このページの製作責任者:(片伯部あらため)雲泥モロチ
小冊子に投稿したアコールの記事を転載します。対談形式になっています。
目次
記事0胎児期の傷
記事1山下美和さんの摂食障害
記事2受け入れきれない傷の深さ
記事3母親は責められるべきか
記事4フローティングセラピーの導入の理由
記事5娘尚枝の胎児期の傷
*******以下 本文***************
記事0胎児期の傷
林
今までのこの対談形式のシリーズでは、人が悩むということの根本のところには、母親との関係があり、傷があるという話をしてきました。悩みが、子供や、姑、夫、親、恋人、職場の上司などのことであれ、自分自身のことであれです。
しかも、その傷が早い子供時代の傷であればあるほど、傷は深くなります。悩むということは、小さいときの辛い思いがそのまま残り、いわゆる固着となっていることが多いと思います。この固着のことを、自分達は単に「傷」と呼んでいます。この固着があると、人は同じパターンで悩んだり、傷付いたりします。そして本当には問題は解決されないまま、人生を歩んで行き、問題を更に形成していきます。
この傷を理解し、心理的に消化することで、問題が消え、心理的な成長が起こります。
片伯部
古い未消化の傷を、再体験して消化し乗り越えていくということですね。
林
そう。この傷は、たいていの場合にはその人の中にいくつかあって、カウンセリングやヒプノブレスでは、理解と消化は、新しい傷から古い傷へと進んでいきます。そしてついには、胎児期まで行きます。そこまで行かなければほんとうの解決にはならない、その人自身が満足しないようです。このことは多くの人で起こりますので、胎児期を注目しないわけには行かないわけにはいきません。
片伯部
林さんの胎児期の話をしてもらえますか。
林
私は、ヒプノブレスをやるまでは、自分は愛されてきたと思って育ってきました。もちろん、実際に愛されてきたという事実の側面はあります。しかし、何か大きな心理的なショックがあると、いつも死にたいという感じがありました。そのことが自分を悩ましていました。疑問でした。
ヒプノブレスを体験し深い体験を重ねるようになると、胎児の頃に自分が産まれることは本当には「望まれている感じはしない」「産まれていいのか死んでいいのかお腹の中で迷っている」感じが出てきました。さらに、産まれた体験もし、その途端に「がーっかりされた」感じがありました。「失敗したー」「迷っていたけれどやっぱりダメだった」という感じが出てきました。本当にリアルでした。心臓がバクバクしました。産まれずに死んだ方が純粋だったという感じなのです。
そして驚いたことに、そのヒプノブレスで体験した感じが、実は本当らしいという情報を、その後で得ることができました。私は、それほど裕福な家庭で産まれたわけでもなく、4人姉妹の末っ子で上には3人の姉弟が既にいて、親は私を妊娠したときに一番下の子は要らないと思ったのではではないか、と推察するようになっていましたから、そのことを思い切って兄貴に尋ねると、「うん」という答えが返ってきました。当たっていました。兄貴は、直接に親から聞いて知っていたのです。両親は、私本人にはそのことは直接に言わないまま亡くなっていました。
片伯部
「死にたい」ということの起源が分かったということですね。
林
また、ヒプノブレスを通して、私の中には自分の女性性を否定して男のように頑張る部分があることに強く気づくようになっていました。自分は女であってはまずかったのではないだろうかと思うようになりました。そう思うと色々お思い当たることがあります。自分が産まれる前後のことを根ほり葉ほり兄貴に聞くようになっていたころのある日に、兄貴から手紙をもらいました。その手紙によると、母親は妊娠中に3人の近所のお茶飲み友達を前にして、私を妊娠した大きなお腹をなでながら「今度は男の子が欲しいんだ」と言っていたということを、その友達から聞いたと言うことでした。ビッタリでした。自分が産まれること自体が、親の期待とは違っていた。本当は産まれない方がよかった。でも産まれるなら、せめて男として産まれるのを親は望んでいたのです。
片伯部
ヒプノブレスの体験の後で、体験を裏付ける証言があったのですね。子供は親の期待に一生懸命に沿おうとする。ましてや、その裏には命がかかっていたということですね。
林
自分の出生の秘密を見抜いた感覚が当たったのは嬉しいが、「やっぱりか」とがっかりしました。うすうすはがっかりしていましたが、拍車をかけてがっかりしました。でも、そんな自分の一番深い傷が分かってから、空を見上げると空が青いんです。自転車に乗ると、風が気持ちいいです。
片伯部
底が抜けたような気持ちよさなんですよね。気持ちがいいなんて、不思議です。
林
片伯部さんの胎児期の体験はどうですか。
片伯部
事実として分かっていることとして、私の母親は、妊娠や産まれての赤ん坊に嫌悪感のようなものを抱いていたような様子があったことです(母親がそうなってしまった理由も、ある程度分かっているのですがここでは省きます)。また、私の姉は生後数日で亡くなっています。オッパイを吸う力がなかったということです。私を妊娠したとき、母親は妊娠の辛さに耐えられず、陣痛促進剤を使って、2ヶ月早く私を早産しました。未熟児となった私は、そのころ故郷の街では一台しかなかったという保育器の中に入れてもらいました。医師が「もう助からないかもしれない」という危機があったようです。
それと、私が意識できる私の中に存在する心理的なトラブルには、林さんが命名してくれた「不全感」がありますが、その中でも私にはとんちんかんさがあります。中途半端や優柔不断の親戚のようなものです。自分の本音と一致しない生を生きている感じです。悩み続けました。なんだろうなと思っていました。
ヒプノブレスでは、産まれてくること自体が「とんちんかんなこと」だったような感じがしました。本当は未熟児のまま体力が無くなって死んでいくことがとても自然だったのです。何も治療しなければそのまま逝っていたのです。産まれる頃に自分が選択していたことは、死そのものでした。迷いはありませんでした。ところが、どういうわけか「産まれてしまった」のです。イメージとしてでてきたのは、山の上の分水嶺です。稜線の向こう側(死)に行くのが自然なのに、こちら側(生)に自分の身体が転がり落ちて、仕方がないから自分もついてきたような感じです。向こう側に行くのが本音でした。こちら側へ来たことがとんちんかんでした。
そのとんちんかんさで、ずーと生きてきていました。本音は死なのに、現実には生きているから何とか生きようとする自分がいるのです。その二つに両側から引っ張られて、私はいつも中途半端でとんちんかんです。生と死のアンビバレンツのうちもう少しで満たされそうだった死の方が、肩すかしを食らって、未だに私を引っ張っているようなのです。
そのことが分かったのは私にはとても大きなことでした。
林
2人の体験には、胎児期に大きな傷を得ているという共通点がありますが、この共通点は深い悩みを持つ多くの人にも共通するようです。
乳児期が人間に大きな影響をおよぼすと言うことは割に一般的かもしれませんが、ヒプノブレスでは、さらに胎児期を重要視しています。胎児に感じたり体験したりする能力があるというのは、ヒプノブレスでの自分たちの体験や参加者の体験からは、当然のように感じますが、科学的には一般的に言われているのでしょうか。
片伯部
胎児の能力を、普通に考えるよりも非常に高く評価する研究などはあるようですし、胎児にも感覚や意識や記憶があるという文献もあります。
まず、精神分析家で精神科医のハリー・スタック・サリヴァンは、子宮内の胎児には出生以前にすでに、高度に統合された活動が起きていて、この活動は全身反応とするほうが健全であり、したがって両親などの重要成人よりなる周囲の人的環境が強力な影響力を行使する、といっています。【A】p260
また、精神分析家の木田恵子は、無意識の内容は必ずしも抑圧されたものばかりではなく、胎児が何か感じる力ができる頃からのものもそのまま保存されており、まるで皮袋の中に入れられたビー玉のようだといっています。【B】p15
また、前ハーバード大学講師で精神科医のトマスバーニーは、胎生4ヶ月で光に対して敏感になり、母親のお腹に向かってライトを点滅すると、胎児の心拍数が著しく変動した例、母を悲劇的なストレス(夫が事故で亡くなった)が襲ったときに、激しく暴れた胎児の例を紹介しています。【C】p31、p80
また、アルバート・アインシュタイン医科大学の教授で、国立衛生研究所の脳研究班のチーフを務め、『脳研究』という定評のある雑誌の編集長もしているドミニック・パーパラが行った研究で、胎児に意識が芽生えるのは胎生7〜8ヶ月で、そのころ脳の神経回路は新生児とほとんどかわらないくらい進歩しているとする研究を紹介しています。【C】p33
さらに、彼は胎児に記憶があるという実話や研究も複数存在することを報告しています。
例えば、パリ医学校で言語心理学を教え注目すべき論文や著書をいくつか発表しているアルフレッド・トマティス教授の治療経験によると、自閉症にかかったフランスの4歳の女の子が、治療の過程で英語を話し、そのたび毎に治っていったが、この英語を彼女がいつ覚えたのか不思議がっていたところ、実は、彼女が胎児のときに母親の勤め先の英会話を聞いて覚えていたらしいことが判明した、ということです。
また、交響楽団の指揮者が、あるとき突然にチェロの旋律が譜面を見なくても頭に浮かんで来ることがあったが、その曲は、実は彼が母のお腹の中にいたときに、母がいつも引いていた曲だったことが判明したそうです。
さらに、チェコスロバキアの精神科医であるスタニラフ・グロフ博士は著書の中で、ある男性はある薬を飲むことで、自分が胎児だった頃のことを思いだすことができたが、あるとき、カーニバルで鳴らすトランペットのかん高い音が聞こえ産道を通る体験をした。そしてその後、男性の母の話で、カーニバルの興奮が彼女の出産を早めたことが判明した、としています。
さらに、カナダの神経外科医ワイルダー・ペンフィールド博士が証明したところによると、電気的な脳へのショックにより、患者が長い間忘れていたことを正確に再体験でき、その時に感じ理解したことを再び感じ取った、ということです。
また、デービッド・B・チーク教授は、ある研究者が分娩にたちあった4人の子供が大人になった後に、催眠状態で思い出してもらった出産時の生まれてくる姿勢が、4人とも分娩記録と一致したという実験を報告しています。
トマス・バーニーによると、胎児が記憶を獲得する時期には諸説があって、胎生3ヶ月になると胎児の脳の中に記憶した痕跡のようなものが時たま現れるというのや、胎生6ヶ月から記憶できるという研究者や、少なくとの胎生8ヶ月にならないと記憶する能力は備わらないとする研究者もいるといっています。
【C】p18、p28、p34、p102、p110から111
林
胎児にそのような高い能力があるということに否定的な意見もあるのでしょうか。
片伯部
あります。
フロイトの時代は生後2、3才にならなければ深く感じたり体験したりはできない、と思われていたようですし、【C】p21 トマス・バーニー自身も、1950年代に勉強した医学では、新生児は思考を持たぬと教えられた、と回顧しています。【C】p172
胎児などはとても、とても、ということでしょう。
林
仮に、胎児に感じたり体験したりするような高い能力があったにしても、母親の気持をどのようにして感じ取るのかの説明はできるのでしょうか。
片伯部
バーニーによれば、胎児と母は相互のコミュニケーションを、3つの回路でとっているといいます。
一つは、ホルモンを介する相互作用
二つは、動作による相互作用
三つは、共感による相互作用です。
