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高山病   

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高山病



乗鞍岳に登って高山病(?)になったこと
平湯に行ったら治ったこと 

 「うーっ、う、うー」。

 いったいどうしたんだ、この痛さは? ぐいっ、ぐぃーっと締め付けられるような後頭部の痛さ。私はバス停のベンチに倒れこんで、頭を抱えたまま、じーっと耐えているしかなかった。

 時計を見ると1130分過ぎ。秒針の間隔で、ぐいっ、ぐいっと痛みが響く。まるで針が動くように少しずつ移動しながら、激痛が必ずやって来た。心臓のどきどきという音が反響して、頭のてっぺんに痛みが向かってくる。ああ、針をあちこち打たれているようなもんだ。

この痛さがいつまで続くのか、だんだん痛みがひどくなってこのまま倒れてしまうのか、もう家に帰ることができないのか。去年725日、唐松岳で落雷に遭ったとき以来の恐怖に取り憑かれ、パーッとあの時の不安が頭の中を駆け巡った(『落雷の記』参照)。

それでも痛みに慣れてくると、「ダイダラボッチ(伝説の巨人)に、ぎゅーっと掴まれるとこんな痛さかなあ」、なんて考える余裕が出てきたが、さてこれからどうしようか、どうしたらよいかまったくわからなくなってしまった。 

 こんなに頭が痛いって、ほんとに高山病だろうか。今まで穂高にも槍にも登ったし、乗鞍岳はもう6回か、7回目だ。今までいっぺんも頭痛とか倦怠感とかはなかったなあ。夜行日帰りで眠ったくなることはあったし、疲れていい気持ちで眠り込んじゃったこともあったけど、こんなに頭が痛くなったことはなかった。どうしたんだ、なんでだ? 

 725日夜家を出て、26日朝、乗鞍高原340発のバスで乗鞍岳畳平バスターミナルに登ったが霧雨。ご来光どころか、三脚を忘れてきたのを思い出して直ぐバスに乗って下山。置き忘れた三脚を持ってもう一度700のバスに乗って畳平へ。着いてみると未明のときより風雨がひどく、霧が深くて外にも出られない。ターミナル前の山荘では戸締りをしてこれから帰るところで、「泊めようにも食材がないからだめだ」と言う。

 台風が来る前に肩乃小屋に行ってしまえばいいや、と軽く考えて、バスターミナルに居た自然保護センターの人に聞くと、「この風では石が飛ぶかもしれない」という物騒な話だ。

 小屋の管理人に電話をすると、「風は相当強い、足元に気をつけて来てください」ということで、石の飛ぶ話をしたら、「その辺は自己責任ですから」と言う、なんともつれない返事だった。

 予定では肩乃小屋に3泊して、去年写せなかった高山植物と槍・穂高の雲海などを写すつもりだったので、「とにかく肩之小屋まで行ってしまえば台風一過の夏空を写せるなあ」なんて暢気に構えていたのだが、登る前の目論見はものの見事に外れてしまった。

 どうしようかと迷っていると、「乗鞍高原行き910発の改札が始まります」と係の人が知らせにきた。待合室を見廻すとリュックを持った登山者らしき人は私一人しか居ない。なんだか心細くなったところへ、「台風の影響を受けて風雨が強まる恐れがあるので後のバスは分からない、このバスが最後になるかもしれない」なんて言われると、もう降りるしかないなあ、と決心した。

 せかされるままバスに乗り、濃霧と豪雨の中を位ヶ原山荘、冷泉小屋と下って来ながら、「このあたりの紅葉は乗鞍一番」と運転手と車掌の軽口に慰められたが、正直、昨夜からの疲れがどーっと出て、せっかくの話も面白くもなんともない。

 観光センターで下りて、車を預けてある鈴蘭小屋に行き、泊めてもらうことにした。大好きな温泉で聴くと、「雨の音も好いもんだなあ」なんて暢気なことを言いながら、湯上りにビールを飲んで一眠り。1500頃目が覚めた。窓の外を見ると風雨も止んでいたので、一之瀬まで行って、まいめ池でちょっと写し、鼻歌で帰って来た。その晩はいつもの倍くらい飲んだから、ぐっすり寝むれた。 

