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DQ4というゲームは、まず、主人公である「勇者」に名前を付け、性別を
決定するところから始める。 今回は、この「性別」に関する話である。 * だろうか? もし、あなたが「両方遊んだ」方であれば、もしかしたら、このコラムを お読みになる必要はないかもしれない。読んで欲しいけど。(^^; で、もしあなたが、「男勇者(あるいは女勇者)でしか遊んだことがない」 ならば、ぜひとも、このコラムをお読みいただきたい。 そして、できれば、もう片方の性別でも遊んでいただきたい。そうすれば、 このコラムに書かれている内容を理解していただきやすいと思うからだ。 * 男勇者=「勇者くん」と、表記させていただく。 俺が普段こう呼んでいる、と言うのも大きな理由だが、何かこう、「男勇者」 「女勇者」だと夢がないような気がしてならないのである。(^^; * 勇者ちゃんでプレイするDQ4は、違うゲームである。 いや、もちろん、勇者以外の出てくるキャラも同じだし、起こるイベントも 同じである。ストーリーの流れも同じ。 では、何が違うのか? それは、「様々なキャラクターの中での勇者の位置付け」である。 * 一見難しいようだが、簡単な話だ。 まずは、もっとも分かりやすい例を出そう。 シンシアという少女がいる。 第5章の冒頭で、勇者を助け、己の命を落とす少女。 彼女と勇者との関係はどうか。 勇者が男であった場合(つまりは勇者くんプレイであった場合)、勇者くんと シンシアの間には、恋愛感情と言っていい心の動きが生じる可能性がある。 シンシアが命を賭けて勇者くんを守ろうとした動機‥‥それが、もしかしたら 彼女の勇者くんに対する「愛」であるかもしれないのだ。 もちろん、小さい時から一緒に過ごしてきた勇者くんに対し、シンシアが 「幼なじみとしての親愛の情」を持っていることは明白であるし、それは 十分、彼を守る動機になりうる。 が、もしかしたら、動機は「それ以上の強い感情」かもしれないのだ。 また後述するが、この辺はプレイヤーの想像に任される部分である。 もちろん、これは、勇者ちゃんの場合でも同じである。 が、シンシアの勇者ちゃんに対する感情は、彼女自身も語っているように、 純粋な友情‥‥いや、むしろ自分の妹に対するような愛情である。 しかし、それもまた、形は別だが、深い愛情である事には変わりない。 * つまりは、勇者が男性か女性かによって、周りの人が、彼(彼女)に注ぐ 感情の形が、違ったものになる可能性があるのである。 そして、彼(彼女)自身もまた‥‥。 これは、DQ4という物語を味わう上で、そしてその物語のすき間の部分を 妄想する(笑)上で、非常に重要なファクターとなる。 そういった視点で、今度は、勇者と「導かれし者」7人の関係を見ていく事に しよう。 * ・男性:ライアン・クリフト・ブライ・トルネコ ・女性:アリーナ・マーニャ・ミネア 男4人、女3人。 この集団の中に、勇者が加わるわけだ。 そして、その勇者の仲間内での立ち位置というかスタンスというか、そう いったものが、勇者が男性であるか女性であるかによってかなり異なるわけで ある。 勇者が、仲間のことをどう思うか。 仲間が、勇者のことをどう思うか。 その想いは、友情か、それとも、恋愛感情か。 言うまでもなく、それは、勇者の性別によって、大きく左右されるファクター である。 勇者くんなら男性の仲間と、勇者ちゃんなら女性の仲間と、何物にも代え難い 友情を育み、 勇者くんなら女性の仲間と、勇者ちゃんなら男性の仲間と、お互いに恋し、 お互いを求める‥‥ ‥‥かも、しれないのだ。 * 存在する。 まず、勇者くん。 冒頭に述べたが、勇者くんに限り、「恋愛感情」を他の女性の仲間に抱く ことが「できにくい」かも知れない。 というのは、勇者くんの心の中には、彼の身代わりに命を落とした少女 シンシアが、「二度と還らぬ恋人」として存在する可能性があるからだ。 恋人を失うつらさ、それは大きなトラウマ(心的外傷)である。 勇者くんは、そのトラウマを抱え、苦しみながらも、恋人を奪った者‥‥ デスピサロ率いる魔族と戦うのである。 注) しかし、実際は、デスピサロ自身も、恋人ロザリーを人間に殺されている。 