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コラム4
「DQ4の終わり方」
〜それは、12年待った結末〜





まず、注意。
このコラムには、猛烈なネタバレが存在する

もし、このコラムに記述された状況をゲーム中で体験していない人がこの
コラムを読んでしまうと、今後のゲームが、何ひとつ面白くなくなってしまう
可能性が高い。
よって、今回のコラムでは、厳格に、その辺を最初に「警告」させていただく
のである。

この「警告」を受け入れるも受け入れないも貴方自身の選択だ。ただし、
受け入れない場合、上述の通り、今後のゲームが面白くなくなってしまう
可能性が非常に高い。そして、それは「貴方自身の責任」である事を明記して
おく。



それでは警告。

最初に、プレステ版DQ4を遊んでいなくて、かつ、遊ぶつもりのある方。
あなた方は、このコラムを読んではいけない。
もしこのコラムを読んだら、ゲームが全く面白くなくなる。
該当する方は、ここまで読んだ時点で、前のページに戻る、あるいはブラウザ
を閉じる事を強くお薦めする。

プレステ版DQ4をプレイするつもりの全くない方は、読んでも構わない。
中でも、ファミコン版をプレイしたことがあり、かつ、プレステ版をプレイ
するつもりの全くない方は、むしろ、お読みになった方がいいかもしれない。





次からは、プレステ版をプレイしている方向けである。

まず、デスピサロを倒していない方。
あなた方は、このコラムを読んではいけない。
もしこのコラムを読んだら、ゲームが全く面白くなくなる。
該当する方は、ここまで読んだ時点で、前のページに戻る、あるいはブラウザ
を閉じる事を強くお薦めする。





次に。
デスピサロを倒し、その次の段階に突入したはいいが、そこで成すべき事を
まだ見つけていない方。
あなた方も、このコラムを読んではいけない。
もしこのコラムを読んだら、ゲームが全く面白くなくなる。
該当する方は、ここまで読んだ時点で、前のページに戻る、あるいはブラウザ
を閉じる事を強くお薦めする。

なお、貴方が進むべき道は、その時点でルーラで行ける場所にある。
探してみていただきたい。





次に。
そこで進むべき道を見つけたが、まだその最奥部まで到達していない方。
あなた方も、このコラムを読んではいけない。

道の途中には、宿屋がひとつ、そして教会がひとつある。
頑張って教会までたどりつければ、最奥部はもうすぐだ。





次に。
最奥部で待ち受ける、ふざけた二人組を倒せない方。
残念だが、あなた方も、このコラムを読んではいけない。

レベルを上げ、ぜひとも再挑戦していただきたい。希望のほこらの前に
そびえる塔、その3階(割れ目のある階)でメタルスライム系を倒しまくる
のがお薦め。
目安は勇者がレベル51。「パルプンテの次の呪文」を覚えたら再挑戦だ。

フバーハとスクルトを切らさない事がポイント。マーニャのメラゾーマ、
そして勇者の新呪文も切り札となるだろう。





次に。
二人組を倒したが、その次に何をすべきか分からない方。
あなた方も、このコラムを読んではいけない。

二人組のバックの絵に何が起こったかを思い出し、それから想像できる場所に
行ってみるが良かろう。ルーラで行けない場所である。





次に。
その場所で花を取ったが、それからどうすればいいか分からない方。
あなた方も、このコラムを読んではいけない。

ゴットサイドの人々の話、世界樹のエルフの話を聞けば、この花の力、そして
使い道は自ずと分かるはずだ。
そして、その使う場所も、デスピサロを倒した時のEDで、貴方自身が目に
しているはずである。





次に。
その花の力で件の人を甦らせたはいいが、その次にどこに行けばいいか
分からない方。
あなた方も、このコラムを読んではいけない。

甦らせた人は、何を望んでいるのか?
そう、進化の秘法に囚われた「彼」の魂を再び呼び戻す事。

彼は、一度我々が討ち滅ぼしたのと同じ、あの場所で‥‥あの姿で、再び
我々を待っている。





次に。
「彼」を仲間としたはいいが、その次の段階に進めない方。
あなた方も、もう少し、もう少しこのコラムを読むのを我慢して頂きたい。

「彼」はなぜ、「進化の秘法」に囚われたのか。「彼」はなぜ、愛する人を
失ったのか‥‥。

その答えは既に出ている。
「彼」を陥れ、進化の秘法を使わせ、自滅させようと企んだ者。
物語の最後に倒すべき、真の悪。
それを倒すことこそが、我々の最終目標である。

