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 『紫式部日記(黒川本)

 丹波守の童女の青い白橡の汗衫、をかしと思ひたるに、藤宰相の童女は、赤色を着せて、下仕への唐衣に青色をおしかへしたる、ねたげなり。童女のかたちも、一人はいとまほには見えず。宰相の中将は、童女いとそびやかに、髪どもをかし。馴れすぎたる一人をぞ、いかにぞや、人のいひし。みな濃き衵に、表着は心々なり。汗衫は五重なる中に、尾張はただ葡萄染めを着せたり。なかなかゆゑゆゑしく心あるさまして、ものの色合ひ、つやなど、いとすぐれたり。下仕への中にいと顔すぐれたる、扇取るとて六位の蔵人ども寄るに、心と投げやりたるこそ、やさしきものから、あまり女にはあらぬかと見ゆれ。われらを、かれがやうにて出でゐよとあらば、またさてもさまよひありくばかりぞかし。
 かうまで立ち出でむとは思ひかけきやは。されど、目にみすみすあさましきものは、人の心なりければ、今より後のおもなさは、ただなれになれすぎ、ひたおもてにならむやすしかしと、身のありさまののやうに思ひ続けられて、あるまじきことにさへ思ひかかりて、ゆゆしくおぼゆれば、目とまることも例のなかりけり。

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  第一部 敦成親王誕生記  第二章 寛弘五年(一〇〇八)冬の記  【一七 二十二日卯の日、五節の舞姫、童女御覧】

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