鏡花作品の語彙検索(KWIC)

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『二、三羽――十二、三羽』 青空文庫

はどうしたろうの。」引越しをするごとに、祖母のそう呟いたことを覚えている。「祖母《お :3/143
に、祖母のそう呟いたことを覚えている。「祖母《おばあ》さん、一所に越して来ますよ。」 :3/143
             そのなくなった祖母は、いつも仏の御飯の残りだの、洗いながし :4/143
。雀の児は容易《たやす》く餌につかぬと、祖母にも聞いて知っていたから、このまだ草にふ :5/143
                     母鳥は直ぐに来て飛びついた。もう先刻《さっ :6/143
するのを機掛《きっかけ》に、一粒銜えて、お母さんは塀の上――(椿の枝下で茲《ここ》に :23/143
べい》の袋だけれども、雀のために、うちの小母さんが折入って頼んだ。          :66/143


『逢ふ夜』 従吾所好

                    「母さん、兄さんが。」            :8/97
            処を、優しい、実の母親が合点で、今夜なぞも何処か近所の、目立 :27/97
                    「母様や小児たちは最う寝たらう。狭い処を気の :29/97
六つ久しぶりで相をしたので、寝て居る二階の母親の前を、一生懸命に殺した、憚る酔の呼吸 :54/97
                  「否、母親だの、大勢寝てますから。また昼間でもお :88/97


『絵本の春』 青空文庫

                「まあ、小母《おば》さん。」             :26/84
し》んでは不可《いけな》い。……実はこの小母さんだから通ったのである。        :30/84
て、門《かど》に周易の看板を出している、小母さんが既に魔に近い。婦《おんな》でト筮《 :31/84
分から、親たちに聞いて知っている。大女の小母さんは、娘の時に一度死んで、通夜の三日の :31/84
に親《したし》んで参禅もしたと聞く。――小母さんは寺子屋時代から、小僧の父親とは手習 :31/84
れて、煎餅《せんべい》も貰《もら》えば、小母さんの易をト《み》る七星を刺繍《ししゅう :31/84
             この魔のような小母さんが、出口に控えているから、怪《あやし :32/84
いものが顕《あら》われようとも、それが、小母さんのお夥間《なかま》の気がするために、 :32/84
――あんな処に、一人で何をしていた?……小母さんが易を立てて見てあげよう。二階へおい :37/84
父《とっ》さんが大層な心配だ。……新坊、小母さんの膝《ひざ》の傍《そば》へ。――気を :40/84
…そんなものがあるものかよ。いまも現に、小母さんが、おや、新坊、何をしている、としば :40/84
なって帰れなかったら、可《よ》い、可い、小母さんが、町の坂まで、この川土手を送ってや :42/84
うけれど、昔ばかりではないのだよ。現に、小母さんが覚えた、……ここへ一昨年《おととし :48/84
れていてな、……川向うの新地帰りで、――小母さんもちょっと見知っている、ちとたりない :48/84
                  と、小母さんは白い顔して、ぺろりとその真紅《まっ :51/84
            「厭《いや》だ、小母さん。」                 :55/84
          「そうじゃない。……小母さん、僕もね、あすこで、きれいなお嬢さん :57/84
               と言った。小母さんは、そのおばけを、魔を、鬼を、――あ :61/84
すか……(註。草双紙を、幼いものに見せて、母また姉などの、話して聞かせるのを絵解と言 :64/84
と見た、絵と、かながきの処は、――ここで小母さんの話した、――後のでない、前の巳巳巳 :69/84
て、川の裏小路に二階借《がり》した小僧の叔母《おば》にあたる年寄《としより》がある。 :77/84


『縁結び』 青空文庫

》すと云って厭《いや》がったっけ。死んだ阿母《おふくろ》が大事にしていた、絵も、歌の :126/405
      この姉さんは誰だい?と聞くと阿母《おふくろ》が、それはお向うの姉さんだよ :135/405
れば、時々、門口じゃ、その姉さんというのの母親に口を利かれる事があっても、こっちは含 :139/405
きり》今も覚えている。一日《あるひ》、その母親の手から、娘《むすめ》が、お前さんに、 :142/405
                 何ッて、母親《おふくろ》の懐《ふところ》で寝ながら :161/405
ったがね。また尋《たず》ねようと思って、阿母《おふくろ》は、と見ると、秋の暮方《くれ :174/405
                桑の実の小母《おば》さん許《とこ》へ、姉さんを連れて :181/405
げ、坊《ぼう》やは知ってるね、と云って、阿母《おふくろ》は横抱に、しっかり私を胸へ抱 :181/405
              私も、その頃阿母《おふくろ》に別れました。今じゃ父親《お :193/405
まわりの回向堂《えこうどう》に、あなたの阿母《おっか》さんの記念《かたみ》がある。」 :210/405
て、ここまで来ると、あんなに日当りで、車は母衣《ほろ》さえおろすほどだったのが、梅雨 :232/405
                    「母様《おっかさん》の記念《かたみ》を見に行 :245/405
                「いいえ、母様《おっかさん》が活《い》きていて下され :247/405
                    「母様《おっかさん》に逢いに行くんだ。一体、 :314/405
は両方へ開いていた。お君は後《のち》に、御母様《おっかさん》がそうしておいたのだ、と :326/405
      「その机だ。お君さん、あなたの母様《おっかさん》の記念《かたみ》というの :347/405
わけだ。また恐《こわ》がっちゃいけないよ。母様《おっかさん》の事なんだから。     :348/405
父親《おやじ》の居《い》る時分、連立って阿母《おふくろ》の墓参《はかまいり》をすると :350/405
  「一生懸命にお聞きよ。それが、あなたの母様《おっかさん》だったんだから。     :355/405
が、今さしむかいに見えるようで、私は自分の母親の事と一所に、しばらく人知れず泣いて、 :364/405
からの附道具《つきどうぐ》で、何もあなたの母様《おっかさん》の使っておいでなすったの :365/405
                   私の母親の亡くなったのは、あなたの母親《おっか :367/405
    私の母親の亡くなったのは、あなたの母親《おっかさん》より、二年ばかり前だった :367/405
《うすもの》の涼《すず》しい形《なり》で、母娘連《おやこづれ》、あなたの祖母《おばあ :372/405
なり》で、母娘連《おやこづれ》、あなたの祖母《おばあさん》と二人連で、ここへ来なすっ :372/405
が遠慮なしに、お絹《きぬ》さん――あなた、母様《おっかさん》の名は知っているかい。」 :373/405
                     母様《おっかさん》は、町内評判の手かきだっ :376/405
かきだったからね、それに大勢居る処だし、祖母《おばあ》さんがまた、ちっと見せたい気も :376/405
                    (母様《おっかさん》のは、)と傍《そば》に畏 :378/405
からそれが記念《かたみ》なんだ。お君さん、母様《おっかさん》の顔が見えたでしょう、見 :393/405
                    「母様《おっかさん》の顔は、姉さんの姿は、私 :398/405


『古狢』 青空文庫

うすりゃきっと名僧知識になれたんだ。――お母《っか》さんがそういって話すんだわ。」  :103/310
好きで、よく内へ来て頬張ったんだって……お母さんたら。」               :106/310
りて来て――長火鉢の前へ起きて出た、うちの母の前へ、きちんと膝に手をついて、     :192/310
様から、私が帰りました時はね、もう病院へ、母がついて、自動車で行ったあとです。お信た :201/310
先刻《さっき》の、花御堂の、あかちゃんの御母ぎみ――頂餅《いただき》と華をささげたの :310/310