 27日は雨でご来光バスが出なかったので鈴蘭小屋に戻って朝飯まで本を読む。朝食後、小雨の中、一之瀬へ。昨日写せなかった小川を写していると、1100前、ムーンとする草いきれがするなあと思っていたら、突然雲が切れ、大雪渓のあたりが見え始めた。青い空、白い雲。白樺の葉がきらきら光る典型的な夏山の構図をファインダーで眺めていると、乗鞍岳がぐんぐん姿を現して来た。

 こんな所で写している場合じゃない、とビデオカメラを仕舞ってバスセンターへ。おにぎりを買ってバスに飛び乗り、昨日2往復した畳平へ。着いてみると下で見たのと大違いで、雲の切れ端が飛ばされて行くようなすごい風の音。畳平のお花畑ではハクサンイチゲの葉が裏返ってしまい、とても写せる状況じゃあない。「これじゃあ、大黒岳のコマクサもだめだろうなあ」と思ったが、咲いている花の位置だけでも確認しておこう、と歩き出す。

 鶴ヶ池を半周して県境のゲートまで来ると、麓から吹き上げてくる強風が背中のザックをビュービュー揺すって、押し戻す。「参ったなあ」と思いながら岩陰で休んでいると、風にあおられながら二人連れが降りてくる。ストックを突く位置がなかなか決まらないほど風が強い。「これじゃ行ってもしょうがない。いいや、明日探そう」とあきらめて、富士見岳には登らずに、風を避けて畳平に戻ってから、肩之小屋に向かった。

 途中で「祝日本百名山完登」の横断幕を持った一行に出会ったが、幕が顔に張り付いたりして難儀な集団登山に同情してしまった。百名山の最後にとって置いた乗鞍岳をその支持者たちに見守られながら登るのだというが、せめてもう少し風の穏やかな日なら歌のひとつも出ようもの。「記念日には惜しいなあ」と後を付いて歩きながらコロナ観測所入り口を過ぎて、石ころだらけの山道がカーブして回りこむと、「うわーっ」と歓声があがった。

 どっしりと三つの山頂(朝日岳、蚕王岳、剣ヶ峰)が並んだこの風景ではいくら風が暴れたって敵わない。剣ヶ峰から高天ヶ原に伸びる45度の優美なスロープと大雪渓の見事なハーモニー。「この大展望にはモーツァルト(クラリネット協奏曲K6222楽章)がぴったりだなあ」と、強風はためく道路脇でしばらくは見とれてしまう。 

 28日のメモ

340 肩之小屋 出発。 富士見岳でご来光撮影。強風のため、三脚を立てる場所に苦労。浅間山の煙が真横になびいている。

快晴、一日中風強く花の撮影に苦労。夕食後、白山に沈む夕日を写しに行ったが宇宙線研究所の前を通ろうとして追い返された。やむを得ず朝日岳寄りに少し登ったが、雲が太陽を隠してしまって失敗。 

29日のメモ

130 窓を開ける。山の影も星も見えず。
4
00 窓の外は濃い霧。剣ヶ峰登高断念。

朝食後、ぐずぐずしていると宿泊客が三々五々降り始める。「これから天候が悪くなり始める」ということなので、
820肩之小屋を出発。霧雨。雨具着。 

それでも、不消ヶ池あたりまで来ると霧が収まり、やや明るくなったのでビデオカメラを取り出し、昨日、散々苦労したハクサンイチゲやコバイケイソウ、アオノツガザクラ、チングルマなどを写しながらお花畑を回る。「今年のクロユリはすごいなあ、クロユリの当たり年だ。形の好いのをしっかり撮っておこう」と、最後にクロユリの群落をたっぷり時間をかけて撮影。

 これから大黒岳に登ってコマクサを写そうか、その前にトイレに寄って行くか、と考えながらコンクリートの石段を登り切ろうとしたとき、突然、ぐわっと殴られたような痛みが後頭部に突き刺さり、思わずよろけてしまった。
 ぐいっ、ぐぃーっと締め付ける、なんという痛さ。痛みに耐えながらなんとか畳平バス停にたどり着き、ベンチに座り込んで頭を抱えていた。
 

