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 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

 「はい、光来《おいで》なさいまし、何ぞ御用。と得右衛門居住ひ直して挨拶すれば、女房も鬢のほつれ毛掻き上げつゝ静まりて控へたり。銀平は八蔵に屹と目注《めくば》せして己《おのれ》はつか/\と入込めば、「それお客様御案内と、得衛の知らせに女房は、「此方へ。と先に立ち、奥の空室《あきま》へ銀平を導き行きぬ。道々手筈を定めけむ、八蔵は銀平と知らざる人の如くに見せ、其身は上口《あがりくち》に腰打懸け、四辺《あたり》をきよろ/\見廻すは、もしや婦人を尋ねにかと得右衛門も油断せず、顔打守りて、「貴方は御泊ではございませんか。と問へばちよつとは答せず、煙草一服思はせぶり、とんとはたきて煙管を杖、「親方、逢はしてお呉《くん》ねえ。と異《おつ》にからんで言懸くれば、其と察して轟く胸を、押鎮めてぐつと落着き、「逢はせとはそりや誰に。亭主ならば私ぢや、さあお目に懸りましよ。と此方も負けずに煙草をすぱ/\。八蔵は肩を動《ゆす》つてせゝら笑ひ、「おいらが媽々《かゝ》が来て居る筈、一寸《ちよいと》逢はうと思つて来た。「ふむ、して何《どん》な御婦人だね。「些《ちと》気が狂《ふ》れて血相変り、取乱しては居るけれど、すらつとして中肉中背、戦慄《ぞつ》とするほど《い》い女さ。と空嘯いて毛脛の蚊をぴしやりと叩く憎体面《にくていづら》。斯くては愈々彼の婦人の身の上思ひ遣られたり、と得衛は屹と思案して、「其は大方門違ひ、私の代になつてから福の神は這入つても狂人《きちがひ》などいふ者は、門端へも寄り附きません。と思ひの外の骨の強さ。八蔵は本音を吐《ふ》き、「おい、可《いゝ》加減に巫山戯て置け。これ知るまいと思うても、先刻《さつき》ちやんと睨んで置いた、此処を這入つて右側の突当の部屋の中に匿蔵《かくまつ》てあらうがな。と正面より斬つて懸れば、ぎよつとはしたれど受流して、「居たら又何とする。「やい、やい、馬鹿落着《おちつき》に落着《おちつく》ない。亭主の許さぬ女房を蔵《かく》して置けば姦通《まをとこ》だ。足許の明るい内に、さらけ出してお謝罪《わび》をしろと、居丈高に詰寄れば、「こりや可笑い、お政府《かみ》に税を差上げて、天下晴れての宿屋なら、他人《ひと》の妻でも妾でも、泊めてはならぬ道理は無い。其とも其方《そち》の女房ばかりは、泊めるなといふ掟があるか、さあ其を聞うかい。と言はれて八蔵受身になり、むゝ、と詰りて頬脹《ふく》らし、「何さ、そりや此方の商売ぢや、泊めたが悪いといふでは無い。用があるから亭主の我《おれ》が連れて帰るに故障はあるまい。といはれて否《いや》とは言はれねば、得衛もぐつと行詰りぬ。八蔵得たりと畳み懸けて、「さあ、出して渡してくれ、否と言ふが最後だ。と〓乎《どつか》と坐して大胡座。得右衛門思ひ切つて、「居さへすれば渡して進ぜる、居らぬが実ぢやで断念《あきらめ》さつし。と言はせも果てず眼を怒らし、「まだ/\吐《ぬか》すか面倒だ。踏み込んで連れて行く、と突立上れば、大手を拡げ、「どつこい遣らぬは、誰でも来い、家の亭主此処に控へた。「何をと、八蔵は隠し持つたる鉄棒を振翳して飛懸れば、非力の得衛仰天して、蒼くなつて押隔つれど、腰はわな/\気はあぷ/\、困じ果てたる其処へ女房を前《さき》に銀平が一室《ひとま》を出でて駈け来りぬ。

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