橋本 了
1988年度作品
[オープニング]
タイトルに続いて新宿マイ・シティ前の雑踏が画面に現れる。八
月上旬の土曜の午後で、ぬけるような青空がひろがっている。(現
実音に代わってスティーヴ・ウィンウッドの『ヴァレリー』が流れ
はじめる)
[新宿国際会館近くの小路]
(音楽続く)
鞄屋や古着屋と並んで、小さな中古カメラ屋が店を開いている。
一人の男がその店の前を足早に通りすぎようとして、ふと立ち止ま
る。
男の名は山中昭彦。この物語の主人公の一人だ。彼の視線はウィ
ンドウの片隅に置かれたサイレント・8ミリ・フィルム・カメラに
注がれている。(音楽遠のく)
山中は腕時計で時刻を確かめるとカメラ屋の店内に入ってゆく。
[カメラ屋店内]
店員は三十歳位の男性一人しか居ず、三人の外国人観光客(男性
二人に女性一人)の相手をしている。
店員「(山中に気づいて観光客に)ジャスト・ア・モーメント・プ
リーズ。(山中に)いらっしゃいませ」
山中「(ウインドウをふり返りながら)あの8ミリ・カメラを見せ
て欲しいんですが」
店員「はい」
店員はカウンターを出てウィンドウを開け、カメラを取り出して山
中に手渡す。
店員「どうぞ」
山中「ありがとう」
店員「古い品ですが、機能は完全だそうです。もっとも、こういう
代物は私にはさっぱりわからないんですが」
山中は熱心にカメラの点検をはじめる。店員がカウンターに戻る
と、観光客の一人(男)が待ちかねていたように話しかけてくる。
客「エクスキューズ・ミー」
店員「イエース」
(モノローグ/山中の声 その間カメラは山中の表情や指先、8ミ
リ・カメラのメカニズムなどをとらえる)
「古い型だが、思った通り構えやすい。といって、別に幻の名機と
いうわけでもない。もっとも、そんなことはウインドウを覗いた時
から分っている。分らないのは、なぜこれが生き物のように話しか
けてくるような感じがしたのかだ。(短い間)今はもう、何も聞こ
えない……」
[カメラ屋の前]
観光客達に続いて、山中がカメラ・ケースを肩にかけて出てくる。
彼は再び腕時計に目をやり、あわてて走りだす。
[喫茶店の店内]
山中が恋人の宮脇玲子とテーブルに坐っている。
宮脇「(ジュースを一口飲んで)立派なアナクロ趣味ね、今どき8
ミリ映画だなんて。それで二台目でしょ、カメラ。あなた、本当に
ビデオ会社の社員なの?」
山中「フィルムの質感はビデオじや出ないよ。自分で撮るなら、フ
ィルムの方がずっと面白い」
山中は先程買ったばかりのカメラを周囲に向け、しきりにフォー
カスやズームの調整を繰り返している。
宮脇「(不意に眼線をあげて)ね、一体いくらしたの、そのカメラ」
山中「……」
宮脇「高いんでしょ」
山中「そうでもないさ。一万円まけさせたし」
宮脇「じや、言いなさいよ」
山中「(衝動買いを自分でもいくぶんとがめながら)四万円」
宮脇「(ため息をつきながら)もうたくさん。(間)故郷の山々で
もせいぜい美しく撮るのね」
玲子は山中を残したまま店をでてゆく。
[山中の務める会社のビル]
赤坂の某ビジネス・ホテルの隣にある。
[宣伝課のある三階のフロア]
宣伝物や雑誌類があふれかえっていて、活気はあるが雑然とした
雰囲気だ。ワーブロにむかっていた山中が背のぴをしてから立ち上
がる。
山中「(デスクの女性に)ナミちやん、俺ちょっと出てくるから」
女性「はい。いってらっしやい」
山中は行く先を告げようともせずにオフィスを出てゆく。
[エレペーター前]
山中は下り方向の呼ぴ出しボタンを押し、鼻歌まじりでエレベー
ターを待つ。やがて一階から上ってきたエレベーターのドアが開き、
同僚の桜井が降りてくる。
山中「よお」
桜井「外出かい?」
山中「ちょっとね(エレベーターに乗り込む)」
[宜伝課]
課長の大野がワープロの前を通りかかる。
大野「(ワープロの文書を読んで)うん、いいじゃないか、ハリウ
ッド特集のプレス…」
大野がなにげなくワープロのキーに触れると画面ががらりと変わり、
山中がこっそり作っていた紀行フィルムの構成表が現れる。
大野「なんだこりや?」
桜井「(画面をのぞき込んで)自主映画の構成表じゃないかな。こ