 この初めての経験に動転しながらも、去年の時は書けなかったメモ帳を取り出し、雷雨の中で書けなかった、「ありがとう、いい人生だったよ。また、会おうね。さようなら」と書いた。それから、この山行のことを書き、脳出血で倒れることも観念し、妻と娘二人の姿を必死に追いかけていると涙があふれ出した。もう、生きて会えないかと思うと涙が止まらなかった。

「お父さん、おとうさん、しっかりするのよ」と駆け寄って来た妻、「おとうさーん、おとうさーん、死んじゃ、いやっ」と呼びかける娘の声。「ひろし、ひろし」と、おろおろする年老いた母はなぜか遠くで手を振っている。

「こんな所で、こんな風に死ぬなんて、思いも寄らなかったなあ」。次から次へと、想いは駆ける。記憶の中では消えてしまった光景が瞬間、瞬間のコメントも無いまま現れてはフェードアウトして行く。

顔を伏せたまま、眼鏡をはずしてあふれ出る涙をぬぐっていると、痛みが少しずつ和らぎ、しばらくするとだんだん遠のいていった。それは、ほんの数分か、10分くらいか。それから駐車場を横切ってトイレに入り、小便をしているとまたズキズキぶり返してきた。

近親者に脳内出血で倒れたという話を聞いたことがないので、あるいは「高山病かな」とも考えて、ともかく、一刻も早く下ればなんとかなると、1210発乗鞍高原行に乗り込んだ。

大雪渓の下を通ったとき、バスの窓からは剣ヶ峰もコロナ観測所のドームも霧の中で見えなかったが、位ヶ原山荘を過ぎる頃には高原の森が見え始め、ほっと安心感が広がり始めると痛みが薄れ、代って、ジージー耳鳴りが高鳴ってきた。

乗鞍高原まで下りれば、もう、安心という安堵感と共に脳内出血の恐怖は遠のき、たんなる高山病だったのかもしれない、と苦笑いが出るようになった頃、バスが終点に着いた。 

ザックを背負って、車を置いてある鈴蘭小屋に歩き始めたが、また、ズキン、ズキンと痛みが戻ってきた。立ち止まって腕を振り、頭を左右上下にゆっくり動かし、肩を揺すってみたが頭を後ろから刺されるような感じは変わらない。

温泉に入ってリラックスすればいいかなと、大好きな鈴蘭小屋の野天風呂に入れてもらい、一息入れながら訳を話すと、「年に1人か2人くらい高山病にかかるお客さんが居る」と言う。それでどんな治療をするのかと聞いたが、「はっきりとは分らないが乗鞍高原の標高まで降りて来れば、死ぬことは無いでしょう」と、安全宣言をしてくれた。
 それで、スッキリしないまま、仕方なく車を運転して帰って来た、というのが高山病の顛末である。
 

29日乗鞍高原を離れ、30日に家に帰ってからも後頭部の痛みはとれなかった。生活に差し支えるほどの痛さではないが、念のために控えているビールを飲めないのが辛い。高山病ならもう治ってもよさそうだ、やっぱり脳出血の兆しがあったのかな、と心配が疑いに変わり始めた84日、妻に尻をたたかれて近くの脳外科病院に行った。

症状を話してから1時間くらい待って、真っ暗なCTスキャナー室で10分くらい写し、それから重っ苦しい時間が1時間ほど過ぎた頃、担当医から状況を聴かれ、説明が始まった。

「脳内出血の心配はありません。異常も見られません。心配なら《脳ドック》で詳しく調べてみたらいかがですか」という診断結果。では、この痛みは何が原因ですか、と聞いたら、紙切れを2枚くれた。1枚は『緊張性頭痛』、もう1枚は『肩こり体操』。

ちょっと長いが『緊張性頭痛』を引用してみる(原文のまま)と、

慢性頭痛の中でも頻度が高く、最も重要なものが緊張性頭痛であ
 る。

緊張性頭痛は、一旦おこった心的緊張が長く持続し弛緩しにくい、緊張性格者におこりやすい頭痛で、同一姿勢を長時間保つ職種(事務職・ドライバー等)に多い。

後頭・頸部から肩にかけての持続的な筋収縮により圧迫され締め付けられるような痛みで、午後から夕方にかけて増強する。頭痛は次第に強くなり、悪心・嘔吐を伴って数時間持続することが多く、両側性頭痛であることが少なくない。時にはめまいを伴う。 