『義血侠血』 青空文庫

その日から稼ぎ人というものがないのだ。私が母親を過ごさにゃならんのだ。何を言うにも、 :301/706
こま》ったのは、私が東京へ行ってしまうと、母親がひとりで……」            :342/706
               「そうしてお母さんには?」               :453/706
諾を信じて東京に遊学せり。高岡に住めるその母は、箸を控えて渠が饋餉《きしょう》を待て :473/706
を剰《あま》してけり。これをもってせば欣弥母子《おやこ》が半年の扶持に足るべしとて、 :480/706
まえはし》に並びたる、威儀ある紳士とその老母とは、顔を見合わせて迭《たが》いに色を動 :632/706
ていよいよ耳を傾けぬ。威儀ある紳士とその老母とは最も粛然として死黙せり。       :646/706
て笑えり。乗り合いは、威儀ある紳士とその老母を除きて、ことごとく大笑せり。笑い寝《や :657/706
思い思いに別れぬ。最後に威儀ある紳士はその母の手を執りて扶け下ろしつつ、       :663/706
は、ただにその平生を識れる、傍聴席なる渠の母のみにあらずして、法官も聴衆もおのずから :692/706


『五大力』 従吾所好

、……懇意づく――其宝の持主の、……私には母方の叔父に当る、駿河台の苦虫から借りて居 :112/1139
                  「お祖母さんは何うなさいました。」        :345/1139
で又悉〈みんな〉無に成つた、小弥太が其の祖母の事を心掛けらるゝのに恁うした婦の心当り :346/1139
る。二番手の鉢ものごしらへに台所に控へた叔母御が、女中ぐるみ、重なつて慌てて出て来る :429/1139
…一寸紙入の底へ入れて、水引の掛つた……叔母へ内証の謝儀づつみ五ツや七ツでは、間に合 :530/1139
……御殿女中、若葉どののお古だから。で、叔母の、はしり書で、叔父さんが病気ゆゑ一寸… :545/1139
なささうだ、と此で一息吐〈つ〉いたつけ。叔母が長火鉢の前に、ぐつたりと俯向いて、まは :549/1139
じて帰る。町所の分別が乱れるやうでは、と叔母御は涙ぐんで居るんです、無理はないね。  :563/1139
れ方が情ない。身体が弱つた証拠だつてね、叔母御が言ふのも道理です。          :565/1139
                   と叔母を呼んで、おつとりとした面長な顔を上げて :576/1139
お縫が、茶の間にお燗番と云ふのを勤めて、叔母は台所を指図して居るらしい。       :786/1139
                    叔母も出て、嬉々〈いそ/\〉して、叔父、甥の :809/1139
が、よく礼を云へ、とおつしやるばかりで、叔母さんと、お縫さんに、玄関で立切らせて、何 :856/1139
て、品ものは持込みますしね。昨日なんざ、叔母さんもお縫さんも困つ了つたつて、私と此の :857/1139
            と膝に手を組んで叔母が其の時……               :861/1139
らう。容色自慢も、美しければ歌を詠むより頼母しい。」                 :919/1139
              小弥太、お前の母親〈おふくろ〉は、若くつて死んだつけ。」 :1014/1139
て……豪傑儕〈がうけつばら〉がいや、其が頼母しい。                  :1046/1139
羽織袴で、女中たち二人と来たが、座敷で、叔母が出てあひしらふ。            :1081/1139


『蛇くひ』 青空文庫

知らず流行せるものにして、爾来《じらい》父母〓兄《ふぼしけい》が誑《だま》しつ、賺《 :28/35


『雛がたり』 青空文庫

》、七歳《ななつ》ぐらいの時に覚えている。母親の雛を思うと、遥かに竜宮の、幻のような :7/58
玉の簪の朱の紐を結い参らす時の、あの、若い母のその時の、面影が忘れられない。     :15/58
いにも、今私は、雛らしいものを殆ど持たぬ。母が大事にしたのは、母がなくなって後《のち :27/58
しいものを殆ど持たぬ。母が大事にしたのは、母がなくなって後《のち》、町に大火があって :27/58
しょ》の手酌で飲《や》った処は、我ながら頼母《たのも》しい。             :36/58


『星あかり』 泉鏡花を読む

最う最うあたまがおもいから、其まゝ黙つて、母上の御名を念じた。――人は恁ういふことか :36/36


『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

原の生れにて本間次三郎といふ者。幼少の折父母を失ひければ、鎌倉なる赤城家に嫁ぎたる叔 :17/219
母を失ひければ、鎌倉なる赤城家に嫁ぎたる叔母の許にて養はれぬ。仮の叔父なる赤城の主人 :17/219
                    叔母に下枝、藤とて美しき二人の娘あり。我とは :18/219
にも当らぬ花なり。我は食客の身なれども、叔母の光を身に受けて何不自由無く暮せしに、叔 :18/219
母の光を身に受けて何不自由無く暮せしに、叔母はさる頃病気《やまひ》に懸り、一時に吐血 :18/219
枝に我を娶《めあ》はせ後日家を譲るやう、叔母はくれ/゛\遺言せしが、我等の年紀《とし :19/219
                    叔母死して七七日《なゝなぬか》の忌も果てざる :20/219
目を見るならむ。助くる術は無きことか、と頼母《たのも》しき人々に、一つ談話《ばなし》 :22/219
な姑にいびられる嫁か。「なるほど。「或は継母に苦しめられる娘か。「勾引《かどはか》さ :57/219
聞き。お前はね、死亡《おなくなり》遊ばした母様《おつかさん》に、よく顔が肖《に》てお :89/219
、「あれ堪忍して下さいましよ。貴女は仮にも母様《おつかさん》、恨みがましいことを申し :90/219
様も、妾《わたし》を助けて下さらないから、母様何卒《どうぞ》助けて下さい。さうでなく :90/219
きて、「おつかさん!と血を絞る声。世に無き母に救《すくひ》を呼びて、取り縋る手を得三 :122/219
ぬ。前にも既に説《い》ふ如く、此人形は亡き母として姉妹《あねいもうと》が慕ひ斉眉《か :126/219
は最《いと》近く、人形室に引入れられて亡き母の存生《いまそか》りし日を思ひ出し、下枝 :175/219
、冥土の土産に聞かして遣る。汝《きさま》の母親はな。顔も気質《きだて》も汝《きさま》 :175/219


