鏡花作品紹介

 

外科室

 明治28年 6月「文芸倶楽部」初出、明治31年 9月『明治小説文庫』第10編(博文館)所収

 語り手の画師は兄弟のように親しい医学士高峰に頼み、その執刀になる貴船伯爵夫人の手術に立ち会う。夫人は夢うつつに心の秘密を呟くことを恐れ、頑なに麻酔薬を拒む。これほどまで思うのだからきっとうわ言をいうに違いない、と。高峰が自若として麻酔なしでその胸にメスを入れると、夫人は「あなたは私を知りますまい」と言って片手をメスに添え、乳の下深くかき切る。医師の「忘れません」の一言に夫人は嬉しげな笑みを残して息絶えるが、同じ日のうちに高峰もまた命を絶つ。実にその9年前、高峰が画師とともに小石川植物園を散策のおり、彼女との間にほんの一瞬の遭遇があったにすぎないのであるが……。

「草迷宮」の悪左衛門は人の瞬きする間を住む世界とするが、そこに通底するような恋愛空間。愛の妖怪。
 



龍潭譚

 明治29年11月「文芸倶楽部」初出、明治44年10月『銀鈴集』(隆文館)所収

 幼児千里(ちさと・三年前に母を亡くす)は赤い躑躅の続く丘で美しい毒虫を追ううち刺されて醜い顔になる。道に迷い、鎮守の杜で「かたい」の子らと遊ぶがおいてけぼりをくらい、探しに来た姉からも人違いをされる。姉を追いかけ、気を失った千里は九ッ谺という山奥の谷で助けられ、美しい女に添臥される。母にしたように胸に頭を押し当てると霞のような感触、つむじ風が吹くと「お客があるんだから、もう今夜は堪忍しておくれ」という女。老人に連れられ大沼を渡って町に帰るが、千里は神隠しとして人々に忌避され、離人症的な狂気におちいる。姉の胸に抱かれて、寺で千呪陀羅尼の祈祷を受けた夜、おりしも激しい嵐に谷が溢れ、九ッ谺は一夜にして淵となる。ひとたび決壊すれば町を水底に沈める恐れのある淵である。時移り、海軍少尉候補生となった千里は粛然としてその淵に臨む。

 主人公は「海」軍少尉候補生、すなわち水の眷族に連なり、母性と暴力とに結びつく。
 



化鳥

 明治30年4月「新著月刊」初出、明治42年4月『柳筥』(春陽堂)所収

 豪邸の奥方として裕福な暮らしをしていた頃、母はある日猿回しの老人と会った。老人は世間の冷たさを恨み、猿を土手に残して去る。猿も同然の人々だから同じ仲間である猿を餓えさせることはあるまいと。その時母の胎内にいたのが、語り手の少年廉である。そして今、零落して父もなく、橋の通行人からあがる橋銭で母と子二人かろうじて暮らしている。母は猿回しの老人と同じ思考法を廉に伝授する。世間の人間はみな禽獣と変わらぬ「畜生め」なのだという、母と老人と廉しか知らぬ「ありがたい」教えである。ある時猿をからかっていた廉が川に落ちる。廉を助けてくれたのは羽の生えた美しい姉さんだと母はいう。どうやらその人だけは畜生ではないらしい。もういちどその人に会いたくて探しに行った梅林の中で、廉は自分が鳥になりそうな気がして叫び声をあげる。その時抱きしめてくれたのは、心配して廉を探しに来た母だった。姉さんに会うためにまた溺れてみようか、でもまあいい、母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。

 鏡花初の口語体小説。
 



高野聖

 明治33年 2月「新小説」初出、明治41年 2月『高野聖』(左久良書房)所収

 旅の車中で「私」と知り合った僧侶宗朝が敦賀の宿で若き日の出来事を語る。行脚のため飛騨から信州へ峠越えをした時のこと、先を行く薬売りの男が危険な旧道へと進んだのでこれを追うが、蛇また蛇に行く手を阻まれ山蛭の森に迷い込む。たどりついた山中の孤家には美しい女とその亭主とされる白痴で異貌の少年が棲んでいた。少年は歌い覚えた二つ三つの唄をこの世ならぬ声で歌う天才的な能力を持ち、女もまた山蛭による僧侶の傷を谷川の水で癒してやる霊力を持っている。その夜、妖しいものたちの気配が襲うが、「今夜はお客様があるよ」と隣室の女が叫び、僧が陀羅尼を呪すと気配は去る。翌日別れて里へ向かうが、女のもとで暮らすことを考えている僧の前に、女に仕える老爺が現れ仔細を語る。女は医者の娘で、父を助けるうちに霊的な能力を顕わすようになった。父が少年の手術に失敗したことから女が付き添うようになり、十三年前の洪水で村人が全滅したあとは少年と二人で暮らすようになった。いまや女は男たちを弄んでは獣に変える魔物である。僧が助けられたは特別の配慮、迷いを捨て心して修行するよう叱咤して老爺は去る。僧侶はこの話について特に註することもしなかった。翌朝雪の坂道をひとり登る姿はあたかも雲に乗るようであった。
 