勇者と全く同じトラウマを、デスピサロも抱えているのだ。これは、この ゲームのある意味最大のテーマである。 恋人を失ったという、決して癒される事のないトラウマ‥‥しかし、それを 癒す事ができる女性がいたならば、勇者くんは彼女を愛する事ができるかも しれない。 それは、太陽のような姫君なのか、情熱の踊り子か、それとも優しい占い師 か、あるいはもっと別の人なのか。それとも、結局、その傷は他人によっては 癒されることはないのか‥‥ 勇者くんにとって、その気になれば、状況的にはかなりおいしいと思うが どうか。(^^; その辺は、勇者くんとシンシアが愛し合っていたか否かまでをも含めて、 プレイヤーひとりひとりが勝手に想像していい領分であると思う。 * ないわけだ。 また、導かれし者のうち、男性を見てみると、年齢的に釣り合いそうなのは クリフトだけ(ただし、彼は聖職者であり、かつ、アリーナに気がある、と いう設定がオフィシャルとなっている)。他はオヤジ2人とジジイである。 妄想する方としては、かなり苦しいとしか言いようがない。(^^; だが、実はひとり、とんでもないところに、それなりに釣り合いが取れ、 しかも、出逢いの形が別ならば、お互いにかなり深く理解できそうなキャラが いるのだ。 ピサロ(デスピサロ)である。 その愛の形は違えども、愛する者を奪われた悲しみを共有する者。 敵味方という形でさえなければ、そのお互いの悲しみを理解することは可能で あると思うし、もしかしたら、その互いの心の欠落を埋め合わせられる仲に なりうると思うのである。 ‥‥ただし、敵味方でさえなければ。 この辺を指向する方は、そこに至る脳内でのストーリー付けを、かなりに きちんとしておく必要があろう。 * 気がある」という設定以外は、オフィシャルな設定ではない。 しかし同時に、その辺は、ほとんどゲームでは語られることではなく、逆に 言えば、我々の想像に任されているわけである。 果たして、誰と誰とが、どのような感情を抱いて、どのような人間関係を 築くか。 それを考えることは、すなわち「そのキャラクター同士が出逢った場合、 彼らは何を考え、どう行動するか」を考える事に他ならない。 そしてそれは、(ゲームから窺える)そのキャラの性格、そのキャラの それまでの人生‥‥そう言った要素から(あるいは、それに矛盾しない程度に 自分で肉付けしたものから)類推するわけである。 それはそのまま、「キャラを自分なりに掘り下げること」なのだ。 そうして、キャラを掘り下げ、キャラ同士の関係について思いを馳せる‥‥ 悪く言えば「妄想」すること。 それもまた、このゲームの楽しみのひとつである。 というよりも、このDQ4というゲームは、そう言う楽しみ方に非常に向いて いるゲームであるといえよう。 現在でこそ、こういうキャラの立ったゲームは珍しくないが、12年前、 ファミコン用として初めてDQ4が発売された時は、まだまだ珍しい存在で あった。 そしてそれこそが、このゲームの人気を不動とする大きな要素だったのだ。 * そして、その妄想は、勇者くんのDQ4か、勇者ちゃんのDQ4かによって、 全く異なってくる。 そう考えれば、このゲームは、2度おいしく遊べるお得なゲームなのであると 思うのである。 * ひとつめ。 このコラムでは、故意に、「ある点」に関する論議を避けている。 それは、 「同性同士の恋愛感情は許されるか?」 である。(笑) この点を考慮すれば、取りうる人間関係の幅は、このコラムで述べたのとは 比較にならないぐらいに広がる。のであるが、今回は、この点には目をつぶる 事とする。 一応お断りしておくが、俺自身は、このゲームの人間関係に同性愛的感情を 持ち込む事(持ち込むプレイヤーがいる事)に対し、取り立てて嫌悪している わけではない。 繰り返しになるが、その辺の妄想はプレイヤーに任されている、と思っている わけであり、残念ながら俺がそういう妄想をしていないだけである。 * ごめんなさい。 「勇者くん×勇者ちゃん」というカップリングが人気ですが、この理論では どうしても、これだけは理論付けが出来ません。ごめんなさいごめんなさい。 (おしまい)
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