ルーラで行ける場所のどこか‥‥その玉座で、真の敵は、新たなる魔族の王と
して君臨せんとしているはずだ。





そして、最後に。
その「真の敵」を倒せない方。
それを倒せば、あなた方はこのコラムを見る事ができる。

倒せなければレベルを上げて再挑戦。また、あのふざけた二人組が、「彼」
専用の武具を持っている。パワーアップのために入手するといいだろう。
入手のためには、彼らを一定ターン以内で倒す事が必要なので、頑張って
いただきたい。

そして、その「真の敵」を倒せば‥‥








というわけで。

ここをお読みの方は、デスピサロを倒し、第6章に突入し、ゴットサイドの
祭壇の穴からダンジョンに突入、エッグラとチキーラを倒して世界樹の花を
咲かせ、それでロザリーを甦らせ、ピサロを仲間にして、デスパレスでエビル
プリーストを倒した方。
つまり、このゲームのハッピーエンドを見た方であるはずだ。
そうでない方は、恐らく、この文を読んで後悔してるんじゃないだろうか。
だからあれほど言ったのに。(^^;

そう、プレステ版DQ4には、「ハッピーエンド」があるのである
そして、この事が、このゲームを、ファミコン版とは全く別のゲームへと
変質せしめた、といっても過言ではないのである。



約12年前、1990年2月11日に発売された、ファミリーコンピューター用
ソフト「ドラゴンクエスト4・導かれし者たち」。

このゲームは、現在売られているプレステ版と、ホフマンが移民の街を作る
など、わずかな部位を除き、ストーリーはほとんど同じである。
メインの部分は全く同じと言ってもいい。

ただし、デスピサロを倒すまでは。

デスピサロを倒した後、我々は、かつてのファミコン版には無かった「6章」
に突入する事になる。
そして、上記の通り、ピサロを仲間にし、エビルプリーストを倒す事で、
ハッピーエンドを迎えることとなるのだ。

繰り返しになるが、「ハッピーエンド」は、ファミコン版にはなかったもの
である。
つまり、ファミコン版では、デスピサロを倒す事が、すなわち、このゲームの
終わりとなっていたわけだ。

そして、俺のような、12年前にDQ4を遊んでいた人間にとっては、
それこそが、この物語の「終わり」そのものなのである。


俺の言っている事がお分かりか?

あのエンディング。
デスピサロは倒され、人間の世界には平和が戻った。
しかし、デスピサロの‥‥哀れなピサロの魂は、救われる事がなかったので
ある。



勇者とピサロは、非常に「近い」魂を持っていたと思う。

ピサロによって、愛する者を奪われた勇者。
人間によって、愛する者を奪われたデスピサロ。

勇者は、「天空の武具」の力と仲間との絆で己を強め、
ピサロは、「進化の秘法」によって己を強めた。

「天空の神」マスタードラゴンの力を得た勇者。
「地獄の帝王」エスタークの力を得ようとしたピサロ。

また、実は、ピサロこそが、世界を救う者だったのかもしれない。
恐らく、魔族や、人間を嫌う世界樹のエルフ、ロザリーヒルのホビットに
とっては、実際にそうだったのだろう。



あまりに、あまりに近しいその魂。
そんな近しい魂を持った者を、己のもっとも近くにいた者を‥‥いわば
「もうひとりの己」を、勇者は討ち滅ぼしたのである。

ピサロの苦しみを、勇者はよく分かっていただろう。
その魂の痛みを、分かっていただろう。

しかし、勇者には、ピサロの魂を救う事はできなかったのだ。

ピサロは斃れ、勇者も、エンディングで「導かれし者」たちと別れた後、
故郷の村の跡で、力尽きたかのように草むらに座り込むのだ。

 このシーン‥‥花畑が昔の姿に戻り、シンシアが蘇り、「導かれし者」
 たちが駆けつける‥‥の解釈には諸説ある。
 有力なのが、「美しい幻の中で勇者は力尽き、天に召される」という
 説と「最後に奇跡が起こり、村が復元する」という説である。
 どちらが本当か、公式の答えはなく、ここはプレイヤーの解釈に任されて
 いる部分である。


