夢の話

  夜明けに恋人がやってきて、夢の話をする −B. Dylan, Gate of Eden

その1)これまでに観たもっとも心地よかった夢

あなたは山奥で、流れの速い、澄み切った渓流に歩み寄ってゆく。あなたは、この流れのことを近くの旅館で書き記したまま姿を消した、ある老作家の行方を捜してここまでやってきたのだ。
あなたは彼の書く、釣りを題材にした短篇小説を愛読している。彼の作品は自然を淡々と描写しているだけのようで、どこか神秘的なところがある。

季節は初夏のようだ。空はぬけるように蒼く、高く、水も空気も澄みわたっている。
いつのまにか、あなたは老作家が最後に残した作品の登場人物になり、自分の肉体から抜け出して水面を歩き始める。魂だけになっているので、水中に沈むことはない。
足はぴたりぴたりと水面に吸いつき、あなたは川の流れと同じくらい素速く前に進んでゆく。

あなたはいつのまにか足を前にして、水面にあおむけに横たわっている。
浮かんでいるのではない。あなたは自分がまだ歩き続けていると感じている。やがて、あなたは自分が水の中を歩いていることに気づく。
息は少しも苦しくない。足はあいかわらず水面にぴたりぴたりと吸いついている。………

  この夢のイメージを思い描くと、今でもいい気持ちになることができる。
  夢から醒めた瞬間は、まるで生涯の傑作を書き上げた作家のような気分だった。
  それが錯覚とわかって、本当にがっかりしたけれども。

その2)小学3年生の頃観た夢

私は母と一緒に親戚の家に来ていた。私は歳の近い従兄たちと遊びに出て、家の向いにある狭い露地に入り込んでいった。露地といっても通り抜けのできない私有地なので、他人の家に無断で足を踏み入れるような後ろめたさがあった。

突然、私たちは露地の奥の家の住人に見つかってしまい、従兄たちは逃げ出したものの、私はその場で意識を失ってしまった。

気がつくと、私は星空の下でリヤカーの荷台に寝かされていた。従兄たちが覗き込んできて、私は半年近く気を失っていたのだと言った。

私は急いで自分の家に戻った。電車で二十分ほどかかるところなのだが、夢の中の移動は一瞬だった。あたりはクリスマス前の冬の夜に変わっていた。街灯の下で紺のワンピースの水着を着た娼婦が客引きをしていたが、狂女なので誰も相手にしようとない。通行人たちは彼女にカバンをつかまれると、表情をこわばらせたままカバンを引き戻して足早に去ってゆく。その狂女が母だった。

母は私を失ったせいで家にいられなくなり、気が狂ったのだった。彼女は私がしがみついて呼びかけても私が誰なのか見分けることができず、迷子が人違いをしていると言って力なく笑い続けていた。………

  娼婦と書いたが、当時の私はその実態を理解していなかったので、
  映画(母が好きだった『哀愁』など)に出てくるみじめな境遇の
  女性という程度のイメージだったと思う。
 
その3)私の父が観た息子(つまり私)の夢

男は5歳になる息子を連れて町内会の慰安旅行で浅間山に来ていた。季節は秋で、山には至る所に茸(きのこ)が生えている。
幼い息子も大喜びで大人たちに混じって茸を採り始めた。男もしばらく茸を採っていたが、ふと我に返ると、息子は一人で山奥に入り込んでしまっていた。
息子は仲間とはぐれかけていることにまったく気づかない様子で、「あった! あった!」と歓声をあげながら、山の奥へ奥へと足を踏み入れてゆく。まるで茸が息子を山奥に誘い込もうとしているかのようだ。
男は必死で息子に呼びかけるが、息子はさっぱり耳を傾ける様子もなく山奥に入ってゆく。ほどなく日が傾きはじめ、浅間山は不気味な鳴動を始める。
あわてた男は他の人たちにも手伝ってもらって見失った息子を探し回るが、どこにも息子の姿はない。
ついに浅間山が噴火する。男も隣人たちも哀れな子供のことを思って涙を流す。

  親のいいつけを守らずに子供が道に迷ったり命を落とすというモチーフは、
  世界各地のお伽噺や寓話に見いだされるようだ。
  父からこの夢の話を聞かされた時、私は「ウルトラQ」というテレビ番組の
  一編を思い出した。
  蝶の採集に夢中になっていた少年が幻の蝶を追い求めて山奥に迷い込み、
  その蝶の鱗粉(りんぷん)の作用で巨人になってしまうという話だった。
  もっとも、5歳の頃観たテレビ番組の記憶なので実際の内容とはかけ離
  れているかもしれない。