註文帳

 明治34年 4月「新小説」初出、明治43年 5月『鏡花集』第二巻(春陽堂)所収

 吉原の剃刀研ぎ職人の五助は毎月十九日の仕事を避けていた。十九日というその日は、請け負った剃刀のうち一挺がいつの間にか消え、廓の思わぬ所に現れて、時に人を危めることもあったからである。鏡研ぎ職人の作平が五助に明かすところによれば、陸軍少将松島主税が若い頃、遊女お縫に剃刀で首を突かれ、その返す手でお縫は自害、この心中騒ぎがあったのが十九日だったという因縁がある。剃刀が鏡にあたって松島は一命を取りとめ、以後この鏡は戒めの家宝となった。時うつって現在、今はなき松島の甥にあたる脇屋欽之助は新たに作平によって研ぎ直されたこの鏡を贈られる。彼のドイツ留学を祝う宴のあった十九日の夜、欽之助は吉原に迷い込み、見知らぬ女から紅梅屋敷の娘お若へ届け物を託される。この日五助のところで消えたお若の剃刀である。欽之助はお若に渡そうとしたこの剃刀をいったん紛失するが、お若が欽之助の上着の左のポケットにあるのを探りあてたことから、かつてお縫のはかった無理心中がこのふたりによって反復され完結する。盾となって一命を取りとめることもできたであろう鏡を、この時、欽之助は携帯していなかったのであるが、運命を受け容れるかのようにお若を妻と認めて瞑目するのであった。

 剃刀と鏡という品物をめぐる物語、剃刀研ぎと鏡研ぎによる物語。
 



春昼・春昼後刻

 明治39年11、12月「新小説」初出、明治43年 8月『鏡花集』第三巻(春陽堂)所収

 先先月より逗子に一室を借り自炊するという散策子が春の日中をぶらぶら歩きに出たのは、停車場開きの祭礼の日の騒々しさを避けてのことであった。途中、ある二階家に蛇が入り込んだのを見て野良仕事の老爺にその家へ用心するよう言づてる。たどり着いた岩殿寺の柱に「うたゝ寐に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき――玉脇みを」と書かれた懐紙を見つけ、昨年寺に逗留した客人の「みを」なる夫人への恋慕の顛末を住職より聞かされる。ゆきずりに夫人を見かけ恋こがれた客人は、ある夜、祭囃子に誘われるように山に入り、夢うつつの舞台の上で自分の分身が夫人の背中に△□○と書くのを見たのだった。その翌日夫人が寺に詣でて、以来「うたゝ寐に」の歌が柱にある。数日寺に閉じこもっていた客人は再び舞台を見ようとしたのか山で姿を消すが、死体となって見つかったのは山ではなく海であった。(春昼)
 寺よりの帰途、散策子を待っていたのは玉脇みを、すなわち蛇への用心を言伝された家の女主人だった。女は散策子によく似た男(客人)への恋しい気持ち、もの狂わしい「春の日中の心持ち」を吐露。女の手帖には△□○が書き散らしてあり、散策子は蒼くなる(客人が見たという△□○との奇妙な暗合)。女は手帖の断片に「君とまたみるめおひせば四方の海の水の底をもかつき見てまし」と書いて、通りがかりの角兵衛獅子の子供に託す。どこへと宛てのないこれが死者への言伝となったのであろう、子供は海に溺れた。去年男があがったと同じ岩にその死体が見つかった時は、あたかも母子の像をそのままに、みをの死体と一緒であった。(春昼後刻)
 