のあいだ山ちやん広島でロケしてきたらしいから」
大野「山中!」
もちろん返事はない。
[長野電鉄河東線の沿線]
松代町へ向かって二両編成の電車が走っている。
[車内]
山中が大きな旅行鞄をかかえて座席に坐り、窓外の景色を見てい
る。線路の周囲は田畑や果樹園が多いが、新築の住宅もかなり目に
つく。あまり個性を感じさせない家々だ。遠景には、長野盆地を形
成する山々がひかえている。
[松代駅]
電車がホームに到着し、山中をはじめとする十数名の乗客が下車
する。時刻は午後四時をまわった頃だろう。
山中は鞄を左肩にかけ直すと出ロヘ歩き出す。
[松代の中心街]
七夕の飾りつけが行なわれた商店街を山中が通り抜けてゆく。
[果物屋の店頭]
山中が足を止めて店内を見まわしていると店の主人が声をかけて
くる。
主人「昭ちやんお帰り。スイカが安いよ、スイカ」
山中「(笑いながら)じやあ、一つください」
主人「毎度。(スイカの山から味のよさそうなものを選ぴ出す)」
[山中の生家の前]
町の中心から少しぱかりはずれたところにある小さな雑貨屋が山
中の生家だ。彼には一人も兄弟がいない。彼の父親は彼が大学生の
時に死亡し、今は母親の光子だけがこの家に残っている。
[付近の路地]
近所の子供達三人がキャッチボールをしている。影は長くなって
いるが、日没までにはまだ時間があるのだ。
[山中の家の入口]
山中が到着し、家の中に入ってゆく。
[家の中]
山中「(売場に続く居間の上がり口でスイカを置き、旅行鞄を肩か
ら降ろしながら)ただいま」
光子「(奥の部屋から姿を現わして)おかえり(坐り込んで徴笑む)」
山中「(短い間)スイカを買ってきた」
[居間]
夜。すでに夕食も終わり、山中は半ズボンにランニングという格
好でスイカを食べている。今しがたまで手入れをしていたらしく、
例の8ミリ・カメラがかたわらに置いてある。
隣家からテレピを観ながら談笑する声が囲こえてくる。
光子「昭彦」
山中「うん?」
光子「結婚する相手はまだみつからないのかね?」
山中「まあ、その……(苦笑して)甲斐性無しと言ってやってくだ
さい」
[海津城址公園]
快晴の昼下がり。蝉の声が騒々しい。山中が8ミリ・カメラを手
にして歩きまわっている。城跡の石垣、アイスキャンディやかき氷
を売る売店、ブランコで遊ぶ子供達などが、ファインダー越しの映
像として、心地よいフィルムの走行音をともなってインサートされ
る。
やがて、山中は楡の大木にふとカメラを向ける。強い日差しと風。
と突然、女子中学生の笑顔がファインダーの中に現われ、すぐに消
える。山中はファインダーから目を離して大木の根元を凝視するが、
そこには人のいる気配すらまったくない。彼はふたたびカメラを構
えて、ファインダー越しに少女の姿を探し始める。
(モノローグ/山中の声)
「【彼女】のはずはなかった。だが、常識って奴の退屈な種明かし
につきあうよりは、この狂気が一秒でも長びいてくれる方がいい。
(間)【彼女】の名は山崎祐子。中学三年の夏に交通事故で死んだ
クラスメートだ」
消えた少女の姿を求めて山中はふたたぴカメラのシャッターを切
るが、すぐにフィルム切れを示す黒い三角マークがファインダーの
隅に出る。山中は舌打ちしながらカメラの蓋をあけ、フィルムのカ
セットを取り出してカバンの中にしまい込む。
[電話ボックス]
山中が大声で電話をかけている。
山中「ああ、小島さん? 山中です。今、宅急便でフィルムを送っ
たから。うん、スーパー8。現像、とにかく急いで! あがったら、
また宅配で送って下さい。住所は……」
[山中の友人、出口浩二の家の前]
すでに夜で、玄関口の灯りが一家五人の名前が書かれた表札を照
らしている。
[出口浩二の部屋]
窓側の一隅に大きな製図机が置かれ、ビルの平面図らしい青写真
がその上に載っている。
出口「(ピールを注ぎながら)信じられない話だな」
山中「今、信じる必要はないさ」
出口「(テーブルの上に置かれた山中のカメラに目をやって)写っ
ているという確信があるのか?」
山中「いや、わからない」
出口「フィルム切れが惜しいな」
山中「しくじったよ。届くのは明後日だ」
出口「このへんじゃ売ってないのか?」