一つ目に関しては、アメリカの生物学者で心理学者でもあるW・B・カノン博士により、ホルモンの一種のカテコールアミンという物質が胎児の恐怖や不安を引き起こすことが証明されたことを報告しています。【C】p36
林
胎児期の恐怖や不安を観るのはとても辛いことですね。ヒプノブレスを続けてくれているある人は、あんまり辛いから、誰かが自分の代理でヒプノブレスをやってくれるものなら何十万円でも払うといってましたが、本当ですね。
片伯部
それでも自分の傷の全容を観るというのは、自分の成長にとても役立ちますから、続けるのですね。しかし、胎児期の傷まで行くと、自分という「個」というか自我が出来てないので自分の傷に耐える力がなくなってくるという問題がありますね。「よしわかった、では私はしっかり生きて行くぞ」というのは、アンビバレンツ期(生後6ヶ月以降)より新しい時期の傷では起きるけれど、より深い前アンビバレンツ期(生後6ヶ月以前)より古い(胎児期を含む)時期の傷ではそうは、なかなか行き難い感じが出てきます。自分を育て治す段階ですね。育て直しというサポートが要るようです。
林
もちろん、アンビバレンツ期より新しい時期の傷でも、自分の傷を観て、それを本当に受け入れるまでには、激しい感情の起伏を経験したりします。が、前アンビバレンツ期より古い時期の傷では、感情の起伏という程度では済まなくて、得体の知れない不安を味わわなければならなくなる。耐えられない感じですね。
この「育て直し」は、自分の傷の全容を観て受け入れ、やがて自分を再構築し修正することを言うと思うのですが、そのためには、育て直しを見守ってくれる誰かが要るようです。信頼の置ける人、自分自身、その人が信じる宗教の教祖などでしょうか。
片伯部
本当に心理的に耐えられないときには、誰かに頼りたくなりますが、そのことと関係があるのかも知れないですね。しかし、誰かに頼って失敗したり、思想や主義の問題が入り込む可能性がありますね。
林
それは、自分の深い傷を本当に認識しているか否かで決まると思います。深い傷を観ることができなければ、自分の人生を更におかしくしてしまう事にもなりかねません。その可能性を少なくするには、その「誰か」は具体的な存在ではない方がいいのかもしれません。
片伯部
育て直しに有効な手段として、自分達では胎児風呂と呼んでいるフローティングなどを、今、研究中です。
林
それと、わたくしごとになって申し訳ないのですが、自分の子供を、まるで自分自身を育てるように育てることを今やっています。私の子供の尚枝には、本当のことを言いたいのです。尚枝はもらわれた子供ですが、そのことは親子の間ではオープンになっています。自分の場合には、母が本当のことを言わなかったのです。もちろん、母にしてみれば子供である私を傷つけないようにするための思いやりだったのでしょうけれど、その思いやりは私にとっては「毒入り饅頭」になってしまいました。長い間、わけが分からず苦しみました。本当のことを子供に言うことは、最終的には子供を傷つけないし、その上に自分が癒されます。
誤解してもらったら困りますが、思いやりが無用だということではないのです。思いやりの問題ではなくて、本当の自分の気持ちが分かっているかどうかということです。本当のことが分かっていないと本当のことは伝えられません。
片伯部
本当のことを言われてショックはショックだろうけれど、結局は自分をつかみやすい。本当の本当を知っていれば、自分自身の人生を取り戻しやすいということですね。
林
そうです。親を怨む、怨まないの話ではないのです。自分の人生を取り戻せるかどうかの話なのです。
片伯部
自分自身の全体を観るのは、本当に苦労しますが、それだけの価値はあります。
【A】【分裂病は人間的過程である(サリヴァン)みすず書房】
【B】【子供の心をどう開くか(木田恵子)太陽出版】
【C】【胎児は見ている(トマス・バーニー 小林登訳 詳伝社)】
記事1山下美和さんの摂食障害
林 山下さんは摂食障害で長い間苦しんできましたが、ここしばらく私担当のカウンセリングとセラピーを辛抱強く受けられ、最近なにか一皮むけたかのように御自分のことを深く理解されるようになってきました。この理解は人間に共通の部分を含むように思えます。今回、客観的にまとめる意味もあり、片伯部のインタビューを通して御自分を語っていただきます。
片伯部 どんな摂食障害ですか。
山下 数千円分買ってきた食品を一度に食べて、その後吐きます。吐きやすい食べ物を選んだり、水分を入れてから吐くようにします。お風呂で吐くので臭いや吐くときの音がばれませんし、その後に身体も洗えるので身体の臭いも消せます。
<<病歴>>
片伯部 摂食障害はいつから始まったのですか。
山下 高校一年の頃です。
片伯部 十数年続いたんですね。何がきっかけでしたか。
山下 私は、産まれたときから体は大きく、中学二年のとき既に80キロくらいあり、ボスになってみんなを支配していました。ところが、ある日を境に逆転し、徒党を組んだみんなから「ふざけんなよ」と反発を食らいました。誰とも口をきいてもらえませんでした。学年全員からいじめられました。女子も男子も。デブと書いた匿名の手紙をもらいました。痛いところを突いてきました。そういえば親や姉妹にもデブといわれていました。私の家は、お兄ちゃん、お姉ちゃん、私、妹の4人姉妹でした。妹は痩せていてかわいかったです。比較されました。もっとも、親は店が忙しく子供に食事を与えっぱなしだったので、上二人も太っている時期がありましたが。
そういう状況で「痩せてやる」と拒食になりました。1日1食とか、1日リンゴ1個とか。3ヶ月くらいで20キロくらい減りました。一番痩せたときは55キロくらいかな。顔が青くなっり、先生や親が心配して「食べるように」と言いました。私は「『デブ』の次は食べろかよ」と思い、テーブルの下から犬にあげました。
高校一年のころ、食べないことに耐えられなくなりました。友達に何となく話していて相談したら、その友達が、たまたま食べて吐く(摂食障害の)人で、「(食べたかったら食べて)吐いちゃえば」といわれて「えっ。どうやって吐くの」と聞くと、「指つっこんで」。そこから過食嘔吐が始まりました。
片伯部 家族には何と言いました?
山下 家族はもちろん誰にも絶対に気が付かれたくなかったので、トイレで吐きました。臭いとか気になっって。ところが、お姉ちゃんの勘が鋭く気が付かれそうになり「あんた吐いてんの?」と聞かれ「吐いてないよ、ちょっと気持ち悪くなっただけだよ」などとごまかし続けました。私が二十歳のときに、ようやく姉が嫁に行って家から出たときは、やっと自由に吐けると、ホッとしました。「よかった」。親は気が付いていたのかも知れないけれど何もいいませんでした。今思えば、仮に薄々気が付いていても、追求するのが怖かったのだと思います。
いろんなタイプの摂食障害があると思うけれど、私は、食べるのを楽しむタイプで、長い時間をかけて食べます。そのため、消化が進み吐き辛くてなかなか出てこなかったので、吐きやすい食べ物を選んだり、水分を入れてから吐くようにしたら、吐くことが楽になりました。また、臭いがばれないように、お風呂で吐くようにしました。吐くときの音がばれないようにシャワーを流しました。その後からだも洗えるので身体の臭いも消せます。便利でした。つい最近までそうでした。排水溝が、よく詰まらなかったものだと思います。
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片伯部 どのくらい食べるんですか 山下 一回に三千円分くらい、一気に食べてしまう。商売で店をやっている親の金を盗んだり、バイトで働いたお金はほとんど消えました。お金の工面が大変でありた。ばれないようにお金を盗んで、ばれないように食べて、ばれないように吐かないといけなかった。夜中に食べはじめて終わるのが朝の6時くらいになる。 片伯部 いつ頃まで続きましたか。 山下 私が二十四歳の頃に姉が離婚して家に戻ってきたのですが、その頃に、ある友達に電話で告知しました。いろんな話をしているうちに隠しておくことが辛くなって。その友達は、実は気が付いていたが「言わずにいてごめんね」と言いました。非難されると思っていたのに「ごめんね」と言われて嬉しかったです。 片伯部、 誰にも知られると嫌だったんだけれど、その友達には知られていて嬉しかったんですね。 山下 そう。そして、私が25歳のときに、はじめてライフリーディングを受けました。そのころ、誰かに話したくて、いろんなところで自分の話をして、よく泣いた。自分のことが話せるのが嬉しかった。親や姉妹にも告知した。自分はおかしい、自分のことを大嫌いだ、いつも死にたいんだ、病院に入れてくれ、といいました。 |
片伯部 言えなかったのは、どういうことだったのか、話してくれますか。
山下 自分を受け入れてはもらえない、100%ダメだ。醜い、食べ物を吐いているような自分は絶対受け入れてもらえない、と思っていました。鶴の恩返しの物語と同じに、吐いている自分は絶対に見て欲しくなかった。吐き終わったら元気な私で戻ってくるから。いつもそういう気持でした。
【摂食障害を治さなくてはいけないと言う気持ちにはまり込み、益々ひどくなる】
片伯部 話せて少し楽になりましたか。
山下 話せるのはよかったが、摂食障害を治さなくてはいけないと言う気持ちにはまり込むようになって、その障害は益々ひどくなりました。愛情が欲しくなり、愛情をもらえそうな施設に行ったが、なぜか益々寂しくなってしまった。今だから分かるのだけれど、食べ物も、人からもらえる愛情も、どちらも本物ではなく、私は偽物から偽物を渡り歩くことをしていた。母親に話をしても、本当には分かってもらえず寂しかったんです。悩んでいる人の相談に乗っても、寂しい。人の相談に乗っている状態ではないのに、大丈夫な自分を演じてしまう。なんでこんなに寂しいのだろう。
片伯部 そのころ結婚したんですか。
山下 私が28歳のときに結婚しました。寂しさもあったし、彼は子供が欲しかった。彼には摂食障害のことは告白し、他人と一緒に住むことにも自信がないと言いました。彼はそれでもいいと言ってくれました。私は、身体は健康だったこともあり、その期待に答え、すぐに妊娠しましたが、妊娠中も吐き続けました。そして宇太が産まれた。
片伯部 ご主人の理解があったんですか。
山下 幸いにして、彼の職場は忙しく家にあまりいないので、自由に過食嘔吐ができ、かさむ食費も彼の給料でなんとかなりました、月に十万円は軽く越えますが。あればあるだけ使ってしまう感じなんです。彼は細かいことを詮索しない人なので助かりました。
ところが、宇太の育児に追われて、自分の時間がなくなり、過食嘔吐の時間がなくなってしまったんです。子供に怒りが向いてしまった。宇太はものすごくしがみついてきた。今思えば当然なんですが、宇太はなかなか寝なかった。安心できるはずがない。でも私は苦しくて仕方がなかった。生後10ヶ月の頃まで、苦しくて、産まなければよかったと思いました。食べて吐くことは、自分にとってこんなにも大切なことだったのがわかる。自分に欠けた愛情の隙間を埋める作業だったようです。子供(宇太)はその作業を邪魔する相手だったんです。憎らしかった。とても子供に愛情をかけられるような状態ではありませんでした。
【死にたい】
真剣に自分が死にたくなりました。その場から逃げたくなり、毎日朝起きる度に「死にたい」と思いました。1日を過ごすのが苦痛で、子供の泣き声にうんざりしました。この生活から逃げるには死ぬしかないと思いました。
片伯部 子供への怒りのようなものが、今度は自分にきたんですね。
山下 そう。それまでは、仕事でも恋愛でも、嫌になれば親元へ逃げればよかった。逃げ道があったんです。今回は違った、本当に苦しかった。