『貝の穴に河童の居る事』 青空文庫

っか》な柘榴《ざくろ》が輝いて燃えて、鬼子母神《きしもじん》の御影《みえい》が見えた :105/257


『化鳥』 青空文庫

り》の冠を被て、市へ出て来て、而して、私の母様《おつかさん》の橋の上を通るのであらう :6/
                    「母様《おつかさん》、愉快《おもしろ》いもの :9/
                   爾時母様は私の手袋を拵えて居て下すつて、    :10/
                     母様《おつかさん》。だつて、大いんだもの、 :15/
                     母様は顔をあげて、此方をお向きで、     :16/
             「戸を閉めやう、母様《おつかさん》、ね、こゝん処《とこ》の :18/
私は其時分は何にも知らないで居たけれども、母様《おつかさん》と二人ぐらしは、この橋銭 :20/
箱のやうな、小さな、番小屋を建てゝ、其処に母様と二人で住んで居たので、橋は粗造《そざ :22/
の市へ出て行く往帰《ゆきかへ》りには、是非母様《おつかさん》の橋を通らなければならな :23/
                 「ねえ、母様《おつかさん》、先生もづるい人なんかね :26/
                といひ/\母様《おつかさん》は縫つて居らつしやる。  :32/
                    「母様《おつかさん》、先生はね、それでなくつ :34/
と》もこんなことはありはしなかつた。帰つて母様《おつかさん》にさういつて、何故だか聞 :38/
ると、御飯を食べて、そしちやあ横になつて、母様《おつかさん》の気高《けだか》い美しい :39/
《おつかさん》の気高《けだか》い美しい、頼母《たのも》しい、温当《おんたう》な、そし :39/
の中に一番えらいものだつて、さういつたの。母様《おつかさん》違つてるわねえ。」    :40/
            「ねツ違つてるワ、母様《おつかさん》。」           :42/
の。いひます。雀だつてチツチツチツチツて、母様《おつかさん》と父様《おとつさん》と、 :48/
山《たんと》いろんな声が入らないのだつて、母様《おつかさん》が僕、あかさんであつた時 :48/
した。犬も猫も人間もおんなじだつて。ねえ、母様《おつかさん》、だねえ母様《おつかさん :48/
じだつて。ねえ、母様《おつかさん》、だねえ母様《おつかさん》、いまに皆分るんだね。」 :48/
                     母様《おつかさん》は莞爾《につこり》なすつ :52/
の》を見に行くより、ずつとましなのだつて、母様《おつかさん》がさうお謂ひだから私《わ :58/
           だつて、私《わたし》母様《おつかさん》のおつしやること、虚言《 :73/
《うそ》だと思ひませんもの。私《わたし》の母様《おつかさん》がうそをいつて聞かせます :73/
人も四十人も一人で可愛がらうとするんだし、母様《おつかさん》は私《わたし》一人可愛い :74/
先生のいふことは私《わたし》を欺すんでも、母様《おつかさん》がいつてお聞かせのは、決 :74/
ない、トさう思つてるのに、先生のは、まるで母様《おつかさん》のと違つたこといふんだか :74/
                 「あのウ母様《おつかさん》、だつて、先生、先生より :77/
                    「母様《おつかさん》、それで怒つたの、さうな :79/
                     母様《おつかさん》は合点々々《がつてんがつ :80/
れは私《わたし》の悪戯《いたづら》をして、母様《おつかさん》のおつしやること肯かない :82/
とうに僕、花の方がきれいだと思ふもの。ね、母様《おつかさん》、あのお邸《やしき》の坊 :84/
こと人の前でいふのではありません。お前と、母様《おつかさん》のほかには、こんないゝこ :85/
ぎりめし》を半分与つたり、坊ちやんだの、乳母《ばあや》だのが袂《たもと》の菓子を分け :95/
                   其は母様《おつかさん》が御存《ごぞん》じで、私 :100/
    八九年前のこと、私《わたし》がまだ母様《おつかさん》のお腹ん中に小《ちつ》さ :101/
            今は唯広い世の中に母様《おつかさん》と、やがて、私《わたし》 :102/
            だけれど今しがたも母様《おつかさん》がおいひの通り、こんない :107/
いひの通り、こんないゝことを知つてるのは、母様《おつかさん》と私《わたし》ばかりで何 :107/
なく》んなすつた、父様《おとつさん》トこの母様《おつかさん》とが聞いても身震《みぶる :108/
》に教へて下すつたので。私《わたし》はたゞ母ちやん/\てツて母様《おつかさん》の肩を :108/
ので。私《わたし》はたゞ母ちやん/\てツて母様《おつかさん》の肩をつかまいたり、膝に :108/
わたし》にかういふいゝことを教へて下すつた母様《おつかさん》は、とさう思ふ時は鬱《ふ :108/
                  だつて母様《おつかさん》がおろそかに聞いてはなり :109/
ていろんなことを思つた。其たびにさういつて母様《おつかさん》にきいて見るト何、皆鳥が :111/
つたりしい/\したのを、其都度《そのつど》母様《おつかさん》に教へられて、今じやあモ :111/
は、時に因り場合《ばあひ》に於《おい》ての母様《おつかさん》ばかりなので。余所《よそ :117/
ばん》、見る者《もの》、聞くものについて、母様《おつかさん》がどんなに苦労《くらう》 :117/
                  処が、母様《おつかさん》と私《わたし》とのほか知 :118/
に知つてるものがあるさうで、始終《しゞう》母様《おつかさん》がいつてお聞かせの、其は :118/
            まだ私《わたし》が母様《おつかさん》のお腹に居た時分だツて、 :120/
           初卯《はつう》の日、母様《おつかさん》が腰元《こしもと》を二人 :121/
        あはれだとお思ひなすつて、母様《おつかさん》がお銭を恵《めぐ》むで、 :123/
ことをいはないでも知つて居やうとさういつて母様《おつかさん》がお聞かせなすつた、   :124/
こと知《しつ》てるな、ぢいさん。ぢいさんと母様《おつかさん》と私《わたし》と三人《さ :125/
が口を出して、何うするつもりだつて聞いた。母様《おつかさん》もまた傍《そば》からまあ :125/
のやうでなく、聞かせるやうにいつてる人で、母様《おつかさん》も御存《ごぞん》じで、彼 :138/
                    「母様《おつかさん》、母様《おつかさん》、母 :142/
          「母様《おつかさん》、母様《おつかさん》、母様《おつかさん》」  :142/
「母様《おつかさん》、母様《おつかさん》、母様《おつかさん》」            :142/
                     母様《おつかさん》は笑《ゑみ》を含《ふく》 :152/
                     母様《おつかさん》は嘘《うそ》をおつしやら :159/
                     母様《おつかさん》はうそをおつしやらない、 :193/
                    「母様《おつかさん》遊びに行かうや。」    :194/
、情《なさけ》ないと思つたら、内《うち》に母様《おつかさん》の坐《すは》つて居らつし :201/
れさうだつたのを救《すく》はれたんだつて、母様《おつかさん》のお膝に抱かれて居て、其 :203/
たい》助《たす》けて呉れたのは誰ですッて、母様《おつかさん》に問ふた。私《わたし》が :204/
                  そして母様《おつかさん》はかうおいひであつた。  :205/
                (鳥なの、母様《おつかさん》)とさういつて其時私《わ :210/
              此《これ》にも母様《おつかさん》は少し口籠《くちごも》つ :211/
が、何うしても見たくツてならないので、また母様《おつかさん》にねだつて聞いた。何処に :221/
とおいひでも肯分《きゝわ》けないものだから母様《おつかさん》が、           :221/
朱《しゆ》の欄干のついた窓があつて、そこが母様《おつかさん》のうちだつたと聞く、仰《 :232/
          此時背後《うしろ》から母様《おつかさん》がしつかり抱いて下さらな :244/
                    「母様《おつかさん》!」といつて離れまいと思 :245/
い、翼《はね》の生へたうつくしい人は何うも母様《おつかさん》であるらしい。もう鳥屋に :246/
        しかし何うしても何う見ても母様《おつかさん》にうつくしい五色《ごしき :247/
うど石原《いしはら》も辷《すべ》るだらう。母様《おつかさん》はあゝおつしやるけれど、 :248/
しい姉さん。だけれども、まあ、可《いゝ》、母様《おつかさん》が居らつしやるから、母様 :248/
》、母様《おつかさん》が居らつしやるから、母様《おつかさん》が居らつしやつたから。( :248/


『木の子説法』 青空文庫

って遁げて来て――料理屋の方は、もっとも継母だと聞きましたが――帰れ、と云うのを、男 :86/231
               私の田舎の叔母が一枚送ってくれた単衣《ひとえ》を、病人 :111/231
       「若いお父さんに骨をお貰い。母さんが血をあげる。」           :223/231
を吸う音が、舞台から響いた。が、子の口と、母の胸は、見る見る紅玉の柘榴《ざくろ》がこ :224/231
 一昨年《おととし》の事である。この子は、母の乳が、肉と血を与えた。いま一樹の手に、 :229/231


『高野聖』 泉鏡花を読む

          (何にしても貴僧には叔母さん位な年紀ですよ。まあ、お早くいらつし :266/622
て。お嬢様と仰有つて下さいましたお礼に、叔母さんが世話を焼くのでござんす、お人の悪い :295/622
ねた形、あまり子供がはしやぎ過ぎると、若い母様には得てある図ぢや。          :349/622
                  如殺父母罪  亦如厭油殃             :544/622
                     母親殿は頬板のふくれた、眦の下つた、鼻の低 :582/622


