこそ候へ。生あるもの、いづれも情を知らぬといふことなし。いはんや人間の身として、恩をみて恩を知らぬは、木石にたとへたり。情ふかき夫婦は二世の契りと申すが、まことにあり難き事どもかな。浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす〔仲間となつて居る。仙人の仲間であらう〕。龜は甲に三せきのいわゐをそなへ〔甲に三正(天地人)の祝ひを備へか〕、萬代よろづよを經しとなり。扠こそめでたきためしにも鶴龜をこそ申し候へ。只人には情あれ、情のある人は行末めでたき由申し傳へたり。其の後浦島太郎は丹後の國に浦島の明神と顯はれ、衆生濟度し給へり。龜も同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。
(*了)

[TOP][御伽草子目次]