4.日本点字の発明者 石川先生

  
石川倉次(くらじ)先生の生まれたのは、安政(あんせい)6年1月26日で、場所は浜松(はままつ)でした。しかし父の転きんのため、子どものころに千葉県にうつり住むことになりました。
 先生になることを目ざして、明治12年6月26日に小学師範科(しはんか)を、そつ業しました。「しはんか」というのは、今のきょういく学部です。
それから、小学校をいくつかつとめてから、明治19年3月6日に訓盲院(くんもういん)に転きんされました。これは小西新八(こにしのぶはち)という校長先生がまねいたのです。このころ、石川先生が国語とか日本で使われている文字について、新しい考えをもっていて、漢字(かんじ)を廃止(はいし)して、全部「かな」にしようという意見も、新聞に発表したりしていました。
 石川先生の点字が、日本の点字として決まったのは、明治(めいじ)23年11月1日でした。そのときは「キャ キュ キョ」などの、よう音とよばれるものは、点字にはありませんでした。これができたのは、明治32年7月6日のことです。  石川先生は、東京盲唖(もうあ)学校、東京ろう唖(あ)学校につとめられたのですが、単光旭日章(たんこうきょくじつしょう)など、数々のくんしょうをさずけられました。
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