山中「とてもとても。明日長野で探してみるよ」
注がれたビールを飲みながら、山中は壁に貼られた古い写真に目
をとめる。柔道着を着た十二名の中学生達の写真で、最前列右端の
二人が山中と出口だ。
山中「合宿の時のだな」
出日「ああ。(間)蛇をつかまえたの覚えてるか?」
山中「もちろんさ。シマヘビだろ?(笑いだしながら)ゲテモノ料
理屋に確か五千円で売ったんだっけ」
出日「(つられたように笑いながら)そうそう!(ビールを飲む)
あの頃が一番面白かったな」
山中「そうだな……。高校に入ってからは時間に追われてばかりい
たような感じがするよ」
出口「山崎祐子か(煙草に火をつける)。で、もし写っていたとす
ると、どういうことになるんだ?(カメラにふたたび目をやって)
それが魔法のカメラだとでも…?」
山中「(カメラを手にとって)買った日に一応分解掃除をやってい
るんだ」
出口「それで?」
山中「ごく普通の国産カメラだったよ。ただ、構えると体の一部に
なったようにしっくりと手になじんでくれる。前の持ち主が長い間、
本当に大切にこれを便ってきたことだけは間違いない」
出口「ふうん。(間)でも、考えようによったらやっかいなカメラ
だな」
山中「何が?」
出口「目の前の景色とは違うものが写るわけだろ、それでシャッタ
ー・チャンスを逃がしたらどうするんだ?」
山中「二台持って歩けばいいのさ」
出口「未来を写すのを見つけたら三台だな」
山中「ああ」
二人とも笑いだす。
[長野市内]
翌日の夕暮れ。帰宅しようとするサラリーマン達が駅の方向へ急
いでいる。
[喫茶店「アルプ」の入口]
この店は大通りから少しひっこんだところにある。
[店内]
山中と出口が四人用のテーブルに坐って人を待っている。程なく、
彼らの中学時代のクラスメート、村田涼子が店内に入ってくる。
村田「(山中達のテーブルに歩み寄りながら)遅くなったかしら?」
出口「いや」
山中「(村田が坐るのを待って)ひさしぶりだね」
村田「本当!電話をもらった時、最初は誰だかさっぱり分からなか
ったわ」
出ロ「製薬会社の研究員だってね」
村田「そうよ。(注文を取りにきたウェイターに)アイスコーヒー
を。(山中に)確か東京で務めているのよね? 夏体み?」
山中「そう。相変わらずなまけ者でね、八連休さ」、
村田「うらやましいわ。私はお盆の三日間だけよ。(出口に)建築
士殿、お仕事は順調?」
出口「スイートホーム建造の際はぜひご用命を」
村田「(笑いながら)よろこんで」
ウェイターがアイスコーヒーを運んでくる。
ウェイター「お待たせしました。(グラスを村田の前に置いて去る)」
村田「それで、どういう風の吹きまわしなの? 柔道部コンビ。
(短い間)松代中旧三年二組のクラス会でも開くつもり?」
山中「いや、それもいい考えだけどそうじやない。じつは、山崎祐
子さんのことで、ちょっと話を聞かせてほしいんだ」
村田「山崎祐子って、亡くなった、あの祐子さんのこと?」
村田涼子の表情が不審そうに曇ってゆくが、山中はそしらぬ風を
よそおったまま言葉を続ける。
山中「クラス中で君が一番彼女と親しかった。それで、どんなこと
でもいいから、何か思い浮かぶことがあったら聞かせてほしいんだ」
村田「(沈黙の後)あなたがた一体何を考えているの? 卒業アル
バムでも眺めていて、彼女を思い出したってわけ?」
山中「ちょっと変った出来事があってね。君にも証拠が見せられる
ようになるといいんだけれど」
村田「あれは馬鹿げた事故だったわ。祐子が死ななければならない
理由なんて一つもなかった。でも、だからって何をしようっていう
の? 私たちに何ができるの? 十四年も前に彼女は死んでしまっ
たのよ。今さら後ろをふりかえろうなんて、趣味の悪い感傷だわ。
(立ち上がって店を出てゆく)」
[パブ「オーティス」店内]
店名が示す通り、オーティス・レディングの歌声(『アイブ・ビ
ーン・ラビング・ユー・トゥー・ロング』が聞こえてくる。
山中と出口はカウンターでウィスキーを飲んでいる。
山中「最近、よく置いてきぼりにされるんだよなあ」
出口「なぜひきとめてあの話をしなかったんだ?」
山中「フィルムを確かめてからの方がいいだろう?」
