Update 2003/12/14

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明治の記憶を残す小坂町を訪れる

 2003年9月30日(火)〜10月2日(木)

私は、1942年、秋田県鹿角(かづの)郡小坂町(こさかまち)で生まれた。父親が東京から小坂鉱山に転勤していたときである。しかし私が2歳の頃、父親が東京勤務に戻ったため、小坂での生活の記憶は全くない。それ以来、今にいたるまで東京在住である。このたび、誕生の地「小坂町」を訪れた。新幹線で角館まで行き、そこから秋田内陸縦貫鉄道で鷹ノ巣(たかのす)へ、そして大館(おおだて)へ、そこで1泊してから小坂町へ向かった。帰りは十和田湖畔で1泊後、八戸経由で東京に戻った。
(小坂へは、盛岡からバスで直接小坂へ、または盛岡から花輪線で鹿角花輪で下車、そこからバスで行く経路が一般的であろうが、今回は秋田内陸鉄道に乗りたかったので、上記のようになった)

秋田内陸縦貫鉄道はJR奥羽本線鷹ノ巣駅と秋田新幹線田沢湖線角館駅間、全長94kmを約2時間で結ぶ。
写真の急行「もりよし」は、上下1日各1本、多くの観光スポットが点在する沿線を走る。車掌は女性で車内販売も担当している。

角館駅で奥羽本線に乗り換えて大館駅に到着。駅前に忠犬ハチ公の銅像が立っている。
ハチ公は大正12年、大館市で誕生した。
大館市の繁華街を歩いたが、行き交う人も車も少なく、秋田県第二の町とは思えないほど静かである。
翌朝、タクシーで大館から小坂に向かう。(所要約30分)
小坂は秋田県北部に位置する十和田湖の玄関口。江戸時代末期から秋田市に次ぐ賑わいを見せた。現在でも当時の小坂鉱山の繁栄を偲ばせる建物が残っている。
小坂町立総合博物館「郷土館」は、小坂鉱山の歴史や小坂町の自然、十和田湖の生い立ちなどを紹介する博物館。
屋外には、かつての小坂駅舎が設置され、大正から昭和初期にかけて活躍した機関車や客車が展示されている。

左の写真は現在の小坂駅舎。
現在では、貨物専用駅である。
小坂鉄道は同和鉱業が所有する貨物専用の鉄道である。
現在でも大館と小坂間22.3kmを結んで、平日に2往復の貨物列車が運転されている。
小坂鉄道の歴史:
1908年:大館と小坂間の小坂鉱山専用鉄道完成
1909年:旅客輸送始まる。
1957年:これまでの狭軌線路から、現在の幅になり、当時の国鉄と同じになり、国鉄の貨車との直通運転ができるようになった。
1994年:旅客輸送を廃止して、貨物専用になる。
康楽館(こうらくかん)
小坂鉱山の福利厚生・娯楽施設として1910年に建てられた日本最古の木造芝居小屋。現在でも歌舞伎や文楽演劇などの公演が催されている。
建物は外部が洋風、内部は歌舞伎芝居小屋の作りである。
館内の見学だけもできる。
小坂鉱山事務所
鉱山発展のシンボルとして1905年に建てられた。2001年に現在の場所に移築され、複合施設としてオープン。外観はルネッサンス風。玄関ホールには3階まで延びる螺旋階段が設けられている。近代西洋建築の傑作といわれ、国の重要文化財に指定されている。館内には鉱山の歴史、小坂町の文化紹介の展示室や観光コーナなどを完備。
この鉱山事務所の3階には、レストラン「あかしあ亭」がある。店内にはレトロな雰囲気が漂い、古き良き時代のハイカラな洋食屋さんを彷彿とさせる。
メニュー例:どれも安くてとても美味しい。
ロールキャベツクリーム煮 650円
山菜カレー 650円
ビフテキ丼 1000円
小坂鉱山病院(写真左上は模型)
小坂鉱山病院の歴史は1899年の小坂鉱山医院の発足に始まる。初め銀山町に設置されたが、増強のため新病院建築に着手。1908年に竣工し、秋田県第一の総合病院として開設された。
病院の場所は、小坂町小坂鉱山字古館48番地
すなわち、現在、小坂鉱山事務所の建物のある場所である。
病院は1949年の火災で大半を焼失した。
ただ、病院の創建時に霊安施設として建設された「旧小坂鉱山病院記念棟」は、現在の小坂鉱山事務所の正門近くに、小さくても堂々とした姿を見せている。
十和田湖畔のホテルアズヴェール三越に泊まる。
ホテルから見える川の右側が青森県、左側が秋田県である。
銚子大滝
幅20m、高さ7m
奥入瀬渓流で最大の滝
奥入瀬渓流
10月初めであったので、紅葉にはまだ早かった。
1998年10月、石ケ戸から子ノ口(ねのくち)までの9kmを歩いたことが思い出される。
今回はバスで通過し、八戸へ向かった。


参考: 秋田県小坂町のホームページ