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ヒゲの由来 雷となる  

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ヒゲ(髭)の由来

 風が吹くとさらさらと心地好い
  指に触れると感触がたまらない
  そんな時は山に帰って、雷になったあの日のことを思い出す
ヒゲはいいなあ 乗鞍高原にて


「わー、サンタさんだー。プレゼントちょうだい!」 

1127日、クリスマスにはちょっと早すぎるのだけど、幼稚園の『表現発表会』の交通整理で真っ赤な衣装を着て旗を振っていると、子供たちから声がかかった。

去年まで顎鬚(あごヒゲ)は付けヒゲだったけど、今年は自前のヒゲである。頭髪ほどではないが、鼻の下、口の周りに黒いのが少し混じっている他は、頬から顎にかけて、我ながら感心するほど白一色になってしまった。

夏休み以来、妻には非難の眼差しを向けられ、周囲からは「いつ剃るんだろう」と思われていたが、「このヒゲだけは剃るわけにはゆかない」と心に誓っていたので、34センチ伸びた成果がサンタクロースのヒゲにつながったわけである。

原始、ヒゲは男子の特徴であり、神々を示すシンボルであった。それがいつの間にか、威厳を示す階級の独占となり、庶民の場合は無精ヒゲ等と呼ばれ、日陰の存在に成り下がってしまったが、近頃は大リーグのイチローに代表されるプロスポーツ選手が面々を飾り始めた。

超大国アメリカと戦って一歩も引かないビンラディンやイラクの人たちは皆立派なヒゲを生やしている。イスラムの教義では「成人男子はヒゲを蓄えなければならない」と定められているらしいが、スポーツ選手、イスラムの戦士、神話の世界の神々にとっては己を鼓舞する力となり、抜きん出た能力を発揮する源泉となっているのかもしれない。

それ故、取り柄といえば歳をとっても病気をしないくらい、平々凡々、毎日飽きもせずパソコンに向かう私が、ある日突然ヒゲを伸ばし始めたとしても妻には理解できないのも無理はない。分からなくても不思議ではないが、それには深い訳があり、そのことを話してもなかなか納得できないだろうから、「ヒゲの由来」と題して、ここに記しておくことにした。 

ことは去年夏の白馬登山から始まる。3日目、白馬岳からの縦走もほとんど終りかけた唐松岳の山頂直下で落雷に遭い、命からがら山小屋に逃げ込んだことは『四季安曇亭・落雷の記』に書いたので、詳しいことはそちらを読んで欲しい。

問題はその中に書いた次の一節である。

「どうしてか、山の遭難記にあるような、迫り来る死を目前にして妻や娘に、『ありがとう、いい人生だったよ。さようなら』というような言葉を書き残そうとも思わなかった。ごうごうと音を立てて降りしきる豪雨の中でノートは出せなかったし、『書いてもどうなるものかよ』という、生きることへの執念のような熱いものがあった」。

そして、次の次の節の終りの(略)「『落ちるなら落ちろ、落ちてみろ』、そう言って立ち上がり、ごうごうと降る雨の中を駆けるように山小屋に向かった」。

咄嗟のことで、『ありがとう』という感謝の言葉は出なかったし、はいつくばった目の前の地面に叩きつける雹と泥流と凄まじい轟音の中では、リアリティでいえば、「書き残そうとも思わなかった」のである。生きたい、まだ死にたくない、という執念だった、と思う。

叩きつける雷雨に開き直り、雷鳴の轟音に物怖じせず、谷底から吹き上げる突風にひるまず進むには、鬼になってもいい、雷になってもいい、なにがなんでも生きるんだ、という強い意志がなければ目前の山小屋には進めなかった。

今考えれば、雷雨を飲み込む闇の谷底から吹き上げてくる黒雲に、家族の絆は哀れ吹き飛ばされてしまったのかもしれないし、大自然の恐怖の中では妻や娘さえ思考回路から簡単に外され、鬼になってもいい、雷になってもいい、という身勝手な強い願いが先にあったのかもしれない。

還暦を過ぎて3年、今生の別れに臨んでは一首遺して露とも消えるべき齢なのに、鬼となっても雷になっても何とかして生きたい、という願いこそ切羽詰った凡俗の行き着く先なのかと思うとなにやら情けないこと、ですが。

しかし、本当のところは雷に魅入られ、雷魂が乗り移ったのかもしれないし、家族との絆を絶ち、鬼や雷になっても生きたいという執念が伝わり、雷族の名簿に加えられたので、二度とは被雷せずに、あの危機を切り抜けられたのかもしれない。

いったん事あれば、古の菅原道真、悪源太義平のように人々を震え上がらせることはないとしても、雷のパワーを秘めていれば何かの役に立つかもしれない。

そう考えると雷になるのも悪くはない。生き延びて雷になったのも運命ならば、その運を大事にしよう。たとえ人間稼業をさらりと捨てられなくても、雷の端くれとして、まっとうな雷の生き方、行き方があるはずだ。そう思うと忸怩たる思いもいくらかは安らぎ、悟りのようなものさえも感じてくるから不思議である。

それ以来、怒ったらお終い、雷親父にならぬよう、サンタクロースになるよう心がけているがなかなかその心境には達しない。せめては、初参りに上之(熊谷市上之)の雷電神社にお参りして、雷電様のご利益に預かろうと願う。

そんな訳で、ヒゲは雷の証として、たとえ雷神になれなくても、猫のヒゲほどの効能がなくても、生涯剃らずに伸ばしておきたい。それが、せめてもの雷様への恩返しかなー。


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