出口「ああ。(酒を飲む)相変わらず美人だったな、涼子ちゃん」
山中は苦笑しながらかつての恋敵の表情を観察した後、水割りを
喉に流し込む。
[長野駅付近]
涼子が夜の繁華街を足早に歩いてくる。
[涼子の回想]
中学三年の夏休み。自宅の電話が鳴り、彼女が受話器を取る。電
話の主は山崎祐子だ。
涼子「(沈んだ口調で)はい、村田です。祐子……」
祐子「ねえ、八幡屋さんで浴衣を選ぶの、何時にしようか?」
涼子「それがね……、悪いんだけど、またにしてくれない」
祐子「(不意をつかれた様子で)どうかしたの?」
涼子「なんでもないの。ただ、ちょっと頭が痛くて」
祐子「そう……、じや、仕方ないわね」
涼子「ごめんね。うん、大丈夫、心配しないで、さようなら(受話
器を置く)」
[涼子の家 玄関(現在)]
涼子「ただいま」
東京の大学に進学している弟の俊雄がエブロン姿で出てくる。彼
は現在夏休みで帰省中なのだ。
俊雄「なんだ、姉貴の分の晩メシなんて作ってないぜ」
涼子「(弟の方に顔を向けようともせずに、低い声で)いいわ。食
べてきたから」
涼子は弟をその場に残して二階の自分の部屋に駆け上がってゆく。
[涼子の部屋]
涼子はハンドバッグを机の上に置くと、そのままあおむけにベッ
ドに横たわる。女性らしい、柔らかな色調の室内だが、装飾品は少
なく、薬学や医学の専門書が本棚に並んでいる。
[回想、続き]
夕方、再ぴ涼子の家の電話が鳴り、彼女が受話器を取る。
涼子「はい、村田です。(不意に明るい口調で)なんだ典子か、ど
うしたの?」
電話の主は別のクラスメート、太田典子だ。
典子「涼子、聞いた?」
涼子「何のこと?
典子「祐子ちゃんが交通事故で亡くなったんですって。国道で、居
眠り連転のトラックが……」
[涼子の部屋]
涼子は天井を見つめたまま動かない。やがて、ドアをノックする
音に続いて父、雄春の声がする。
雄春「涼子、入っていいかい?」
涼子「(ベッドから身をおこして)どうぞ。」
ドアが開き、雄春が入ってくる。五十代後半で痩身、眼鏡をかけ
ている。
雄春「(机の前の椅子に坐りながら)ずい分早かったじやないか。
昔の友達と会うはずだったんだろう?」
涼子「ええ、会ったわ」
雄春「なんだか不機嫌そうだな。何かあったのかい?」
涼子「……」
雄春「出口君と山中君か、確か父さんも会ったことがあるね」
涼子「(父の言葉をさえぎるように)父さん」
雄春「うん?」
涼子「祐子ちゃんのこと覚えている?」
雄春「もちろんさ。お前とは一番の仲良しだったじゃないか。休み
の日というと、お前が遊びにゆくか、あの子が遊びにくるか、どち
らかだったな。(間)まっすぐな長い髪をしていて、瞳がとてもき
れいだった」
涼子「すこしかすれた柔らかな声で、フォーク・ソングが好き。お
祖母さんにもらった三毛猫を可愛がっていて、授業では音楽と国語
が得意。苦手なのは理科……」
[付近の空地]
近所の小学生達が様々な花火を上げている。学校からの指導で、
彼らは七夕と旧盆の時だけ花火を上げることが許されるのだ。
[涼子の部屋]
涼子は窓辺の椅子に腰掛けて子供達のいる空き地を見下ろしてい
る。
涼子「私のような偽善者がいちばんいやな人間ね。人のことなんか
どうでもいいと思ってるくせに、自分がエゴイストだと認めたくな
いから、優等生のふりをして」
遠く、ロケット花火の笛の様な音。
空き地にいる子供達がひときわ大きな花火に火をつける。歓声と
ともに緑色がかった炎が噴水のように吹き出し、窓の外を見つめて
いた涼子の顔を照らしだす。
涼子「あの事故の前の日、山中さんと祐子ちゃんが一緒にいるとこ
ろを見たの。
[涼子の回想(短いインサート。音声は現在の涼子の声)]
公園で親しげに話しあう山中と祐子。涼子は楡の木の陰に身を隠
すようにして二人の様子をうかがっている。
涼子「私、山中さんが好きだったから……」
雄春「お前は優しい子だ。亡くなった母さんと同じように、自分に
厳しい分だけ人に優しくすることができる」
[長野市内のとある露路]
「スグソコ 池田質店」とブリキ板に書かれた質屋の看板がある。山中
は慣れた足取りで看板の矢印が示す方向に露路を曲がり、質屋の入
