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混浴礼讃  今昔混浴物語  

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 「硫黄岳に登って来ました」と、知人がメールをくれたので、「日本一高い露天風呂はいかがでしたか」と聞いたら、折り返し「想像におまかせします。うふふ...」と「日本最高所本沢温泉野天風呂雲上の湯」という標識の立った写真を送ってきたので、勝手に混浴風景を想像して楽しむ。
 荒々しい茶褐色の岩礫の間を流れる飛沫を背景に、白く濁ったお湯は昔と全く変わらない様子で湯船にあふれ、八ヶ岳に流れる時間のなんとスローなことか。
40年前とちっとも変わっていないな、と止まったままの山時計に感心した。
 その頃、夏沢峠を越えて行った蓼科の親湯でも大浴場の入口は男女別だったけど、中は一緒というおおらかな時代だったから、登山者しか行かない本沢温泉では混浴は珍しいことではなかったし、ごく自然で当たり前のことだったかもしれない。
 山小屋とは別に簡単な脱衣所があり、裸で飛んでいったものだ。先客が居れば詰めてもらって、飛び込む。狭い湯船のことだから、目と鼻の先に女性が居たりするとどぎまぎしたものだが、向こうは目を閉じてうっとりと山の湯を楽しんでいる様子。現在のようにバスタオルにすっぽりとくるまって湯に入る人は居なかったから、湯船の出入りには岳樺の枯木を背景にビーナスの後姿を拝むことができる、嘘のようなこともあった。

 
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 止まったままの時計はもう一つあって、何度も一緒に山登りをした旧友が混浴を楽しんでいる一枚の写真である。今流行の「秘湯めぐりの旅」を特集した雑誌の「会津編」に掲載されているのを偶然見つけ、「あいつもやるなあ」と電話したら、「う〜ん、記憶にないけどオレだなあ」という返事が
23日して帰ってきた。
 横
9cmに縦7cmほどの写真は川べりの岩をくりぬいた露天風呂で、7人ほどの男女が肩まで浸かってカメラのほうを見ている、ややクラシックな写真で、下種のかんぐりの入り込む隙もないほどあっけらかんとしている。
 暴れ川の異名を持つ西根川の川床、水面すれすれにあるこの湯は釣人にとって一日の釣果を自慢するにはもってこい、村人にとっても山仕事の汗を流す憩いの湯だった。旅館が
1軒あったから、「たまにはもの珍しい娘がいてさ。混浴にありつけたんだよ」。それにしても、本人が忘れるほどの時間が流れる混浴の風呂とは。
 場所は会津も奥の奥。尾瀬の登山口、桧枝岐村に向かう途中、中山峠を下って渓谷沿いに進めば、手前が湯の花温泉、一山越えれば木賊温泉(とくさおんせん)。その木賊温泉の共同風呂である。
 その頃渓流釣りにのめりこんでいた彼の持ち場で、腰に下げた魚篭の重さに足をとられて川流れするほど、岩魚や山女が釣れたらしい。今は昔、
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年以上も前の話であるが写真を撮られたのはいつのことだかわからないという、のんびりした話である。

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 ゴージャスな話は酸ヶ湯温泉(すかゆおんせん)に尽きる。今から20年ちょっと前、今言うところのリストラで勤めを辞めた私が向かったのは春スキーのメッカ八甲田の山懐に湯煙を上げる湯治場だった。
 名にし負う大浴場は「ヒバ千人風呂」と呼ばれ、
80坪ほどの浴室には最初に入るように指示されている「熱の湯」があり、この巨大な湯船の周りには老若男女がずらっと並び、板場には甲羅を干す亀の子のように思い思いの姿かたちで両足を広げて寝そべったり、胡坐をかいて大きな声でしゃべっている。もちろん、バスタオルなんかで隠す人はいない。申し訳なさそうに手ぬぐいをちょこんとのせているだけだ。
 「熱の湯」に5分ほど浸かったら、奥の「四分六分の湯」に
5分、それから「冷の湯」をかぶって、「湯滝」で3分ほど打たせ湯で揉みほぐし、仕上げを「熱の湯」に戻って3分ほど入る。これを日に34回繰り返すと良いそうだから、他にすることもないし、「総ヒバ作りの千人風呂」に集まってはお国訛りの自慢話が始まって、湯治どうし裸の付き合いが始まるらしい。
  千人風呂デビューのときは、その豪華絢爛超特大極彩色の混浴絵巻に度肝を抜かれてしまった。初めて入った湯船の中では玉の肌のボリュームに圧倒されて、汗びっしょり。這う這うの態で「熱の湯」を這い上がり、板場で湯気を冷ましていたら、長い道中の怪しげな妄想などはたちまち湯煙のように天井高く消えてしまった。
 「混浴とは斯くあるもの」と後年自戒するのは、年のせいばかりではなく、この時顔から噴出した汗の賜物である。