その4)1996年8月 5:40a.m.のメモ
  [その日、私は妻と生後6ヶ月の息子をつれて親戚の家に泊まっていた。]

カーテンを開け放った部屋。夏の陽射し。だが、信州では8月でも明け方は肌寒い。
かたわらに寝ているはずの妻に目をやると、寝ぼけまなこで息子を抱いて授乳している。息子は眠ったまま乳首に吸い付いているようだ。次にここを訪れる頃には、彼もよちよち歩きを始めているだろう。
私が眼を覚ましたことに気づくと、妻は寝ぼけたまま、巫女のように喋り始める。
「よく知ってる人がね、三人死んじゃうの。本当はどこにもいない人たちなんだけど、夢の中ではよく知っている人たちなの」
朝の弱い妻はそれだけ言うとまたぱたりと眠りにつく。どぶ川の水流の音に、鳥たちの声が加わっている。

                                       了
                               Ryo Hashimoto
                               May.25th.1998
その5)
死刑を待っている夢 (Dec.5.1998)

私は大勢の人々(とくに親しい人物はいない)と一緒に劇場の客席に座っている。私はまもなく死刑にされることになっていた。まわりの人々もそうなのかはよくわからない。
私は携帯電話を手にしていた。だれか親しい友人に電話をしようか(一人で死ぬよりは心強いから)と考えるが、死刑にされる瞬間の人間と話をするはめになったらきっと不愉快だろうと考えて、やめることにした。
刻々と処刑の時が近づいてきた。緊張が極限に達したところで、自分が死刑になるなどという事実はないことに気づくと、すっと気が軽くなった。

上記の夢を見た数時間後に視た狼のヴィジョン

尾を後ろ足のあいだに巻き込むようにして垂れた狼が雪原にいる。狼はしきりに頭を左右に振っている。犬がよくやるように赤い舌を出してハアハアと息をしているが、その息は炎だ。とてもエネルギッシュな狼。



その6) 
ヘビに噛まれる夢(1999年某日)

私は図書館の中にいた。四、五人も入ればいっぱいになってしまうような図書室が、左のほうに何度も直角に折れ曲がってゆく廊下の角ごとにあって、入口のドアにはガラスがはまっている。私は図書室の中を覗いて見るのだが、中には入ろうとはせずに、先へ先へと進んで行った。

それから、私は籐(とう)の篭から頭を出して逃げだそうとするヘビにうまくフタをかぶせて篭の中に閉じ込めた。だが、安心して篭を持って歩き出したところで、指先をヘビにかまれてしまった。このヘビに毒ヘビがないことを知っていたし、痛みも注射より軽いような、チクリとしたものでしかなかった。

[この夢は仕事についてかなり迷っている時に(最近なんですね、これが!)見た。前半は反時計まわりの運動で、無意識、黄泉の世界への下降を暗示するのかもしれない。ヘビに噛まれることは死と再生への暗示であろうか? 吉夢と解釈しているが果たしてどうなるか? いずれ、結果をアップします]

さてその結果ですが、いちおう仕事は好転しました。夢解釈は一応あたっていたとしておきましょう。ひとつ山を
越したと思ったときには、次なる山が目に入っているのが常なわけですが。

その7)
2000年3月8日の夢
 私はタクシーに乗って親戚の家(小諸市)に行こうとしていた。 タクシーの中にはすでに別の乗客がいて、私は
韓国のタクシーの ように、相乗りをした格好になっていた。だが、どうやら行く先 がまったくちがっているらしい。
私は、言うのが遅れて申し訳な いが、行く先がちがうので相乗りをやめたいと女性の運転手に話 した。
 いつのまにか相乗りの乗客はいなくなっていて、タクシー はそのまま走りつづけた。 ふと気がつくとタクシーは
先ほどまで走っていた普通の道路から はずれ、おそろしく幅の狭い山道を走っていた。道の下は切り立 った崖に
なっている。落ちたら助からない。山道は先ほどの道路 と平行で、やや高い位置にあった。
 タクシーは大変なスピードを出していて、いつ転落してもおかしくないような感じだったが、 プロのドライバーが
運転しているから心配はないと私は考えた。 女性のドライバーは自信満々で確実に車をコントロールしていた。
やがて、タクシーは無事に目的地に到着し、私は目覚めた。