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うたゝねの記

阿佛(1240頃)
群書類從 卷第331 紀行部5
(第18輯 昭3.4.25 續群書類從完成会)

〔 〕底本註、イ 異本、(* )入力者註
○ 仮名遣い・句読点を適宜改め、段落に分けて章題を任意に付した。
○ 以下のタグを参照のために加えている。ルビは IE5 で表示できる。
<ruby>語句<rt>よみ</rt></ruby>
○ 学術文庫本との校異を注記した。【参照】次田香澄『うたたね 全訳注』
(〈講談社学術文庫〉298 1978.11.10)に一覧がある。

 恋の回想  物詣  間遠の訪れ  薙髪・出奔  彷徨・桂女との出合い  尼寺の日々  愛宕移住  帰宅  東下り  遠江の家  乳母の文・帰京  / 奥書
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恋の回想

もの思ふことのなぐさむにはあらねども、ねぬよの友とならひにける月の光待出ぬれば、例のつまどおしあけてたゞひとりみ出したる、あれたる庭の秋(*の)露、かこちがほなる虫のねも、物ごとに心をいたましむるつま(*端緒)と也(*なり)ければ、心に亂れおつる泪をおさへて、とばかりこし方ゆくさきを思ひつゞくるに、「さもあさましくはかなかりける契りの程をなどかくしも思ひいれけん。」と、我心のみぞかへす\〃/うらめしかりける。
夢現ともわきがたかりし宵のまより、關守の打ぬる程をだにいたくもたどらず(*遠慮しない)なりにしや。打しきる夢のかよひ路は、一夜ばかりのとだえもあるまじきやうにならひにけるを、さるは月草のあだなる色をかねてしらぬにしもあらざりしかど、いかにうつりいかに染ける心にか、さも打つけにあやにくなりし心まよひには、「ふし柴の」(*懲る)とだに思ひしらざりける。
やう\/色づきぬ。秋の風のうきみにしらるゝ心ぞうたてくかなしき物なりけるを、おのづからたのむる宵はありしにもあらず。打過る鐘のひゞきをつく\〃/と聞ふしたるも、いけるこゝちだにせねば、げに今さらに「(*かへるあしたの)鳥はものかは」とぞ思ひしられける。さすがにたえぬ夢のこゝちは、ありしにかはるけぢめも見えぬものから、とにかくにさはりがちなるあしわけ船にて神無月にもなりぬ。降みふらずみ定なき頃の空のけしきは、いとゞ袖のいとまなき心ちして、おきふしながめわぶれど、絶てほどふるおぼつかなさの、ならはぬ日數の隔るも、「今はかくにこそ。」と思ひなりぬるよの心ぼそさぞ、なにゝたとへてもあかずかなしかりける。
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物詣

いとせめてあくがるゝ心催すにや、にはかにうづまさ(*広隆寺)に詣でんと思ひ立ぬるも、かつうはいとあやしく、佛のみ心の中はづかしけれど、二葉より參り馴にしかば、すぐれてたのもしき心ちして、心づからのなやましさも愁ひきこえむとにやあらむ。しばしば御前にともなる人々、「時雨しぬべし。はやかへり給へ。」などいへば、心にもあらずいそぎ出るに、ほうこんごう院(*法金剛院)の紅葉このごろぞさかりと見えて、いとおもしろければ、すぎがてにおりぬ。かうらんのつまの岩のうへにおりゐて、山の方をみやれば、木々の紅葉色々に見えて、松にかゝれるつたの心の色(*深い思いの色)もほかにもことなる心地していとみ所おほかるに、うきふるさとはいとゞわすられぬるにや、とみにもたゝれず。をりしも風さへ吹て、物さはがしくなりければ、みさすやうにてたつ程、
人しれず契りし中のことの葉を嵐ふけとはおもはざりしを
とおもひつゞくるにも、すべて思ひざまさる(*心の静まる。)ことなき心のうちならんかし。
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間遠の訪れ

