新しいホームページができました(H28.1月)。
新しいホームページにはブログもあります。
ブログは毎日新しいものが載ります。
好評をいただいています。


 アコールのカウンセリングやベビーブレス等のセッションを体験された方々の記録です。許可を得て掲載しています。
 
今年の桜は咲き始めから散ってゆくのまで、すべてがきれいだなぁと感じる。
今までは満開に咲いた花だけがきれいだなぁと思っていた。
今年は花だけでなく、散り行く花びらも良いなぁ〜、
花弁のピンクの色がどんどん濃くなって、良いなぁーと楽しんでいる。
・・・
大嫌いだったお祖母ちゃんを幼い自分は大好きだった事を思い出した。
可哀想で頼りない母をいつもかばっていた自分。
母がいなくならないように、母に迷惑のかからないように家の中ではどんな時でも笑顔で、ニコニコして、我慢強い、いい子でいた。
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私は甘えたかった。気を使って、我慢ばかりするのは嫌だった。いつも寂しくてしょうがなかった。孤独で不安だった。
お母さんの問題はお母さんがやって欲しい(母は子供を十分に愛せなかった。その心理的な理由[問題]も持っている。私は愛されないのは私のせいだと思い、何とかしようと、自分をなくして生きてきた。でもそれはおかしい。母自身の心の問題は母自身が努力し解決してほしい。私が犠牲になるべきではなかった。)、
私はお母さんの子供でお母さんに甘えたかった。ただただ、そうしたかった。
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こんなに、お母さんを求めてるのに…。吹き出して来る私の思い!
・・・
私が私になると、桜の変化を楽しめる、すべてがすごく美しく感じれる。
私がここにいる!自分の存在を自分が感じれる!こんなに嬉しいことは、他にない喜び。生きやすくなりました。
女性20歳 「やったー真実が聞けた」「症状が違う」
 お母さんが(私を)堕ろそうとしたと話してくれた。「やったー」真実が聞けたと思った。嬉しい。理屈では「分かったー」となった。(その話の)切っ掛けは柏の3人刺した事件で、笑いながら刺していたのがあったが、(その犯人は)普通でない。シュール(私の中にいる人格)も笑いながらやる。刺すまでやらないが「笑うのは分かる」と話した。アコールのセッションで経験した事も話していたが、(その事件のように)人格が分裂している人をみて自分と「一緒だ」と話した。
 (その話しの中で母は)分裂しちゃうのは「相当辛かったのよね」・・(実はあなたのことも)一度は「堕ろそうと考えていた。」とやっと告白してくれた。(私は3人兄弟で、そのときには既に)2人上にいるから、(大変な子育てを)お父さんも手伝ってくれないし周りに人もいないから3人いて大丈夫かなと言う「不安」みたいなものが母にはあった。そして、エコーを取って心臓が動いているのを見て(やはり)「産もう」と思った。それでも母の不安は消えなかった。母は「不安」と言っているが、(「堕ろそうと考えていた」)原因は、ぶっちゃけそれだけじゃないと私は思う。(仮に真実が)それだけにしても(それがわかったことで改善された今の私の)症状が「違うな」と思う。 
「ちょっとした面白い事が凄く楽しかったり」
 (ブレスをして)最近明るくなった。緊張が強くて心からその場にいなくてその場とか物事を楽しいと思った事がなかった。けど、今はちょっとした面白い事が凄く楽しかったりする。
「お母さんに感情を出せるようになってきた」
 お母さんに感情を出せるようになってきた。子供みたいに不安な事とか怖いと感じる事を伝えたら受け止めてもらえた。怒りもぶつけられるようになった。
「お母さんも変わった」
 お母さんにはアコールのこと、自分の進んだ段階事に起きる変化を説明しているので、お母さんも変わったと思う。最近自分を探る手がかりの事を言ってくれて嬉しかった。
「生きている実感」
 今までの学校生活が全部が自分に取ってなかったのと同じ感じだった。人に合わせたり、寂しいから友達に会ったりしていたが、自分から望んで(いるのでは)ない事をしなくなったら落ち込まなくなった。前は生きている実感がなかった。卒論も書き終え単位を貰えて今年春卒業ができた。
 女性24歳「飲もうと思う事が無くなっていた」(アルコール依存症)