草迷宮

 明治41年 1月『草迷宮』(春陽堂)初出

 魔所と呼ばれる三浦半島の「大崩れ」には丸い子産石が出る。二つ重ねると子が授かるというこの石を土産物にする茶店の老婆に、しかし子はいない。かつて土地の若者が明神様の侍女という女から緑色の珠をもらったが、酔って抱きついたために正体を見てしまい、それ以来気が狂っている。女が去って行った方向にある秋谷邸では去年の夏に死人が五つ立て続けに出ていた(二組の母子の産褥死と若主人の自殺)。諸国行脚の小次郎法師はそんな話を茶店の老婆から聞かされ、邸に回向に赴く。そこには葉越明という青年が逗留していた。明は亡き母の歌った手毬唄を探し求める旅の途中、川に浮かぶ手毬を拾ったことから緑色の珠の女の逸話を聞かされ、この邸にたどり着いたのであった。だが毎夜、畳が動きランプが廻る怪異に逢い、その顔にはやつれが見えている。明が眠る夜、それを見守る小次郎の前に悪左衛門(人のまばたきする間を世界とする魔物)が登場、続いて明の幼なじみで独り丑待ちの儀式をしたまま姿を消していた菖蒲(明神様の侍女)が現われ、明には内密の仔細を物語る。手毬は身内の幼い者が粗相で川に流したものだった。女は手毬唄を知っているが、いま会えば道ならぬ恋となって明までも魔物となる恐れがある。いずれ明がある夫人によって恋を知り、あの世の母への思慕から心がふたつに引き裂かれる時、唄は自ずと聞こえるであろう。女はそう言って手毬をつき、眠る明のもとを去る。

 最後に現れる女を菖蒲と限定せずに複数的な女にして母性の原形とする澁澤龍彦の説あり。
 



歌行燈

 明治43年 1月「新小説」初出、明治45年 1月『歌行燈』(春陽堂)所収

 月の夜、桑名に着いたふたりの老人、能役者の恩地源三郎と小鼓師辺見雪叟が湊屋という宿へ向かう時、車の音にまじって博多節を唄う声が響いた。声の主は叔父源三郎に勘当され門付けに落ちぶれた恩地喜多八である。うどん屋で喜多八はその勘当の顛末を按摩相手に物語る。三年前、もと按摩で芸におごった謡の師匠宗山を懲らしめたため、宗山は「七代まで流儀に祟る」と書いて憤死したのだった。いっぽう湊屋の二老人の前には芸のできぬ芸者がいた。宗山の娘お三重である。唯一できるという娘の「海人」の舞に源三郎らは甥の手を見た。娘は仔細を語る。父なき後、鳥羽の廓に売られ冷たい海の巌の上で「こいしこいし」と泣いたこと、古市で芸者になった後、三味線ひとつできぬお三重に門付けが鼓ヶ嶽の裾の雑木林で舞を教えてくれたこと。「舞も、あの、さす手も、ひく手も、ただ背後から背中を抱いて下さいますと、私の身体が、舞いました。」語り終えた娘はふたりの鼓と謡でふたたび舞を舞う。その響きに誘われて宿の外、謡を唱和する喜多八と、喜多八に引き敷かれるように蹲る形なきものの影。

 月の夜、複数の音の響きがたくみに縫い合わされていく小説。
 



夜叉ヶ池

 大正 2年 3月「演劇倶楽部」初出、大正 5年10月『由縁文庫』(春陽堂)所収

 不思議な物語を集める旅に出た華族萩原晃が越前琴弾谷の鐘守となって足掛け三年たつ。昔、行力によって龍神を夜叉ヶ池に封じ込め大水を終息させた時、人間との誓いを龍神に思い出させるために、村では昼夜三度だけ鐘を鳴らさなければならなくなっていた。この掟をひとり守っていた前の鐘守が死んだため晃が百合という娘とともに鐘を撞いていたのだった。村はいま旱が続き、死人が出るほどであった。たまたま夜叉ヶ池を見に訪れた親友の文学士山沢学円と晃が再会した日の夜、百合を雨乞いの生け贄にしようと村の有力者をはじめ村人が押しかけ、晃に村からの退去を促す。双方あい争ううちに百合と晃は自害し、鐘を撞く誓いがついに破られる。池の主の白雪姫は白山の千蛇ヶ池の恋人のもとへ飛び立たんとして、百合の健気さに思いとどまっていたが、今こそ自由に天翔け、ために村里は人々とともに大水の底に沈む。白雪は百合とおなじく、かつて生け贄の身となって池に沈んだ娘であった。