歸りてもいとくるしければ、うちやすみたる程、「御ふみ。」とてとりいれたるも、むねうちさはぎてひきひろげたれば、たゞ今の空の哀にひごろのおこたり(*謝罪)をとりそへて、こまやかに書なされたる墨つき・筆のながれもいとみそ有と(*学術文庫−見どころあれど)、例の中々かきみだす心まよひに、ことの葉のつゞきもみえずなりぬれば、御かへりもいかゞ聞えけん。名殘もいと心ぼそくて、この御文をつくづくと見るにも、日比のつらさはみな忘られぬるも、「人わろき(*恥じられるような)心の程や。」とまたうちおかれて、
これやさはとふもつらさのかず\/に涙をそふる水莖の跡
例の人しれずなかみち(*通い路)ちかきそらにだに、たどたどしきゆふやみに契たがへぬしるべ(*証拠)ばかりにて盡せず、夢のこゝちするにも、いで(*さて)きこえんかたなければ、たゞいひしらぬ泪のみむせかへりたる。あか月(*ママ)にもなりぬ。枕に近き鐘の音も唯今の命をかぎる心ちして、我にもあらずおきわかれにし袖の露いとゞかこちがましくて、「君やこし」(*伊勢物語「君や来しわれや行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てかさめてか」)とも思ひわかれぬなかみちに、例のたのもし人にて(*頼りに思わせて)すべりいでゐるも、返す返す夢のこゝちなむしける。
彼處にはむめ(*ママ)きたの方わづらひ給けるが、つひにきえはて給にければ、そのほどのまぎれにや、またほどふるもことわりながら、いひしにたがふつらさはしも、ありしにまさる心地するは、「いかにおぼしまどふらん。」と、とりわきたりける御思ひの名殘もいと苦しくおしはかり聞ゆれど、あはれしる心の程中々聞えん方なくて、日數ふるいぶせさをかれ\〃/ぞ驚かし給つる。
「難面(*つれなき)よの哀さもみづから聞えあはせたく。」などあれば、例のうちゐる程の鐘の響に人しれずたのみをかくるも、おもへば淺ましく、「よの常ならずあだなる身のゆくへ、つひにいかになりはてむとすらん。」と、心ぼそく思ひつゞくるにも、「ありしながらの心ならましかば、うきたる身のとがもかうまでは思ひしらずぞ過なまし。」など思ひつゞくるに、今さら身のうさもやる方なく悲しければ、「今宵は難面(*つれなく)てやみなまし。」など思ひ亂るゝに、「例のまつほど過ぬるはいかなるにか。」と、さすがめもあはず、みじろぎふしたるに、かのちひさき童にや、しのびやかにうちたゝくを聞つけたるには、かしこく思ひしづむる心もいかなりぬるにか、やをらすべり出ゐるも、我ながらうとましきに、月もいみじくあかければ、いとはしたなき心地して、すいがいの折殘りたるひまにたちかくるゝも、彼ひたちのみやの御すまひ(*源氏物語・末摘花)思ひ出らるゝに、「いるかたしたふ人の御さまぞことたがひておはしけれど、立よる人の御面かげはしも、「里わかぬ光(*かげ)」にもならびぬべきこゝちするは、(*源氏物語の一節が)あながちに思ひ出られて、「さすがに覺し出るをりもや(*ありけむ)。」と、心をやりて思ひつゞくるに、はづかしきことも多かり。
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薙髪・出奔

