橋本 了
舞台は1994年の台北。準大手ビデオ会社ゴールデン・ベ
アー・ビデオのプロデューサー、藤井司郎(三十歳)は当時、
台湾をひんぱんに訪れて、現地向け(つまり、北京語、台湾語
の)カラオケの映像と音源の制作を担当していた。仕事はでき
るが一匹狼的な性格の彼は、なにかと保身に走る上司とのあい
だでもめごとが絶えない。その上、台湾の現地プロダクション
や音楽出版社の慣習は、日本の会社の法務や経理部門の担当者
の常識から大きく逸脱しているため、しばしば彼は現地と日本
の会社組織のあいだで板挟み状態におちいっている。
11月も後半にさしかかったある日、司郎は十数回目の出張
で台北を訪れた。今回の任務は、旧正月の元日にあたる翌年1
月31日までに新作のカラオケソフトを発売できるように、各
種の契約と制作業務を完了することなのだが、例によって日本
側、台湾側それぞれでトラブルが頻発し、仕事はさっぱりはか
どらない。
司郎の頼みの綱は業務提携先の大手レコード会社、ストーン
・ミュージックの契約課長、クォ・ファンリンである。ファン
リンは二十八歳で課長に登用されている才色兼備の女性で、中
国語のできない司郎にかわって音楽出版社との交渉をすべて取
り仕切っている。
司郎とファンリンは一年以上に及ぶ共同作業を通してお互い
に好意を抱いていたが、これまで以上にタフな今回の仕事をこ
なしてゆくうちに、二人の関係はさらに深まっていった。しか
し、有名な作曲家の未亡人、マダム・ヤンが行方不明になった
ために、彼らの仕事は突然暗礁に乗りあげてしまう。
しかも、司郎と不仲な上司、太田の腹心の部下である海外営
業の大島までが台北で不穏な動きを見せ始めていた……
というようなオハナシです。友人たちがやっているアジアン・
エンターテイメントの情報サイト、asia.or.jpで近々フォトシ
ナリオを連載する予定ですので、お楽しみに。
シナリオの完全版を読んでみたいというキトクなかたは、あべ
宛でその由メールをご送付ください。テキストファイルを添付
して返送いたします。データを加工する手間がかかるので、実
際の送信は4月以降になるかもしれませんが、ご了承ください。
なお、当ホームページの全文書、シナリオの著作権は作者に
帰属いたしますので、著作権法が認める範囲の引用を除き、
無断掲載等はおやめください。