 前回のカウンセリングの日から変化がありました。その日の帰りに姉の美容院に行ったのですが、(カウンセリングの後でスッキリしていたからか)臆する事なく会話が出来、最後他の店員さんに「所々お姉さんと似てるね」と言われました。その言葉がとても嬉しかったです。
 その日から実家へ帰ってカーブス(フィットネスクラブ)へ行く回数も増え、家族と接する機会が多くありました。兄弟が普通に話しかけてくれたり、楽しく会話出来ている事を素直に嬉しく感じました。家族みんなが仲良くしてる空気間が幸せに思えました。そんな日々を過ごしていたら自然と飲もうと思う事が無くなっていました。
(彼女は長年のアルコール依存症で、専門病院に長期入院しても退院後数日で「飲んでしまう」状態でしたが、ベイビーブレス後、今のところ2ヶ月は飲まずに過ごせている。)
 女性24歳
「急に立ち直って心配」(アルコール依存症)
ベイビーブレスの後、今までは避けていた中学の時の友達ともお昼に遊んだりしました。友達からも元気になって良かった、と言われ、私も久しぶりに友達と楽しく過ごせました。
 また、(恋人との新生活や生活進路が決まり)新居で物を揃えたり役所や不動産などを周り、一日中外に出て歩き回りヘトヘトになってすぐ眠りにもつけます。過食もなく偏りがありますが三食食べてます。明るくなりましたが、少し心配に思うのは今月は急に立ち直ってテキパキし過ぎなのでは?ということです。(本物になるにはもっと時間がかかると思われます)
追伸部分:その後も日常に変わりはなく、精神面も落ち着いています。●●●●の入学面接を受けましたが、緊張もなく平穏無事に終える事が出来ました。
男性52歳
「今まで見えなかったこと」
 ベイビーブレスで人間のネガティブな部分を見たのは、(私の人生の)52年間で初めてだった。自分のも人のも。起こっている現象はネガティブな事が多いが、ためになって勉強になった。こんな感覚の人がこんなにいたなんて分らなかった。今まで見えなかった。いたんだろうけど気付かなかった。大体自分と同じだろう、それが世間一般だと思った。(そんな世間一般の常識など)とんでもない事だと分かった。
「部下の成長が凄い」
 (私は例えば仕事での会話の中で)今までならドキッと感じた事を人に言わなかったと思う(今は少しは言えるようになった)。(それにも増して、同じようにベイビーブレスを体験した私の職場の)部下Aが本人の部下Bから会議中に欠点を指摘されて、素直に受け入れ認めている姿に「(俺にはできない)参った、凄い」と思った。そして(私自身について言えば)その(ような同じ場面で)思った事を(その部下Aがやっていたように)第3者(例えば部下B)に伝えると言う事がなかったなと感じた。最も感じる事もなかった(だろうから部下Aの凄さにも気がつかなかった)かもしれないが。前の自分だったら部下(例えば部下B)に(自分の欠点を)言われたら認められず逆に反撃したと思う。(部下Aの)素直さに参った。
「垢が取れた」
 (私自身についても)ブレスをして、垢が取れたというか素直になったというか子供になったと言うか、(自分でも)嬉しい。最近自分の変化を感じる。
 女性40歳
「対人関係がどんどん楽に」
 今までは、相手の人に対して、こんなことを言ったら不機嫌になるんじゃないか、恐い顔をされるんじゃないか、変だと思われるんじゃないか、嫌われるんじゃないかと、おろおろ・ドキドキ・びくびくしていたけれど、セッションを重ねるうちに、だからこそ逆に言ってみよう!と思ったり、言うつもりはなかったのについ口から言葉が出てしまっていたり…。でも言ってみたら何のことはなく自分の取り越し苦労ばかり。ブレーキをかけていたのは周囲ではなく自分だった。自分の癖がわかってきて、対人関係がどんどん楽になっていっています。
 女性30歳「心が自由」
1人で何をしたいか考えて行動できるようになりました。
休日、今日はウォーキングをしたいなど、まず自分はどうしたいのかを考えるようになりました。
前の自分は、人に合わせるか、あわせてもらうように仕向けるかのどちらかでした。今はどちらでもない答えを見つけ、とても心が自由になりました。
 女性32歳
「子供を愛せない」
 息子が産まれて10か月、もう限界だった。
抱いていないと寝なくて、おっぱいばかり飲んで、朝が来ると今日一日泣いてばかりいる子供と過ごす事が怖くてたまらなかった。私はノイローゼになっていた。「私が泣きたいのに、なぜこの子をあやさなければいけない」と泣いている息子の顔を見ながら思っていた。