しはすにもなりぬ。雪かきくらして風もいとすさまじき日、いととくおろしまはして、人二三人ばかりして物語などするに、「夜もいたく更ぬ。」とてひとはみな寢ぬれど、露まどろまれぬに、やをら起出てみるに、宵には雲がくれたりつる月の浮雲まがはず也(*なり)ながら、山のは近きひかりほのかにみゆるは七日の月なりけり。「みし夜のかぎりも今宵ぞかし。」と思ひいづるに、たゞそのをりのこゝちして、さだかにもおぼえずなりぬる御面かげさへさしむかひたる心ちするに、まづかきくらす涙に月の影もみえずとて、「佛などの見え給つるにや。」と思ふに、はづかしくもたのもしくも成ぬ。さるは月日にそへてたへ忍ぶべき心ちもせず、こゝろづくしなることのみ増れば、「よしや思へばやすき。」と、ことわりに思ひ立ぬる心のつきぬるぞ、有し夢のしるしにやとうれしかりける。「今はと物を思ひなりにしも」といへばえに(*言うに言われず)悲しきことおほかりける。
春ののどやかなるに何となくつもりにける手ならひのほんご(*反古)などやりかへすついでに、かの御文どもをとりいでてみれば、梅がえの色づきそめし初より冬草かれはつる迄、をり\/の哀忍びがたきふし\〃/を打とけて聞えかはしけることの積ける程も、「今は」とみるはあはれ淺からぬなかに、いつぞや、「つねよりもめとゞまりぬらんかし。」とおぼゆる程に、こなたのあるじ、「今宵はいとさびしく、物おそろしき心ちするに、爰にふしたまへ。」とて、我かたへもかへらず成ぬ。「あなむつかし。」とおぼゆれど、せめて(*非常に)心の鬼(*自身の不安・動揺)もおそろしければ、「かへりなん。」ともいはでふしぬ。
人はみな何心なくねいりぬる程に、やをらすべり出れば、ともし火の殘て心ぼそきひかりなるに、「人や驚かん。」とゆゝしくおそろしけれど、たゞしやうじひとへを隔たる居どころなれば、ひるよりよういしつるはさみばこのふたなどのほどなく手にさはるもいとうれしくて、かみを引分るほどぞさすがおそろしかりける。そぎおとしぬれば、このふたにうち入て、かき置つる文などもとりぐしておかむとする程、いでつるしやうじ口より火の光のなほほのかにみゆるに、文かきつくる硯のふたもせで有けるがかたはらにみゆるを引よせて、そぎおとしたるかみをおしつゝみたるみちの國紙のかたはらに、たゞうち思ふことを書つれど、外なるともしびの光なれば、筆のたちど(*書きつける場所)もみえず。
なげきつゝ〔わびイ〕(*扶桑拾葉集)身を早きせの底とだにしらず迷はん跡ぞ悲しき
身をもなげてんと思ひけるにや、たゞ今も出ぬべきこゝちして、やをらはしをあけたれば、つごもり比の月なき空に、天雲さへたちかさなりて、いとものおそろしうくらきに、夜もまだふかきに、とのゐ人さへ折しも打こはづくろふも「むつかし。」と聞ゐたるに、「かくても人にやみつけられん。」とそらおそろしければ、もとのやうにいりてふしぬれど、かたはらなる人うちみじろぎだにせず。さき\〃/も、とのゐびとの夜ふかくかどをあけて出るならひ也ければ、その程を人しれずまつに、こよひしもとくあけていでぬるおとすれば(*出でぬ)。さるは心ざす道もはか\〃/しくも覺えず。爰も都にはあらず、北山の麓といふ處なれば、ひとめしげからず。木の葉のかげにつきて、夢のやうにみおきし山ぢをたゞ獨行こゝち、いといたくあやうくおそろしかりける。山びとのめにもとがめぬまゝに、あやしくものぐるほしきすがたしたるも、すべて現のことともおぼえず。
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彷徨・桂女との出合い