緊張性頭痛の治療は

その成立機序がなんらかの脳疾患による頭痛ではないというように不安や恐れを取り除くことが重要である。

基本的な治療は弛緩の仕方を自ら体得することである。仕事の合間には体操で筋肉を動かし、休日には仕事を忘れスポーツや娯楽で気分の転換を計る。 

鎮痛剤も

  一時的には有効であるが、漫然と服用すると薬物依存状態にな
  るので好ましくない。
 

と書いてある。『肩こり体操』の方は看護士が腕を回す体操と肩の体操の写真が載っている。

 なんのことはない、同じ姿勢でずーっと仕事をしていると後頭部が痛くなることがありますよ、ということじゃないですか。「治療薬は無いから、体を動かしなさい」、だってさ。 

 長時間同じ姿勢、って言ったって、登山は遊びだからなあ。まして私の場合、写すのが愉しみで行くんだから、一所懸命汗を流して登るわけじゃないし、他人の3倍くらい時間をかけて歩くんだから、そんな訳はないなあ。なんでやねん。

  インターネットで調べていくうち、ネパールのトレッキング情報を載せている 

http://www.lirung.com/infofile2/file010hight/ 

の 低酸素症(高山病)の症状とその対処法(2)山酔い(AMS)中期 というところに、 

○頭痛(孫悟空状態。鉄の輪をはめて締め付けられるような痛み、寝ていられなくなる

とあり、完全な高山病だから、

 500m以上(可能であれば1000m以上)下りること 

と、対処法が書いてあるのがわかった。

 うーん、それなら鈴蘭小屋の言うことも間違いではないなー。 

 8月8日

10日たってもまだ痛い。もう慢性になっちゃって、慣れっこ。ビールも飲んでいるし、耳鳴りと共存。でも、冷静に考えるとうっとうしいし、放っておく訳にも行かないなあ。

 8月11日

   深夜発。霧ヶ峰へ。早朝〜午前中撮影。アカバナシモツケの
   群落見事。
 

 霧ヶ峰の高山植物が気になっていたので、気晴らしも兼ねて信州霧ヶ峰へ。午後、奥飛騨温泉郷福地温泉の夏祭りで毎夜披露される『へんべとり』を見に行こうと思い立って、途中、平湯温泉へ寄った。

 汗をかいていたので『ひらゆの森』の露天風呂めぐりを楽しみながら、「明日はご来光バスに乗って先ず大黒岳。夜明けの穂高を写して、それからイワギキョウとミヤマダイコンソウ。まだ、コマクサがあるかなあ」と、思いは早くも明日の乗鞍登山。乗鞍で死ぬ思いまでしたのに、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」、いよいよ、病膏盲(やまいこうもう)、ここに極まる、だなあ。

「秘湯はすべて山の中である。ある温泉は狭い山道を登り詰めた崖の上にあり、ある露天風呂は数十メートルの深さに臨む蒲田川の岸にある。ひと筋の湯煙がこの奥飛騨温泉郷を結んでいた」なんてへらず口をたたいていると、アレッ、頭がスッキリ。安房トンネル料金所の渋滞でいらいらしていたときあんなにズッキン、ズッキン痛かったのが消えちゃった。

 ええっ、どうしたんだ? 2週間も、あんなに悩まされたのに。脳外科でもお手上げだった頭痛。わかんねえなあ。うーん、世の中には不思議なこともあるもんだ。

 その晩、『へんべとり』を見ながら考えた。明日、乗鞍岳に登る前にスッキリ治してあげようという、石動神社のご利益じゃないのかなあ。自分でも妙な思案だとは思ったが無理に納得して、それで、奮発して石動神社の絵馬を3枚も買ってしまった。

 それ以来、高山病は、もうない。乗鞍の病は乗鞍が治す、か。

 ※ 12日は雨で登れなかったので、確かめようがなかいが、
   今はこうしてピンピンしているから、もう大丈夫です。
 

 


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