そこで、再びセラピーを受けることにしました。結婚する前もブレスなどのセラピーを受けていたが、セラピストから評価されたくて、本当でないセラピーをしていました。もうあのブレスはしない、と宣言した。やっと本気になれた。
母親のことがどれほど子供に影響するのか現実のものになったんです。親と自分のことは今までのセラピーでも出てきていたが、今度は実際の現実で自分と宇太のことを、自分自身の体験として味わった。本当に死んであきらめられるのか、自分のこれ(摂食障害のもととなる原因)は、全部が宇太に(伝達して)いってしまうぞ。私が死ぬのは勝手だが、宇太は人を殺すようになるぞ。そう思えたのは、一昨年の10月のことでした。
片伯部 本格的な自分探しのスタートということですね。
山下 はい。そのころ、宇太と二人きりになることが怖かったので、実家にほとんど毎日、車で通って、ご飯を食べ、実家の風呂場で嘔吐をしていました。大量の食事は車の中で摂り、風呂に入っている間は両親に宇太の面倒を見てもらいました。
林 そのころ転機がありました。当時、私から見ていて、山下さんは自分のことをやれる力が形成されてきたにもかかわらず、本当の自分に向かっていない感じがありました。親にも頼り、私にも頼っている感じがした。そこでセラピーを「止めよう」と提案しました。
片伯部 イチかバチかですね。
山下 それまでにも実家に通う回数を減らすことを勧められていたが、1〜2日我慢すると、もうダメだった。できなかった。提案は、ギョッとしたが、今思えば、そんな強い言葉を言われたかった感じもした。
林 彼女は提案を受け止める感じが見て取れました。
山下 その後のブレスの中で宇太への殺意が出て、(イメージの中で)彼をぶん殴って殺しました。邪魔しやがってお前なんか産まなければよかった、って。そんな怨みが自分の中に隠れていたということは恐ろしいことでした。後で分かったんですが、私が怖かったのは、宇太と一緒にいたら、私のその気持ちが出てくるということでした。それが怖いから、実家に逃げていたようでした。
【子どもと一緒に居られるようになる】
それから1ヶ月、実家には行かなかった。林先生になぜ喜ばないの、といわれたが、ヤッターという気にはならなかった、自然にできてしまったんです。それまでとは違い、宇太と二人でいるのが楽しかった、一緒に散歩をしたり、食事をしたり。それまでの、宇太と二人でいられない理由が分かったので、私の邪魔をする相手を殺したかったというのが分かったので、一緒にいられるようになった。
片伯部 過食嘔吐にも変化があったのでしょうか。
山下 いいえ、過食嘔吐自体がなくなったわけではありませんでした。宇太が寝付いた深夜に、でなければ、会社から帰宅した夫に宇太の面倒を見てもらっている間に、過食し風呂場に入ってシャワーを流して嘔吐しました。
片伯部 自分の深い部分の殺意が分かって、子供との関係が改善されたと言うことですね。
山下 そう。宇太に対する殺意が分かり、自分に対する殺意(自殺願望)が分かった。
![]() 親子カウンセリングに協力してくれたお母さんもつらかった |
<<母からの存在否定(殺意)>> しかし、その後で、もっと重要なこと、母に自分も同じことを思われたということを感じた。私は母親に「死ねっ」と思われた・・、感覚として分かった、確信した。そのため、殺意は初めから私の中にあり、それを出さないようにしていたが、出てしまうと、宇太や自分自身に向かった。そのことが分かったのが、昨年の夏です。 その後で、実際に母親に何となしに聞いた。「あたしのこと殺したいと思っていた?」って。母のことだから絶対に否定すると思っていた。ところが驚いたことに否定しない。「まあ・・いそがしかったしねえ・・・、思ったこともあるかもねえ・・。」 この、母に聞く前に、実は、母は私と一緒にブレスをしてくれたことがあります。そのときの自分でつけた記録によると、母に身体を触れられても、決してガンとして甘えられない自分がいて、甘えることなど絶対にやってはいけない、怖い、と感じ、多分、私がお腹の中にいるときに母はそう思わせる気持ちでいたはずだと、書いてあるんです。また、このときの母親の感想が、私の「手が冷たい、体が固い、申し訳ない、ずっと親子で話していなかった、怒ってばかりいた、反省した、この子が産まれて幸せだったのか、産まなければよかったのか、と感じた」とある。今、記録を読んで「えっ」と思い、納得がいくことなんです。 母が私への殺意を否定しなかったことを、やっぱりなあ、言ってくれてよかった、と思います。 |
片伯部 そのころ摂食障害に変化がでてきたんですね。一時的ですが吐かなくなったんですね。 山下 そう。その後にフローティングセラピーを受けるようになるのですが、それも大きいのかもしれません。
フロセラでは、初めの頃は3時間くらい寝ることができたので、胎児期はよかったのかと思っていました。ところが、回数を重ねる内に気持ちよくなくなって、眠れなくなって、とろとろする程度になり、ソワソワする感じが出てきました。 フロセラのお湯から出たくない、助けを求めるようにセラピストに来て欲しいと思うんです。私は、吸引分娩で生まれたせいか、初めの頃のブレスでも必ず頭が痛くなっていたが、フロセラでも頭が痛くなってきた。自分の意志で出たいのに、無理に出された感じ。実は、母は父の支配のもとで依存して生きている人で、医者のいうことにも自分をゆだねてしまい、言われるままに吸引分娩をOKしたようです。そのことに私は傷ついたのです。
そして、本当は生まれてくることを否定されてきたのではないか、母親が無意識に思っているのを私がジワーと感じていました。寒くなる感じです。
この時期に、20日間吐かずに済むことが起きました。
片伯部 私も報告を受けて喜びました。しかし、一時的だったんですね。
山下 そう。無理がありました。どこかでセラピストの評価を気にして頑張っていたんです。20日後に、過食嘔吐が突然戻りました。
その後のブレスは胎児をターゲットにしました。「お前なんか死ね、死ね、死ね・・・」とやりました。自分です。しかし、感情はなく、誰への殺意ということでもない。ひからびる感じでです。私の本当の傷は、吸引分娩ではなく、ここの部分(対象のない殺意)だったのです。
<<変化>>
その深い傷を見ていくうちに、いつのまにか吐かなくても大丈夫になっていった気がします。他人の評価は関係なく、太ること(吐かなければ太ってしまうという恐怖がある)がOKになってきました。醜くてもOKということです。自分が本当に醜いのか確認したく知りたくなってきました。本当に醜いのか(言葉を換えれば、「受け入れられない」のか)試してみたい、試せる感じになってきました。
今は、ご飯はてんこ盛りで2杯くらい食べます(過食とは言えない)。満足するまで食べることにしています。我慢しないことに決め、お腹がすいたら食べます。吐いていません。
片伯部 過食嘔吐ではありませんね。
山下 そう思います。
片伯部 中学の頃からの話はうかがいましたが、それ以前の話をお願いしたいのです。赤ちゃんの頃はどうでしたか。
山下 オッパイはもらえませんでした。ミルクも、ほ乳びんをタオルで支えて一人で飲まされたようです。6歳の姉はその光景をものすごいと思ったようです。母は近くにはいませんでした、店が忙しかったからです。4人姉妹は誰もオッパイでは育っていません。
食べ物は豊富にあった、ドンと置いてありました。自由というか、野放しで、子供だけで食べました。休みの日はカップラーメンとかです。
片伯部 食べ物はせめてもの親の愛情の表現かも知れないし、それで食べ物に走ったのかも知れないですね。
山下 そう。唯一の愛情なんです。私の親にとって、「健康」というのはは体の健康なんです。おかげで身体は大きく健康に育ちました。心は別。
私は、父親には支配されたが、かわいがられました。「俺のいうことを聞け」という感じです。そして、病院に行くような病気をすると父はやさしくしてくれました。小学4年から授業をボイコットしたりしました。寂しくて小学校から学友を支配しました。父の影響でしょうか。病気のときの優しさが忘れられずに、(摂食障害という)病気になっているのかも知れません。病気が治ってはいけなかった、治ったら優しくしてもらえないのです。
片伯部 深い病気だといわれる摂食障害に正面から取り組んで、自分の深い部分を探っている様子がうかがえますが、今、御自分のこと、摂食障害のことをどう思いますか。
山下 (摂食障害などには)必ず理由があるので、そこを見なければ自分は変わらないと思います。摂食障害と名前が付いているからそこ(過食や嘔吐)にはまりやすいが、しかし、それほどそこはポイントではない。たまたま食べるということが欲求の一つで、(自分が気づき始めたことに比べて、それほど)深い意味はないように思います。
片伯部 病気の原因を探るのは困難な作業だと思いますが、うまくいった理由は?
山下 あきらめてから始まったんです。摂食障害がどうなろうとかまわない、そこからがスタートだった。食べたければ食べる、吐きたければはく、自分を解放する、そこからがスタートでした。
そして、自分の病気には原因がある、それを見る勇気が必要だ、それができれば、結果として治るかも知れない、そう(思うように)なったのは1年くらい前です。セラピストに捨てられそうになってから。それでよしと思った。
今、過食というほどではないが、食べることを制限しておらず吐いていないので、徐々に太っている。宇太を産んで痩せたときは62キロだったから、今は7キロくらい太って68〜69キロくらいになっている。自分が本当に醜いのか試している感じです。毎日計って、どのくらい太るのだろうと、直視している。
片伯部 太ることイコール醜いこと?
山下 そう。太ってもいいよ、と自分を許しているんです。昔はできないことでした。前に20日くらい吐かなかった後で突然に過食嘔吐が戻った時期は、太るのは怖かったから、食べるのはセーブしていた。今回は淡々とできそうな気がします。もっとも、また戻るかも知れないし、うまく行くかも知れないし、分からない。
片伯部 太って「醜い」と「評価」はつながっているのですね。
山下 そう。醜いと評価されない。評価されるためには、外見が綺麗でなければならない、スラーッとしていなければならないし、目立たなければいけない。太っていることは醜いことだという妄想を経験してみたいと思った。(自分が太った姿を)なんて醜いんだろう、って、いつ決めたんだろう。
前に話したように、小学から中学になるころ80キロくらいあったので、そのころまで戻ってもいいと思ったし、醜いと思っている自分を見たいと思った。そのくらい太ってもいいやと思ったんです。ゆるいズボンをはいて、許そうって。
毎日、食べて、吐かないで寝て、起きて体重を計る、自分には現実と向き合うという挑戦の意味があるんです。朝起きると、「20キロくらい太ったのではないか」という不安と妄想がある、マシュマロマンのように太るという妄想があるんです。昔は妄想はもっと強くて、鏡で自分の顔を直視できなかった。
片伯部 外面的な醜さは本当の醜さではなかった?と言っているように聞こえるんですが。
山下 外面でなく、本当に見にくい自分を隠していたんです。ずっと。恐ろしいほどの怨みと復讐があることを(他人に)知られたくなかった、絶対に。だから醜いのは、太っている自分だと思い込んでいた。だから受け入れてもらえない というふうに誤魔化していた。人に対する怨みがこんなにもある、人に幸せになって欲しくない、自分に関わりのある全員に対して。一人に対してではない。姉妹、親、友達、自分の子供も。それを私は知らなかった、今まで気が付かなかったことが恐ろしい。
片伯部 「摂食障害」を問題にしていれば、その本当の恐ろしさに触れなくて済む防波堤となる?