 ベイビーブレスで、泣きたかった幼い頃の私の寂しさが分かった。泣いている息子も私と同じ気持ちなのだと分かり、涙が溢れた。おっぱいを必死に飲んでいる息子を見ながら「この子が可愛い・・」と言う気持ちが勝手に湧いてきた。息子を愛せず、この子がいなければ良かったと思っていた幼い私がその後、もう一人子供が欲しいと思えるようになりました。
女性42歳
「躁鬱と引きこもりだった私が、仕事が続けられるようになりました」
中学の頃は不登校でほとんど学校に行けず、高校は1年足らずで退学してしまった私は、コンプレックスが強く、自信がないので社会に出る事が出来ませんでした。同じ仕事は3ヶ月・・、もって半年でした。仕事をすると、出来ない自分を隠すように最初は頑張る。でも当然息切れをして続かない。馬鹿にされないように頑張って良い所を見せようとしているけど、空回りしてだんだんボロが出てくると、逃げるように辞めてしまいます。辞めた後はひどく落ち込み鬱になり、何年も引きこもってしまう。ずっとこの繰り返しでした。
 ベイビーブレスをして、仕事が続かない訳が、がむしゃらに頑張る、人より目立たなければいけない、人の評価を気にしすぎる事が原因なのだと分かってくると、自然体の自分、出来ない自分、頑張れない自分を受け入れる事が出来るようになってきました。人の評価に惑わされなくなり、自分で自己評価が出来るようになってきました。出来なくても良い、今できる事を精一杯やってみようと思えるようになりました。だんだん仕事での疲れもたまらなくなってきて、仮面をかぶったような嘘の作り笑いをしなくても良くなり、自然に笑えるようになりました。今の仕事はもう8年目になります。以前の私からは考えられないですが、今は部下も居て、人を指導する立場に居させて貰えています。初めてこんなに仕事を続けられる事が出来ました。自分が無理をしなければならなかった原因が分かれば分かるほど、仕事は毎日やりがいが出て、楽しくなっています。 
 男性33歳
「生きるのが楽」
 ベイビーブレスをして生きるのが楽になった。
人を気にして人に合わせて自分を取り繕って生きてきた。ブレスを続けて行くと周りや人の事が全然気にならなくなった。生きるのが楽になった。泣きたい時に泣いて、嬉しい時に喜んで、頭に来て怒る。気付く力や感覚が鋭くなってきて、お店の危機対応力が出できたり、人の事が分かるのでコミュニケーションが上手く取れる。自分ばかりと被害者意識だったが、人の事を本当の意味で気にする事ができて、人に感謝できるようになった。働くスタッフに有難うと頭を下げている。変なところに気を使わないで『正直で素直』に生きるので気持ちが良い。(同時に、彼は職場での対人的な能力が向上し、上司が驚き舌を巻くほどになりました。) 
女性40歳
集団での「ベイビーブレス」は、迫力があり久々うかがった私は、押され気味でございました 。そんな状態でありながら、貴重な体験をさせていただきました。
・・・「死」と「誕生」の体験。・・・・
なんかこの体験でドカンと腹が据わったよう感じを受けました。
 そしてそこから日々に変化が・・・。
焦るとすぐミスをしてあたふたしていた私が、落ち着いて仕事をしていけるようになりました。
 子供に対してもバタバタ忙しくありながらもドンと落ち着いた気持ちで接するできるようになりました。
そして昨年、転職…
子供も大きくなりお金もいるし、自分自身もレベルアップしたいと望み、叶いました。 
 女性39歳
レゲエのおじさん
息子は引きこもるようになって、床屋にも行けないので髪が伸び放題。伸びた前髪を目の前にすだれのようにたらし、そのすだれの奥から用心深そうにこちらを伺い、“話しかけるなオーラ”が出ていた。話しかけようと顔を50センチに近づけると、大きく身体をのけ反らせて逃げるようにしていた。
 それが変わった。周囲は私が変わったからだという。絡まった髪をとかそうとおそるおそる髪に触ってもこどもは逃げなかった。レゲエのおじさんのような髪を40分くらいかけてブラシでとかした。あげく15センチくらいはさみで切った!「こんな場所で切って平気なの?」と気遣ってまでくれた。彼が私にくれた“OK”だった。私が(はじめて私自身に0Kを出すことができ、そうして)彼にOKを出せたら、彼が私にOKをくれた。
 