口で立ち止まる。彼は碁盤やギターなどと一緒に8ミリの映写機が
質流れ品として並べられているのをガラス窓越しに確かめると、質
屋の格子戸を開けて店内に入ってゆく。
[店内]
山中「こんにちは」
六十歳位の店主が店の奥からゆっくりと姿を現わす。
店主「どうも、いらっしやいませ」
山申「(映写機を指差して)あの映写機なんですが……」
店主「はいはい」
山申「三日程貸してもらえませんか?」
店主「え?」
山中「一日千円でどうです?」
店主はあっけにとられたように山中の顔を見つめている。
[出口の務める建築事務所]
オフィスは広々として機能的な印象を与える。出口を含めて男性
社員は五名、女性社員は二名だ。出口は製図机の上でビルの平面図
を見直している。やがて、彼は平面図を手にして上司である戸田の
机に歩み寄ってゆく。
出口「戸田さん。(図を示しながら)この階段、やっぱり直しまし
ょうよ。有効スペースが多少減っても、その分踊り場に余裕ができ
ますから……」
[製薬会社の工場]
正門に「矢沢製薬長野工場」という門札が掲げられている。強い
日差し。広大な敷地の中に近代的な工場設備と研究用の別棟がある。
[研究室内]
静寂の中で、白衣を身につけた村田涼子が顕微鏡を覗きながらデ
ータをとっている。室内には彼女と同じ二十代後半と思われる男女
二名がいる。彼らは三名でチームを組んでいるのだろう。男の方は
データ・ファイルに目を通し、女の方は試薬の整理を行なっている。
女「(村田が顕微鏡から目を離すのを待って)村田さん、すこし休
みましょう」
村田「ええ」
男「喫茶部へ行こう」
村田「(にこやかに笑いながら)だめよ」
[山中の家の前]
夕方。山中が映写機の入った紙箱を抱えて戻ってくる。
[家の入口]
山中「(箱を抱えたまま居間にあがりながら)ただいま」
母「おかえり。(包みに目をやって)何なの、その荷物」
山中「出口を呼んでちょっとした映写会をやるから……
そうだ、タ飯、あいつの分も作ってくれるかな」
母「はいはい。(二階へ上がろうとする山中を呼ぴ止めて)
東京から荷物が届いているよ。机の上に置いてあるから」
山中「うん。ありがとう(二階へ上がってゆく)」
[山中の部屋]
山中は部屋に入ると紙箱を畳の上に置き、母の言った包みが乗っ
ている勉強机に近づいてゆく。子供の頃から便っている古びた木机
だ。紙包みの中には現像済みのフィルム・ロールが二巻と、撮影用
フィルムのカセット十本が入っている。
山中「(フィルム・ロールを手にして)よし……と」
山中はプリントの状態を確かめようとはせずにロールを再ぴ机の上
に置き、映写機の方に戻ってゆく。
[村田涼子の家の正面]
夜。玄関と一階の居間に明かりがともっている。
[居間]
父の姿はなく、涼子と俊雄がCDを聴いている。(曲はピーター
・ガブリエルの『ドント・ギブ・アッブ』)
涼子「(ケイト・ブッシュのボーカル・パートにさしかかって)
俊雄……」
俊雄「何?」
涼子「お母さんが亡くなる前の年に、皆で京都に行ったのを覚えて
る?」
俊雄「いや、何も。話じゃ聞いたけどね」
涼子「そう。まだニつの時だものね」
俊雄「どうしたのさ、急に」
涼子「何でもないわ。ただ、今までで一番楽しかったことって何な
のか考えていたのよ。(間)おかしなものね、どれか一つを選ぼう
とすると、かえっていろいろなことが浮かんでくるわ」
俊雄「俺は今が一番だな」
涼子「そう(微笑む)」
[山中の部屋]
山中が部屋の奥で8ミリ・フィルムのリールを映写機にセットす
るのを見守りながら、出口がつぶやくように言う。
出口「あきれたもんだな」
山中「何が? こいつは七年間ただ飾ってあっただけなんだぜ。あ
の親父にしたら一日千円でも稼ぎになる方がよっぼどましだろ?」
出口は無言のまま肩をすくめる。
山中「さあ、切れるなよ……(光源のスイッチを入れる)」
ハロゲン・ランプのまばゆい光線がスクリーン代わりの白い布を
照らし、カタカタというかき落とし音とともに映写が始まる。
−城跡の石垣、アイスキャンディやかき氷を売る売店、ブランコで
遊ぶ子供達、そして、楡の大木……。昼下がりの日差しは強く、風
が吹いている。次の瞬間、四十コマ足らずのごくわずかな時間だが、
