Update 2006/9/20
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船で、列車で、歩いて感じる日本のふるさと
ぐるり丹後半島のんびり漫遊記
第1日(快晴) | 東京駅---(新幹線)---岐阜羽島駅---舞鶴引揚記念公園---宮津湯らゆら温泉 |
第2日(快晴) | 宮津湯らゆら温泉---天橋立(徒歩とケーブルカー)---伊根(遊覧船で舟屋見物)---経ケ岬(丹後最北端)---琴引浜(鳴き砂海岸)---奥城崎温泉 |
第3日(雨のち曇) | 奥城崎温泉---香住---ディーゼルカー(余部鉄橋)---餘部---出石(城下町散策)---京都駅---(新幹線)---新横浜駅---東京駅 |
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舞鶴引揚記念館と引揚記念公園 (写真は公園から見る舞鶴港) 舞鶴港は政府が指定した引揚港の一つとして、昭和20年から13年の長きにわたりその使命を果たした。引揚記念館は昭和63年(1988)に開館した。 詳細は 舞鶴引揚記念館 |
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舞鶴引揚記念公園にある「平和の群像」 ここには下記のように書かれている。(一部) 第2次世界大戦の終戦による外地からの引揚業務処理のため舞鶴引揚援護局が設置されたのは、昭和20年11月24日、以来昭和33年11月15日の閉局まで664,531人の引揚者と16,269柱の遺骨を受け入れ、32,997人を送還した。ここに明暗と哀歓とをおりまぜて、多大な人員と広大な地域的規模においていまだかって例を見ない引揚業務が終了したのである。・・・多くの引揚者が母国への第1歩を印した思い出の地、ここ舞鶴に記念公園を建設し、「平和の群像」を設立して、この地に帰りえず異境に倒れた幾多の霊に弔意を表するとともに、世界の平和を願い戦争を永久に放棄する日本国民の悲願をこめて、長く後世に伝えんとするものである。 昭和45年3月 |
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2日目の午前は「天橋立(あまのはしだて)」ウォーキングである。その初めに廻旋橋(案内図の赤丸内)を渡ると直ぐに船が近づいて来た。すると同時に橋が中心部を軸に回転し始め、90度回転したところで船が通過した。タイミング良く廻旋橋の動きを見ることができた。![]() |
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天橋立の松並木を約3km歩き、丹後一の元伊勢籠(この)神社のそばからケーブルカーで笠松公園(上記案内図の赤四角内)まで登る。笠松公園は松島、宮島とならんで日本三景の一つ、「股のぞき」で天への架け橋として観賞。帰りはケーブルカーと並行しているリフトで下る。 |
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丹後半島の東端にあるこの町(伊根)の舟屋は、舟のガレージとも呼ばれている。周囲約5kmの湾にそって230軒あまりの舟屋が立ち並ぶ風景を遊覧船で見る。NHKドラマ「ええにょぼ」の舞台。 |
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写真は丹後半島最北端にある経ケ岬(きょうがみさき)灯台、海抜140mの断崖に立つ。一般人はそばまで近寄れず遠くから眺めるのみ。1898年に初点灯 奥城崎温泉に向かう途中、日本最大の鳴き砂海岸である琴引浜に立ち寄る。砂の上を歩くと砂に含まれる石英の粒が振動してキュッキュッと音がする。 |
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明治の面影を残す余部(あまるべ)鉄橋 今回の旅行の最大の楽しみは、この余部鉄橋を見ることである。山陰本線「香住(かすみ)」駅からディーゼル車に乗車、次の駅「鎧(よろい)」駅を通過すると、間もなくトンネルに入る、トンネルを出るとすぐに鉄橋を渡る。これが余部鉄橋だ。この鉄橋を渡り終えると「餘部」駅到着。香住から約10分、下車して鉄橋の全体が見られる少し高いところに上る。 地上からの高さ41m、民家の屋根を見下ろしながら、日本海と険しい山並みを望める。 この鉄橋は1909年に着工、1912年に開通した。長さ310mである。「トレッスル橋」と呼ばれる、三角形に組んだ鉄骨を橋脚とする方式で建設された。橋脚はアメリカ製であるが、橋げた部分は石川島造船所製である。 完成から90年を超えた現在でもトレッスル橋として国内最大規模を誇り、明治の鉄道建築として貴重な存在である。 しかしこの余部鉄橋、老朽化が進み、コンクリート橋への建て替え計画が進められている。予定では2007年から工事が始まる。工事が始まると建築資材などで現在の景観が保たれなくなるので、今がこの鉄橋を見る最後のチャンスというわけである。 |
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但馬(たじま)の小京都:出石(いずし) 兵庫県豊岡市にある出石。14世紀後半、山名氏が足利3代将軍義満によりこの地に移封されたのが「城下町出石」の起源。 今回の旅行の最終見物地:出石を2時間かけて散策した。 左上:出石城跡 1968年、本丸跡に隅櫓復元 上:宗鏡寺(すきょうじ) 1616年、沢庵和尚が再興 右上:出石明治館 明治20年(1887)建設、出石の偉人展を常設 東大初代総長:加藤弘之、天気予報の創始者:桜井 勉 他 左:辰鼓楼(しんころう) 1871年建設の時計台 |
以上