さてもかのところ(*目指す所)にし山の麓なれば、いとはるかなるに、夜なかより降いでつる雨の、明るまゝにしほしほとぬるゝ程になりぬ。故里(*実家)よりさがのわたり迄は、すこしもへだたらずみわたさるゝほどの道なれば、さはりなくゆきつきぬ。夜もやう\/ほの\〃/とする程に成ぬれば、みちゆきびともこゝもとはいとあやしととがむる人もあれば、物むつかしくおそろしき事このよにはいつかはおぼえむ。たゞ一すぢになきになしはてつる身なれば、あしのゆくにまかせて、はや山ふかく入なむと打もやすまぬままに、苦しくたへがたきことしぬばかり也。いるあらしの山の麓にちかづくほど、雨しるべにやゆゝしく降まさりて、むかへの山をみれば、雲のいくへともなくおりかさなりて、ゆくさきもみえず。からうじてほうりんのまへ過ぬれば、はては山路にまよひぬるぞすべきかたなきや。をしからぬ命も、たゞ今ぞ心ぼそく悲しき。いとゞかきくらす泪の雨さへふりそへて、こしかたゆくさきも見えず、思ふにもいふにもたらず。今とぢめはてつる命なれば、身のぬれとほりたること、伊勢の白水郎にもこえたり。
いたくまはりはてにければ、松風のあら\/しきをたのもし人にて、これも都のかたよりとおぼえて、みのかさなどきてさえづりくる女あり。こわらはのおなじこゑなるともの語する也けり。これやかつらの里のひとならんと見ゆるに、たゞあゆみにあゆみよりて、「是は何人ぞ。あな心う。御前は人のてをにげいで給か。またくちろむなどをし給たりけるにか。何故かゝるおほ雨に降れてこの山中へ出給ぬるぞ。いづくよりいづくをさしておはするぞ。あやし、あやし。」とさえづる。なにといふこゝろにか、したをたび\/ならして、「あな、いとほし\/。」とくり返しいふぞうれしかりける。しきりに身のありさまを尋れば、「これは人を恨るにもあらず。またくちろむとかやをもせず。たゞ思ふこと有てこの山のおくにたづぬべきこと有て夜ふかく出つれど、雨もおびたゞしく、山路さへまどひてこしかたもおぼえず。ゆくさきもえしらず。しぬべき心地さへすれば、爰によりゐたるなり。おなじくはそのあたり迄みちびき給ひてんや。」といへば、いよ\/いとほしがりて、手をひかへてみちびく情のふかさぞ佛の御しるべにやとまで、うれしくありがたかりける。
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尼寺の日々

