5.今の日本点字のできるまでの話

 日本の点字が考えられていたころ、3つの案がありました。石川先生が初めに考えたのは、点が8こで、ブライユの点字とはちがうものでした。田という字のまわりの直角またはTに線が交わっている所に、点を打つ形です。なぜこれを考えたかというと、ブライユの点字は同じ形のものだけにすると、44通りだけだが、日本の「かな」は48あって、足りなくなるということです。しかし、この点字はブライユの点字を書く道具では、使えませんでした。
 小西先生の考えも、なるべくブレイユの点字を使いたいということでしたが、遠山邦太郎(とおやまくにたろう)という先生は、ブレイユの点字を使いABCDE・・・にアカサタナ・・・と、「かな」をあてはめる案(あん)を発表しました。しかし一部のところは、入れかえなど行いました。濁(だく)音、半濁(だく)音、促(そく)音も今のものとは、少しちがいますが、考えられていました。促(そく)音とは「買った」などに使う「っ」の部分です。
 このころ、第3の案が、伊藤文吉(いとうぶんきち)、室井孫四郎(むろいまごしろう)という、二人の生徒から出されています。これは、遠山先生の案より、ブレイルの点字の配列に近いものでした。
 ここで石川先生は、ブレイルの点字をかえるなら、いっそ大はばにかえてしまおうという考えで、ブレイルの点字を元にして、げんざいの日本点字に近い形を発表したのです。き本となる文字に、ある点をプラスして、別の文字のグループを作るという考えは、ブレイユの点字にヒントを得たものでしょう。
 この3つの案を元にして、日本の点字を決めるために、4回の会が行われました。第1回は明治(めいじ)23年9月27日(土)、第2回は10月4日、第3回は10月18日、第4回は11月1日でした。このときの出席者は小西、石川、遠山、奥村の先生がたと、室生、伊藤をふくむ生徒10名で、この会で石川先生の点字をみとめることに決まったのです。
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