山下 そう。だから、太ってもいいと思った瞬間に、これ(怨みと復讐をかかえているという醜さ)が出てきた。この醜さは、太ることなんてものの比ではない。自分さえ幸せになればいい、後の人はみんな不幸でいいんですから。
片伯部 その本当に醜い怨みがどこから来るかというのは分かってきたのですか。
山下 母親に対する怨みです。「ぶっ殺してやる、産みやがって。お腹の中にいるときに自分の存在を否定しているのに、産むんじゃねえ、このやろう}って。産まれてきて醜い自分、「ざまあ見ろ」。ずーっと病気(摂食障害)でいたかった、「こんな私になっちゃった、ざまあ見ろ」と言う感じ。ざまあみろは、世間にも、自分にも、親に対してもある。でも親に一番に言いたかったこと。「世間様に言えるか、お前の娘はノイローゼだぞ」それが長い間病気でいなければならなかった理由だった。治ってはいけなかった。
その怨みがこれほどとは思わなかった、全ての人に対するすごい怨み。復讐が、私のかわいい宇太に出たので(ことの重大さが)わかりやすかった。自分のことが怖いなあと思い、身体が震えました。
片伯部 よくやりましたね。
山下 知りたかった、醜い自分を知りたかった、原因を知りたかったんです。自分のことを探るのは、手探りでした。いいブレス(セラピストに気に入られるセラピー)をしていないか、本当に知りたいのか自分に問宇太。病気を治すというような薄っぺらいものではなく「知りたかった」んです。
蓋を開けるというか、まだ(自分は)隠しているのか(宇太に対するだけではなく全ての人に対する怨み)というのを実感しました。もっとあるんじゃないかと探る自分、感覚的なもの、それが頼りでした。例えば、これは母親に対する怨みで前にも一度出てきた、などいう頭の理解は、深くはいるのに邪魔をします。そして、あきらめないことが本当に原因を知る助けになる、そうやってやり続けて、今、自分の症状が許せています。
少し前までは、自分の病気はずっと治らず、おばあちゃんになっても吐いているという感じがしていたが、今は治るという予感がしている。
摂食障害というのは、名前だけのことで、本当のことは奥が深い、症状が食事に出ているだけであり、状態は百人百様だろうなあと思う。自分はたまたま摂食障害として出てきただけです。
<<現在の本人から見た両親>>
片伯部 今になって御自分の両親をながめてみてどんな感じがしますか。
山下 父は、支配が強くて心の話や過去の話には価値を認めない人で、ひたすら将来へ向かって働く人です。しかし、病気になって弱った父に、はじめて洗いざらい手紙を書くことができました。父は2歳のころに実家に預けられ、父の母が迎えに来ても後ずさりしたといい、そのころの父の心の傷がそのままなので、私は苦労する、というようなことです。病室の父は「手紙をありがとう」といってくれた。しかし父は過去を振り返ることなく、亡くなっていくだろうなあ、と思います。
母は、依存が強く、父に逆らって店よりも自分達子供を優先するというようなことはできなかったようです。4人も子供をもうけたのに、今、自分が宇太と味わっているような、自分の子供と心から一緒にいられる幸せを全く味わっていない。可哀想な人だと思う。私の母への怨みは深く、勇気はいるが、今からも掘り下げて自分を取り戻したい、と思います。
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<<近況>> 山下 今日の朝、宇太が熱をだしました。今までは宇太は、病気になるとすごくぐずって、1日中オッパイに、かじりついていました。私は、宇太が病気になると、宇太はつらいのに、心配するどころかイライラばかりしていました。今日は、イライラはなく、宇太はぐずらず、宇太と一緒にいるのが楽しくて、かわいくて、かわいくてしかたなかった。私は、宇太が生まれてからずっと2人で居ることを避けていたので、今、その時間を取り戻しているんです。毎日が、すごく大事な時間なんです。 宇太は、熱が39度もあるのに、全然ぐずらず、1日中私と、べったりしていました。私が、宇太に「ママねー宇太がかわいくてしかたがないんだー、だから宇太の事が、心配でしょうがないの・・・。」と言ったら、ボケーとした顔で、ニコ(^.^)っと笑っていました。こんな風に、宇太と病気の時の時間を過ごすのは、初めてでした。意識と、自由を感じています。突然の事が起きても、不安にならないんです。今まで、いろんな物にしばられていたから、かえって今すごく自由を感じます。なにより、宇太をかわいいと思える気持ちが、嬉しいんです。 |
記事2受け入れきれない傷の深さ
林 この「アコールつうしん」の記事を読んで、アコールが一体何をやっているのかわからない、という人がいるようです。困っています。
片伯部 私だって困ります。今まで、できるだけわかりやすい記事になるように、これでも心がけてきたんですから・・・。
林 問題はどこにあるんでしょう。
片伯部 扱う内容が深すぎて辛すぎるのだと思います。 自分の心の傷に気が付くことは大切なことだということは、誰も経験するところです。ある人が、何かをきっかけにして、自分の心の中に隠された傷があるようだと、ある日気が付いたとする。日が経つにつれ、その傷がなぜできたのかということ、その傷を持っていたために、人との関係にあれこれの影響を与えていたことなども、少しずつ納得できるようになるでしょう。そのうちに、人間関係がよくなったり、身体の不快が無くなったりすることもある。何よりも、自分が何か大切なことを知ったような喜びがあるはずです。問題は、その傷がとても深い部分にある場合です。例えば、自分の母親が自分の出生を実は望んでいなかったような場合、そのことに本当に気が付くと母への憎悪、世間への憎悪、自分自身への憎悪、自分の子供への憎悪などと対面しなければなりません。
アコールのセラピーはとても深い部分の傷まで届くので、効果も大きいのですが、人によっては受け入れきれない傷の深さというのがあります。そして傷を受け入れきれないと、「アコールつうしん」の記事自体を受け入れきれないということにもなります。
林 しかし、最近刊行された「阿闍世(あじゃせ)コンプレックス」小此木啓吾など編集(創元社)は、アコールと同じ深い部分を扱うものですが、既に書店に残り少なかったようです。世間には受け入れられているのではないでしょうか。幼児虐待や子殺しの問題は蔓延しています。
片伯部 それでも受け入れられる人の数は多くないのでは・・。
林 幼児虐待などは、その母親が自分の乳幼児期や胎児期に(虐待された)傷を持っているはずで、自分の傷を観ないからこそ、自分が子供を育てる段になって、無意識の憎悪がムクムクと頭をもたげて対処できずに、やっちまうんですから。自分の傷を観ることができ受け入れることができれば、虐待などの世代間伝達も無くなっていくでしょうに。
片伯部 本当に観れば、やりませんよ。やれたものじゃありません。深く根元的な傷を正面から観ることができ、それによって本質的な癒しを感じ、本当の成長を喜べる人々もいます。しかし、あまり深い傷を観ることには耐えられず、なんとかその傷を観ずに済むように、プラス思考を掲げ、外側に活動の輪を広げ、明るい光を求めて生きていこうとする人々もいます。傷を観るのは難しいことだと思います。
林 私も昔は後者の仲間だったのです。
片伯部 あなたの仲間には今もそういう人が多いですね。観たくない人は、観ようとすることに対し、しばしば次のように感じます。人生の暗闇ばかり扱って、ドブさらいのようなことをして一体何の得があるんだ。とんでもない。俺は、ただでさえ苦しんでいるのに、それを、一番苦しいところに放り込んで何が面白いんだ。暗いことを掘り返してもしょうがないんだから、明るく前向きに生きていかなければしょうがないだろう。自分のことばかりにかまけていないで、社会のお役に立ったらどうだ。ドブさらいをやったら悩みは消えていくのか。悩みが消えないのは、感謝が足りない、信仰が足りないんだよ、そんな傷なんか観てどうするんだ。社会的にも、俺達は正しいことをしているだ。親のことをあれこれいっているようだけれど、それでも親は一生懸命やったんだよ。怨んでいる人にだって、いい面もあるでしょ。いい面を見て生きて行きなさい、とね。
これに対して、観ようとする人は次のように反論したくなります。暗闇のドロドロに正面切って対決できるようになったときに、初めて本当の癒しが起きるんだ。観ないのは、ただ怖いだけだ。逃げていると一生苦しいままだぞ。暗い部分に背を向けないときに初めて、本当の意味で、自然で明るく前向きの人生が起きて来るんだ。自分で作り出すような偽善は必要がなくなる。いくら人格者ぶっても自分の傷を観ることができなければ、子供には非行などで離反され、身体には治りにくい病気として出る。いくら家の外側をきれいにしても、家の中の下水がつまったまんまでは健康な生活はできない。ドブさらいをしなければ、くそだらけの人生を、臭いをごまかしなながら生きていかなければなない。裸の大さまの王様のようにね。そのように病識がないから、ドブがつまっているのにも慣れっこになり、知らないうちに、子供に出る、身体に出る。たとえ悩み自体は消えなくても、悩みに巻き込まれることはなくなる。悩みの程度は本当に弱くなる。自分の本当の姿を観ない信仰など本当の信仰ではない。社会的な行いを、自分の内面の作業に、すり替えることはできない。暗闇を観ることは、親が一生懸命に子育てをしてもそれでも子供である自分を傷つけてしまった事情を、理解できるようになる。本当の和解がある。怨んでいる人を、どうしてそうだったのかを理解しなければ、本当にその人を許すことにはならない。その人のいい面だけでは、ものごとが薄っぺらなまんまだ、とね。
林 きついけれど、そうだと思います。
私は、プラス思考的な「感謝とお詫び」の業をしましたが、実は、私には役に立ったのです。母は私を苦労して育ててくれました。いっぱい感謝しました。自殺を思いとどまることができ、普通に生活できるようになった。ところが、人間らしくなったかというと、違った。自分の本当に深い傷がわかったかといえば、それはない。自分の本当の問題には触れない。なんとか生活しているに過ぎない。本当には生きている実感はありませんでした。
自分は求めました。感謝とお詫びという答えがなく、母の深ーい傷を見破るような作業になりました。深い傷を持ちながら頑張ってくれた母に、深い感謝も湧いてくる。同時に、自分がどれほど傷付いたかもわかってくる。自分という存在の否定でした。その傷は、自分の中に隠れていました。
今は、前よりも人間らしくなった、と思います。私には階段が必要でした。
ヒプノブレスでも自然に感謝とお詫びに入る人がいます。しかし、その次(の回のヒプノブレス)には「実は違うところに傷がある」などと言って、また進んだりします。
私の場合、母の傷を白日の下に曝すことが、自分の傷を曝すことになり、自分の人間性の回復になりました。死んだ母を攻撃してもしょうがないといわれそうですが、亡き母親を攻撃することでも、自分の攻撃性が認識でき、その攻撃性がどこからきたかがわかり、本当の傷のありかがわかります。自分の傷をわかることで、行動などはまるきり違うことになります。
片伯部 林さんの場合にどのように違いましたか。
林 傷がわからないままだとしたら、怨み(攻撃性)をオブラートに隠してやさしくすることになり、(人に対し)毒になったでしょう。私の子供も、怨みは隠して嘘をやるようになったでしょう。やがて自分の好き嫌いや本心もわからなくなるハメになったでしょう。
傷を観たおかげで、いくらかは人間性を回復し、おかげで子供とは本音で話せ、一緒にいて食事をするだけでものすごく楽しいです。本音を、怒りを、出してもOKの関係です。出すと、逆に仲良くなります。子供がものすごくかわいい。話が通じます。上滑りの話ではなく、自分の悩みを打ち明けてくれます。男の子の話や、セックスの話もできるようになりました。私も、打ち明けます。その結果、お互いが人生のどこにいるのかもわかる。不安がないんです。安心していられる。私が求めていたものがこれだった。
どんなに辛くても、苦しみの大元を歩み通さないと癒しは起きてこないと、体感しています。自分の経験が証拠をつかんでいます。ごまかしが利かない。途中で終わると悩みが続きますね。
片伯部 林さんが亡き母親を攻撃するようになった深い傷はどんなものでしたか。
林 母親にとって私は本当は欲しくない子で、どうしても生まれるのなら男の子であって欲しかった。このことは私には人生の早くからわかっていたことのようですが、深く心の奥に隠されていました。観たくない傷でした。そして、読者には理解されにくい表現であることを承知で言うと、胎児のときに母に「欲しくなかったことは黙っててあげるから、頼むから産んでちょうだい」といって産んでもらった感じなのです。そして、実際に男に負けないように生きてきましたが、背後には自分が存在してもいいのだろうか、いっそ死んでしまいたいという不安と、共犯者のような罪悪感とがありました。