「僕、そのものが一条の物語になった」という晃の台詞が印象的。
 



日本橋

 大正 3年 9月『日本橋』(千章館)初出

 雛祭りの翌日の夜、葛木晋三は一石橋から栄螺と蛤を放す。その振る舞いを怪しむ巡査の尋問にあうところ、現れた芸者お孝がその場をとりなす。雛に供えたものを放生することは葛木の姉の志であった。姉は、親を早く失った貧しさからひとの妾となって葛木が医学士となるのを援助、今はしかし弟を避けて失踪している。姉を求める葛木は姉そっくりの芸者清葉に思いをよせるが、旦那のいる清葉は色々な義理があるため葛木の恋を退ける。お孝はこれまで清葉が拒んだ男なら、まさに清葉が拒んだという理由からすべて自分のものにしてきた。葛木に横恋慕をしたお孝は、ために赤熊という男を捨て、葛木もまたお孝に心を移す。上着の熊の皮に沸く蛆を食うような男である赤熊からお孝と切れてくれと懇願されると、葛木は失踪した姉を探すために僧形となり、姉の思い出のある京人形を携えて旅に出る。葛木に去られたのち気がふれるお孝。時うつり、たまたま葛木が日本橋に舞戻ってきた日に、清葉の芸者置屋が出火。その騒ぎの中、赤熊はお孝を殺そうとするが、誤ってお孝の妹分の千世を切りつける。お孝はその刀で赤熊の口と咽喉を抉って殺し、自ら硝酸(毒)を仰いだあと、清葉に葛木のことを託して死ぬ。この急展開は能などの序破急の終わり方を思わせる。清葉は焼失した自分の置屋をお孝の置屋のあとに移して再興、葛木は留学してドイツに赴く。清葉の家には美人芸者十三人。
 



天守物語

 大正 6年 9月「新小説」初出、大正 8年 1月『友染集』(春陽堂)所収

 時は封建時代、場所は晩秋の白鷺城の天守第五重。みずからの操を守るために自害し、その死後、恨みの洪水を何度もひき起こした美しい落人がいた。この戯曲のヒロイン富姫である。自害の時に流れた血を舐めた獅子頭の据えられている天守に、富姫は魔のものとなって眷族とともに棲みついている。そこへ、やはり魔のものである猪苗代の亀姫が手毬をつきに空から訪れる。富姫は土産として亀ヶ城主の生首をもらい、おかえしに白鷺城の城主の白鷹を贈る。主君の命令により、その鷹を探しに天守に登ってきた鷹匠姫川図書之助は、姫より城の家宝である兜を授かって帰るが、かえって城中で兜を盗んだ嫌疑を受け、天守へ逃げ戻る。姫と図書之助が隠れた獅子頭の目が討手により傷つき、そのため二人もまた失明する。すでに愛し合うようになっていたふたりは死を覚悟。この時、工人近江之丞桃六が現れ、鑿をふるって獅子の目を開く。獅子頭の作者である桃六は、こうして二人を失明から救い、人間界の戦乱へ哄笑を浴びせるのである。

 鏡花はこの戯曲の上演を切望していたが没後の昭和26年にようやく新派により初演された。
 



眉かくしの霊

 大正13年 5月「苦楽」初出、大正13年12月『番町夜講』(改造社)所収

 霜月半ば、「筆者」の友人の画師(えかき)境賛吉は木曽の奈良井に宿を取った。出された鶫料理を堪能しつつ、鶫(つぐみ)を食べて口を血だらけにした芸者のことから山中の怪へと話が及ぶ。これは魔がさした猟師による誤射というこの小説の後段の暗示となる。翌晩、境が庭にいる料理番の伊作に怪訝な提灯がついて行くのを窓から目で追うと、それが宿の中へ、湯殿の橋を通って、境の部屋へとやって来る。この背後の出来事を、うしろを振り返ることなく見てしまうという怪事。続いて姿見の前に女が現れ、「似合いますか」といって懐紙で眉の剃り跡を隠して見せる。夢かうつつか境はこの女によって姿を魚に変えられる。伊作は前の年に柳橋のお艶という芸者が同じ部屋に逗留したことを境に明かす。お艶は大蒜屋敷で姦通騒動に巻き込まれた旦那(愛人)を自身の美貌にかけて救いに来たのだが、「桔梗ヶ池」の奥様なる魔の者の凄いような美しさを知り、負けじと妾(めかけ)の身ながら歯を染め眉を剃って正妻の顔に化粧する。その顔は池の奥様の姉妹のように瓜二つであった。ために、大蒜屋敷への途次、魔がさした猟師に射殺される。伊作が仔細を語り終えた時、湯殿の橋の方から、伊作の分身と提灯とお艶が、射殺直前の道行きの姿をそのままに出現する。座敷はさながら桔梗ヶ池と化して、汀に白い桔梗が咲くように雪のけはいが畳に乱れ敷くのであった。桔梗ヶ池の物語に取り込まれた美女が、それとは対照的な大蒜屋敷の物語に登場=侵入することは、不意の射殺によって結果的に阻止された。阻止された道行きは鏡の幻想によって向きを変え、境と伊作のいる宿の座敷へと反転する。幻想文学ならではの豊饒なイメージの奇蹟が、自然主義めいた香りの大蒜屋敷の物語を美しく凌駕するのである。

 泉鏡花の最高傑作。


 佐藤和雄(蟻) / 泉鏡花を読む