しかしはっきりと、スクリーン上で山崎祐子が微笑んでいる。フィ
ルムにはそれ以上何も撮影されていない。
スクリーンはただ白く輝き、山中達の背後では、巻き取り側のリ
ールがフィルムを巻き終えてから回りを続けている。
出口「【彼女】だな?」
山中「ああ。【彼女】だ」
[海津城址公園の売店]
午後二時頃。
店内の一角に軽食や飲物を出すためのテーブルが据えられており、
山中と出口はかき氷を食べながら今回の出来事を検討している。
出口「お前の記憶がフィルムに写ったという考え方もできるな」
山中「彼女は実際に俺の目の前にいたんだ」
出口「その可能性もある」
山中「確かさ。十四年も前に死んでしまった人の顔をそんなに正確
に覚えていられると思うか?」
出口「写真的な記憶ってのもあるらしいぜ。(間)じやあ、【彼女】
がこっちにやって来たのか、お前が向こうに行ったのか、一体どっ
ちなんだ?」
山中「(考え込んで)どちらかというと、俺が向こうに行ったのか
な」
[公園内の備道]
先日山中が山崎祐子を撮影した楡の大木が近くに見える。山中は
カメラを楡に向けるが、今回は何の変化も見られない。出口は山中
のかたわらに立って、カメラの向けられた先の方をじっと凝視して
いる。
山中「カメラを廻しながら、過去のある瞬間にもう一度触れ始めて
いるような感じがしたんだ。(間)中三の夏休みに、俺はここで【
彼女】に会った。こっちはブールで泳いだ帰りで、彼女は吹奏楽部
の練習で総合体育館に来ていた……」
カメラを手にしたまま話し続けていた山中の言葉が途切れ、二十
秒程のあいだシャッターが切られる。ファインダーの中では、山崎
祐子がクラリネットのケースを差し出した後、左手側の水飲み場へ
と近づいてゆく。フィルムの走行音の他には何も間こえない。
山中が撮影を終わると出口が尋ねる。
出口「彼女を撮ったのか?」
山中「ああ。見えたのか?」
出口「いや… カメラもお前も、別に消えてなくなりゃしなかったぜ」
[松代中学の校庭]
山中と出口は彼らが卒業した中学校の校庭の隅で話し合いを続け
ている。プールやグラウンドからの歓声と蝉の声でなかなかにぎや
かだが、それらの単調な均一さがかえって奇妙な静寂を感じさせる。
8ミリ・カメラは山中から出口の手に移っている。
出口「(手にしたカメラを見つめながら)俺はまだお前の記憶がこ
のカメラに写っているという考えをひっこめる気になれないな。今
のところ、写ったのはどっちもお前がじかに体験した過去だ」
山中「二度くらいじや何も分らないさ。(間)ただ、過去のイメー
ジを思い浮べておいて、それを写そうとしてもうまくいかないんだ」
柔軟体操を終えた野球部員達がランニングをはじめる。
出口「山中、過去を変えることができると思うか?」
山中「いや、まず無理だろうな。(間)過去のほんの小さな何かを
変えただけでも、多分俺たちはここにいないよ。というか、俺たち
がこのカメラを使って過去にはたらきかけることができたとしても、
その結果がすでに俺たちの知っている過去をつくっているはずなん
だ。極端なことを言えば、俺たちが彼女を助けようとしたせいで、
逆にあの事故が起こるのかもしれない」
出口「SFじゃおなじみのパラドックスか……、無力なもんだな」
山中「……」
出口は柔道部室の方へ歩き出しながらカメラをグラウンドに向け
る。
山中「頭の中で昔を考えるというよりも、カメラを覗いているうち
に昔の自分が生き返ってくる、そんな感じなんだ」
野球部員たちは号令をかけながらランニングを続ける。グラウン
ドの中央では、男子バレー部員たちがしばらく前から練習試合を行
っている。
山中「何かを見たらじやなくて、何かを感じたらシャッターを押す
んだ」
出口は静かにカメラを廻し始める。
ファインダー越しの主観ショットのまま、何かにひきつけられた
かのようにカメラはテニスコートの方へ動く。と突然フレームが激
しく揺れ、すべてが白色光の中に溶け込んでゆく。次の暁間、校庭
は一メートル近い積雪におおわれている。レンズを通した出口の視
線が、中学時代の彼の視線と一致したのだ。
(ローリング・ストーンズの『シーズ・ア・レインボウ』が静かに
流れ始める)