女性50歳
「生きていて良かった」
(セッションの後に)木が語りかけてくるようで、生きていて良かった。
山がきれいで、初めてそう思った。
あかちゃんが可愛い・・。
 女性32歳
「子供のように・・」
人間になりたかった。初めてのブレスの後、帰りの車からの空が広かった。空がある事、木がある事、花とか自然がある事さえ気づかなかった。降り積もる雪と風が吹いて木々が揺れる。自然と溶け込んで、気が付いたら1時間も遊んでいた。子どものように。自分を取り戻しつつ…(それまで、彼女は職場の仕事を人並み以上にこなしリーダーとして過ごしていたが、常に、何か不満足なものを自分の中に感じていた。)
 男性35歳

 何もかもがかわってしまった。どうか、あとわずかでも、このまま続いて欲しい。1年でも、一ヶ月でも・・。今歩いているゴミのちらかった裏道のすべてが美しい。

 昔の仕事の同僚に問われると、答える。今、人生の夏休み。はじめて人生を楽しんでいる。

  女性70歳
  「本当の自分を生きたい」
私は今年70才になる。内向きだった心が外に向かって少しづつ開き始めてきたようだ。好きな歌を歌ってみたい。自分の街を綺麗に志隊。ボランティア活動をやってみようかな。上手く歌いたい、とかいい人に見られたいとか、世間体から何かを「しよう」とするのでは無く、この私のしたい事をする。今までは娘の問題が私の心を占めていた。そろそろ自分のやりたい楽しい事をしてもいいのかな。娘は娘。私は私。互いに自立を目指していもベイビーブレスを続けている。
 
 男性27歳

 まるで戻らなくてもいいように、部屋を片付けてきました。覚悟のようなものがありました。初めてのブレス。激しい呼吸で汗がほとばしり出ました。しばらく自分がどこにいるのか分らない瞬間がありました。

 着替えをすませると、テーブルでハーブティーを出してもらいました。透明な沈黙の空間がありました。開け放たれた窓から風が通りぬけました。この世のものとも思われない圧倒される感覚がありました。口がきけませんでした。自分が解放されるはじめての感覚でした。


 女性69歳
 「パニック……でも今は」
私は不安にかられているときは良くパニックを起こした。乗り物が多かった。各停と急行、この駅間の違い。「間違えた」と思って飛び降りる。そして自分がどこに居るのかわからなくなり頭が真っ白になる。娘が仕事を辞めたりドタキャンするたびにオロオロしていた。でも今は違う。「待てよ。考えよう、一呼吸して考えよう。」と。最近はパニックになっていない。娘に対しても「ふ~ん。好きにしたら、あんたの問題でしょう…」と突き放せるようになった。
 女性40歳
「楽しかった」
 高速道路のサービスエリアに、動体視力を試す体を大きく使うゲームがあった。周りからも見られるようなもので、今までなら、もし点が悪ければみっともない、はずかしい、と思い絶対やらなかっただろうけれど、やってみた。
結果は年齢70歳代以上という酷いスコアだった。一緒にいた夫は、私のスコアの悪さを鼻で笑った。今までなら食って掛かったのに、自分も笑ってしまった。あまりにどうしようもない自分がおかしくて楽しかった。
 ずっと自分はすごい人だと思っていたけれど、ベイビーブレスを続けて、自分は何もできないしょうもない人だったんだな、と認められるようになった。プライドばかり高くって、できもしないのに、ふりばっかり。何でそんなふりをしていたかが分かった。そうしなくてはいけない理由がわかった。そうしたら頑張らなくていいから楽になった。
 息子にも同じように頑張れ、頑張れとやってきた。漕いでも漕いでも進まない自転車に無理矢理乗せていた感じ。もう放してあげて、楽にさせてやりたい。
 女性41歳「摂食障害が治った」
 拒食症の後、過食嘔吐が27年間続きました。
毎日が食べ物に支配され、依存していました。普通に食事をする事も、人と食事に行く事も出来ず、ただ毎日動けなくなるまで食べては吐く毎日でした。仕事以外の時間は、子供達と話をする間もなく、車の中や、家族が寝た頃に隠れて過食し、トイレやお風呂で吐いていました。毎日ヘトヘトで仕事も続かなかった。どうして食べ物に依存しなければ生きられないのか、なぜ、こんな病気になったのか・・その訳を知りたいと思うようになりました。
 ベイビーブレスを何度も続けていくうちに、食べ物で埋めなければいけなかった本当の自分の傷が分かり、もう食べ物で埋める必要がなくなりました。家族や友人と同じ物が食べれるようになり、外食が出来るようになり、旅行に行けるようになり、子供と過ごす時間が増えました。身体が健康になり、いままでボロボロになってしまっていた髪の毛や爪や肌も、徐々に回復しています。一生やめる事は出来ない病気だと思っていました。精神科での薬を使う事なく、入院する事もなく、自分自身で病気に向き合う力を身に付ける事が出来ました。私と息子の命が救われました。本当に感謝しています。
  女性41歳 「子供のためと思って懸命にやってきた・・」
子供のためと思って懸命にやってきた。食事はきちんと作った。冷凍物は使わず、野菜も全てオーガニック。2時間位かけてきちんと作っていた。きっちりマクロビオティックを実行した。白砂糖や添加物の入った身体に悪いものは、あれもダメこれもダメと一切食べさせなかった。お菓子も手作り。必死だった。それなのに、友達から貰った市販のお菓子を食べる時、友達の家で普通の食べ物を食べる時の方が嬉しそうだった。子供は「何で僕だけ食べちゃいけないの」と言った。友達が食べていても、白砂糖が入っていたら、「あなただけは食べちゃダメ」と私は毅然と言っていた。子供は私が怖いから、食べたいと言わなくなった。
子供に食べさせたくないものは「大人が食べるものだから」とか、饅頭を「あれは辛いよ」といって食べさせなかった。幼稚園の時、よその子がソフトクリームを食べているのを見て、「あの子、子供なのに食べているよ」と怪訝げに言っていたほど。
子供が何が欲しいか、どうして欲しいか、ではなくて、私がどうしたいか、どうしなければならないか、しか考えていなかった。私がやるんだから黙って言うことをきけと、やっていた。
今、思う。子供が欲しかったものはオーガニックの野菜や手作りおやつではなかった。
ベイビーブレスを重ねて今は、~しなければ、~でなければダメ、というのが随分取れて楽になった。そうしたら夕飯に出前が取れるようになった。カップ麺も食べるようになった。
 不登校を繰り返したり、家で暴れたりするようになって子供との関係が悪くなってからケーキを作っていなかった。今、関係が回復しはじめ、数年ぶりに子供が小さいときに良く作ったケーキを焼いた。お菓子作りは気持ちに余裕がないと作れない。息子が小学生以来だった。私が作りたい気持ちで、作ってあげたい気持ちでやると、息子にも伝わったのか、「ホッとする味、懐かしい味だ」と言ってくれた。私に何でも押し付けられたこと、決めつけられたことは嫌だったろうに、そんな風に言ってくれて嬉しかった。
 ずっと自分が子供に対してやらなければならない事に必死だったから、子供はかわいいかどうかなんて感じている余裕がなかった。子供は「何とかしなければならないもの」だった。けれど、最近はかわいいと思えるようになった。そう思えるようになったら、息子にはもっと自由に好きにやらせてあげたいと思えるようになった。
  