『国貞えがく』 青空文庫

ねると、……その頃六十ばかりだった織次の祖母《おばあ》さんが、            :34/317
ものの谺《こだま》のように聞えた。織次の祖母《おおば》は、見世物のその侏儒《いっすん :50/317
びたのは、もう七十の上になろう。この女房の母親《おふくろ》で、年紀《とし》の相違が五 :101/317
、親仁《おやじ》が思切《おもいき》って、阿母《おふくろ》の記念《かたみ》の錦絵を、古 :162/317
台所へ行く、と向うの隅に、霜が見える……祖母《おばあ》さんが頭巾もなしの真白な小さな :169/317
                    祖母《としより》は、顔を見て、しばらく黙って :173/317
               「それでは、母親《おっかさん》、御苦労でございます。」 :179/317
                    祖母《おばあ》さんは下に置いて、       :182/317
                    祖母《としより》は解《ほど》き掛けた結目を、 :186/317
                   と祖母《としより》が軒先から引返して、番傘を持 :192/317
まで行くぞ、時雨の脚が颯と通る。あわれ、祖母《としより》に導かれて、振袖が、詰袖が、 :195/317
で、ひたと板戸に身を寄せて、今出て行った祖母《としより》の背後影《うしろかげ》を、凝 :204/317
                「ああ、阿母《おっか》のような返事をする。肖然《そっ :212/317
                 「台所に母様《おっかさん》が。」          :214/317
                   「祖母《おばあ》さんの手伝いして。」      :216/317
       「ああ、物理書を皆読むとね、母様《おっかさん》のいる処が分るって、先生 :219/317
場だね、どうなすった、父《とっ》さん。お祖母《としより》は、何処へ。」        :228/317
末を見込んで嫁入《きて》がないッさ。ね、祖母《としより》が、孫と君の世話をして、この :232/317
                そこへ、祖母《としより》が帰って来たが、何んにも言わ :238/317
                 さて、祖母《としより》の話では、古本屋は、あの錦絵 :241/317
                 「織坊、母様《おっかさん》の記念《かたみ》だ。お祖 :243/317
母様《おっかさん》の記念《かたみ》だ。お祖母さんと一緒に行って、今度はお前が、背負《 :243/317
                   と祖母《としより》も莞爾して、嫁の記念《かたみ :247/317
軒手前にあったと思う。四辻へ行く時分に、祖母《としより》が破傘《やぶれがさ》をすぼめ :250/317
                   と祖母《としより》がせかせかござって、     :254/317
、知らせて欲い、何処へ行って頼みたい、と祖母《としより》が言うと、ちょいちょい見懸け :261/317
        断念《あきら》めかねて、祖母《としより》が何か二ツ三ツ口を利くと、挙 :267/317
                    祖母《としより》が、ト目を擦《こす》った帰途 :270/317
変れば変るもので、まだ、七八ツ九ツばかり、母が存生《ぞんしょう》の頃の雛祭には、緋の :290/317


『草迷宮』 鏡花とアンティークと古書の小径

無慈悲で言われぬ。ただし廂を貸したものに、母屋《おもや》を明渡して嫁を隠居所へ引取る :368/1510
        爾時、宰八川面へ乗出して、母衣《ほろ》を倒《さかさ》に水に映した。  :467/1510
             と夜具風呂敷の黄母衣《きほろ》越に、茜色のその顱巻《はちま :475/1510
                   と黄母衣《きほろ》を一つ揺上《ゆすりあ》げて、 :514/1510
も、短刀を一口《ひとふり》持っています――母の記念《かたみ》で、峠を越えます日の暮な :766/1510
がら、生れない前《さき》に腹の中で、美しい母の胸を見るような心持の――唄なんですが、 :904/1510
    「小児《こども》の時に、亡くなった母親が唄いましたことを、物心覚えた最後の記 :907/1510
                  第一、母親の姉ですが、私の学資の世話をしてくれま :910/1510
姉ですが、私の学資の世話をしてくれます、叔母がそれを知りません。           :910/1510
        と、よく私を遊ばせながら、母も少《わか》かった、その娘たちと、毬も突 :920/1510
すが、貴僧《あなた》、その中の一人は、まだ母の存命の内に、雛祭の夜なくなりました。そ :920/1510
                   「叔母がつくづく意見をしました。(はじめから彼 :933/1510
                     母親の友達を尋ねるに、色気の嫌疑はおかしい :934/1510
面倒になりましてね、その夫人の親里から、叔母の家へ使《つかい》が来て、娘御は何も唄な :935/1510
てはいますが、勿論、その中に、私の望みの、母の声のはありません。           :941/1510
が、俗に申します、神がくしに逢ったんで、叔母はじめ固くそう信じております。      :943/1510
            一体その娘の家は、母娘《おやこ》二人、どっちの乳母か、媼さん :945/1510
の娘の家は、母娘《おやこ》二人、どっちの乳母か、媼さんが一人、と母子だけのしもた屋で :945/1510
こ》二人、どっちの乳母か、媼さんが一人、と母子だけのしもた屋で、しかし立派な住居でし :945/1510
のしもた屋で、しかし立派な住居でした。その母親《おふくろ》というのは、私は小児心《こ :945/1510
。これからおもしろく成ろうという時、不意に母《おっか》さんがお呼びだ、とその媼《ばあ :948/1510
に、尋ねた時分……今から何年前だろう、と叔母が指を折りましたっけ……多年《しばらく》 :951/1510
なお聞きたい、それさえ聞いたら、亡くなった母親の顔も見えよう、とあせり出して、山寺に :967/1510
えよう、とあせり出して、山寺にありました、母の墓を揺ぶって、記《しるし》の松に耳をあ :967/1510
中に、こういうのはなかったでしょうか、と叔母にその話をすると、真日中《まびなか》に那 :984/1510
           「日が経ってから、叔母が私の枕許で、さまでに思詰《おもいつ》め :989/1510
手函の金子《かね》を授けました。今以って叔母が貢いでくれるんです。          :991/1510
               「この方の、母《おっか》さんのお知己《ちかづき》、明さ :1404/1510
命に懸けても唄が聞きたいとおっしゃるのも、母《おっか》さんの恋しさゆえ。       :1410/1510
    その唄は稚《おさな》い時、この方の母《おっか》さんから、口移しに教わって、私 :1412/1510
に、袖に搦んで手に縋り、胸に額を押当てて、母よ、姉よ、とおっしゃいますもの。     :1413/1510
れ御覧なさいまし。こう言う中にも、明さんの母《おっか》さんが、花の梢と見紛うばかり、 :1420/1510
《からだ》。他《ひと》の妻でありながらも、母《おっか》さんをお慕い遊ばす、そのお心の :1421/1510
             実の産《うみ》の母御でさえ、一旦この世を去られし上は――幻 :1422/1510
            ああこれこそ、我が母君……と縋り寄れば、乳房に重く、胸に軽く :1445/1510
底の孤家《ひとつや》の灯とも辿れよ、と実の母君の大空から、指さし給う星の光は、電《い :1446/1510
る、天上の規《のり》を越えて、掟を破って、母君が、雲の上の高楼《たかどの》の、玉の欄 :1448/1510
温かさ、唇の燃ゆるさえ、清く涼しい月の前の母君の有様に、懐しさが劣らずなって、振切り :1452/1510
めてこの声きこえよと、下界の唄をお唄いの、母君の心を推量《おしはか》って、多勢の上臈 :1453/1510
 「あれ、あれ、雲が乱るる。――花の中に、母君の胸が揺ぐ。おお、最惜《いとお》しの御 :1490/1510
               あれ、彼処に母君在《まし》ますぞや。愛惜《あいじゃく》 :1492/1510
袖、鏡と御覧ぜよ。今、この瞳に宿れる雫は、母君の御情《おんなさけ》の露を取次ぎ参らす :1492/1510


『泉鏡花自筆年譜』 泉鏡花を読む

太郎。父は清次、政光とて、金属の彫工なり。母は鈴、江戸下谷の出生、葛野流の鼓の家、中 :3/50
       明治九年四月、年四つの時、父母に伴はれ、土地の向山に遊び、はじめて城の :4/50
る、東馬場、養成小学校に入学。これより先、母に草双紙の絵解を、町内のうつくしき娘たち :5/50
             明治十六年十二月母、年二十九にして。……          :6/50
の流れに合歓の花咲き、池に杜若紫なり。なき母を思ひ慕ふ念いよいよ深し。学期より金沢高 :7/50
り。大抵、貸本。見料は辰口鉱泉に住ひつつ、母なきわれをいとをしみし、叔母の小遣(こづ :9/50
泉に住ひつつ、母なきわれをいとをしみし、叔母の小遣(こづかい)と、其の娘の小分の化粧 :9/50
郷、生活の計(はかりごと)を知らず。ただ祖母の激励の故に、祖母と幼弟を残して上京す。 :14/50
りごと)を知らず。ただ祖母の激励の故に、祖母と幼弟を残して上京す。十月、「予備兵」つ :14/50
頭に盛装して出づ。六月、年七十を越えたる祖母を見むがために帰郷し、八九月とも祖母の慈 :15/50
たる祖母を見むがために帰郷し、八九月とも祖母の慈愛に逗留。北国新聞に「黒猫」を草す。 :15/50
。五月、小石川大塚町に居を卜(ぼく)し、祖母を迎ふ。年七十七。東京に住むを喜びて、越 :16/50
喜びて、越前国春日野峠を徒歩して上りたり。母の感化による。「龍潭譚」小説六佳選に出づ :16/50
           明治三十九年二月、祖母を喪ふ。年八十七。七月、ますます健康を害 :26/50