柔道部員たちが柔道着を身につけ、素足のまま校庭に走りでてゆ
く。彼らは柔らかな新雪の中で組み合い(乱取り)を始める。山中
らしい中学生も、もちろんその中にいる。中学生の出口は山中の足
払いをくって雪の中に倒れ込む。学校中の生徒があっけにとられて
彼らを見ている。出口は自分のクラスの窓へと目を移し、この騒ぎ
を見守っていた山崎祐子と村田涼子の笑顔に気づく……。
[山中の部屋]
映写が終わって明りがつくと(8ミリの映像を仲介として、山中
たちの居場所は校庭から室内に変わっている)、出口はゆっくりと
した口調で山中に話しかける。
出口「なあ」
山中「うん」
出口「俺たちにできることって何だろうな?」
[村田涼子の家、廊下]
廊下のつき当たりに置かれた電話のベルが鳴る。五回ほど鳴った
ところで、風呂あがりらしくバスタオルを腰に巻いただけの格好の
俊雄が受話器を取る。
俊雄「もしもし、村田ですが……。ああ、はい。少々お待ち下さい。
(二階にむかって)姉貴、電話。山中さんって人から!」
[涼子の部屋]
涼子は読んでいた本を閉じて机を離れる。
[階段]
涼子が足早に階段を降りてくる。
[廊下]
涼子「(俊雄から受話器を愛け取って)もしもし、ええ。この
あいだはごめんなさい。ろくにお話も聞かないで……」
[山中の家、居間]
山中が電話をかけている。
山中「いや、こちらの準備が足りなかったんだ。それで、やっ
と君に見てもらいたいフィルムが……そう、僕と出口が写した
8ミリ・フィルムなんだ」
[涼子の家、廊下]
涼子「それが祐子さんのことと関りあるの?」
[山中の家、居間]
山中「うん。それから村田さん自身にもね」
[涼子の家、廊下]
涼子「……これから?(間)いいわ」
[山中の家、居間]
山中「じや、出口が車で迎えに行くって言ってるから」
[涼子の家、廊下]
涼子「大丈夫よ、歩いたって十五分くらいのものでしょ。……そう、
それじやお願いするわ。ええ、後で(受話器を置く)」
涼子は俊雄がかたわらでニヤニヤ笑いを浮かべながら会話の一部始
終を聞いていたことに気づく。
涼子「何よ」
俊雄「いやあ、姉貴も今が一番幸せそうだなって思ってさ……」
涼子「馬鹿言ってないでさっさと服を着なさい。カゼひくわよ」
俊雄はあわてて浴室に戻ってゆく。
涼子は弟の後姿を苦笑しながら見送った後、父のいる居間に入る。
[居間]
涼子「父さん」
雄春「うん」
涼子「ちょっと出かけて来ます」
雄春「どこへ行くんだい?」
涼子「山中さんのところ。行きも帰りも車で送ってくれるそうだ
から、心配しないで」
雄春「ああ。(笑って)心配しないよ」
涼子もにこやかに微笑む。
[四谷三丁目付近の路上]
人々の服装から、季節が冬の終り頃であることがうかがわれる。
時刻は午前十時頃だ。革のジャンパーを着た山中が、両手をズボ
ンのポケットに突っ込んだまま走ってくる。彼は四階立ての古び
た雑居ビルに入ると、エレベーターには目もくれずにご一階まで
かけ上ってゆく。
[ビルの一室の入口]
山中が息を切らせながらドアの前に立つ。ドアの上部には曇りガ
ラスがはめられていて、「タイム・アンド・タイド・カンパニー」
という会社名が横書きで記されている。山中は勢いよくドアを押
し開けて室内に入る。
[室内]
窓枠に腰かけていた出口が、山中に言い訳のすきを与えずに言
う。
出口「遅いぞ」
山中「悪い、行こう」
出口「コーヒーを入れちまったんだ。(顎でコーヒーメーカーを
示して)一杯飲んでから出ようぜ」
山中「ああ(部屋の中央に歩み入る)」
彼らのオフィスは古い代わりに二十畳宣位の広さがある。しか
し、うまく整理されているとはいえ、おびただしい数の8ミリ・
フィルムや撮影、上映機材などが半分以上の空間を占拠してしま
っている。火気を嫌っているためだろう、暖房器具は小さな電気
ストーブ一台しかない。
出口はコーヒーを二つのカッブに注ぐと、一つを山中に手波す。
出口「ほら」
山中「ありがとう(飲む)」
(モノローグ/山中の声)
「我がタイム・アンド・タイド・カンパニーの仕事は、今のとこ
ろ、失われた街並みや風俗をフィルムの上に甦えらせ、研究家や
学術団体に貸し出すことだ。最近では、ライブラリーの充実ぶり