  女性32歳 「潔癖性・・パニック障害・・自分を攻撃・・」
昔は、潔癖性のため、誰が作った物か分からない食べものは気持ちが悪くて食べられなかった。一般のレストランやコンビニはダメだった。両親の方針もあった。出先で騒いだりしないように、家で食べてから出かけていた。お祭りの時も食べてからだったので、結局何も買わずに帰ってきたりしていた。母親以外の食事をする機会は、祖父母の家、料理した人が特定できる店くらいで、数えるほどだった。こどもの時からずっとしてきた事だったので自分は普通だと思っていた。自覚をしていなかった。
 ベビーブレスを重ね、自分と親との関係を直視するようになってから、自覚が生まれ、変わった。外出したレストランで何を食べるか楽しみになった。たくさんの仲間と大皿も突っつけるようになった。大皿に残った料理を最後に自分が食べたりする。昔は考えられなかったことだ。結婚式で出される食事も食べられるようになった。
 それだけではない。昔は、家以外の湯船に浸かれなかった。そのかわり自宅のお風呂には毎日入らないと気がすまなかった。今は、銭湯を見つけて心身共に温まっている。
手が汚れたら仕事中でも何度も洗う、少しでも汚れがあったら又洗う。指先にほんの少し白い部分があると汚れだと思い、洗う。気がすむまで洗わないと終わりにすることができない。今は、1~2回洗えば終わりに出来るようになった。
 外出先の洋式トイレに座れない。お尻を着けられない。お尻を着ける洋式はダメなので、和式を選んで入っていた。洋式しかないときには、便座を拭いてからティッシュを引いて座っていた。これらが消えてしまった。不潔潔癖性、完璧主義が姿を消した。ずいぶんズボラになった感じだが、気に入っている。
 パニック障害もほとんど無くなった。昔は、決められたこと、あらかじめ自分で決めたこと、先手を打ってたくさん予想して、対処していた。だが予想以上の事が起きると体が緊張して頭が真っ白になって思考が止まっていた。時間がたち、出来なかった自分を攻撃して自己嫌悪に陥っていた。そして次は起こらないように最善策は何かを復習した。その繰り返し。ベビーブレスを重ねるにつれ、自分を攻撃しなくなり、出来ない自分を許せるようになり、パニック障害が減ってきました。
  男性30歳
 いつものようにブレスの会場に向かう。暗い道を歩きながら、星空をながめた。まるで乾いたスポンジが水を吸うようだ、と思った。怒りや悲しみが毎回あふれ出す。あふれて、あふれて、尽きることがない。自分の中が猛スピードで変わっていくのがわかる。地についたものが現われる。こんなことがあるなんて・・。
 でも本当は知っていた。今思えば、知らないふりをして、何とか人生をやり過ごそうとしていただけだった。
女性65歳
「内面の免疫力」
 娘を何とかしたい一心で初めたカンセリングは知らぬ間に、私の母親父親の育て方育ち方生き方の問題になっていた。ベイビーブレスを重ねるにつれ、私自身の身の震えるような深~い寂しさの原因を知り私は変わってきた。人間は病気を治す免疫力を持っている。心の傷も同じだ。傷つき生きにくさを感じたとき、その傷を丁寧に見ていくとその傷は癒やされる。治す力を自分自身が持っているのだと確信した。
「娘も今」
 私は母親との関係を探りながら、寂しさの原因を突き止めお陰様で本当の自分を取り戻した。娘も今、自分を取り戻そうと仕事を続けながらベイビーブレスをしている。
 女性68歳
「気がつくと自分のこと」
 私は割合裕福な家庭に生まれ恵まれた人生を過ごしてきたと思っていた。娘が不登校やひきこもりを起こすまではわ。何も問題のない優しい良いお母さんだと。娘が大学を中退しアルバイト先を転々とし、仕事が長続きしないのは娘に原因があると考え正論をまくしたてていた。ところが娘はひきこもり「死にたい死にたい」と口走るようになった。私はどうして良いかわからなくなり薬を飲まなければ眠れない日々が続いた。家の外に出たくない。いつも不安。それでも近所の人には気づかれないように外ではニコニコしていた。 娘を何とかしたい一心で連れて行ったカンセリングで私がベイビーブレスを受ける事を勧められた。不本意だったが。ところが不思議なことに初めてのブレスで私は赤ちゃんのように何時間もただただ泣き続けた。次の回も…次の回も……。そしていつも寂しさが残った。この寂しさは何だろうと思っていた。娘の為にと思って受けたブレスは気がつくと自分のブレスになっていた。
「変化…感じる」
ブレスを続けていくにつれ寂しさの原因が自分の事が少しづつわかるようになった。わかるに従い変化が起きてきた。いつも見慣れている草花や木々…自然がより一層美しい。洗濯物を干しながらふと見上げた雲一つない真っ青な空。いきなり涙がポロポロポロポロこぼれ落ちてきた。枯れかけて折れてしまったサボテンの先に思いも描けない一輪のピンクの花が咲いているのを見つけたとき思わず号泣してしまった。自分の姿に重なった。自分を取り戻し始めたのか…。