『日本橋』 青空文庫

               「いいえ、乳母さんに負ぶをなすって、林檎を両個、両手へ :237/2195
様もその御縁で、学校のお帰りなんぞに、(小母さんお水を一杯。)なんて、お寄りなすって :243/2195
事!……病気から以来、内の世話をしている叔母さんのいいつけなんですよ。」       :299/2195
葉家のお孝が、そうした容体になってから、叔母とは云うが血筋ではない。父親は台湾とやら :300/2195
五十男が、時々長火鉢の前に大胡坐で、右の叔母さんと対向になると、茶棚|傍の柱の下に、 :300/2195
れて踏鳴らす台所|穿の大な跫音。それさえ頼母しい気がするまで、溝板を辿れば斧の柄の朽 :366/2195
は、風説に聞いたと違いない、茶の缶を敲く叔母であろう。                :412/2195
煩う人の見舞に来たのに、いかに分らずやの叔母だと云って、まさかそうした事ではあるまい :414/2195
とく、清葉の看板は滝の家にただ一人である。母親がある。それは以前同じ土地に聞えた老妓 :461/2195
れたのを、拾い取って育てている。その児に乳母を選んで、附けて置く裕な身上。      :462/2195
               「煙草屋の小母さんに見てお貰いなら可いものを。」    :849/2195
看病やつれの結び髪を解きほぐす間も無しに、母親も後を追う。              :1223/2195
二十、私は十三、妹は十一で、六十を越して祖母さんが、あとに残った……私と妹は奉公に出 :1224/2195
                  姉は祖母をかかえて、裏長屋に、間借りをして、そこ :1225/2195
                    祖母は祖母で、目を煩ってほとんど見えない。二 :1239/2195
                 祖母は祖母で、目を煩ってほとんど見えない。二人の孫 :1239/2195
片手間に、近所の小女に、姉が阪東を少々、祖母さんが宵は待ぐらいを教えていたから、豆煎 :1241/2195
            「貴方、同じ柄で頼母しいでしょう、清葉さんの長襦袢と。」   :1259/2195
            顔の色が分ったら祖母さんは姉を外へ出さなかったろうと思うね。 :1271/2195
ったろうと思うね。――兄弟が揃った処、お祖母さんも、この方がお気に入るに違いない、父 :1271/2195
んも、この方がお気に入るに違いない、父上、母上の供養の為に、活ものだから大川へ放して :1271/2195
           女二人が天麩羅で、祖母さんと私が饂飩なんだよ。考えて見ると、そ :1275/2195
、都鳥の鼈甲の花笄、当分は島田のままで、祖母さんと妹がそこへ引取られて、私は奉公を止 :1277/2195
あ可かったんです。……ところが、その後|祖母の亡くなった時と、妹が婚礼をした時ぐらい :1283/2195
う。貴方は姉さんにお聞き下さいまし。私には母があります。養母です。)と俯向いたが、起 :1329/2195
にお聞き下さいまし。私には母があります。養母です。)と俯向いたが、起直って、(母に聞 :1329/2195
す。養母です。)と俯向いたが、起直って、(母に聞かなければなりません。ト……また私に :1329/2195
                   「養母ですか。息災ですよ。でも、めっきり弱りま :1360/2195
はござんせん。姉が達者でいてくれますと、養母も力になるんですけど、私がこんなですから :1362/2195
                   「養母へ義理たった一つばかりなのよ!……    :1390/2195
す。またそうして、後々までも引受ければ、養母が承知をして、姉を手放してくれたんですも :1393/2195
                ちゃんと養母に約束した、その時の義理がありますから、 :1394/2195
うのだっけ、とその拍子に気が付いて、表の小母さんの許へ行ったんだそうだけれど、もう寝 :1695/2195
     が同時にまた、思出の多いここの頼母しさを感じて、葛木は背後に活路を求めるの :1760/2195
                   「乳母は、湯に入っていた処だ、裸体で遁げた。」 :2024/2195
                 「何、阿母が。」                  :2029/2195
に踏んで火の粉を泳いで、背には清葉の継しい母を、胸には捨てた(坊や。)の我児を、大肌 :2039/2195
錦の帯は煙を払って、竜のごとく素直に立つ。母はその手に抱寄せられた。         :2044/2195
清葉の眉の上ったのを見て、茶の缶をたたく叔母なるものは、香煎でもてなすことも出来ない :2075/2195
                   「叔母さん、まあ、」              :2098/2195
僧の手から、坊やを抱取った清葉は、一度、継母とともに立退いて出直したので、凜々しく腰 :2162/2195


