山小屋の主はその小屋の付き者、と思っている。小屋あっての主といってもよいし、コロボックル・ヒュッテもその例外ではない。 草原の小屋にまつわる物語や妖しい話は既に手塚さんの著作が多数あるのでそちらに譲って、この追悼文は一枚の額に込められた想いから始まる。 その夜 月は明(あか)かつたが 私はひとと 今はない、建て替えられた旧い小屋の北側の壁に掛けてあった、立原道造の「ささやかな地異は そのかたみに」で始まる『はじめてのものに』の一節が、コロボックル・ヒュッテ創立者の天地創造を物語るように、私の乾いた胸の奥深く、小さな小屋の戸を開ける度にいつも染み込んできた。 土間の真ん中に置かれたストーブを囲むように作られた四角いテーブルのような木の板張りが私の好きな場所で、椅子に腰を下ろすと最初に目をやるのが決まって「ささやかな地異は そのかたみに」で始まる額だった。 その凛とした額の中の文字は直筆かと思えるほどの衝撃的な出来栄えで、小屋の雰囲気を一人で背負っているような顔をして、何時行っても私に話しかけてくるだった。 秋の夜長、月明かりの窓にもたれて、何を話すんだろうか(この草原からは火の山が小さくもはっきりと見ることができた)。 「ひとと」とは、孤独な旅人であろうか、あるいは手紙をやり取りする古くからの友人であろうか、時々はタバコを燻らしながら想う人(誰もが想う亡き家族とか、青春のひとコマでたまたま出会った人とか)であろうか、と。 部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と そんな浮かれた人ではなかった、と想う。ちょっとばかり憂いをふくんだような深い眼(まなこ)にはいつも山で生きる人の厳しさが宿っていたように、思う。
火の山の見えるコロボックル・ヒュッテの「火の山の物語」とは....。「エリーザベトの物語」とは....。 火の山の麓のナイーブな乙女と若き詩人、遠いみずうみの国のエリーザベトとラインハルトのふたつの恋に自らを重ね合わせながら、車山肩の小さな小屋で愛の物語を紡いでいたのであろうか。「蛾を追ふ手つき」のような危うさであっても私の知る限り幸せの物語として。 10月の半ば過ぎ、枯れ草が斜面をあかあかと染めていた。それだけが最初の記憶ですが、『はじめてのものに』はそれ以後、ストーブを囲みながら所在なくいつも眺めていた額でした。生半可な山歩き真っ盛りの昭和40年前後の鮮明な思い出です。 引用させていただきました。 最初に戻る * * * * * * * * * * * * * * * 目次に戻る |