ブレス(ベビーブレスを行う)ルームが気持ちいい。
周りが、木があって、できたての酸素がいい。
主人との関係がすごく良くなった。体に触れ合うのが嫌だったのが、くっ付いてテレビを見られるようになった。 主人と喧嘩できるようになった。 
ここは、あの時の自分に会える素敵な自然の場所です。
宝物に会えました。

 大阪から来ました。杉の香りがいい 広々として、自然がよくて、ハンモック(セラピー)で自分の深いところに入れた。 来て良かった。
 生きるためにニコニコ仮面をしていた。そのような自分の(ベビーブレスの中で)反対側になって、そうして、本当の自分に成った感じ。(隠れていた)怒りもスーとでる感じ。
研修に使用する部屋が)ひろくて、暗くて、周りを気にしなくて、声を思いっきり出せていい。
ブレスは怖いが、みんなと話すのが凄くいい。
聞けたり、質問されたりして、気付く自分をブレス(ベビーブレス)できる。
しかも、6ヶ月の赤ちゃんをつれて来ました。安心してスタッフに預けられ、セッションを受けられました。
  
・・・ 深く早く呼吸をし始める。・・・続けるうちに、ポンとスイッチが入って、見事に入りました。

 胸の奥から沸き起こる深い悲しみ。感覚では、今まで生きてきた28年間を消化するような深い悲しみ。

そうか!そうだったのか。『自分には生まれてきたことに罪悪感があるなって。生まれてきたかったけど、生まれてきて迷惑だったんじゃないかなーって。だからほんとの愛情が欲しいんだって。』不思議ですよね。自分を味わって呼吸してるだけなのに。ものすごく怖かったけど、ブレス後は今の自分がものすごく愛らしく思えました。 自分を偽り、人に依存する(愛情を限りなく欲して、No.1のかっこいい王子様になる)ことでしか生きてこれなかった自分が、ひとりでいられるようになってきたこと。ひとりで生きていける人になれたら、みんなといたらもーっと楽しいし幸せですよね。・・・しっかり自分と繋がるし、これからも(このことを)消化していくつもりです。

