安曇野早春賦 長峰山から常念岳と安曇野を眺め、安曇を思う 長嶺山(明科町にある北アルプスの展望台。標高 939m)の頂上から朝日に輝く常念岳(安曇野の象徴。標高2857m)を写していると、麓から吹き上げてくる微風がアゴヒゲをなでて心地よい。さっきまで、手袋をつけてシャッターを押していたのがまるでうそのようだ。眼下に広がる安曇野を眺めながらヒゲに春風を受けて至福のときを愉しんでいるなんて、出がけに「34回目ですよ」と結婚記念日を告げた妻もこれほどの撮影日和を知る由もないだろう。こうしてみると安曇野も広い。犀川が高瀬川と合流するのがあそこだから、大王農場のわさび田はあの森の陰、早春賦の碑は穂高川のあの辺になるのか。白い煙が上がっている。刈り取った葦でも焼いているのだろうか。昨日聞き耳を立てた「春は名のみの」という、あのオルゴールの音色を誰かが聴いているだろうかなあ。 昨日は雪が舞う「風の寒さや」という冷たい日で、35年位前、田淵行男(故人。山岳写真家。豊科町に記念館がある)さんの写真に惹かれて初めて安曇野を歩いたときのように耳が痛くなったが、穂高川の岸辺のわさび田には昔と少しも変わらず湧き水が雲を映していた。 流れに手を浸せば目頭が熱くなる。花が散って桜の葉が濃緑になる頃には、この名水のように、清冽な子に育つように、と名付けた娘の安曇(あづみ)が嫁いで行く。さらさらさらと流れる清水を分けて小石をつかむと、安曇と過ごした 29年が浮かんでくる。白いワサビの花を手にとれば、去年の今頃、家族で来た安曇野の旅がよみがえる。わずか一年前、背中を丸めてワサビの花をのぞき込んでいた娘が、さらさらさらと水の流れるように手元を離れて行ってしまう。掬ってもすくっても私の指の間からこぼれてゆく湧き水のように、後からあとからいくらでも流れてくるのに、私の目の前をただ通り過ぎて行く のかと思うと、過ぎ去った歳月が熱い塊になって、こみ上げてくる。 それらの光景は悔恨にも似た渋みに包まれて、ゆっくりと消えてはまたゆるゆると現れる。私は冷たい水をすくっては顔にかけながら、これが安曇野の水、これが安曇の名前の由来、としばらくの間、感慨無量だった。 子どもが生まれたら、旅のイメージかスケッチのような名前がいいなあ、と密かに考え続け、最初の男の子には藤村の散文詩から「春生(はるき)」という名前を用意していたが、幸せの薄かったその子の名前を呼ぶことは一度もなかった。 それから待ちに待って、ようやく生まれた女の子。私は妻に、これでいいね、って言いながら「安曇」という二文字を書いて見せた。その時はもっともらしく、「古代朝廷の調理を司った一族の名前だから料理が上手になるようにって、女の子に一番いい名前だよ」と百科事典のコピーを見せたらしいが、安曇氏の伝承とロマン、安曇野の明澄な風景や清冽な水の流れが重なり合って、私の気持ちは既に決まっていたのはいうまでもなかった。 小学校のとき、校長先生が「この名前はなんて読むんだい?」と小さな声で聞いたという、嘘のような話。それでも三年生になると筆で安曇と書けるようになったとけなげにも見せてくれた習字。安曇の二文字は安曇野や信濃路に重な りあって、『峠の我家』のように懐かしい響きとなり、私を遠い郷愁の日々に誘う。
そんな思い出に耽っていると、さっきまでくっきりと見えていた北アルプスの山並みがぼやっとかすんでしまった。春霞のせいだけではないような気もしたが
、ビデオを納め、ザックを背負い、三脚を担ぐと、常念にも安曇野にも別れを告げず、うつむいたまま黙って山頂を後にした。
朝の長峰山から展望 |