『婦系図』 青空文庫

様《はばかりさま》。お客は旦那様のお友達の母様《おっかさん》でございます。」     :89/3954
お二階に来ていらっしゃるのはその河野さんの母様《おっかさん》じゃないか、気をお着けな :106/3954
すったんですとさ。私がお取次に出たら河野の母でございます、とおっしゃったわ。」    :109/3954
                「だから、母様が見えたのに、おいしいものが無いッて、 :110/3954
さっき》から風説《うわさ》のあった、河野の母親と云う女性《にょしょう》。       :174/3954
  「あれが、今のが、その、河野ッてえのの母親《おふくろ》かね、静岡だって、故郷《く :191/3954
               今来た、あの母親《おふくろ》も、何のかのって云っている :315/3954
ゃなッたがね、商いになんか行くもんか。あの母親《おふくろ》ッて奴を冷かしに出かける肝 :323/3954
            「あの、河野さんの母様《おっかさん》がかい。」        :362/3954
ほんとうに貴郎《あなた》の半分でも、父様が母様の言うことを肯《き》くと可いんだけれど :501/3954
す。河野と云う私の友達……来ていたのはその母親ですよ。」               :519/3954
                  「その母様《おっかさん》と云うのは、四十余りの、 :523/3954
            「昨日《きのう》は母様《かあさん》が来て御厄介でした。」   :532/3954
            「君、困ったろう、母様は僕と違って、威儀堂々という風で厳粛だ :534/3954
を、その年紀《とし》で、友達の前で、呼ぶに母様をもってするのでも大略《あらかた》解る :535/3954
              南町の邸は、祖母《おばあ》さんが監督に附いて、英吉が主人 :537/3954
休題《さておき》、南町の桐楊塾は、監督が祖母さんで、同窓が嬢《むすめ》たちで、更に憚 :540/3954
泊《よどまり》の、昼流連《ひるながし》。祖母さんの命を承《う》けて、妹連から注進櫛の :540/3954
がたしかるべき嫁もあらばの気構えで、この度母親が上京したので、妙子が通う女学校を参観 :540/3954
ぞ御迷惑、と悪気は無い挨拶《あいさつ》も、母様《かあさん》で、威儀で、厳粛で、窮屈な :542/3954
            「僕は窮屈で困る。母様がああだから、自から襟を正すと云ったよ :548/3954
んざ、随分脱兎《だっと》のごとしだけれど、母様の前じゃほとんど処女だね。」      :549/3954
              「で、何かね、母様《かあさん》は、」           :554/3954
は笑いながら、わざと同一《おんなじ》ように母様と云って、煙管を敲《はた》き、     :555/3954
        「うむ、何、そうでもない。母様が可愛がってくれるから、来ている間は内 :561/3954
もう来なくッても可いよ。余り失礼な奴だと、母様が大変感情を害したからね、君から断って :565/3954
に、手品の鰌《どじょう》が泳いでるんだと、母様がそう云ったっけ。」          :567/3954
は構わん。僕は構わんが、あの調子だもの、祖母《おばあ》さんや妹たちはもとよりだ。故郷 :572/3954
て来ている下女さえ吃驚《びっくり》したよ。母様は、僕を呼びつけて談じたです。あんなも :572/3954
う。居るか、と云った調子です、と云ったら、母様が云うにゃ、当前《あたりまえ》だ、早瀬 :573/3954
           昨日《きのう》も君の母様が来て、つくづく若様の不始末を愚痴るの :578/3954
遣りかねないほど軽蔑《けいべつ》していら。母様の口ぶりが、」             :579/3954
                    「母様の来ている内は謹慎さ。」        :582/3954
ら、大きに足が突張《つっぱ》るです。それに母様が来たから、ちっとは小遣があるし、二三 :589/3954
いや、ところが今夜は、君の内へ来たことを、母様が知ってるからね。今のような話じゃ、ま :592/3954
のような話じゃ、また君が引張出したように、母様に思われようかと、心配をするだろうと云 :592/3954
障ればったって、恐い事、何あるものか、君の母親《おふくろ》が何だ?」         :593/3954
、そうした人じゃないようだ、と頷いていた。母様はね、君、目が高いんだ、いわゆる士を知 :598/3954
                  「何も母様に交際うには当らんじゃないか。せめて年 :601/3954
を見る明が有るもんだから、婿の選択は残らず母様に任せてあるんだ。取当てるよ。君、内の :605/3954
《ドイツ》のいけるのは僕が知ってるからね。母様の信用さえ得てくれりゃ、何だ。ええ君、 :608/3954
                「実はね、母様も云ったんだ、君に相談をして見ろと…… :633/3954
                    「母様から御声懸りで、僕に相談と云う縁談の口 :636/3954
      とこの際わざと尋ねたのである。母子《おやこ》で参観したことは、もう心得て :661/3954
          「どうもこうも無いさ。母様と二人で参観に出掛けたんだ。教頭は僕と :665/3954
  「可いじゃないか、学校の目的は、良妻賢母を造るんだもの、生理の講義も聞かせりゃ、 :670/3954
              「講堂で良妻賢母を拵《こしら》えて、ちゃんと父兄に渡す方 :675/3954
      「はは、僕ばかりじゃない、第一母様が気に入ったさ。あれなら河野家の嫁にし :681/3954
          すると昨日《きのう》、母様がここへ訪ねて来たろう。帰りがけに、飯 :682/3954
とする処で、腕車《くるま》を飛ばして来た、母衣《ほろ》の中のがそれだッたって、矢車の :682/3954
   そろそろ引返《ひっかえ》したんです、母様がね。休んでいた車夫に、今のお嬢さんは :691/3954
の交際は自然に疎《うと》くなるです。それに母様が厳しく躾《しつけ》れば、その方は心配 :724/3954
                    「母様の指揮《さしず》だろう、一々。私はこう :745/3954
                 「だが、母さんが、」                :753/3954
                    「母様が何だ。母様が娶《もら》うんじゃあるま :754/3954
              「母様が何だ。母様が娶《もら》うんじゃあるまい、君が女房 :754/3954
、君が、自分で断ったのは一ツもあるまい。皆母さんがこう云った。叔父さんが、ああだ、父 :754/3954
、随分、おかしな、色の黒いのもあるけれど、母さんが手しおに掛けて、妙齢《としごろ》に :759/3954
も兄も本職だから注意が届くよ。その他は万事母様が預かって躾《しつ》けるんだ。     :767/3954
られるんだから。しかし間違いはない、そこは母さんの目が高いもの。」          :770/3954
    「はははは、そこが、肝心な処だ、と母様が云ったんだ。」            :792/3954
            けれども、なぜか、母子連《おやこづれ》で学校へ観に行った、と :856/3954
体同心の無二の味方を得て、主税も何となく頼母《たのも》しかったが、さて風はどこを吹い :859/3954
る、と自分も云えば、さもあろう。人の前で、母様《かあさん》と云おうが、父様《とうさま :891/3954
ろきょろと視《なが》める背後《うしろ》に、母親のその背《せな》に凭《もた》れかかって :946/3954
ごう》して、露にな濡れそ、夜風に堪えよ、と母子《おやこ》の上に袖笠して、遠音に観世も :948/3954
も》ッたア出すなッてえ、肥満《ふと》った乳母《おんば》どんが焦《じれ》ッたがりゃしめ :1132/3954
》えていたのでござりますよ。お止しよ、お祖母さんと、その娘はまた同じことをここで云っ :1148/3954
ようで気高いくらい。成程この婦《おんな》の母親なら、芸者家の阿婆《おっかあ》でも、早 :1270/3954
然《れっき》とした、謹(夫人の名。)と云う母親が附いている妙の縁談を、門附風情が何を :1357/3954
 さしむき今日あたりは、飛石を踏んだまま、母様《かあさん》御飯、と遣って、何ですね、 :1776/3954
    例《いつも》の通りで、庭へ入ると、母様は風邪が長引いたので、もう大概は快いが :1778/3954
      美しい袂の影が、座敷へ通って、母様は心着いて、              :1781/3954
無くその曲った下駄で乗った。女中も居るが、母様の躾《しつけ》が可いから、もう十一二の :1793/3954
                     母様《かあさん》は病気を勤めて、二階へ先生 :1886/3954
わりましてな。河野でも承り及んで、英吉君の母なども大きにお案じ申しております。どうい :1909/3954
おしつ》けがましゅうごわりますが、英吉君の母も、この御返事……と申しまするより、むし :1919/3954
にゃ違いないのですから、私は、親、伯父、叔母、諸親類、友達、失礼だが、御媒酌人《おな :1964/3954
台の洋燈《ランプ》を、杖に支く形に持って、母様《かあさん》の居室《いま》から、衝《つ :2004/3954
      「それならねえ、辛抱なさいよ。母様《かあさん》が、その方もお可哀相だから :2038/3954
た。それは――め組の口から漏らした、河野の母親が以前、通じたと云う――馬丁《べっとう :2132/3954