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 しかし、「混浴とは男と女が一緒の風呂に入る」ということだから、湯気のように消え入るような風情が漂ってこそ好い、とも思う。

 10
年ほど前、秋も深まった落葉の頃、芭蕉に倣って白河の関辺りを旅したことがあった。別に、一句を詠む、というほどの趣味は持ち合わせていないが、「秋風の吹けども青し栗の毬」という句が妙に引っかかって、私の生き様に重ね合わせて見ていたので、久しぶりに行ってみようか、というくらいで尋ねた甲子温泉(かっしおんせん)の小さな旅だった。
 時雨に濡れた吊り橋を渡ると半露天の大きな岩風呂があり、やや温目の透き通ったお湯の底には落葉の葉脈がまるで静脈のようにゆらゆら映り、なんだか心細いような、わびしさが漂って、いかにも秘湯ムードにあふれていた。
 あごまで湯に浸かっているとパラパラという雨音が聴こえたので吊り橋の方を見ると、浴衣を着た浴客らしい
2人連れが傘を差して橋の中ほどをゆっくりと渡ってくるのが見えた。
 1人は男、もう1人は若い女と判ったとき、露天風呂の中は急に静かになり、
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人ほどの先客は思い思いに体の向きを変え、天井の架かった入口の方を固唾を呑んで見つめた。
 麗人とはこういう人のことかと思えるような雰囲気を漂わせて、その若い女は臆することなく、左手で胸のタオルを押さえながら、右手で湯を掬うと白い足をすっと湯に入れ、ふくよかな裸身を沈ませた。音も立てず、中ほどの太い丸太の柱に近づくと急にそのあたりがぱっと明るくなり、夕日を浴びた白鳥が湯浴みするかのような光景に変わった。
 それ以来、これほど見事なというか、端正なというか、心を打つような混浴には出くわさないのは男として不幸なことである。

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 それにしても世間は面白い。つい
78年前まで雪が降れば「陸の孤島」なんて言われた奥飛騨温泉郷が今や「秘境の露天風呂天国」としてもてはやされ、TVの旅行番組では定番になっていて、ほとんど毎週見られる。
 「見られる」と言えば、ゴルフのギャラリーを思い出すが、ギャラリー付きの混浴露天風呂といえば新穂高温泉にある「新穂高の湯」に尽きると思う。蒲田川の激流、北アルプスの山並みが目の前に迫る絶景と大きな岩に囲まれた野趣ゆたかな露天風呂、と聞いただけでファンは飛び込んでしまいたくなるが、時間帯によると露天風呂の真上にかかったコンクリート橋には物見高い見物客が大勢張り付いて、中にはカメラを構えている人もいるから勇気を出さないとなかなか入れないが、見られることを喜びにする人もいるらしい。
 去年の
5月、旧知のバールフレンド(志賀直哉の造語で昔ガールフレンドだった人のこと。わたしの場合は小中学校の同級生)たちと奥飛騨へ旅行したとき、「思い出に日本一の露天風呂に入ろう」ということになり、まだ薄暗いのに5
時起きして入りに行った。
 「記念写真を撮って」などとはしゃいでいた女性達に、「安曇亭さんも入ったら」と誘われて、「ま、冥土の土産話に」とコンクリート橋の上に誰もいないのをいいこと幸いにさっそく混浴としゃれこんだ。
 俳人の弥生子さんが、「混浴の穂高の渓に橡(とち)咲けり」と花を添えて一同感激。こんこんと湧き出る湯に身を任せれば、遠い昔の修学旅行のような気分(もちろん、修学旅行では混浴なんてありっこないですよ)。「もっと若いときに来たかったねえ」と枯木に水を差すような開放感に浸って、本当にいいお湯。
 極楽、極楽と振り返れば、槍ヶ岳に朝日が当って最高の混浴露天風呂でした。

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 年が明ければ齢
63。 枯木も山の賑わい、そういつまでも混浴、混浴とはしゃいでいられないが、湯煙の中に融けてしまってもいいから、せめては一度雪女と入ってみたいな、と密かに願う。
 今度奥飛騨に行ったら、福地温泉の石動神社に願をかけてみよう。去年の絵馬は霊験あらたか、願ってもない福を運び込んで来たし、案外聞き届けてくれるかもしれない、とは虫がよすぎますか。  
 しかし、雪女は怖いし、やっぱり山の神にしとこうか、迷うなあ。『怪談』(小泉八雲)はやっぱり読むだけか。

 

 

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