片伯部 両親への憎悪はどうでしたか。
林 割に単純な父には、若い頃に十分に憎悪を出せ、その結果いい関係を持てましたが、分かりにくい母親のことは見抜くことができなかったので得体の知れない苦しみが続きました。しかし、ヒプノブレスのような深いセラピーを経て初めて見抜くことができ、閉じこめられていた憎悪や悲しみを出すことができました。それが私の人間性の回復につながっています。
片伯部 林さんの場合も、胎児期の自己の存否に関する傷ですから、阿闍世コンプレックスですね。
林 片伯部さんの場合はどうなんですか。
片伯部 私の話をさせていただけるのであれば紙面を50頁くらい欲しいですが、そうもいきません。昔は私も母親からは愛情をもらったつもりでいました。一面の真実です。しかし客観的には、どうも母親は子供が欲しくなかったようです。私の姉はオッパイを飲む力がなく生後3日で亡くなり、私は陣痛促進剤を使って2ヶ月早く早産で生まれ、後の兄弟は何人か堕胎され、私は一人っ子です。母親は、子供は一人で十分じゃった、おしめの換え方が分からず見かねた隣人がかわりにやってくれた、とあっけらかんと話す人でした。その訳もかなり解明できてきましたが、ここでは割愛します。私は2歳半のときに母の実家にしばらく預けられ、その時の体験が傷つき体験として初めて想い出されることがあり、私の突破口になりました。
母親は、今考えると、かなりわかりやすい人でした。私が小さい頃、私が何を言ったことがきっかけなのかは思い出せませんが、母親が私に「ヘッ、産んでぃもろち」と何度か言ったことがあります。訳すと、産んでもらった癖に何を生意気なことを(あるいは贅沢なことを)言っているんだ、という意味です。私も3人の子持ちですから一般的に親の気持ちは分かるつもりですが、そんな言葉を自分の子供に吐くことができるというのは、親はかなりの心理状態です。私の小さい頃からの不全感はこの母親から来るのですが、母親が、この「産んでぃもろち」を額面通りに言っていたんだというのが分かるようになったのは、恥ずかしい話、ここ最近のことです。分かりたくなかったのです。記念として自分のメールネームを「雲泥諸智」とすることにしました。
林 面白いですね。その場合の阿闍世コンプレックスを話して。
片伯部 私を精神世界に導いてくれたのは、私の漠然とした不全感ですが、その背後には存在していてはまずいという不安があり、何かの拍子にアイスピックで心臓を刺されるような実際的な恐怖が隠れていました。この不安や恐怖は、陣痛促進剤を使った人工早産に関係するように感じられ、その背景には、胎児期に受けた母親からの殺意(堕胎したい)があるようです。
よって当然に形成される私の側の両親に対する殺意は、激しいものがあり、夢の中では、両親を何度も白骨死体にし、犯人は自分であるというストーリーで冷や汗をかきました。それが、阿闍世コンプレックスのなせる技であるというのがわかってからは、不思議なことに、そして当然にも、一度もその夢を見ません。
文字になるとオドロオドロしいでしょうが、得体の知れなかった頃に比べると、大変に助かりますし、一つ一つの消化が確実に成長につながるという感覚は、味わった人でないと理解できないでしょう。自分の子供へ愛情の湧き出る具合は、自分で信じられません。
林 そういうことなんですね。阿闍世の物語自体も、もう少しして下さい。
片伯部 前回話した仏典にある阿闍世の物語は、母が妊娠が続くことを望まなかった阿闍世が、胎児期からの怨みを持っており、両親を殺そうとする葛藤をおこすのですが、お釈迦様が深い理解を示すことで救われるという物語です。
ところが、救いのきっかけになった深い理解は、お釈迦様が示したので、人によっては、何か「超人的な存在」が、救いのためには必須であるように思うようです。とすれば、お救い人や奇跡を求めなくてはなりません。
しかし現実に踏みとどまって、お釈迦様は「超人」ではなく「人」だったはずだと思い直せば、全く違う「教え」が得られます。心理セラピーをめぐる経験によれば、このような深い理解は、あくまで生きている人の内部から生じるべくして生じるものです。超人的神様から宅配便のように届けてもらうものではありません。人間釈迦は阿闍世に対し深く共感することが可能であり、母親や阿闍世はその共感に感応できる状態だったというのが実際だったのではないでしょうか。阿闍世は、逃げずに十分に悩み果てた後であり、もはや心理的に退路を立たれた状態だったでしょう。もし阿闍世が深く悩む前であれば、お釈迦様の深い共感に対し何も感じなかったでしょう。中途半端な悩みであれば、猛々しい王になっていた阿闍世は、むしろ、お釈迦様に攻撃の刃を向けたかもしれません。彼は自分の傷の深さを受け入れる準備ができていたことでしょう。
他方、釈迦を産んだ母は、釈迦族の王の子である釈迦を腫れ物に触るように大切にしたでしょうが、妃達をたくさんかかえる王に非人間的に差し出された娘の一人に過ぎず、他の妃達との嫉妬争いにさらされ、宮廷内で本音は言えず、健康に子供釈迦を育てることができたかは、相当に疑わしい限りです。とすれば釈迦自身が阿闍世コンプレックスに悩んでいた可能性があり、釈迦が若いうちから求道したことも納得できます。
個人の深い悩みの奥には、この胎児期からの怨みが隠れていることが多いために、日本の昔の有名な精神分析医が「阿闍世コンプレックス」と命名しました。精神分析の進歩とともに、見直され、2001年7月に開催されたIPA(国際精神分析協会)のニース大会でのワークショップのテーマがこれ「Ajase:East and West」でした。
林 なお、東京池袋のジュンク堂からアコールが出版した体験談集が販売されますので、よろしく。
記事3母親は責められるべきか
林
ヒプノブレスでは、深く自分の中を掘っていくと、心理トラブルの原因が母親であるということに気づくことが多いですが、その場合に、では母親が責められるべきか?という問題が生じる可能性がありますね。
片伯部
事情をよく知らない人にとっては、そういう可能性がありますね。
心理トラブルにもいろいろあるあるでしょうが、例えば、重い心理トラブルである精神病を考えると、精神病の原因をすべて乳幼児期に求めようとするのは、精神医学一般のものではないと思われます。ほかの原因も考慮されています。
たとえば精神病のうちの精神分裂については、もともと原因がよく分かっていないようですが、イタリア生まれの米国人で精神科医、精神分析医のシルヴァーノ・アリエティーがいうように、次のような三つの要因が組み合わさって発生すると考えられるのが一般的なのかもしれません。
(1)生物学的要因。あるいは有機体の身体的条件。たぶん遺伝的。
(2)心理的要因。あるいは幼児期またはそれ以後発展した諸条件。家族または他者との関係がある。
(3)社会的要因。
そのうち(2)についてアリエティーは「心理的要因とはなんだろう。それは患者の児童期の環境、家庭の育て方に見いだされるというのが多くの研究者の考え方である。全体として家族の異常に大きな重要性をとく研究者もいる。またある研究者は、うまくいっていない両親の関係、父親の性格、同胞との関係に焦点を合わせる。母親の性格と態度が何にもまして一番重要な因子であるというのが大多数の意見である。極度の不安と敵意が他者との関係の特徴であったり、無関心、あるいはこれらの感情が混じり合ってその特徴となっているような状況で児童期を過ごすと、将来分裂病になるといわれる。」と述べます。【A】p102、p111
林
この(2)の心理的要因に関してのアリエティーの説明は、ヒプノブレスによる自分たち自身の体験や参加者の体験にピッタリであって、まさに心理トラブルの重要な部分に母親の要素があると思われます。
しかし、アリエティーは、同時に他の(1)(3)の要因もあると言っているわけですね。それにも関わらず、自分たちの体験では、(2)の心理的要因が大きいと感じますね。
その理由ははっきりしませんが、精神的な療法を求めてこられる参加者には、心理的要因以外の生物学的要因などを抱えている人が必然的に少なく、ある意味で健康な人が多いからかもしれません。また、分裂病などの重篤なトラブルを抱えた人が少ないためかもしれません。さらに、ヒプノブレスでは、乳児期や胎児期などの人生のきわめて早い時期の体験を再体験できますが、このような深い経験は他の手法では経験しずらいのではないかと思われます。心理トラブルの深い部分にはやはり母親が関係しているというのが真実なのかもしれません。
しかし、母親が責められるべきであるとは思いません。
片伯部
短絡的に責められるべきではないですね。いわゆる世代間伝達において、母親もまた「被害者」です。母親から伝達された心理的トラブルを抱えた自分たちも、自分たちの子供に対し「加害者」になりえます。しかも、世代間伝達は、無意識のうちに起こり、私たちは普通ではどうしようもありません。意思の力で、何とかしようとしても無理です。
林
結論としては、母親が主な原因ではあるが、責められるべきではない、という事になりますかね。このことは一般的には、どうしても理解されにくいようです。
片伯部
理解されにくく、ときに問題が発生するようです。
たとえば、子供のトラブルでカウンセリングに来られるお母さん方には、遅かれ早かれトラブルの原因はあなたですということを伝えることになりますが、言い方はどんなに気をつけても彼女たちを傷つけることになります。子供のことで、彼女たちもまた深く悩んでいるのですから。
林
ほんとうですよね。この問題を、木田恵子という精神分析家は、著書の中でとても正直に述べています。彼女はある雑誌で、こどもの「自閉」は「その子が生まれてから今日までの親の悪行の結果」と書いたので、自閉症の原因は「脳の気質的障害」と考える”自閉親の会”から反撃され2回にわたる公開質問状を受け、その質問内容と回答内容、および前後の事情を詳しく記述されています。【B】p39
精神分析やヒプノブレスを受けるなどして自分の深層心理を理解することがない状態では、「原因はあなたです」といわれても納得のしようがないと思われます。
片伯部
「悪行」ではあっても、決して意図的ではなく、無意識のものですからね。
この点については、分裂病の原因が親子の関係にあるとするハリー・スタック・サリヴァンも、精神分裂病患者の母親は、怪物や悪人ではなく、人生の困難に打ちのめされた人であるといい、深い同情を示します。【C】p107
林
話をもとに戻しますと、重篤なトラブルである分裂病の場合には、乳幼児期や母親だけを原因にするのは、現在の精神医学では一般的ではないと言うことですが、もともと原因が分かっていないというのが、より正確なようですね。
片伯部
それだけ分裂病は原因をはっきりさせるのが難しいのだと思います。難しいからといって、原因を特定しようとするすべての試みが非難されるべきだとは思いません。どんな情報によって、原因の特定がなされるかが重要なことです。「どうしてそれが原因と思うのか」ということです。
分裂病を研究する学者や精神科医は、分裂病の患者から話を聞いたり(精神分析もこれに含まれる)、家族から話を聞いたりするなど以外には、情報を手に入れることができません。あくまで客体からの情報に過ぎません。この客体的情報でさえ、心理的なトラブルを抱える子供の母親からは、適切な情報は得にくいものです。精神科医も、分裂病の子供の親の持つ不思議な性質は「分裂病患者のお母さんから生活史はちゃんと聞けないよ」といった精神科医の経験からのつぶやきが示すとおりである、といいます。【D】p261
これに対し、ヒプノブレスでは、自分の乳幼児期や胎児期を主体的に体験できます。
林
人の話を聞いて真相に迫るというだけではなく、自分自身の体験を通して真相に迫る感じがありますね。自分自身の体験として、再体験し、心底納得できる感じがありますね。我田引水になりますが、優れていると思います。
片伯部
自分自身の体験があるというのは強みですね。神経症の患者を主に治療したフロイトも、自分自身が神経症を持っていたと言うことです。だから神経症患者のことがよく分かるのだと思います。
また、分裂病の研究で有名なサリヴァンは、自分が分裂的傾向を持っていて、その主体的体験が情報になって分裂病患者のことがよく分かったといわれているようです。しかし、サリヴァンであっても、自分の体験のうち情報として入手できるのは意識的な部分、すなわち表面的な部分に過ぎないはずです。これに対し、ヒプノブレスは、自分の意識下の深層の部分の体験も可能です。
参考文献
【A】【精神分裂病入門(シルヴァーノ・アリエティ)】
【B】【0歳人、1歳人、2歳人(木田恵子)太陽出版】
【C】【精神分裂病の解釈I(シルヴァーノ・アリエティ)みすず書房】
【D】【分裂病は人間的過程である(サリヴァン)みすず書房】
記事4フローティングセラピーの導入の理由