勇者の魂は、救われたのかもしれない。救われなかったのかもしれない。
ただ、はっきりしているのは、「もうひとりの勇者」の魂は救われなかった、
そのことだけである。




DQ4は、「一人の勇者がもう一人の勇者を討ち滅ぼした物語」であり、
「人間の勇者と魔族の勇者の、お互いに背負ったものを賭けた争い」を、
「自分と同じ者を否定し、平和を得る姿」を描いたものではなかったか。

この物語は‥‥勇者がデスピサロを斃し、それで「人間にとっての平和」が
やってくるこの物語の結末は、だから、ハッピーエンドではないのである。
正確には、不完全なハッピーエンドだったのである。

そして、この「不完全なハッピーエンド」こそが‥‥それを味わった我々が、
素直に喜べない、苦みにも似た悲しみを感じるこのエンディングこそが、
このゲームを、後世にまで語り継がれる名作たらしめているひとつの要素では
なかったか、と俺は思うのである。



そして、12年。
プレステに移植されたDQ4には、「完全なハッピーエンド」が用意された。

ロザリーが甦る。
ピサロが、己を取り戻し、勇者と共闘する。
自らを陥れたエビルプリーストを倒すために‥‥。

全てを成し終えた後、ピサロとロザリーはロザリーヒルに戻り、二人寄り添い
ながら、そこで勇者の気球を見上げる。
彼らはこれからも、再びの死が二人を分かつまで、仲睦まじく暮らし続ける
のだろう。

ピサロの魂は、救われたのだ。



しかし、少なくとも俺にとっては、このエンディングは、違和感を隠せない。

なぜなら、俺が12年間「これがDQ4だ」と信じてきたDQ4は、不完全な
ハッピーエンドのDQ4であるからだ。
あのつらさ、あの後味の悪さこそがDQ4であるからだ。そう思うからだ。



まぁ、とやかくは言うまい。

DQ4が12年かけてたどりついた結末‥‥それが「ピサロの魂を救う事」
だった、ということなのであろう。それに異を唱えるつもりはない。

このシナリオが追加されたことは、決して、けなされるべきではないと思う。
ピサロの魂が救われたことは、しかもそれがオフィシャルなゲームの中での
出来事となったことは、それはやはり喜ぶべき事だと思うからだ。

ただ、俺にとっては、あくまでこの6章は「5章までの物語を味わった人への
贈り物」であり「おまけの隠しシナリオ」なのである。

俺のDQ4は、第5章で終わりを迎えるのだ。



最後に、余談。

この文章を書いている最中、ふと、あるゲームを思い出した。
それは、「Leaf(リーフ)」という会社の「雫(しずく)」という、男性
向けの18禁ゲーム、いわゆるエロゲーである。(^^;

実は、このゲームも、一度クリアしなければ、ハッピーエンドにはたどり
つかないのである。

相当不正確である事を承知で(だからツッコむなよ(^^;)簡単に解説すると、
主人公の男の子(プレイヤーキャラクター)は、ある女の子を守るため、
最終的に、その子の兄と対決しなければならなくなる。
その過程で「相手の精神を操る能力」に目覚めた主人公は、その能力で、
女の子の兄の精神を破壊する。
しかし、実はその女の子は、兄のことを慕っていた。そして、壊れた兄と
共に、己の精神も閉ざし、病院で二人きりで暮らす事になるのである。

で、だ。
そのエンディングを一度見た後、もう一度プレイすると、クライマックスで
主人公が女の子の兄の精神を壊す、という場面で「壊さない」という選択肢が
出てくる。それを選ぶとハッピーエンドを迎える事ができるのである。
甚だ不正確な説明で申し訳無い。(^^;

このシステム。
発動させるのが「選択肢」と「イベントのクリア」という違いはあれど、
クリア後に初めて出てくるハッピーエンド、悲しいエンディングを見て初めて
見ることのできるハッピーエンド、というフィーチャーは、まさに両者の
共通項である。

「雫」は1996年発売のゲーム。このシステムにより、この「雫」は名作の名を
ほしいままにし、そしてリーフは不動の名声を得るのである。

もちろん、プレステ版DQ4がこの「雫」を意識しているか否かは、我々には
分からない。
ただ、6年も前にこんなゲームがあった事を、心の片隅に入れておいても
いいのではないかと思う俺である。



そんなわけで、微妙にノスタルジーを味わいつつ、本コラムはお開きである。

(おしまい)
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