南海地震

1.富士山の活動と南海地震

 宝永4年(1707年)に宝永大地震(M8,4)があって一ヵ月半後、宝永の噴火が始まった。富士山は駿河トラフの延長である入山瀬断層に近く、南海地震が発生したときには、入山瀬断層も動き、富士山の噴火が心配される。それは次のように考えるからである。駿河トラフや入山瀬断層が動くと富士山付近の地殻の圧力が解放され、富士山の下にあるマグマ溜りの圧力も下がる。マグマの中では発泡が進み、マグマの浮力が大きくなり、上昇する。マグマは地表への出口をつくり噴火する。
 プレートテクトニクス
 地球のマントルからわきだした物質が冷えて、厚さ70〜100kmのかたい板になったものをプレートと呼ぶ。地球はいくつかのプレートに覆われ、プレートとプレートの相互作用によって地震、火山、地殻変動などの現象を解明する考え方をプレートテクトニクスと呼んでいる。(下図参照)
 南海地震のような巨大地震は海洋性のフィリピン海プレートが大陸性のユーラシアプレートへのもぐりこみ境界(サブダクションゾーン)でくりかえし発生する。現在も、御前崎周辺では、年間約5mmの沈降が行われ、ひずみが確実に蓄積されている。ひずみエネルギーの蓄積が大きくなると、もとに戻ろうとする弾性力が大きくなり、はねかえる。したがって、南海地震が発生するのは確かだが、何時発生するかという予知は難しい。
 南海トラフはフィリピン海プレートがユーラシアプレートへもぐりこむ境界である。南海トラフが動く巨大地震は連動して起こることが多く、南海地震と呼んでいる。 南海トラフの駿河湾の部分を駿河トラフと呼び、発生する地震を東海地震と呼んでいた。南海トラフには、駿河湾側から東海地震、東南海地震、南海地震が発生すると区分されていたが、これらの地震は連動して起こるので、南海地震と呼ぶようになった。南海地震はM 9クラスの巨大地震である。
2004年12月26日に起きたインドネシアのスマトラ沖大地震(M 9)、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災 M 9)などトラフの地震活動が活発である。南海地震は数十年以内に発生するのではと、心配されている。

プレートテクトニクスの説明図 富士山周辺のプレートとトラフ
プレートテクトニクス 日本付近のプレートと海溝・トラフ

過去に起きた南海地震

地震名・西暦 緯度経度 マグニチュード 被害など
元弘地震(1331年) 33,7°N 135,2°E M>7 伊の国千里浜が隆起して陸地となった。
明応地震(1498年) 34,0°N 138,0° E M8,2〜8,4 津波が紀伊から房総をおそう。伊勢志摩で溺死1万,静岡県志太郡で溺死2万6千
慶長地震(1605年) 33,5°N 138,5°E M7,9 津波が太平洋岸を襲う。浜名湖周辺で死者多数、紀伊西岸で死者1500余
宝永地震(1707年) 33,2°N 135,9°E M8,4 被害は東海道,伊勢湾,紀伊半島で最もひどく、津波も発生、死者2万、潰家6万、流失家2万
安政地震(1854年) 34,0°N 137,8°E M 8,4 被害は関東から近畿に及ぶ、津波が房総から土佐までの沿岸を襲う、死者3千
南海地震(1944)※ 33,8°N 136,6°E M7,9 静岡・愛知・三重などで合わせて死・不明1223、紀伊半島東岸で30〜40cm地盤が沈下した。

※南海地震では駿河トラフは動かず、エネルギーは解消されなかった、と言われている。

南海地震の発生間隔

地震と地震 発生間隔
元弘地震(1331年)と明応地震(1498年) 167年
明応地震(1498年)と慶長地震(1605年) 107年
慶長地震(1605年)と宝永地震(1707年) 102年
宝永地震(1707年)と安政地震(1854年) 147年
    安政地震までの間隔平均 131年
安政地震(1854年)と南海地震(1944) 90年
南海地震までの間隔平均 123年

南海地震予知ー@
 1944年の南海地震の際には駿河トラフは動かなかったと言われているので、元弘地震から安政地震までについての資料から予知を考える。
安政地震  1854年 + 最短発生間隔 102年 =1956年 今年西暦2018年ですから、通過している。
安政地震  1854年 + 平均発生間隔 131年 =1985年 今年西暦2018年ですから、通過している。
安政地震  1854年 + 最長発生間隔 167年 =2021年 今年西暦2018年ですから、一番長い間隔を考えても残り少なくなった。
 過去の南海地震間隔から南海地震を予知するのは大変難しい。微小地震の観測や土地の隆起、沈降などの観測網が密に設置されているので、南海地震が近くなると観測資料から、直前の前兆現象がキャッチできると思われる。例えば御前崎周辺における年間約5mmの沈降が止まる。大きい地震の前にその震源域で地震の活動が低下し(空白域)、その周辺で逆に活動が増加する(ドーナッツパターン)などである。