片伯部 人間関係に悩んだり、自分自身の不全感に悩んだりする人は、心の奥に心理的、精神的なトラブルを持っていることが多いわけですが、ヒプノブレスやライフリーディングを通して分かることは、そのようなトラブルの根っこには、どうも乳幼児期、さらに深くには胎児期の傷(トラウマ)の問題があるようだ、ということです。特に胎児期の問題は、影響も大きいし、意識に登らせる過程で辛さが伴います。この過程に癒しを得られないか、というのがフローティングセラピー導入の大きな理由のひとつでした。
ところが、本格的に導入してみると、別のことも分かってきました。
林 そうです。2001年の夏にはフローティングセラピーの実績が延べ50人を越え、かなりの具体的なデータが手に入り、いろいろのことが分かってきましたね。
片伯部 簡単に言うと、癒しと傷の再体験という二つの要素がからんで来ます。 まず、癒しという点からみると、胎児期というのは、人生の一番はじめに何のストレスもなく、完全に平穏で、無条件で満たされていたある時期の経験として、大人になった人間の生存活動を無意識の根底から支えています。禅僧などは悟りを求めて修行をするようですが、体験したこともないはずの悟りが存在すると確信するのは、この胎児期に心理的な根拠があると、何かで聞いたことがあります。
胎児期の状態が良かった人は、仮に乳幼児期以後に傷があっても、「フローティングセラピーはとても気分がいい」という印象を持ちます。
他方で、傷の再体験という点からは、胎児期の状態が悪く傷(トラウマ)を形成している人は、「気分が悪い」ということにもなります。ところが気分が悪いにもかかわらず、効果は深く、その後に改善が起きるし、しかも、なぜ改善が起きたのか分からないほどです。深い無意識の部分で癒しが起きていると言っていいとおもいます。ある有識者はその効果が「精神病のレベルだ」と言いました。
この胎児期の再体験も、他の乳幼児期の再体験と同じように、時間が経って受け入れが進むと、変化し、改善していくようです。
林 二つの要素があると言いましたが、その通りだと思います。そして、胎児期の傷を再体験した人は、その後のヒプノブレス(フローティングセラピーとヒプノブレスを併せて実施することが多い)では、その傷を吐き出すことができ、結果的にヒプノブレス深く入れることが多いようです。フローティングセラピーでただ、ぷかーりと浮かんでリラックスしていただけなのに、気分が悪くなるなんて「(自分の中には)何かあるぞ」と手がかりをつかみ、その気分の悪さを、ヒプノブレスで何とか吐き出そうとします。
その意味で、フローティングセラピーには三番目の要素があると思います。癒しとまでは行かないまでも、深いリラックスが手に入って、その後のヒプノブレスや自己洞察がうまく行くという点です。フローティングセラピーの直後に、濡れた身体のまま自分の深い内面(それまでのカウンセリングでは出てこなかった)を語りはじめて、その自己洞察にこちらがびっくりさせられることは何度もあります。
他方で、胎児期の状態が良く、癒しが起き安心が手に入った人は、もちろん、その後のヒプノブレスには安心して深くはいります。
ですから、フローティングセラピーの結果、気分が「いい」人も「悪い」人も、少なくともヒプノブレスを補完するものとして、非常に役立つことは分かってきました。
片伯部 そういうことですね。
胎児期の状態が悪く、そのためなかなかヒプノブレスには入れなくて、しかし、フローティングセラピーで気分が「悪い」経験をして「何かあるぞ」と手がかりを得て、結果、ヒプノブレスに深く入ることになる人たちのことをもう少し話して下さい。
片伯部 ぷかーりと浮くと自分に深くは入れるのはなぜか、ということをもう少し・・感覚的に・・。
林 そうですか。フローティングセラピーでは、体温と同じ程度のお湯にに浮かびますが、身体の力を抜き、身体を放り出すようにしないとうまく浮かびません。普段なかなかリラックスできない性格の人でも、浮かぶために必ずリラックスします。
片伯部 うまく浮かばないとおぼれますからね。
林 この身体的なリラックッスを長い時間続けます。1時間から3時間くらいでしょうか。お湯の存在も感じませんし、(フローティングセラピーの湯船の中は)快適な環境です。そして、いくらか安心するのだと思います。そのうち、思考が止まる傾向になり、心的な防御が外れます。深い禅の心境と同じなのかもしれません。そして、同じように浮かんでいた胎児期の深い無意識に出会います。一方のグループの人達は「安心や癒し」に出会うでしょうが、他方のグループの人達は「恐怖や不安」に出会うでしょう。
片伯部 フローティングセラピーを重ねることで、一方から他方のグループへ、またはその逆へ変化する人もいますね。また、その出会い自体も無意識なので、「安心や癒し」は単に「気分いい」という認識ですし、「恐怖や不安」は単に「気分悪い」という認識になるのですね。
林 そうです。強調しておきたいのは、単に「気分悪い」という認識であっても、自分の中には何かあるぞ、という手がかりをつかみ、その気分の悪さを、ヒプノブレスで何とか吐き出すことにつながり、大きく前進します。
片伯部 表面的には気持が悪い人も、深くリラックスして何かしら安心したので次のステップに進んだ、ということでしょうか。
林 そう感じます。
片伯部 リラックスすることで、「恐怖や不安」が奥にあると思われる「気分の悪さ」があらわれ、次のステップに進んでいくというのを見ると、人間の自然治癒力を思います。リラックスやある程度の安心などが得られれば、傷(恐怖や不安)を再体験する現象がひとりでに生じ、そしていい結果に向かっていくのですから。
さて、理屈ばかりでもつまらないので、実際のフローティングセラピーの例を何人か、簡単にですが、見ていきたいと思います。林さん、はじめは「気分いい」グループの人達を少し、後で「気分悪い」グループの人達をお願いします。
林 全部で7つの例を紹介します。1番目の人は、会社では管理職を勤める男性です。「気分いい」グループの人です。
聞き取り等のメモ「浮かんだまま2時間眠りました。哺乳瓶でミルクを飲みました(退行や癒しを促進するために、クライアントの希望により行っています)。すぐに眠れた。眠る前腕やところどころが痙攣していた。音(音楽のこと)はかすかに聞こえる。自分の心臓の音がよく聞こえた。時たま眠りが浅くなると手足の感覚がない。気分良い。ミルクが体に入っていくのが山から裾野に伝わっていくように感じる。離したら僕の生命線がなくなると思った(ミルクを長い間飲む)。」
フローティングセラピー後の彼の感じは、穏やかな感じでした。彼は管理職で部下からと上司からの挟み撃ちで苦しんでいましたが、フローティングセラピーセラではただただ安心した経験が出てきました。
その後の本人からの感想は、仕事で、人の(心理的な)ことがよく分かるようになり、自分も楽になり、何か全体が観えるようになった。頑張らなくなり、それでも(仕事の)能率が上がるようになった。それまで仕事人間だったので、子供に「お父さんは最近仕事としているの?」といわれる、と。
片伯部 家庭でもリラックスしている、ということですね。
林 (仕事の)周りの人からも「変わった」と言われるようです。本人がいうには、何かホワーンとした感じが続き、それでも(仕事で)見るべきところは見ているし、(部下などに)言うべきことは言っている。それまで文句を言っていた部下も、あまり文句を言わずにいうことを聞いてくれるようになった。
片伯部 望ましい変化が早く起きてきたというケースですね。しかし「離したら僕の生命線がなくなる」というのは、どういうことだったのですか。
林 お母さんにオッパイを拒否されたことがある、ということを想い出したのです。
片伯部 その問題に多分、将来彼は向かっていくのでしょうね。
林 既にやりました。その後のヒプノブレスでは、そこが出てきました。
えーー、次、2番目の人は、中間管理職の男性で、仕事や人間関係に行き詰まりを感じ、疲れた状態でやってきてくれました。フローティングセラピーをとても気に入ってくれ「これはいい、霞がきれていく感じがする」と言ってくれました。「気分いい」グループの人です。
聞き取り等メモ「2時間25分浮かんでいました。カウンセリングなし。ヒプノブレスなし。気分よかった。これはいい。守られている感じがする。手のひらの中で自由に過ごせている感じ。鼓動が聞こえる。目が覚めたとき体を動かしたくてしょうがない。母が(お前はお腹の中でいつも)蹴飛ばしていた、と言っていたがそうだったのか。気分よかった。自由な感じ。」
片伯部 気分の良さが伝わってきますね。
林 3番目の人も、「気分いい」グループの人です。彼女もヒプノブレスを長い間続けている人で、感受性も高くなり、人との関係で傷つけられ、自分の感情を抑え込んだために腰を痛めたので、何とかリラックスしたいということでした。
聞き取り等のメモ「腰が痛くて急きょフロセラ希望で来る。1時間50分、寝ていた。音が大きく感じた。自分は寝ている感じはない。(お湯の中で)立てに揺れたとき洞窟を移動している感じだった。途中遊んでいる感じが楽しかった。指で遊んだり、指を口の中にいれたら安心した。目が開いて様子を見てまた眠った。出てから林に抱かれたときファーッと温かかった。オレンジ色だった。今温かい。水と言うよりお湯でもなく不思議な温度感。顔を触って遊んだ。楽しかった。居心地良かった。最後の方はお腹がすいた。今朝の歯の浮いている感じがなくなった。終わりに声を出したが、いつもと出し方が違った。大きい声を出しているつもりだった。」
彼女はこのあと実際に腰痛は良くなっています。
片伯部 彼女はヒプノブレスでも自由に感覚的にやれる人で、遊びやおしゃぶりなどもできて、容易に退行を起こして癒しを手に入れやすいですね。
林 4番目の人は、教育関係の長を勤める人です。日頃の仕事の疲れは大変なものがあることは、私も昔、教師をしていましたから、よく分かります。特に、長を勤める人のストレスはすごいと思います。
聞き取りなどのメモ「1時間浮いていました。体が水の中に浮いたがすぐに寝たように思う。目が覚めたら曼陀羅が見えた。(それを)探していたら、体が固くなった。抜いてみようかと何も考えないようにジッとしていたら、体がフワーッと空の上に引っ張られているようだった。気分よく動いていた。耳に水がはいってキンキンしたので気になって上がった。あとまだ1時間くらい入れたはずと思う。体が浮くので、起きるのが億劫になる。」
片伯部 ユング派では、治療を重ねてやがて曼陀羅が見えると治る、ということが言われていると本で読んだことがありますが、この人はユングの知識があるのでしょうか。
林 いえ、聞いていません。
次の5番目の人は、「気分いい」から「気分悪い」に変化していった人です。長年ブレスをしている年輩の女性です。3回フローティングセラピーを受けました。
聞き取り等のメモ 1回目「思考が止まる。胎児は(感覚などを)受けるだけなら傷つくだろう。完全にはねないで、どこかでは意識があった。何も考えない。気分よかった。」彼女はその後、「その日(の夜)は眠れた」そうです。
2回目「(湯船の中で)気分よく寝た。1時間半から2時間くらい寝た。寒くて気が付いた。気分良かった。何もないところにいた。」
3回目「1時間半くらい、多分寝たと思う。急に恐いという思いが出た。急に出産に行った恐怖のようだった。恐い思いしたからか、その後のブレスは出産するところの恐いところに入れた。」
彼女はヒプノブレスなどを長い間続けていて、ある程度理解が鋭くなっているので、自分の思考が止まるところに気が付いたり、胎児が傷付きやすいであろうという感想を持ったのだろうと思います。
また、彼女は胎生7ヶ月の早産で産まれていますから、「急に出産に行った恐怖のようだった」というのは、そうなんだろうと思われます。
片伯部 うーん。彼女の経験は、私自身のフローティングセラピーの体験ととてもよく似ています。
林 片伯部さんも予定より2ヶ月早く産まれていますからね。彼女がブレスを重ね、自分の自然治癒力が高まり、早産の再体験を許している感じがしますね。
片伯部 そうですね。
林 6番目の女性も敏感な人です。ブレスも複数回行っています。どちらかというと「気分悪い」グループの人です。2時間浮かんでいました。
聞き取りなどのメモ「照明が明るすぎる。音(音楽)がない方が良い。眠っていた。夢見た。尚枝(林さんの娘さん)が独りぼっちになる夢だった。林に捨てらる夢だ(この女性は直前に、中二の尚枝さんが外国にホームステイする予定だ、という話を聞いている)。急に存在がなくなる。恐怖がでた。ハッと飲み込む。瞬間にいなくなる。落ちる感じ。沈む感じ。夜寝ていても夢で落ちる感じはあるが、その感じに似ている。最後、起きたいような寝ていたいような気分。気分悪いと、気分良いが同居している感じ。胎内の気分ちいい感じではないのに浸っていたい感じ。母は、妊娠4ヶ月の時に子宮筋腫を手術で取った。その時に、おろすかおろさないかで、よく悩んだらしい。男かも知れないから(それなら産んでもいいなと思って)生んだといわれた。(このフローティングセラピーで本当に)そんな感じだと分かる。」