ほどなく送りつけてかへりぬ。まちとる處にも「あやしくものぐるほしきものゝさまかな。」とのみおどろく人おほかるらめなれども、かつらの里のひとの情におとらめやは。さま\〃/にたすけあつかはるゝほど、山路はなほ人のこゝちなりけるが、「今は。」とうちやすむほど、すべてこゝちもうせて、露ばかり起もあがられず。いたづらものにてふしたりしを、都人さへ思ひのほかにたづねしる便ありて、三日ばかりはとにかくにさはりしかども、ひとひに本意とげにしかば、一すぢにうちもうれしく思ひなりぬ。
さてこの所をみるに、「うき世ながらかゝるところも有けり。」とすごく思ふさまなるに、おこなひなれたるあま君たちのよひ曉のあかおこたらず、爰かしこにせぬれい(*振鈴)のおとなどを聞につけても、「そゞろにつもりけん年月のつみも、かゝらぬ所にてやみなましかば、いかにせまし。」と思ひ出るにぞ、みもゆるこゝちしける。故里の庭もせにうきをしらせし秋風は、ほけ三まいの峯の松風に吹かよひ、ながむるかどに面かげと見し月影は、りやうじゆせん(*霊鷲山)の雲ゐはるかに心を送るしるべとぞなりにける。
捨て出しわしのみ山の月ならで誰をよな\/戀わたりけん
ゆたのたゆたに(*ゆったりと)物をのみ思ひくちにしはては、うつゝ心もあらずあくがれそめにければ、さま\〃/世のためしにもなりぬべく、おもひのほかにさすらふる身のゆくへを、おのづから思ひしづむる時なきにしもあらねば、かりのよの夢の中なるなげきばかりにもあらず、「くらきよりくらきに」たどらむながきよのまどひをおもふにも、いとせめて悲しけれど、心は心として「猶おもひ馴にしゆふぐれのながめに打そひて、ひと方ならぬ恨もなげきも、せきやるかたなきむねのうちを、はかなき水莖のおのづから心のゆく便もや。」とて、ひとしれず書ながせど、いとゞしき泪のもよほしになむ。いでや、おのづから大かたのよの情をすてぬなげの哀(*かりそめの同情)ばかりを折々にちりくることの葉も有しにこそ、露のいのちをもかけて、今日までもながらへてけるを、うきよの人のつらき僞にさへならひはてにけることも有にや、おなじ世ともおぼえぬ迄に隔りはてにければ、ちかの鹽がま(*千賀の塩竈)もいとかひなきこゝちして、
みちのくのつぼのいしぶみ(*壺の碑)かき絶て遙けき中と成にける哉
日ごろ降つる雨のなごりにたちまふ雲まのゆふづく夜のかげほのかなるに、「おしあけがたならねど、うき人しも」とあやにくなるこゝちすれば、つまどはひきたてつれど、かどちかくほそき川の流れたる水のまさるにや、常よりもおとする心地するにも、いつのとしにかあらん、此川の水の出たりしに、人しれず波をわけしことなど、たゞ今のやうにおぼえて、
思ひ出る程にも波はさはぎけりうきよをわけて中川の水
あれたる庭に呉竹のたゞすこし打なびきたるさへ、そゞろにうらめしきつまとなるにや。
よとともに思ひ出れば呉竹の恨めしからぬそのふしもなし
「おのづから、ことのついでに。」などばかりおどろかし聞えたるにも、「よのわづらはしさに、思ひながらのみなん、さるべきついでもなくて、みづから聞えさせず。」など、なほざりに書すてられたるもいと心うくて、
消はてん煙ののちの雲をだによもながめじな人めもるとて
とおぼゆれど、こゝろのうちばかりにてくたしはてぬるは、いとかひなしや。

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愛宕移住

そのころこゝちれいならぬことありて、命もあやうきほどなるを、こゝながらともかくもなりなばわづらはしかるべければ、思ひかけぬたよりにて、おたぎ(*愛宕)の近き所にてはかなき宿りもとめいでてうつろひなんとす。「かく。」とだに聞えさせまほしけれど、とはず語もあやしくて、なく\/かどをひきいづるをりしも、先にたちたる車あり。さきはなやかにおひて、ごぜんなどことごとしくみゆるを、「たればかりにか。」とめとゞめたりければ、彼ひとしれず恨きこゆる人なりけり。かほしるき隨身などまがふべうもあらねば、かくとはおぼしよらざらめど、そゞろに車の中はづかしく、はしたなきこゝちしながら、今一たびそれとばかりもみ送り聞ゆるは、いとうれしくもあはれにも、さま\〃/むねしづかならず。つひにこなたかなたへ行別れ給ふ程、いといたうかへりみがちに彼處にゆきつきたれば、兼て聞つるよりもあやしく、はかなげなる所のさまなれば、いかにしてたへ忍ぶべくもあらず。暮はつる空のけしきもひごろにこえて心ぼそくかなし。宵ゐすべき友もなければ、あやしくしきも定めぬとふのすがごも(*十編の菅薦)にたゞひとり打ふしたれど、とけてしもねられず。
はかなしなみじかき夜はの草枕結ぶともなきうたゝねの夢
ひごろふれど問くる人もなし。心ぼそきまゝにきやう(*経)つとてに持たる計ぞたのもしきともなりける。「せかいふらうこ〔世界不牢固〕。」と有ところをしひて思ひつゞけてぞ、うき世のゆめもおのづからおもひさますたよりなりける。
けふかあすかと心ぼそき命ながら、卯月にもなりぬ。いざよひの光まち出て程なき窓のしとみだつものもおろさず、つく\〃/とながめいでたるに、はかなげなる垣ねの草にまどかなる月影に、ところがらあはれすくなからず。
おく露の命まつまのかりの庵にこゝろぼそくもやどる月影
いづくにかあらん、かすかに笛の音のきこえくる。かの御あたりなりしねにまよひたるこゝちするにも、きとむねふたがるこゝちするを、
待なれし故里をだにとはざりし人はこゝまで思ひやはよる