を聞きつけて、個人的な記憶をたどる手がかりを求めて当社を訪
れる人もいる」
[五日市街道]
出口は山中を車に乗せて吉祥寺方面に向かっている。
(モノローグ続き)
「出口は別に建築家の仕事を棄てたわけじやない。戦前を、明治
や大正を知る人々との共同作業によって、彼が設計する建物は親
しみやすさと美しさを増している」
出口が左手で煙草を箱から抜き出して口にくわえる。
山中「このあいだ、テレビでフェリー二の映画を観たよ」
出口「(シガーライターで火をつけながら)新しいやつ?」
山中「ああ、わりとね。フェリー二とマストロヤンニが引退してい
るアニタ・エクバーグの家に行って『甘い生活』を観るんだ。(間)
俳優が死ぬのは体が滅んだ時じやないね。観客が一人でもいるうち
は、彼らが死ぬことはない……」
[吉祥寺南町]
武蔵野公会堂の近くで、老人が若い女性に何かを熱心に語り続け
ている。程なく出口と山中が乗った車が到着し、彼らは老人たちの
方に走り寄ってゆく。老人と話をしていたのは村田涼子だ。男もの
のようなオーバー・コートにブルー・ジーンズという服装で、山中
の8ミリ・カメラを手にしている。
涼子「遅い遅い」
山中「悪い」
出口「(山中を示して)こいつが寝坊したんだ」
山中は肩にかけていた大きなカバンの中を探りはじめる。
山中「そのかわり、いいものを持ってきた」
涼子「何?」
山中「(保温水筒を取り出しながら)ホット・コーヒー」
涼子「わあ、ありがとう(水筒を受け取る)」
涼子はさっそく水筒の中蓋をコッブにしてコーヒーを注ぎ、老人
に手渡す。
老人「や、どうもありがとう。」
涼子「いいえ。(今度は外蓋をコッブにして自分の分を注ぐ)ああ、
いい香り。(コーヒーを飲む)おいしいわ」
(モノローグ/山中の声)
「タイム・アンド・タイド・カンパニーは三人の同級生によって設
立された。僕らにできることは何なのかという出口の間いに、明確
な答えを示したのは村田涼子だった。8ミリ・フィルムの入手が次
第に困難になり、現像が目本ではできなくなりつつあることを知ら
されると、彼女は即座に我々三人の共同事業を提案した」
老人は村田涼子の手からカメラを受け取り、レンズを眼前のピル
街に向ける。フィルムの走行音が始まり、ビル街は戦前の町並みに
変化する。
(モノローグ/続き)
「このカメラは誰にでも使いこなせるわけではない。ただ不思議な
ことに、村田涼子がアドバイスすると飛躍的に撮影の成功率がアッ
プする」
[八重州のカメラ店]
村田と出口が店内で三台の8ミリ・カメラを調べている。
(モノローグ/山中の声)
「今のところ、過去を写せるカメラは一台しかない。だが、中古カ
メラ屋や押し入れで眠っているカメラのなかには、同じような力を
待ったものが必ず含まれているだろう」
[新橋のカメラ店]
山中がニコンの8ミリ・カメラを手にして店主と話し合っている。
山中「いいなあ、これ」
店主「そりやもう、なんせレンズが違いますから」
山中「三万円になりませんか?」
値札は六万円となっている。
店主「お客さん。いきなりそんな……」
現実音が次第に遠のいて、山中と店主のやりとりはパントマイム
に変わってゆく。
(モノローグ/山中の声)
「いや、すべてのカメラは魔法の力を持っている。すり傷が雨のよ
うに降り注ぐ記録フィルム、アルバムに貼られた古びたスナップ・
ショットが、いつの日か【時】の円環を閉じる。
今はただ呼吸をするように自然に、シャッター・チャンスという
小さな奇跡に向かってカメラを廻し続けることにしよう」
(スティーヴ・ウィンウッドの『ワン・モア・モーニング』が静か
に流れ始める)
[井の頭公園]
(前シーンの音楽が続く)
タイム・アンド・タイド・カンパニーのメンバーたちが、新しく
購入したカメラのテストを兼ねて、彼らの[今]を撮影している。
彼らは交代でカメラマン役にまわりながら走り回り、肩を抱き合い、
笑う。(フィルムの走行音が音楽に加わる)そして時折、山崎祐子
やかつての彼ら自身の姿がその映像に割り込んでくる。
やがて画面が中央上方に向かって縮小されてゆき、下方に生じた
黒味の右隅にエンド・マークが出る。
了