片伯部 彼女自身の不安が、尚枝ちゃんの話に材料を得て、脳裏に浮かんできたのだと思います。夢と同じですね。
林 胎生4ヶ月のときに味わったであろう死の可能性は、まさに胎児期の傷を形成したでしょうが、その傷が「 瞬間にいなくなる」「落ちる」という感じで表現されるのでしょう。そして、彼女はその後にヒプノブレスをしましたが、「子供(自分自身)を刺す(殺す)」体験をしました。
片伯部 胎児期の傷によって形成される殺意は、対象を持ち得ないですから、自分に向かうことにもなります。
林 彼女は自分自身を殺すという新しいステップに進んだだけでなく、ヒプノブレスの体験を受け入れるようになったことが感じられます。
片伯部 そこのところを具体的に話して下さい。
林 彼女はもともと感性がいいところがあって、ヒプノブレスはうまく入れる人でしたが、深く入った結果出てきた不安や恐怖に悪戦苦闘して、なかなか受け入れられない状態でした。ところが、今回のヒプノブレスでは、自分自身を殺すというとても深い体験をしながら、受け入れる感じが出てきました。
例えば、彼女は、その次の日にメールをくれましたが、自分の傷を避けずに、傷と一緒にいられるようになったように感じます。
「昨日はご心配をおかけしました。
昨晩は暑くて、寝れなかった。体はどうもないのだけど、首から上が熱かった。今から思うと、胎児風呂とおんなじですね。今日はフワ−と風に漂っている感じです。本当にさみしい。でもそんなに嫌な感じでない感じ。ひとりなんだけど限りなく優しい気持ちです。
私がいきているから、あの胎児も生きている・・・・・、それを感じているのかな、暖かいというのではなくて、お互いに別々にひとりとして存在している本当にひとりとして・・・・、その愛しさなのかな。暫くこの感情に浸っています。」
片伯部 彼女のように深い傷を持つ人が、その傷から逃げずに、一人で立っていられるような雰囲気になるということは、とても感動的なことですね。
林 そうでなんですよ。
7番目は、親子によるフローティングセラピーです。フランスのアンマリーさんがやっている療法ですが、自分達もフローティングセラピーを導入する際に、是非やってみたいと思っていた療法です。
片伯部 世代間伝達の話は何度もしましたが、ここで簡単に説明します。親に心の傷があると、子供にもその傷がそのまま伝わってしまう現象をいいます。例えば、乳幼児期や胎児期に傷がある親は、自分が妊娠した胎児や、育てている乳幼児を本当にはかわいく思えません。かわいいと思う振りをしても無駄です。その否定的な思いは、乳幼児や胎児に、特有なとびきり敏感な感覚によって「分かって」しまいます。「自分は本当には愛されていないようだ」ということになります。その結果、乳幼児や胎児は心に傷を得ます。このようにして、親から子へ、子から孫へと伝わります。
この世代間伝達を断ち切るには、世代間伝達についての理解の進んだ母親によって、子供を胎児期から育て直すのが一番ですが、フローティングセラピーによって、擬似的ながら、そのことがある程度実現可能になります。
林 親子によるフローティングセラピーは既に何例か行っていますが、この例は、子供の反応が興味深いです。
母親は、はじめ子供をかわいく思えず、つい叩いてしまうということが悩みでした。ヒプノブレスなどで子供との関係が改善され、子供もそのこと(母親の感じが変化していっていること)はもちろん感じていますので、フローティングセラピーがどんなものかは分からないまでも、母が誘うと子供は「胎児風呂(フローティングセラピーの旧名)やりたい」と応じ、楽しみに待ちました。でも、本当の反応は違ったのです。子供の傷は、思いのほか、深かったのです。
母親は合計3回行っています。1回目のあと、1ヶ月ほどして親子でおこない、
直後に自分一人でおこないました。1回目は、ヒプノブレスのあとに行い効果が身体にあらわれています。
聞き取り等メモ 1回目「ブレス後すぐに入る。2時間浮いていた。ぐっすり眠る。始め恐かった。感覚が恐かった。きっとお腹の中の感じだろうと思う。真っ暗な感じ。お腹の中だけど居心地が良くない。恐い感じ。ジーッといて嫌な感じ。きっとお腹の中でもいい気分でなかったんだと思う。「なんだこの感じは」とおもっいる内に眠ってしまった。胃腸がスッキリした。背中がスッキリした。肩こりもない。凝っていたものが取れた。始め首が痛かった(首が悪い)。首のせいで力が抜けない。首は違和感がある。水に浮いている感じがしない。揺れると水だと分かる。布団に寝ている感じ。今足まで温かい。頭がすっきりしてスースーする。毒素が出たような感じ。ニキビみたいなものがとれたよう。癒されたという感覚がある。安心感。」
1ヶ月後、2回目「親子で11時35分からスタート。子供は熊のぷーさんの浮き具を機嫌良く着て、胎児風呂を楽しみにしていたが、いざ入ろうとママが裸で先に入っていると嫌がる。泣き続ける。怖いと言う。「上がりたい」と言い続ける。「怖いよー」ママが「怖かったのね、ごめんね、大丈夫だよ」「上がりたいんだもの」「怖かったね、ごめんね、いっぱい泣いて良いよ」。12時15分くらいで静かになる。眠っては起きてまた泣く。ぐずっているような甘えているような泣き方。12時50分に終了。フロセラから上がってから機嫌が良い。(迎えにきていた)パパに会う。哺乳ビンの牛乳を飲む。「お風呂に入って怖かった」と言う。機嫌いい。ウンチをする(パパが一緒)。
以下、母親からの話。子供は、「怖い」と泣いて目が真剣だった。「隠れたい」と言った。胎児の時は職場で対立していたり、母親と喧嘩していたので、胎教は悪かったと思う。(この子はもともと)広い野球場での声も怖がるし、サンリオのパレードも怖い。自分(母親)も何か怖い感じがある。(親子で)同じだと思う。子供が泣いているとき、泣いている気持ちが分かった。生まれたときそうして上げたかった(分かってあげたかった)。産後は(考えるのは)自分のことだけだった。(子供が)可哀想だった。気持ちが分かって育てられたら良かったのに。
妊娠中に流れたら(流産したら)どうしようと言う心配があった。仕事もやらなくちゃ。妊娠中は幸せな感じとよく言われるが、どこが幸せかと思っていた。(子供の立場になると)ちゃんと育てて貰えるか怖かったと思う。可哀想。」
片伯部 子供も、まさか自分の中に恐怖が隠れているなどとは感じなかったんでしょうね。
林 はじめ子供は、フロセラの湯船を見ても「わーいプールだ、プールだ」といってはしゃいでいたのに、先に湯船に入った母親が「さーおいで」と言った途端にビビッてしまったんです。それから、泣いた、泣いた。40分間泣きっぱなし。 それでも、この母親が偉かったんです。親子のフロセラでは、子供よりも、母親がセラピーに耐えれなくなるのを恐れます。耐えられなくなって子供をしかるようなことがあれば、子供は二重の傷を負う可能性が出てきます。だから、子供が泣きやまない様子を見て、私は本心は迷いました、いつ、中止すべきか。
片伯部 そうですね。母親にも傷がありますから、子供が傷丸出しでビービー泣いたら、それがそのまま母親の傷に触れて、怒りを呼び起こしたり、そこまで行かなくても子供への否定的な感情を呼び起こしたりすれば、子供は敏感に感じますからね。まして、子供も退行している最中ですから、余計に大事になりかねませんよね。
林 ところが、母親の様子が、私の中止を踏みとどまらせたんです。フロセラの中の様子を音声モニターでジーッと聞いていると、母親は実にみごとでした。「不安だったんだねー」「ごめんねー」「ごめんねー」と、ずーとやっていました。誠実さが伝わってくるようでした。
そうするうちに、子供は眠りはじめたんです。起きてはぐずり、また眠り。たぶん胎児の頃の感じか、あるいは新生児の頃の感じではないかと想像します。
片伯部 まさに、癒しが起きている状況ですね。
林 そしたら、フロセラから出てきたときの元気なこと!。パパと帰りながら、「もう(フロセラは)やらない!」って。ところが、その直後に母親がフロセラをやっているのを見て、にっこり。その笑顔のいいこと。私が「ママが赤ちゃんになってから帰るからね」というと、その時のその子の雰囲気が・・・、全ー部知っているという感じなんです!。まるで「ママをよろしく」とでも言うような。数日後にその子と電話でまた話したんですが、「またやる!。胎児風呂やる!」。
片伯部 子供は分かるんですね。
林 その母親の3回目「母親は、子供がでてから一人で続ける。1時から2時半まで。うつらうつら眠った。気分ちよかった。前(1回目)は少し怖かったが、今は怖くない。眠れないと思っていたが、力を抜くと眠れた。前は首と頭が痛くて、治療にいくほどだったのに。」
その後、母親はヒプノブレスをおこなったが、前回のヒプノブレスより怒りを出すことができました。
片伯部 進んでいく感じですね。
記事5娘尚枝の胎児期の傷
林 今日は自分の話というよりは、娘の尚枝の話をしたいんです。彼女は私に貰われた子供であり、産みの親に育てられなかったことから、胎児期の傷があることは当然に予想していたんですが、今回、うまくその傷を私たち親子ともども認識することができた事件があったんです。きっかけは、私が彼女を本気で叩いたことでした。
片伯部 どんな事件があったんですか。
林 彼女は中学生になり、最近、ツッパリとか白けとかをやっていたんです。学校だけでなく、家の中でもツッパってチャラチャラしていました。表面的に見れば、思春期特有のものという見方もできますが、彼女の根はもっと深いのです。
片伯部 説明して下さい。
林 彼女がそうなったのは、私の側のことももちろんあると思います。私は、彼女がかわいくて仕方がありませんでした。尚枝のためなら何でもするぞという思いもありました。自分の淋しさの反動で育ててきたという面があります。しかし、その奥の本当の原因には、彼女の胎児期の傷というもっと深い大きな問題が隠れているのです。
片伯部 思秋期一般のツッパリとか白けでは済まないようなものが感じられたのですね。
林 そうです。尚枝は、ケラケラ笑ったかと思うと急に静かーになったり・・・、自分が舞い上がっていることにさえ気が付かないような・・・。なんか尚枝じゃない、気持ち悪い、変な感じがしていました。
片伯部 叩いてしまった事件のことを具体的に話して下さい。
林 彼女の変な感じは、前々から捨ててはおけない、と思っていました。しかし、根が深いので、彼女自身の一生の問題でもあるし、あせって急には事を進めれないぞという思いもありました。
片伯部 そうです、簡単には行かないですよね。
林 あるとき、尚枝にそのことで話をしようと思い、彼女の部屋へはいっていきました。すると目の前に彼女の数学の問題用紙がありました。彼女の不得意な数学の話になりました。その時は、彼女は定期テストで数学の成績がひどく悪かったのです。
「どこが分からないの」「基本的なことが分かっていないね」「分かっていないことが分かっていない」「分かったふりしていないか」
ところが、彼女は平気な感じがありました。本来の彼女だったら大変に落ち込んでいるはずなのに、落ち込まない、軽ーい感じでした。
「そうかもしんない」
白けた感じです。本当の彼女ではありません。
「そんなことないでしょう。死ぬほど心配だったでしょう。」
「気にしてないもん」
らちがあきません。
片伯部 林さんも尚枝ちゃんに対しては、悪戦苦闘する普通のお母さんに戻るのでしょうか・・・、いや、先を続けて下さい。
林 彼女のなかの不安が手に取るように分かります。いくら勉強して時間かけても成績あげるのは無理じゃないか。みんなに置いて行かれるのがただただ不安なんです。みんなに追いつくことが問題。数学が分かっているのかどうかが問題じゃないんです。
片伯部 平気なふりして、本当は心の中で悲鳴を上げているんですね。
林 そう。尚枝は、悩まないはずがないんです。本来はまじめな子で、頭が悪い感じではない。ところが時間をかけて勉強する割には点数が悪いんです。何ヶ月か前には、本人が懇願するので家庭教師をつけました。それほど本人は悩んでいたんです。でも家庭教師をつけても成績は思ったようには上がりません。今は、悩んでいることも隠して、ただツッパってごまかす感じでした。
片伯部 懸命に頑張ってもどうにもならないので、ごまかすしか手段がないのですね。
林 尚枝は、不安感情が強いことは分かっていました。胎児期の傷があるから勉強に集中できないのは分かっていました。それがここのところ特にひどくなっていました。フワフワしている、落ち着きがない感じです。そして、自分のことが分かってない感じ、自分の本音を言っていない感じに腹が立ったんです。
片伯部 その本音を言わないと言うところ辺からじわじわと腹が立っていたんですね。
林 そう。その後、たまたま私の兄の話になりました。高萩のおじちゃん(私の兄)が今回5年目の検診した結果、ガンは再発してないという電話が、その日にあって、検診結果を心配していた家族はホット安心したはずでした。ところが彼女は、