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帰宅

さても猶うきにたへたる命のかぎり有ければ、やう\/心ちもおこたりざまになりたるを、「かくてしもや。」とてまた故郷にたちかへるにも、まつならぬ梢だにそゞろにはづかしくみまはされて、
消かへりまたはくべしと思ひきや露の命の庭の淺ぢふ
なげきながらはかなく過て秋にもなりぬ。ながき思ひのよもすがらやむともなききぬたの音、寢屋ちかききり\〃/すのこゑの亂れも、ひと方ならぬねざめの催しなれば、「壁にそむけるともし火のかげ」ばかり友として、あくるをまつもしづごゝろなく、盡せぬ泪の雫は「窓うつ雨よりも」なり。いとせめてわびはつるなぐさみに、「さそふ水だにあらば」と朝夕のこと草に成ぬるを、そのころ後の親とかたのむべきことはりも淺からぬひと(*養父、平度繁)しも、遠つあふみとかや、聞もはるけき道を分て、「都のものもうでせん。」とてのぼりきたるに、何となくこまやかなる物語などするついでに、「かくてつく\〃/とおはせんよりは、ゐなかの住ひもみつゝなぐさみたまへかし。かしこも物さはがしくもあらず。心すまさんひとはすみぬべきさまなる。」など、なほざりなくいざなへど、さすがひたみちにふりはなれなん都のなごりも、いづくをしのぶこゝろにか、心ぼそくおもひわづらはるれど、「あらぬすまひに身をかへたると思ひなして。」とだに、「うきをわするゝたよりもや。」とあやなく思ひたちぬ。

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東下り

くだるべき日にもなりぬ。よふかくみやこを出なんとするに、ころは神無月の廿日あまりなれば、有明の光もいと心ぼそく、風の音もすさまじく身にしみとほる心ちするに、人はみな起さはげど、人しれずこゝろばかりには、「さてもいかにさすらふるみのゆくへにか。」と、たゞ今になりては心ぼそきことのみおほかれど、さりとてとゞまるべきにもあらねば出ぬるみちすがら、先かきくらす泪のみさきにたちて、こゝろぼそく悲しきことぞ、なにゝたとふべしとも覺えぬ。ほどなく逢坂山になりぬ。おとに聞し關の清水も、たえぬ涙とのみ思ひなされて、
越わぶる逢さか山の山水はわかれにたへぬ涙とぞ見る
あふみの國野路といふ處より雨かきくらしふり出て、みやこの山をかへりみれば、霞にそれとだにみえず。隔りゆくもそゞろに心ぼそく、「何とて思ひ立けん。」とくやしきこと數しらず。とてもかくてもねのみなきがちなり。
すみわびて立わかれぬる故里もきてはくやしき旅衣かな
道のほどめとゞまる所々おほかれど、こゝはいづく\/ともけぢかくとふべき人もなければ、いづくの野も山もはる\〃/とゆくを、とまりもしらず、人のゆくにまかせて、ゆめぢをたどるやうにて日數ふるまゝに、さすがならはぬひなのながぢに、おとろへはつる身もわれかのこゝちのみして、みの・おはりのさかひにもなりぬ。すのまたとかや、ひろ\〃/とおびただしき河あり。ゆきゝのひとあつまりて舟をやすめずさしかへるほど、いとところせう、かしがましく、おそろしきまでのゝしりあひたり。からくしてさるべき人みな渡りはてぬれど、ひと\〃/もこしや馬とまちいづるほど、河のはたにおりゐて、つく\〃/とこしかたをみれば、あさましげなる賤の男ども、むつかしげなるものどもをふねにとりいれなどする程、なにごとにか、ゆゝしくあらそひて、あるひは水にたふれいりなどするにも、見なれずものおそろしきに、「かゝるわたりをさへ隔はてぬれば、いとゞ都の方はるかにこそなりゆくらめ。」と思ふには、いとゞなみだおち増りてしのびがたく、かへらむほどをだにしらぬこゝろもとなさよ。過ぎつる日數のほどなきに、とまる人々のゆくすゑをおぼつかなく戀しきこともさま\〃/なれど、隅田がはらならねば、こととふべきみやこ鳥もみえず。
思ひいでゝ名をのみ慕ふ都鳥あとなき[1字欠](*波か)にねをやなかまし
此國になりては、おほきなるかはいとおほし。なるみのうらのしほひがた、音にきゝけるよりもおもしろく、濱ち鳥むら\/にとびわたりて、海士のしわざにとしふりにける鹽がまどものおもひ\/にゆがみたてるすがたども、みなれずめづらしきこゝちするにも、「思ふことなくて都のともにもうちぐしたる身ならましかば」と、人しれぬこゝろのうちのみさまざまくるしくて、
これやさはいかになるみの浦なれば思ふ方には遠ざかる覽
みかはの國八はしといふところをみれば、これも昔にはあらずなりぬるにや、はしもたゞひとつぞみゆる。かきつばたおほかる所と聞しかども、あたりの草もみなかれたるころなればにや、それかとみゆる草木もなし。なりひらのあそんの「はる\〃/きぬる。」となげきけんも思ひ出らるれど、「つましあれば」にや、さればさらんとすこしをかしくなりぬ。

