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お世話になっている「どくよんず」様のチャットルーム「馬車でお茶会」の常連が大結集して
合同本を作ったことがあります。 2003年の冬コミ合わせで作られたその本、題して「馬車茶漬」は、参加者の過剰な情熱と おまけCD-ROMまで付いた恐るべきコンテンツ量を武器に、2003年冬コミ、通販、そして次の コミックスクエアで無事完売となったのでした。 泣いても叫んでももう手に入りません。(汗) で、買い逃した貴方のために、「どくよんず」主宰・おけりん様の許諾により、俺が寄稿した コラムを掲載させていただきます。 なんせ他のサイト様中心の本だけに、当サイトとは若干そぐわない部分もありますが、その辺は しょうがないってことで。 |
〜人と人とが出逢うことの不思議〜 突然だが。 DQ4は「出逢いのゲーム」だと思う。 ‥‥と、いきなり本筋から二歩ほど脇にズレたところから斬り込んでみるあさづけ兄貴である。(汗) でもいいのだ。ちゃんと意味があるのだ。 * 人間がプレイするために作られたゲームである以上、プレイヤーキャラクターがいて、そして ゲームとしてドラマを展開する必要がある以上、そのプレイヤーキャラクターは「他者との 関係」を持たなければならない。 それはつまり、プレイヤーキャラクターが、他のプレイヤーキャラクター、あるいはノン プレイヤーキャラクターと出逢わなければならない、ということである。 だが、そんな中においても、DQ4は、その「出逢い」という、いわばキャラクターの人生に おける「一大イベント」を、非常にうまくドラマに組み込み、表現したゲームだと思うわけ なのである。 * サントハイム国王の一人娘、アリーナ。 その教育係である老魔道士、ブライ。 アリーナ付きの若き天才神官、クリフト。 武器屋の日雇いから身を起こした大武器商、トルネコ。 偉大なる錬金術師エドガンの娘、マーニャとミネアの女魔道士姉妹。 本来ならば、全く接点がなかったこれら7人が、まさに「導かれる」がごとく、次々と、 緑の髪の「勇者」の元に集う。 ここで特筆すべき事は、誤解を恐れずに言えば、このゲームの前半、正確には1〜4章 及び5章キングレオ戦までが、この「出逢い」のために費やされるということである。 イムルの子供の蒸発事件を解決し、その背後に潜む謎を追うために、そして「勇者」を守る ために旅立つライアン。 行方不明の王を探すため、無人の城を後にするアリーナ、クリフト、ブライ。 武器商としての名声を手にした後、己の夢を追い、究極の武器「天空の剣」を探すために、 ブランカへの地下隧道を越えるトルネコ。 父の仇・バルザックに勝利するも、異形と化したキングレオ王子に返り討ちに遭い、牢内の 父王が命を賭して託した乗船券と、オーリンの己を捨てた献身により、エンドールへ落ち延びる マーニャとミネア。 そして。 デスピサロに村を焼かれ、失意のうちに孤独な旅を始める勇者。 勇者以外の7人は、それぞれに明確な、しかしそれぞれに異なる目標を抱え、世界を旅する こととなる。 だが、やがて彼らは皆、「導かれし者」として勇者の元に集い、その「異なる目標」も、 「打倒デスピサロ」という大目標に収斂してゆく。 その過程は、この本をお読みの皆様もご存じの通りである。 * 実は、大いなる偶然の積み重ねであった、と言うことは出来ないだろうか。 もしも、エンドールで、勇者がミネアに占ってもらわなかったら? もしも、裏切りの洞窟で、勇者がマーニャの問いに答えられなかったら? もしも、コナンベリーで、トルネコが別の人に大灯台の解放を依頼していたら? もしも、ミントスで、ブライが勇者たちのパーティに加わらなかったら? もしも、パデキアの洞窟で、アリーナたちのパーティが先に種を見つけていたら? もしも、勇者たちとライアンのキングレオ城突入のタイミングがズレていたら? ちょっと考えてみただけでも、これだけ「人生の選択肢」があるわけだ。 そして、彼らは、その「選択肢」をことごとく乗り越え、勇者との邂逅を果たしたわけである。 これは、本当に、小さな偶然の積み重ねに見えないだろうか? それとも、それは、彼らの手の及ばぬ「何か」が用意した、大いなる必然なのだろうか? 我々には、その問いの答えを知る術はない。 ただ我々は、その「結果」がどうなったか、それを知っているのみである。 * その「結果」だ。 勇者たちは、出逢い、そして何を為したか? 我々は、それを知っている。 コナンベリーの大灯台を正常に戻し、キングレオ城、サントハイム城を相次いで解放。 「地獄の帝王」エスタークを倒し、天界に上って「神」マスタードラゴンに謁見を果たした後、 魔界へ。デスピサロ配下の四天王を打倒する事で敵本拠地デスキャッスルの結界を破り、 城の最奥でのデスピサロとの最終決戦に勝利した‥‥ その「結果」を。 それを為し得た理由。 その結果を産んだ理由。 それこそが、この「出逢い」ではなかっただろうか。 * 「勇者」はなぜ「伝説」となっていたのか。 それは、彼が(あるいは彼女が)「地獄の帝王」を倒す力を持っていたからである。 つまり、勇者は、エスタークを(デスピサロを、ではない)倒す事ができる、たった ひとりの存在だったわけだ。 それはいい。 しかし、その伝説をそのまま解釈すれば。 逆に言えば、勇者は、ひとりでは、デスピサロを倒し得なかったのかも知れないのだ! 