海地震予知ーA(楽観的な考え)
 南海地震(1944年)の当日、たまたま国土地理院が静岡県掛川市付近で測量をしていて、前日の値と比べて、6mm/kmを超えるような誤差を観測した。この誤差は、御前崎のほうが持ち上がり、地殻が傾いたためである。すでにゆっくりとした南海地震の動きが始まっていたと考えられる。駿河トラフは南海地震によって動いたのではないかと考えるのである。もし南海地震で駿河トラフの蓄積されたひずみが解消されたとすると、次の南海地震が発生するのは、南海地震 1944年 + 平均発生間隔 123年 =2067年となる。 

2.プレート内の活断層と地震 Active fault and earthquake

 2000年10月6日の鳥取県西部地震(M7.3)を起こした震源断層は北西から南東方向へ延びる長さ約20kmの左横ずれ断層であった。地震は震源断層が動くことによって起こる。
 断層のうち、くりかえし活動し、将来も活動することが推定されるものを活断層と呼んでいる。南海地震のように、大陸性プレートと海洋性プレートの境界に発生する地震は約100年の周期で発生するのに対して、プレート内の活断層は約1000年に1回くらいの周期で活動する(数万年のものもあるようだ)。このような活断層ができ始めたのは、日本列島がフィリッピン海プレートや太平洋プレート等の力を受けるようになった第四紀のはじめ頃からと考えられている。多くの活断層はくりかえし活動するので、ずれが蓄積されて地形に残るものがある。(写真 石廊崎断層)

伊豆半島沖地震を起こした石廊崎断層の写真 濃尾地震の根尾谷断層の写真
石廊崎断層
 伊豆半島沖地震(1974年)の石廊崎断層。山なみの尾根や谷が矢印の断層で右にずれている。地形でわかる右ずれ断層の例である。
根尾谷断層
 M8.0の濃尾地震(1891年)の有名な根尾谷断層。岐阜県の根尾村を中心に長さが80km、縦ずれが5.5m、横ずれが2.5mあった。大きな震源断層が地表に現れた例である。写真中央で道路が断層によってずれている。


 鳥取県西部地震を起こした震源断層はこれまで地形に現れず、存在がわからなかった。東京大学地震研究所の解析によると、鳥取県西部地震の水平方向のずれは1.6mと計算されているが、そのずれが、そのまま地表面には現れていない。解析によるずれは、震源の断層面のずれであって、小さな地震であったり、その地表に軟弱な厚い堆積層があったりすると、震源断層のずれは地表面に現れない。
 震源断層が地表に現れたとき、これを地震断層と言っている。地震断層、震源断層、活断層などと表現したが気にしないで読んでいただきたい。
 地表に現れた活断層はそのずれの違いによって次のように分けられる。(下図参照)
横ずれ活断層
   左横ずれ断層:断層を境にして一方の側に立ったとき、向こう側の地域が左に動いたもの。
   右横ずれ断層:断層を境にして一方の側に立ったとき、向こう側の地域が右に動いたもの。
縦ずれ活断層
   正断層:断層面を境にして上に乗った方が下へずれたもの。
   逆断層:断層面を境にして上に乗った方が上へずれたもの。
 断層には横ずれ成分,縦ずれ成分ともにあるのが普通だが、横ずれ成分が縦ずれ成分より大きければ横ずれ活断層、縦ずれ成分が横ずれ成分より大きければ縦ずれ活断層と言う。

横ずれ断層と縦ずれ断層の説明図 地殻に加わる力と横ずれ断層の関係を示す図

断層のトレンチ(掘削)調査
 断層が通っている土地を深く掘り、断層の向きと直角方向の断面を出して調査すると、下図のように過去の地震活動を知ることができる。北伊豆地震( 1930年11月 M7.3)を起した丹那断層はトレンチ調査が行われた。この調査で、鬼界アカホヤとよばれる6300年前の火山灰(薩摩半島の南の海中)、2900年前のカワゴ平軽石(天城火山)、2500年前の砂沢スコリア(富士山)など、時代のわかるテフラが見つかり、また木片の放射性炭素の分析から、6000年前から現在まで9回の地震断層の活動が読み取れた。丹那断層は多少の誤差はあるが700年間隔で地震を起こしていることになり、とうぶん活動の心配はない。北伊豆地震(1930年)の前の活動は六国史の1つ「続日本後紀」に書かれている伊豆国の大地震(841年 承和8年)であることが、トレンチ調査で確かめられている。

断層を掘ると何がわかるか、説明図。