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遠江の家

みやこいでてはるかになりぬれば、かの國の中にもなりぬ。はまなのうらぞおもしろきところなりける。波あらきしほの海路、のどかなる水うみのおちゐたるけぢめに、はる\〃/と生つゞきたる松のこだちなど、繪にかゝまほしくぞみゆる。おちつきどころのさまをみれば、こゝかしこ(*お)なじかや屋どもなど、さすがにせばからねど、はかなげなるあしばかりにて結びおけるへだてどもゝ、かげとまるべくもあらず。かりそめなれど、げに「みやもわらやも」と思ふには、かくてしもなか\/にしもあらぬさま也。うしろは松ばらにて、前はおほきなる河のどかに流れたり。海いと近ければ、湊のなみこゝもとにきこえて、鹽のさすときは、この河の水さかさまに流るゝやうに見ゆるなど、さまかはりていとをかしきさまなれど、いかなるにか、こゝろとまらず。日數ふるまゝに都のかたのみ戀しく、ひるはひめもすにながめ、よるは夜すがら物をのみ思ひつゞくる。あらいその波のおとも枕のもとにおちくるひゞきには、心ならずも夢のかよひぢたえ果ぬべし。
心からかゝる旅ねになげくとも夢だにゆるせおきつしら波
不二の山はたゞこゝもとにぞみゆる。雪いとしろくてこゝろぼそし。風になびくけぶりのすゑもゆめのまへ(*「ゝ」か。)に哀なれど、「うへなきものは」と思ひけつこゝろのたけぞものおそろしかりける。かひのしらねもいとしろくみわたされたり。