黄金の腕輪で増幅された膨大な魔力を自らの身体に作用させ、究極体となったデスピサロ。 その戦闘力は、明らかにエスタークを上回る。 もし、勇者がひとりで彼に挑んだとして、勝てる保証はどこにもないのだ。 それだけでも。 デスピサロに勝利する力を勇者にもたらしただけでも、勇者と導かれし者7人との出逢いには 意味がある。 * その途中の「過程」にも、彼らの出逢いが、明らかにプラスに働いているのだ。 エンドールで出逢ったマーニャの大らかさとミネアの優しさは、傷ついた勇者の心をどれだけ 癒した事だろう。 コナンベリーで出逢ったトルネコ。彼の財力と知名度、そして冒険技能が、どれだけ彼らの 助けとなった事か。 アネイルで出逢ったアリーナの明るさ、クリフトの信仰、ブライの知恵。それらがパーティに もたらしたものは果てしなく大きかろう。 キングレオ城で、勇者たちを導いた薄紅の戦士ライアン。その強靭な意志と卓越した剣技が パーティの危機を救った事は、一度や二度ではないはずだ。 彼らは、仲間として絆を深め、弱点を補い合いながら、共に旅をしていった。 そして、そのことこそが、最終的な勝利を呼び込む決め手となったのだ。 勇者と導かれし者7人。 この8人が揃った事により、もたらされた勝利。 それは単に、頭数が8倍に増えたことによるものではない。 彼らが出逢い、そして長い旅の間に培った絆。 それが、彼らに力を与えていたのだ。 仲間を信じる心。 仲間が自分にくれたもの。自分が仲間に与えたもの。 そうして「絆」がつくられる。 その「絆」が産み出した力が、最終的に、デスピサロに勝ったのだ。恐らくは。 * それは、いつの事だったか、正確には覚えていない。 恐らく、3年ぐらい前になると思う。 その日、俺は、いつものように何気なく、パソコンを立ち上げ、ブラウザを開いた。 いつものように、スタートページに登録してあるMy Yahooが表示される。 そして、次の瞬間。 俺は、予想だにしないものを見た。 その日の「今日のお薦めサイト」として、DQ4のファンサイトが2つ掲載されていたのである。 俺の脳裏に、十年前の光景が、突如フラッシュバックした。 古いテレビの中で、緑色の髪の少女が躍る。 5章冒頭のあの惨劇。 美しく、そして切ないラスト。 フラッシュバックしたのは、俺があの日見た、DQ4の画面だった。 (ちなみに、それが「少女」だったのは、俺が女勇者でプレイしていたからである) そして、そのサイトのひとつが、まさにこの本を出す母体となったチャットルーム「馬車で お茶会」を擁する、おけりん様の「どくよんず」だったのである。 (ちなみに、もうひとつは、このコラムが載った「馬車茶漬」に原稿を寄せていらした、 藤崎みちよ様の「DQ4 LOVER'S ROOM」である。) ものすごく、ショックだった。 俺が既に精神内部で「思い出」にしかけていたDQ4を、発売後十年経って、なお「現役」で 好きな方がいらっしゃる、そしてサイトを作っていらっしゃる、そのことが、である。 そのショックが、たちまちのうちに、俺をも「現役」に引き戻したのである。 俺のDQ4への情熱は、再び燃え上がったのだ。 (その情熱は、やがて、俺がDQ4サイトを作り、コラムや小説を書き、同人誌を出し‥‥ といった活動へと結実することとなるのだが、それはここでの本題から離れるので割愛。) さっそく、お二方のサイトの掲示板にご挨拶の書き込みをし、そして「どくよんず」のチャット ルームにも顔を出させていただいた。 もちろん、馬車茶である。 この時から、俺の馬車歴が始まるわけなのであった。 * いろんな方々と、お知り合いになる事ができた。 本当にいろんな方々である。 いろんな個性と、いろんな思想と、そしていろんな特殊能力(!)を持つ方々である。 そんな方々といろんな事を話し、いろんな事を学んだ。 今も、そうしている。 楽しい日々だ。 今や、この場所は、そしてこの場所で出逢った方々との「絆」は、俺の中で、かけがえのない 財産になっている。 それは間違いなく事実なのだ。 * もしあの時、My Yahooを見なかったら、俺はどうなっていただろう。 もしあの時、馬車に挨拶に来なかったら、俺はどうなっていただろう。 このかけがえのない財産を得る事なく、否、それどころではなく、DQ4を過去の思い出に 封じ込めてしまったまま、今とは違う生活を送っていたに違いない。 そう思う。 繰り返しになるが、俺が馬車で得ることのできた物は、それはもう本当に、大切な大切な 財産である。 もしも、俺があの時馬車に来ていなければ、それを得る事ができずに、日々過ごしていたかも 知れないのだ。 そしてそれは、勇者たちの歩みに似ている。 偶然か必然か、導かれし者たちと出逢い、お互いの絆により強い力を得たが故に、デスピサロに 勝利した勇者たちの、その歩みに。 彼らもまた、出逢わなければ、輝かしい勝利を得る事ができなかったかも知れないのだ。 というわけで。 偶然か必然かは分からないが、もしかしたら、俺もまた、馬車へ「導かれた」ひとりなのかも 知れない。 そして、それは、俺にとって、非常に喜ばしい事であるに違いないのだ。 * 願わくば、馬車に繁栄を。管理人のおけりん様に健康を。 あと、俺らも幸せだといいなあ。(笑) (おしまい)
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