巧みに外国語を操るのを、嬉しそうに、且つ頼母《たのも》しそうに、熟《じっ》と見ながら :2152/3954
るような。年齢《とし》は、されば、その児の母親とすれば、少くとも四五であるが、姉とす :2155/3954
理学士は、公用で九州地方へ旅行中。あたかも母親は、兄の英吉の事に就いて、牛込に行って :2279/3954
》を開けて、小児を迎え入れたので、さては乳母よ、と見ると、もう一人、被布《ひふ》を着 :2286/3954
                    乳母の目からは、奥に引込んで、夫人の姿は見え :2287/3954
、その風を見ても分る、優しい、深切らしい乳母は、太《いた》くお主《しゅう》の盲目《め :2287/3954
小児《こども》衆は、と尋ねると、二人とも乳母《ばあや》が連れて、土産ものなんぞ持って :2343/3954
ないんですもの、難有《ありがた》くないわ。母様《かあさん》は自分の方へ、娘が慕って行 :2344/3954
就いて、ちっと纏まった著述をするんだって、母屋に閉籠《とじこも》って、時々は、何よ、 :2349/3954
 はて心得ぬ、これだけの構《かまえ》に、乳母の他はあの女中ばかりであろうか。主人は九 :2396/3954
                二人の児の母親で、その燃立つようなのは、ともすると同 :2424/3954
    「上の児は、もう原《もと》っから乳母《ばあや》が好《い》いんだし、坊も、久し :2607/3954
出したはじめには、小児《こども》が二人とも母様《かあさん》にこびりついて、坊やなんざ :2608/3954
白やかな手が、空を掴んで悶えるようで、(乳母《ばあや》来ておくれ。)と云った声が悲鳴 :2608/3954
くれ。)と云った声が悲鳴のように聞えた。乳母が、(まあ、何でござります、嬢ちゃまも、 :2608/3954
もう泊っても。今ね、御覧なさい、牛込に居る母様《かあさま》から手紙が来て、早瀬さんが :2618/3954
                    「母様《かあさん》が可い、と云ったら、天下晴 :2621/3954
         蹌踉《よろめ》いたように母屋の羽目に凭《もた》れた時、       :2637/3954
           「一個《ひとつ》は乳母《ばあや》さんに、お前さんから、夫人《お :2667/3954
して、真中《まんなか》に透いた処がある。乳母が両方を向いて寝かし附けたらしいが、よく :2674/3954
寝かし附けたらしいが、よく寝入っていて、乳母は居なかった。              :2674/3954
くれた婦《おんな》は、お蔦の他ありません。母親の顔も知らないから、噫《ああ》、と喟然 :2691/3954
   と例の俯向いた陰気な風で、敷居越に乳母が手を支いた。              :2697/3954
                    乳母が何か云ったようだったが、それは聞えない :2706/3954
時過ぎる、時過ぎる、その時の過ぎる間に、乳母が長火鉢の処の、洋燈《ランプ》を消したの :2712/3954
                   「小母さんでも可いわ。」            :2760/3954
                 我を(小母さん)にして髪を結って、と云われたので、 :2761/3954
                   「小母さんは、早瀬さんの……あの……お蔦さん? :2771/3954
                   「小母さんが、お蔦さん?」と低声《こごえ》でま :2781/3954
              「可いのよ、小母さん、髪結さんの許《とこ》だから、極りが :2795/3954
、私困るのよ。寝ていて下さらなくっては。小母さん、そう云って下さいな。」       :2822/3954
《むず》かしいんですもの。何だか、あの、小母さんたちは、ちょいとは、あの、逢って下さ :2829/3954
                「厭よ、小母さん、私両方とも写真で見て知っていてよ。 :2838/3954
                   「小母さん、あの、お蔦さんが煩らっていらっしゃ :2851/3954
、私、極りが悪いけれども持って来ました。小母さんから上げて頂戴。」          :2852/3954
「あら! 見ちゃ可厭よ、酷《ひど》いわ、小母さんは。」                :2859/3954
                   「小母さん、これを上げましょう。怒っちゃ可厭よ :2865/3954
と思ったの。だからちっとばかしだけれど、小母さん怒らないで取っといて下さいな。」   :2868/3954
まま》を云ってやるわ。だって、自分だって、母様《かあさん》が不可《いけ》ないと云うお :2914/3954
やまんなさいよ。そしてね、父さんはね、私や母様の云う事は、それは、憎らしくってよ、ち :2915/3954
たいの、貴女が御病気で来られないんなら、小母さん、」                 :2915/3954
                   「小母さんでも可《よ》うござんす。構わないで家 :2917/3954
階へ連れてって、上げるわ。そうするとねえ、母様がお酒を出すでしょう。私がお酌をして酔 :2918/3954
んど参謀長とも謂《いつ》つべき本宅の大切な母親が、あいにく病気で、さしたる事ではない :3083/3954
と、妹は影も見えず、小児《こども》達も、乳母《ばあや》も書生も居ないで、長火鉢の前に :3087/3954
                    「母様《かあさん》が出掛けるんで、跡を追うで :3094/3954
さん》が出掛けるんで、跡を追うですから、乳母《ばあや》が連れて、日曜だから山田(玄関 :3094/3954
、英臣《ひでおみ》さんが、御出征中、貴女の母様《おっかさん》が御宅の馬丁貞造と……」 :3200/3954
だお腹《はら》にいらっしゃる間には、貴女の母様《おっかさん》が水にもしようか、という :3203/3954
に居ては、何かにつけて人目があると、以前、母様をお育て申した乳母が美濃安八《あはち》 :3203/3954
て人目があると、以前、母様をお育て申した乳母が美濃安八《あはち》の者で、――唯今島山 :3203/3954
うかと云って、その時分はまだ達者だった、阿母《おふくろ》を一人養わなければならないも :3208/3954
             貴女、それこそ乳母《おんば》日傘で、お浅間へ参詣にいらしっ :3213/3954
                    阿母《おふくろ》が死んだあとで、段々馬場も寂 :3214/3954
悪い奴で御覧なさい、対手《あいて》が貴女の母様《おっかさん》で、そのお手紙が一通あり :3222/3954
待遇《おもてなし》をなさい。)ッて東京から母さんが手紙でそう云って寄越したのも、酒井 :3294/3954
                     母さんだって、どのくらい心配しているか知れ :3295/3954
う。千と千五百と纏《まとま》ったお金子で、母様が整理を着けたのも二度よ。洋行させる費 :3300/3954
     でなくって、どうして島山の顔や、母様の顔が見ていられます。第一、乳母《ばあ :3343/3954
の顔や、母様の顔が見ていられます。第一、乳母《ばあや》にだって面を見られるようよ。そ :3343/3954
ぜか、誰よりも目の見えない娘が一番恐いわ。母さん、と云って、あの、見えない目で見られ :3343/3954
。……それにね、他の人は、でもないけれど、母様がね、それはね、実に注意深いんですから :3343/3954
も立派な言訳になるんだわ。ひょっとすると、母様の方でも、妙子さんの為にするのだ、と思 :3343/3954
がどうかして早瀬さんに承知させます。)と、母様が口を利かない先にそう言って置くから。 :3343/3954
          「そうすると、私もう、母さんの顔が見られなくなるかも知れませんよ :3346/3954
まだやっぱり、夫には貞女で、子には慈悲ある母親で、親には孝女で、社会の淑女で、世の亀 :3377/3954
        浮気をする、貞女、孝女、慈母、淑女、そんな者があるものか。」     :3378/3954
ことを、断って置かねばならぬ。こは道子等の母親である。                :3582/3954
             広庭を一つ隔てた母屋の方では、宵の口から、今度暑中休暇で帰 :3590/3954
と、この時だけは道子と共に、一族残らず、乳母小間使と子守を交ぜて、ざっと五十人ばかり :3590/3954
                   さて母屋の方は、葉越に映る燈《ともしび》にも景 :3591/3954
けようとすると、どこに居たか、忽然として、母夫人が立露《たちあらわ》れて、扉《ドア》 :3618/3954
       暁かけて、院長が一度、河野の母親大夫人が一度、前後して、この病室を差覗 :3704/3954
さんに。……いや、院長さんじゃありません、母屋にいらっしゃる英臣さん。」       :3710/3954
              「宜しくッて、母さんも。」と、ちゃんと云う。       :3731/3954
たち、幼稚《おさな》いのは、傅《もり》、乳母など、一群《ひとむれ》に、今日は別荘に残 :3784/3954
影がさした。聯《つらな》る車は、薄日なれば母衣《ほろ》を払って、手に手にさしかざした :3789/3954
へ捻込《ねじこ》んで、いや、貞女になれ、賢母になれ、良妻になれ、と云ったって、手品の :3899/3954
《しんこ》細工で拵《こしら》えた、貞女も賢母も良妻も、ばたばたと将棊倒しだ。」    :3900/3954
ために、その淑徳を疑うことなかれ。特に君が母堂の馬丁《ばてい》と不徳の事のごときは、 :3947/3954


