というか、「熱血」というのは、「理屈」や「理論」じゃなくて、「感情」と いうか「本能」というか、そういったところが司るものであると思うので、 こういう風に文章化するのが果たして吉かどうか、って話もありますが、まあ やってみましょ。 まず、こう言うと、意外に思われる方も納得される方もいらっしゃると 思いますが、「熱血」の根底にあるのは、ある意味での「真面目さ」だと 思うんです。 というか、「問題に真っ正面から本気で取り組む姿勢」というか。 問題に真っ正面からぶつかって、それから騒ぐ。 決して「逃げよう」とか「あきらめよう」とか「手を抜こう」とか考えない。 いわば「要領の悪い」というか「不器用な」姿勢。しかし、それこそが 「熱血」であると。 そして、また、「熱血」とは「感情のほとばしり」だと思うのです。 笑うべき時には心から笑い、泣くべき時には心から涙を流し、そして怒るべき 時はその怒りを爆発させる。 自らの感情に忠実に生きること。自らの感情を素直に表現すること。 それこそが「熱血」なのではないでしょうか。 だから(あくまでも)その結果として、熱血の人はよく「叫ぶ」。 つまり、決して「叫ぶこと=熱血」ってわけじゃない。この辺 難しいけど。 我々が生きる社会では、「物事に本気でぶつかって騒ぐ」ことや「感情を ほとばしらせること」は少し「恥ずかしい」ことになっている(というか、 そう思われている)みたいです。 つまり「熱血は恥ずかしい」。 だから、実社会ではそうそう「熱血」できるもんでもないし、それには非常に 勇気がいる。 (だから、逆に言えば、「熱血は照れてはいけない」と思うんです。 つまり、「VS騎士ラムネ&40炎」のラムネード君の「俺は今猛烈に熱血 してるっ!・・・照れるぜ!」ってのはすでに熱血ではない(←暴言)。) しかし、私たちは、心のどこかで無意識に「熱血したい」という願望を 持っていると思うんですよ。 「いつもは自分の感情を素直に出せないから、それを出したい」という願望、 と言い換えてもいいな。 どうしても、多かれ少なかれ、理性で感情を抑えてコントロールして生きて いかなければならないのが実社会だから。 だからこそ、そういった勇気のある、そしてそういう難しいことができる キャラクターたちに魅かれる人も多いのではないかと。俺含め。 私の貧しい文章力で表現できるのは、こんなところでしょうか。 |