「あの人は死なないよ。・・・どうせ人は死ぬから。」
どうでもいいという感じ、白けた態度。
私が切れた。とっさに手が出ていた。バンバンとブッ叩いた。
「ホントにそう思っているのか!そう思っているんだったら、も一回言え!」
片伯部 やっちまいましたね。
林 やってしまいました。そしたら、彼女が開いたんです。自分の実状を話したんです。堰を切ったように泣き出して
「死んじゃ嫌だ!」
「どうしてお前は、自分の本音が分からなくなるまで、チャラチャラしているんだ!なんでツッパってんだ!おまえは変だ!」
「自分でも変なんだよ!泣けないし本当には笑えないんだ!自分でもどうなっているのか分からないんだよ!」
「今泣いているじゃないか!」
「でも何で泣いているか分からない!ただ泣けるんだ!」
続き
片伯部 前回は、尚枝ちゃんが本音を言わずにツッパリとか白けをやっていることに対して、ついに切れてしまった林さんが、彼女を叩いてしまったところまででしたね。
林 そうです。彼女に対する私の怒りは続きます。
「なぜ自分の気持ちをチャンと観ないんだ、隠すな!ごまかすな!誰をごまかそうとするんだ。ごまかさなくていい。なぜ学校の点数が悪くても落ち込まずにチャラチャラとごまかすんだ!」
私の怒りは、止まらない。
「お前なんか人間じゃない!人間のぬいぐるみを着ている動物だ!うそつき!死んじまえ!」
床に座って話していたんですが、たまたま手に、そこにあったスリッパが触った。そのスリッパをひっつかんでぶん殴っていた。ものすごい怒りでした。始めてでした。普通に考えると、とんでもないことです。言ってはいけない禁句ばかり。自分の固着が出て怒っているんです。自分の怒りに火がついたんです。まるで母親の家庭内暴力です。自分の傷と尚枝の傷のぶつかり合いでした。
片伯部 林さん自身の傷(固着)に尚枝ちゃんの何かが触って、林さんの激しい怒りを呼んだということですね。
林 そうです。
片伯部 そのことは後で話をして下さいね。
林 はい、とりあえず今は尚枝の話ですからね。
片伯部 それと、こんな赤裸々な話をすると、やっぱりヒプノブレスは危険だとか何とか言い始める人がいるのではないかと、心配になりませんか。ただでさえ、虹の購読者の中では理解者が少ないのに。
林 そんなの関係ないですね。なるほど、私は本気になって怒りました。まるっきりの憎悪でした。(尚枝を)かわいいのなんのという気持は、どっかに吹っ飛んでいました。自分でスゲーと思っていました。本音の本音、魂の触れ合いでした。
片伯部 そしたら開いた。
林 開いた。
片伯部 尚枝ちゃんもすごいね。応じるんだね。母親の仕事を、本音を言うセミナーを、見聞きして耳学問で学んでいるせいかも知れませんね。で、彼女は何と言いました。
【怖くて立っていられない】
林 「ツッパってないと怖くて立ってられないの!」
彼女は泣きながら本音を言いました。
「立ってられないのなら倒れろ!」
片伯部 「正直にいろ」という意味ですね。
林 そうです。彼女は言いました。
「一人でいると落ち込むの!手首にカミソリの刃をあてるんだ、今まで3回!」
このときに始めて聞きました。
「死にたくなる理由があるはずだ、チャンと正直に落ち込め!(そんなときは)なんでお母さんを呼ばないんだ」
「呼んだらどうなる!」
「刺してやる!本当に死にたいのなら手伝ってヤルー!!」
「ヤダー!!そんなの怖くてできない!」
彼女は、本当に死にたいというわけではないんです。死の誘惑から逃げるには血と痛みが必要なんです。でも、間違って死ぬことがあります。
片伯部 彼女のように胎児期のような深い傷を持っていると、そうなりますね。
林 それから彼女は、不良の子供達が怖くて、その恐怖を隠すためにツッパっているという認識だったのですが、本音を言いました。
「ツッパリの不良だけでなく、普通の堂々としている子も怖いんだ!」
片伯部 ふー。
林 尚枝は、「お母さん、もう一つあるのよ!」どんどん開いた。「チャラチャラしていないと、変なことを言って『おかしな尚枝ちゃん』と言われても、目立って注目を集めていないと、寂しくていられないんだ!」
尚枝は、<怖くて、寂しい>まさしく彼女の中にあるであろう2つのポイントを出してきました。彼女の固着の大もとです。
せっかく出てきた、この大もとを十分に消化する必要があります。機会を逃がす手はありません。その時、外は雨が降っていて、既に夜で暗くなってました。「行くよ」
尚枝を連れて自転車でカウンセリング室のブレスルームに直行しました。
片伯部 どうでした?。
林 彼女の根元的な怒りを出しました。
「あげちゃうなら産むな!」「産んだら育てろ!」「育てないんなら殺せ!」産みの母親に対してであり、私自身に対しての怒りもあったのかもしれません。
片伯部 うーん。
林 毎月、彼女はヒプノブレスをやることになっています。その月の予定は、その事件があってから3日目でした。事件後、2回目のヒプノブレスです。
「今日は楽しみ」
と彼女は言いました。
片伯部 今度はどんなでしたか。
林 3日前の怒りと怨みとは反対の方向、つまり光(感謝)の方向に行きました。
片伯部 なるほど。
続き
片伯部 前回は尚枝ちゃんを叩いた事件の後に行った一回目のヒプノブレスでは、彼女は怒りと怨みに行きつき、2回目のヒプノブレスでは、それとは反対の方向、つまり光(感謝)の方向に行きました。
林 その2回目のヒプノブレスでは、彼女の話によると、胎児期から下に永遠に続くような階段(注:ヒプノブレスでは胎児期まで戻るときにオーソドックスな階段のイメージを使うことがある)があり、そこを行くと過去を観る部屋があって、自分の過去の写真やビデオがあったそうです。さらに、横に続く階段があって、そこを行くと見渡す限りの草原がありました。風が吹いていて気持ちよかったので、そこでしばらく眠りました。この階段は後で模様まで思い出せたようです。また上にも階段が延びており、そこに部屋があった。中には光の柱が何本も立っており、女の人の声だけ聞こえてきて「ママ(林)が全部知っているから安心して生きて行きなさい」と言ったそうです。
片伯部 ユング的ですね。
林 グレートマザーか、光の天使かどうか知らないけれど。
その後、私の膝にしがみついて「ママーありがとう」といって泣いたんです。彼女は、この2つのヒプノブレスで、自分のアンビバレンツ(両価性)を味わいました。なんでこんな女(林)に会ったんだろうという憎しみ、それとこの人(林)に育てて貰って命を助けて貰ったという感謝、ですね。アンビバレンツを観れて彼女は本当によかったと思います。
片伯部 中学1年生でもやってのけるんですね。
林 その後、事件後の3回目のブレスを1ヶ月後にやりました。
「今日はやりたくないな。入れないかも知れない。」
と言ってました。呼吸が浅く、ちょっと呼吸しては
「ハアーハアー、怖い、怖い」
と震えて泣いていました。恐怖に入ったんです。怖くて、本当にヒプノブレスに入ったという感じは無かったようです。
片伯部 なるほど。アンビバレンツの先が、この根元的な恐怖ですね。
林 そうなんです。ヒプノブレスの後半で癒しとして行っている胎児期と宇宙へのへのリードが、彼女は好きなんです。このときも、胎児期と宇宙のところで死んだように長い間眠りました。終わった後で、感想を聞くと、
「怖かった」
「どんな恐怖だった?」
「捨てられる恐怖」
産みの親から捨てられる恐怖です。彼女は、胎生4ヶ月の時に産みの親から林へ貰われることが決まりました。貰われる、つまり産みの親からは捨てられる、ということです。しかも、産みの親の心は荒れていました。親との関係が悪かったし、妊娠相手の恋人とは別れることになりました。とても胎児へ十分な愛情が期待される状況ではありませんでした。<捨てられる恐怖>はまさにピッタリなのです。
片伯部 胎生4ヶ月の傷とは、・・・深いですね。
林 尚枝は言いました。
「(今回のヒプノブレスには)入れなかった」
「入れなくても(その大もとの恐怖を)観ようとしていれば必ず良くなるからね」
と私は言いました。その直後から、尚枝の状態は、本当にいい感じです。白けやツッパリが陰をひそめました。素直になったんです。
「頑張っていると(ツッパっていると)自分でいられない、疲れる」
と自分の気持ちを正直に言うようになりました。
おかげで私は「頑張らないでいる勇気を持ちな。自分自身で居な」「今日はしゃべらないでいてごらん」などとアドバイスすることができます。
「今日は楽だった」
尚枝は自分自身が楽ーな感じなんです。学校へ行くときに
「いってきまーす」
という感じが素直な感じなんです。それまでは、まるで今から戦場に行って来るぞと言う感じでした。ぶすらーとした感じでした。今は、自分に素直な感じです。もっとも、そのうち、またおかしくなることもあるだろうけれど、今回大きな山を越えたので、今後かなり楽になると思います。
不思議なことに、尚枝との親子の関係は、今までより心が通じ合える感覚になってきました。
片伯部 本音と本音とがぶつかり合うというのはそういうことなんですね。通じるんですよね。それにしても、尚枝ちゃんは中学生で、よく、ヒプノブレスで自分の傷を掘り下げましたね。やりましたねー。大人でも大変なのに。
林 (胎児期や幼児期などの)古い傷が、思春期にかき混ぜられて出てくると言われますが、まさにその通りのように思えます。尚枝の場合も、1才の頃の激しい夜泣きを思い出すと、あれは胎児期の恐怖をやってたのではないかと、それが今になって、のっぴきならない形で出てきていると思うのです。
片伯部 尚枝ちゃんを叩いた林さんの激しい憎悪は、尚枝ちゃんが本音を言わないことに対するもので、実は林さん自身の固着(傷)からくるものだと言うことですが、今、説明してもらてもいいですか。
林 はい。私の憎悪は、母親が本音を隠して私を育て、そのことが実は私を深く傷つけていたことに、近年気づいたところから湧き起こってくることです。既に母親のことは「毒入り饅頭」ということでこの「アコールつうしん」に載せました。母親は、私が産まれるとき、本当は男の子が欲しかったのに、そんな本音は隠していました。騙され、ごまかされている感じです。母親の意向を受けて私は自分の女性性を犠牲にして男に負けないように頑張って人生を生きることを選んでしまいましたが、おかげで、その選んだことに気が付くことができませんでした。
母親だって(幼くして養子に)貰われてきて、その傷のために死にたい感じがあるのに、その本音を隠して、何でもいいふうに思って生きていく、そんな深い傷は観ないでいい人をやって生きていく、という感じでした。
あるとき母親は、私が生後二ヶ月の時に、他人の赤ちゃんにお乳をあげました(「貰い乳」をしてあげたのです)。そのことが私には深く傷となって残っているのが最近分かってきたのですが、それは母親には本当には私を大事に思っていないという本音があるらしいことを知っていたからでした。そのことがわかってくるにつけ、母親はいい人をやって、その挙げ句に私を捨てる感じがあったことが分かってきました。その捨てられることが、自分の中に今も時々現れる深い落ち込みに直接に関係していることが、分かってきたのです。そういうことで、今、すごく腹が立っているのです。私はその傷の消化の最中なのです。私を懸命に育ててくれた、今は亡い母親を「うそつき」
となじる必要があります。このところを十分にやらなくてはいけないのです。
その最中に、尚枝が本音を隠すようなツッパリと白けをやったのです。そのことをきっかけとして、私の怒りが爆発したのです。
「カミソリを3回も当てたのに、なにが『楽しくて明るい尚枝ちゃん』なものか!そんなんではないはずだ!」
ということです。
片伯部 本音を隠して生きることは、林さんを傷つけ、母親自身も傷つけたはずなのに、今度は、もっとも大切な尚枝ちゃんがやろうとしている、ということで怒りに火がついた。
林 ヒプノブレスなんかやるから寝た子を起こすように悪いものが出て来るのじゃないかという人がいますが、がっかりします。もちろん、ある意味では、その通りです。ヒプノブレスなどやらずに、傷も隠したまま、本音と無縁に生きることも可能です。しかし、ヒプノブレスをやるのは、はっきり自分の傷を認識して、その傷が治癒するのを促進するためです。例えば、尚枝がそのまま自分の傷を隠していたら、そのうち成長して大人になり、もはや隠せない状態で出て来れば、分裂でも何でも起きる感じがするのです。それこそ危ない。だから「寝た子を起こす」の意見は間違っていますし、腹が立ちます。
片伯部 今回の事件でも、結局は本音を通して、尚枝ちゃんは自分の傷を認識し、掘り下げることができ、親子の関係は以前に増して良くなったのですからね。
林 今回は自分の本音が分からないという尚枝のことを話しましたが、実は、摂食障害や分裂の子供達にも同じような感じを受けるのです。
以上
このページの製作責任者:(片伯部あらため)雲泥モロチ