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乳母の文・帰京

かくてしも月の末つかたにもなりぬ。都のかたより文どものあまたあるをみれば、いとをさなくよりはぐくみし人(*乳母)、はかなくも見すてられて、心ぼそかりし思ひに、やまひになりてかぎりになりたるよしを、とりのあとのやうに(*たどたどしい筆跡で)書つゞけておこせたるをみるに、哀にかなしくて、よろづをわすれて、いそぎのぼりなんとするは、人のおもふらんことゞものさはがしくかたはらいたければ(*かたはらいたけれど)、とにかくにさはるべき心ちもせねば、にはかにいそぎたつを、「道をいと氷とぢて、さはりがちにあやうかるべきを。たゞ今はか\〃/しきうちそふひともなくて。」など、さま\〃/とゞむる人も多かりければ、思ひわびてねのみなかるゝを、みるひとも心ぐるしくとて、ともすべきものどもなど、誰かれと定めてのぼるべきになりぬ。いとうれしけれど、「とにかくに思ひわけにしことなく、なにと又みやこへかへらん。」とあぢきなくものうし。こゝとてもまた立歸らむ事もかたければ、ものごとになごりおほかるこゝちするにも、うちつけにものむつかしき心のくせになむ。つねより居つるはしらのあら\/しきがなつかしからざりつるも、立はなれなんはさすがに心ぼそくて、人みわくべくもあらず。ちひさく書つくれど、「めはやき山賤もや。」とつゝましながら、
忘るなよあさきのはしらかはらずはまたきて馴る折も社(*こそ)あれ
このたびはいと人ずくなに心ぼそけれど、都をうしろにてこしをりのこゝちには、こよなく日數のすぐるも戀しきこゝちするぞ、あやにくに我こゝろより思ひたちていでぬれど、われながら定めなく旅の程も思ひしられざれど、いとはずに日數もうらゝかにとゞこほる所もなかりけるを、ふはの關になりて雪ただふりに降くるに、風さへまじりて吹雪もかきくれぬれば、關屋ちかくたちやすらひたるに、關守のなつかしからぬおもゝちとりにくく、「なにをがなとゞめん。」とみいだしたるけしきもいとおそろしくて、
かきくらす雪まをしばしまつ程にやがてとゞむるふはの關守
京に入日しも雨降いでて、鏡の山も曇りてみゆるを、くだりしをりもこの程にて雨降出たりしぞかしと思ひいでて、
このたびは曇らば曇れ鏡山ひとをみやこのはるかならねば
かくおもひつゞくれど、誠にかの「人を都」はちかき心のみばかりにて、いつを限りにと思ひかへすぞ、またかきくらす心ちしける。日たくるまゝに、雨ゆゝしく晴て、しろき雲おほかる山おほかれば、「いづくにか。」と尋ぬれば、「ひらの高ねやひえの山などに侍る。」といふを聞に、はかなき雲さへなつかしくなりぬ。
きみもさはよそのながめやかよふらん都の山にかゝる白雲
暮はつるほどにゆきつきたれば、思ひなしにや。こゝもかしこもなほあれまさりたる心ちして、所々もりぬれたるさまなど、なにゝ心のとゞまるべくもあらぬをみやるも、「いとはなれまうきあばらやの軒ならん。」と、そゞろにみるもあはれなり。おい人はうちみえてこよなくおこたりざまにみゆるも、「うきみをたればかりかうまでしたはん。」と哀も淺からず。その後は身をうき草にあくがれし、こゝろもこりはてぬるにや、つく\〃/と「かゝる蓬がそまに朽はつべき契こそは。」と、身をも世をも思ひしづむれど、したはぬこゝちなれば又なりゆかむはていかゞ。
我よりは久しかるべき跡なれど忍ばぬ人はあはれともみじ


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奥書

右轉寢記以扶桑拾葉集校合了

(*了)

 恋の回想  物詣  間遠の訪れ  薙髪・出奔  彷徨・桂女との出合い  尼寺の日々  愛宕移住  帰宅  東下り  遠江の家  乳母の文・帰京  / 奥書
【本文の仮名遣いの例】 をしあく(押し開く・押し明く)、をさふ(押さふ)、をのづから、おり(折)、をこたり・をこたる(怠)、をく(置く)、つゐに(遂に)、ことはり(理)、をしはかる、ゆくゑ(行方)、ちいさし(小さし)、すまゐ(住まひ)、つゐで(序)、むづかし、なを(猶)、をと(音)、おし(惜し)、いとおし、とをる(〈濡れ・滲み〉通る)、ものぐるをし、をこなふ(行ふ)、しゐて(強ひて)、おさなし(幼し)
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