 自分が分かります。分かると山はきれいです。
(自然の中だから余計に)感じられます。空気気持ちいいです。
 
会いたくない自分にも合える場所。隠していた修羅場を聞いてもらえる場所。

お蔭様で充実した内容の深い、とても良い体験が出来ました。

自分の本当の根本は「寂しい」でした。そのことが、それまで自分の表面に出ていた、他人への「無視」「支配」「押さえつけ」「隠蔽」などと、感覚で繋がったきがする。気分的には、すっきり。でも、なぜそのように繋がるのか説明はまだ出来ない。
 
(研修の)場所も良かったと思いますが、グループで年上の人や男の人と盛大にブレス(ベビーブレス)するのが凄かったです。圧倒されましたが入れて良かったです。「笑い」や「ダンス」のセッションも良かったです。

自分のことを話すことも他の人の話を聞く機会も今回初めてで、凄い貴重な体験をさせてもらいました。
自分のことを話してみて、今まで1人で抱え込んでいて寂しいと感じたことがなかったけれど、寂しいと思ったり感じたりしてもいいんだと分かって、なんだか楽になった感じがします。
次回機会があればまた話したいなと思います。
 
恵まれた大自然のなかで過ごして最高でした。
ブレス(ベビーブレス)の部屋は安心してできる。
グループだと一緒に行う一体感がある。
 
すごい、(この研修施設の場所の雰囲気が)田舎に帰ったみたい。こういうところで、育った。故郷に来たみたい。
 ずっとさみしくて、人が怖いし、男が嫌いだし、自分が何者か分からなかった。その原因も分からなくて、(今は)分かってしまったらなんてことないやぁ・・。
何十年も苦しんで、自分の事分かれば、なんてことない。
寂しくてやってる、悲しいからやってる、と分かれば苦しくないしやらなくなる。
自分を分かった分、相手をわかれる。 
自分を分かってないから、おどおどする。 わかると(自分の)軸がしっかりする。
 
「これがしたい」「これが欲しい」という自分の本当の気持ちが少しだけ、はっきりしてきたが、もっとはっきりしたい。ベビーブレスの中で吐くようになって、4?5回。これが嫌だということは、はっきりして来た。  
(研修施設の)場所も自然に受け入れてくれ、解き放たれる感じでした。自然に自分の言葉が出て来たすっきりしました。
 セッションも、思っている事を自然に話す事が出来たから、すっと小さいころの思い出を思い出せました。
 心の琴線に触れたい方はぜひきてみてください。

昨日はありがとうございました!本当に大切な時間となりました
きっと誰よりも参加が怖く、逃げ出したくなるのではないかと思っていました
なぜ逃げたいのかは昨日になるまでわかっていませんでしたが逃げずに見つけた自分がちっちゃくて・・・でも●●こんなものなのでしょうか?
昨日からこの時間までの間にあんなになにも思い出せなかった事が沢山、沢山あふれ出てきました
 

母親のために、妹のため、人のために頑張ってきた。
振り返ってみたら母親に依存され自分には母親がいなかった事が分かった。
可愛そうだと泣けてきた。やっと子どもになれた気がする。
 
セッションを終えた後、とてもスッキリした気持ちになりました。体もとてもラクになりました。今までは自分の悩み、辛い出来事を誰にも相談せずに我慢してきましたが、我慢しないで何でも周りに伝え、もっと周りを頼ろう、と思えたとたん、肩の力が抜けました。今度は仕事でも構えずに楽しく活動できそうです。本当にセッションを受けて良かったです。ありがとうございました。


自分の問題はあまりないが、●●の話から学ぶ事は多い。
末っ子でみそっかすだったので小さい頃から自分の話は出来なかった。
細かい部分で関わりがなかった。だから話すのが苦手。
集団にいても私に興味を持っている人がいないだろうと思う。
人が多いと不安定になり居たくなくなる。しらけてしまう。
 今が楽しいので過去は振り返らないが振り返って良かった。人の話を聞いて親近感が出てきた 


セッションをすればするほど、 自分の隠していたところに触って温かい気持ちになれる。場所が素敵なので、他の会場よりも自分を解放しやすい。冷たい思い出が多い人は、ここの山中湖の中がおすすめです。


セッションをうけていて、だんだん無になっていた 自分が、生きて来たなかで大事なものを重たい順番に思い出した 自分と向き合う事の出来る場所だなと思います

 