『親子そば三人客』 従吾所好

                     母親と、客へ二ツ返事で、お君といふ娘、向を :17/121
所の出前は親仁が受持つて、留守の内は板前を母親が預る、娘が給仕の共稼ぎ。       :29/121
         此方へ、と目くばせする、母親の顔を見て微笑んで、          :66/121
              「可いわねえ、母様。」                  :67/121
       「おゝ、冷い、雨にあつたの、母様預つて置きませう。」          :100/121


『龍潭譚』 青空文庫

履など鬻ぎに来るものだちは、皆この児どもが母なり、父なり、祖母などなり。さるものとは :37/186
のだちは、皆この児どもが母なり、父なり、祖母などなり。さるものとはともに遊ぶな、とわ :37/186
び》めさへ叩いときや、何がそれで姉様なり、母様《おふくろさま》なりの魂が入るもんだで :70/186
ふところをかいさぐれば常に叱りたまふなり。母上みまかりたまひてよりこのかた三年《みと :126/186
に剣《つるぎ》をさへのせたまひたれば、亡き母上のその時のさまに紛ふべくも見えずなむ、 :138/186
。いまはわれにもあらで声高《こわだか》に、母上、母上と呼びたれど、叫びたれど、ゆり動 :138/186
はわれにもあらで声高《こわだか》に、母上、母上と呼びたれど、叫びたれど、ゆり動かし、 :138/186


『春昼』 泉鏡花を読む

つきませう。名がつきますと、父となります、母となり、兄となり、姉となります。其処で、 :184/628
目に介抱は出来かねます。娘が煩ふのだと、乳母が始末をする仕来りになつて居りますがね、 :379/628
              「それで三人の母様?  十二三のが頭ですかい。」     :425/628
ても宜しいわ。些とは不義理、否、父さんやお母さんに、不義理と言ふこともありませんけれ :497/628


『春昼後刻』 泉鏡花を読む

ござんすまいか。二歳か三歳ぐらゐの時に、乳母の背中から見ました、祭礼の町のやうにも思 :207/444
                    「母さんはないの、」             :359/444
         「お前は知らないでもね、母様の方は知つてるかも知れないよ、」    :361/444
すた/\と駈け出した。後白波に海の方、紅の母衣翩翻として、青麦の根に霞み行く。    :388/444
           とそれは獅子頭の緋の母衣であつた。               :420/444
            大きい方は仰向けに母衣を敷いて、膝を小さな山形に寝た。    :427/444
あつた。顔が玉のやうな乳房にくツついて、緋母衣がびつしより、其雪の腕にからんで、一人 :443/444


『天守物語』 泉鏡花を読む

は藍の如き獅子頭、萌黄錦《もえぎにしき》の母衣《ほろ》、朱の渦まきたる尾を装ひたるま :63/480
をおかくまひ申して置かう。(獅子頭を取る、母衣《ほろ》を開いて、図書の上に蔽ひながら :411/480
が》る。縋る、と見えて、身体《からだ》その母衣《ほろ》の裾なる方にかくる。獅子頭を捧 :417/480
にかくる。獅子頭を捧げつゝ、夫人の面、尚ほ母衣《ほろ》の外に見ゆ。          :417/480
込み、唯《と》見てわつと一度退く時、夫人も母衣《ほろ》に隠る。唯一頭青面《せいめん》 :418/480
ぐるひに、確《たしか》に其《それ》なる獅子母衣《ほろ》に潜《もぐ》つたに相違なし。や :422/480
                 図書 (母衣《ほろ》を撥退《はねの》け刀を揮《ふる :430/480
              図書も、ともに母衣《ほろ》を被《かつ》ぎて姿を蔽ふ。   :476/480


『歌行燈』 従吾所好

多分私も擽つたからうと思ふ。……処が生憎、母親〈おふくろ〉が操正しく、是でも密夫〈ま :373/744
       其の妹だね、可いかい、私の阿母〈おふくろ〉が、振袖の年頃を、困る処へ附 :424/744
、父〈おとつ〉さんが死くなりましてから、継母に売られて行きましたの。はじめに聞いた奉 :580/744


『夜行巡査』 青空文庫

なして、少しにても多量の暖を与えんとせる、母の心はいかなるべき。よしやその母子《おや :36/164
んとせる、母の心はいかなるべき。よしやその母子《おやこ》に一銭の恵みを垂れずとも、た :36/164
あと泣き出だす声も疲労のために裏涸れたり。母は見るより人目も恥じず、慌てて乳房を含ま :46/164
謂って聞かす。いいか、亡くなったおまえのお母《っか》さんはな」            :121/164
                     母という名を聞くやいなや女はにわかに聞き耳 :122/164
                 「え、お母さんが」                 :123/164
      「むむ、亡くなった、おまえのお母さんには、おれが、すっかり惚れていたのだ :124/164
ない、また疑うにも及ばない。それを、そのお母さんを、おまえのお父《とっ》さんに奪られ :126/164
れたのだ。な、解ったか。もちろんおまえのお母さんは、おれがなんだということも知らず、 :126/164
。名誉も棄てた。家も棄てた。つまりおまえの母親が、おれの生涯の幸福と、希望とをみな奪 :128/164
もののな、おれはおまえが憎かあない、死んだ母親にそっくりでかわいくってならないのだ。 :139/164
》すべき老車夫を懲罰し、憐《あわれ》むべき母と子を厳責したりし尽瘁《じんすい》を、讃 :164/164


『薬草取』 青空文庫

  まだ両親《ふたおや》ともあったんです。母親が大病で、暑さの取附《とッつき》にはも :113/283
、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。母様《おっかさん》は病気《きいきい》が悪い :116/283
        後《のち》は自分ばかり、乳母《うば》に手を曳《ひ》かれてお詣《まいり :121/283
。別に拝みようも知らないので、唯《ただ》、母親の病気の快くなるようと、手を合せる、そ :121/283
    坊やは綺麗《きれい》になりました。母も後毛《おくれげ》を掻上《かきあ》げて、 :126/283
》げて、そして手水《ちょうず》を使って、乳母《うば》が背後《うしろ》から羽織《はお》 :126/283
れなり力が抜けて、膝を支《つ》いたので、乳母が慌《あわて》て確乎《しっかり》抱《だ》 :126/283
枕に凭《もた》れながら、熟《じっ》と眺めた母と、顔が合うと、坊や、もう復《なお》るよ :127/283
が肩を抱いて、徐《そっ》と横に寝かした。乳母が、掻巻《かいまき》を被《き》せ懸けると :128/283
》の紋着に下じめの装《なり》で倒れた時、乳母が大声で人を呼んだです。         :129/283
私には戸外《おもて》へ出て遊んで来いと、乳母が言ったもんだから、庭から出たです。今も :130/283
道理《ごもっとも》でございますねえ。そして母様《おっかさん》はその後《のち》快《よ》 :132/283
色の紅《くれない》な花を採って来て、それを母親の髪に挿したら、きっと病気が復《なお》 :151/283
が復《なお》るに違いないと言う事です。また母は、その花を簪《かんざし》にしても似合う :151/283
いよ、否《いいえ》怖いのではないと言って、母親の病気の次第。             :219/283
、鎧《よろ》うた姫神《ひめがみ》のように頼母《たのも》しいにつけ、雲の消えるように路 :224/283
                     母様《おっかさん》の御大病《ごたいびょう》 :241/283
、坊主《ぼうず》は児《こ》になれ、女はその母《おっか》になれ、そして何時《いつ》まで :249/283
差置《さしお》くと、その時も絶え入っていた母は、呼吸《いき》を返して、それから日増《 :259/283
来ては、こちらを拝んで帰り帰りしたですが、母が亡《なく》なりました翌年から、東京へ修 :262/283


『夜叉ヶ池』 青空文庫

》りし)坊やは、お乳《つぱ》をおあがりよ。母《かあ》さんは一人でお夕飯も欲しくない。 :266/564
     ところで、姫様《ひいさま》のお乳母どの、湯尾峠《ゆのおとうげ》の万年姥《ま :288/564


『湯島の境内』 青空文庫

《い》い空合いでしたから、貴方の留守に、お母《っか》さんのお墓まいりをしたんですよ。 :38/205
お蔦はあやかりものだって、そう云ってね、お母《っか》さんがお墓の中から、貴方によろし :38/205
って見物がしたくってなりません。――そうお母《っか》さんがことづけをしたわ。……何だ :40/205
になさいな。またお役所の事なんか、お墓のお母《っか》さんもそう云いました。蔦がどんな :42/205
          早瀬 馬鹿な。お前のお母《っか》さんに礼を云うのよ。しかし世帯の :45/205
い。……ああ、親はなし、兄弟はなし、伯父叔母というものもなし、俺ばっかりをたよりにし :180/205


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 佐藤和雄(蟻) 2000.9.29