熱血的格闘ゲーム論・その2
〜あるいは「演じて勝つ、その実践」 
  あるいは「ナインハルト・ズィーガーと俺」〜





俺は「一見カッコ悪いキャラをカッコよく演じたい!」と考える人間なのだ、
と言う話をした。
「演じる」事と「勝つ」事は両立する、という話もした。
そして、俺の生涯でただ一人、それに成功した、と俺が思っているキャラが
いる、という話も、した。

それは誰なのか。
というところで、「勇者王ガオガイガー」張りの卑怯な引きで、その2に
続いたのであった。(^^;

(ここでガガガの話を出したことは、実のところ、後半の論旨の微妙な伏線に
 なっていたりする。(^^;)

*


で、そのキャラとは‥‥。

SNKの時代劇対戦格闘ゲーム「真サムライスピリッツ」のキャラクター、
「ナインハルト・ズィーガー」。

そう、彼こそが、俺が唯一「演じ、勝利できた」キャラなのである。

*


ナインハルト・ズィーガー。
ドイツ諸国最強の騎士団「紅き獅子聖騎士団」を率いる男。
そして、その二つ名は「千の破壊者」。

ドイツ合理主義を体現したかのような、一切の無駄を省いた肉体(頭髪すら
剃り落としているのだ!)を誇示するかのごとく、何も着ず、むき出しに
された上半身。

その右腕をまるごと覆うように装着されているのは、先端に巨大な手の付いた
黒い鉄甲。自由自在に物をつかみ、薬莢式の連射機構付きアームパンチを
内蔵し、そして手から身の丈ほどの火炎を吹き出す脅威の戦術兵器、その名も
<ズァリガーニ>。

そんな、彼の姿。
巨大な右腕を持った、ザリガニと言うよりシオマネキのようなその姿は、
はっきり言って「異形」である。
その「異形」故に、そして、本質的に「剣劇」「チャンバラ」であるサムライ
スピリッツにおいては異質な存在である故に、彼は一般のゲーマーからは
敬遠されていたようである。

*


だが、待って欲しい。
彼はかっこよく無いだろうか?

そう、俺には、彼がとてもかっこよく感じたのだ。

*


考えてみて欲しい。
彼の騎士団がなぜ「ドイツ諸国最強」と呼ばれたか。
その要因は数々あるのだろうが、そのひとつが「彼自身の戦闘力の賜物」で
あろうことは、容易に推察できるのである。

彼の引き締まった肉体にも現れている、ストイックに己を鍛え続ける高潔なる
精神。
巨万の敵を一人で威圧するに足る、威風堂々たるその体躯。

また、右腕の<ズァリガーニ>。
未だガトリング砲すら発明されていない時代に存在した、中央欧州唯一にして
最強のハイテク兵器。
彼の、そして恐らくは騎士団そのもののシンボルであったろう、その赤熱する
巨大な鋼鉄の右腕こそが、彼の「力」の象徴として、騎士団と領民には希望と
勇気を、敵対諸国には畏れと恐怖を、共に与えてきたのだ。

そして。
重要なことなのだが、ゲーム中、彼は決して相手を殺さないのだ。

このゲームでは、自分のキャラクターが勝つと、何がしかの台詞を言うデモが
流れるわけであるが、その台詞には、「相手を殺した時」と「そうでない時」
の2種類があって、彼の勝ちデモには「そうでない時」の台詞しか流れない
のである。
そう、すなわち、「彼は人を殺さない」のだ。

侍の戦いとは命のやり取り。それこそがこのゲームをこのゲームたらしめて
いる要因のひとつである。
しかし、そういった世界において、「不殺」を貫く‥‥その誇り高い精神は、
それもまた「騎士の魂」である。


*


人間の知性の結晶である、強力無比のハイテクツール。
己を鍛え続ける、誇り高き精神。
人の命の尊さを知る者。

どこかで‥‥そう、どこかで、これと似たような人々を見なかっただろうか。

ここに来られる皆さんなら、お分かりだろう。
そう、彼は、「GGGの勇者」なのだ。
俺の心の支えとなっているアニメ「勇者王ガオガイガー」の地球防衛組織・
GGG(地球/宇宙防衛勇者隊)のクルーと同じ、誇り高き勇者なのだ。

そう。実は、俺は出会っていたのである。
1994年、ガガガ放映の実に3年も前から、「勇者」と呼べる男に。

*


彼を「演じる」時。
俺は、決して「騎士」の名に恥じることはしないよう、心掛けてきた。
待つとか、ハメるとか、そう言ったことは、決してしないように。

そして、目指すのは、彼がそう言うキャラであるだろう、「力」と「知性」、
「勇気」を兼ね備えた闘い。

荒ぶる火神と化したかのごとく、右腕の炎を猛然と浴びせ続け、敵の戦闘力を
奪い尽くす、圧倒的な「力」。

反撃する敵には、そのパターンを読み切り、その大技の一瞬の隙を突き、
必殺投げでカウンターを狙う、「集中力」と「知性」。

そして、たとえ<ズァリガーニ>を手放そうとも、決して退かないこと。
再び必殺の戦闘ツールを拾うまでは、己自身の肉体を武器として闘い続ける
こと。その「勇気」。

それこそが、俺の目指した、そして、恐らくナインハルト・ズィーガーが
目指した「闘い」なのである。
俺は、今でもそう信じている。

*


いかがであろうか。
これが、「キャラを演じ、そして勝つ」ことだ。

俺は、自らの理想を実践できるキャラと出会えた。
そのことを、俺は、神に感謝せずにはいられないのだ。

*


実は、もう一人、同じ時期に、別のゲームで、演じ切る「寸前」まで行った
キャラクターがいる。

彼の話は、また次の機会にしようと思う。
今回はこれだけね。





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