自然の中から気を受けているように感じました
 心と体のバランスがとれ空気や水で充電できました
 考えることよりも、まず来てみてください

 
 私自身は、思いもよらず冷静に過ごせたことに驚いています。
普段はとても泣き虫で、すぐに感情が溢れて●●に「○○、また泣いてる!」って言われるのですが、今日は、何故か涙はあまり出ませんでした。

自分を少し知れて嬉しかった♪ とても温かかったです。 
 
今日は、気持ちの良い春の日差しを感じ、
昨日の濃~い一日がふっと遠い日のように思えました。
・・・
『自分自身を見つめる』ってよく言われる言葉だけど、生育歴から内面を見つめ出すと、そこから色々なものが見え始めその場を共有させてもらえることでもっと更に広がって行くように思えました。皆さんのことがとても近く感じられるようになりました。
それで、温かい気持ちにもなりました。
 
 初めてグループでブレスを行いました

 ひとりひとりの世界を共有すると何倍も広がって マイナスをプラスに返る力が大きくなるように感じました

 直感が研ぎすまされる感じがします

自分がわかると、頭で判断するのでなく、感情が素直に導いてくれるような、そんな感覚になり、愉快とさえ思えてきます。そして、セッションを担当して頂いている●●●、自分の事を知ってくれている人がいるという事が、こん 
 グループでは個人セッションの時のような深い話はできないかと思ったが核心を話せた。母が怒ると自分が悪いと責める。いつもこの場にいて良いのかなと思ってしまう。・・・軽くなりました

いままでブレスの経験は数回ですが、その中では一番自分を見つめられました

 宿泊なので、帰らなくていいという時間のと気持ちの余裕があった

 岡山からですが、思ったよりも近い、生まれはじめてこんな大きい富士山をみました
何度か受けていると色々見えて深まってきました。
今回は嬉しい事も悲しい事も同じ場所から思い出しました。
 
 父がダメな人で母が家を支えたと思っていたが、何度か受けているうちに観る角度が変わってきた。父親の影響を受けて反面教師としてきたと思っていたが、本当は働いていないといけない母親がいてその影響が大きかったのだろうと深まってきた  思い出したのはお腹の中の事のように思う。自分が生まれても病気で抱けなかった母がいた。  一生を振り返る事は大事なことで成人式や新入社員に受けさせたい。幼少期に関わってくれた祖父母を思い出した。お墓参りに行こうと思う
アンケートを記入したときには、泣きながら書いた部分もあったのに、セッションまでに数回読み返した為でしょうか。それとも、自分で感情に蓋をしてしまっていたのでしょうか?冷静な自分がとても不思議な感じがしました。  認められたくて頑張って目立ちたい自分がいるが引っ込みたい自分もいる。小学生で褒められた自分の後に失敗した自分がセットになって出てきた。分かっていく事が楽しい)
何回か受けたら人の話をよく聞けるようになってきた。母との思い出がでてきて
母の気持ちが理解できて切なくなった。本当の自分をもっと知りたい
今日、参加してビックリな事ばかりで興奮しています。
“傾聴”したかったのですがあまりできず、感情移入したり、質問したくなったりして自分と戦う事もシバシバ・・・ 今日聞いた事は内緒です。
が、時間が短くて残念でした。もっともっと一人一人の時間が欲しかったです。
私は、みんなの話を聞いてみんながもっと好きになりました。 
 自分と向き合う時間を作ることによって普段は蓋をしていた自分の正直な叫びに
耳を傾けてあげることができました。
私は自分の正直な気持ちを呑み込んでしまうタイプなので、こんな機会でもないと、話せなかったと思います。
自分が耐えることによってその場を何とかしのいできましたが、それって健康的な方法ではなかったということも分かりました。どこかでそのシワ寄せが生じるんですね。
自分自身の身体に現れたり、子供に現れたり・・・
「闇の部分に光を当てる」
封印した過去の経験に、敢えて光をあて見つめなおす・・・「辛い過去」を色んな角度から改めて凝視することによって、生きるエネルギーに変えていく。 すごい発見でした☆
色んな自分と出会えたことも大きな収穫でしたが、皆さんのお話を聞かせていただき、それぞれが歩んでこられた深い人生を教えていただきました。
継続は力なり、諦めないでやりましょう
こどものことで問題を抱えている人にちょっと勇気をだして、訪ねてみてください
 自分ことが分からなかったが、ここにきてわかるようになってうれしい
あなたの心をのぞきにきてください
 非日常的な体験をさせてもらえる最高の場
自分を解放できて自分の中に隠れている心の小宇宙を体験できる喜び
自分の中に隠れている可能性をスタッフや一緒にセッションを受けた人たちの力を借りて思ってもみなかった自分を発見できる場所




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