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 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

 得三之を打見遣り、「お藤、予て言ひ聞かした通り、今夜は婿を授けて遣るぞ。嘸《さぞ》待遠《まちどほ》であつたらうの。と空嘯きて打笑へば、美人はわつと泣伏しぬ。高田はお藤をじろりと見て、「だが千円は頗る高直《かうぢき》だ。「考へて御覧なさい。此程の玉なら、潰《つぶし》に売つたつて三年の年期にして四五百円がものはあります。其を貴下は、初物をせしめるばかりか、生涯のなぐさみにするのだもの、此方は見切つて大安売だ。千円は安価《やす》いものだね。「其も左様《さう》ぢやな。どれ、一つ杯を献《さ》さう。此処一寸《ちよいと》お儀式だ。と独り喜悦《よがり》の助平顔、老婆は歯朶《はぐき》を露《む》き出して、「直《すぐ》と屏風を廻しませうよ。「其が可い。と得三は頷きけり。虎狼や梟に取囲まれたる犠牲《いけにへ》の、生きたる心地は無き娘も、酷薄無道の此談話《はなし》を聞きたる心はいかならむ。絶えも入るべき風情を見て、得三は叱るやうに、「おい、藤。高田様がお盃を下さる、頂戴しろ。これッ、人が物を言ふに返事もしないか。と声荒らかに呼はりて、掴み挫《ひし》がむ有様に、お藤は霜枯の虫の音にて、「あれ、御堪忍なさいまし。「何も謝罪《あやま》る事ア無《ね》え。機嫌よくお盃を受けろといふのだ。えゝ、忌々しい、めそ/\泣いてばかり居やあがる。これお録、媒妁人《なかうど》役だ。些《ちと》、言聞かして遣んな。老婆は声を繕ひて、「お嬢様、何《どう》したものでございますね。御婚礼のお目出度に、泣いて在《い》らしつちやあ済《すみ》ません。まあ、涙を拭いて、婿様をお見上げ遊ばせ。如何《どんな》に優しいお顔でございませう。其は/\可愛がつて下さいますよ、ねえ旦那様、と苦笑ひ、得三は「さうとも/\。「真個《ほんと》に深切な御方つちやアありません。不足をおつしやつては女冥利が尽きますによ。貴女はお恥かしいのかえ、と舐めるが如く撫廻せば、お藤は身体を固うして、頭《かぶり》を掉るのみ答へは無し。高田は故意《わざ》と怒り出し、「へむ、好い面《つら》の皮だ。嫌否《いや》なものなら貰ひますまい。女旱《ひでり》はしはしまいし。工手間《くでま》が懸るんなら破談にするぜ。と不興の体《てい》に得三は苛立ちて、「汝《うぬ》、渋太《しぶと》い阿魔だな。といひさまお藤の手を捉ふれば、「あれえ。「喧しいやい。と白き頸を鷲掴み、「此阿魔、生意気に人好《ひとごのみ》をしやあがる。汝《うぬ》何《どう》しても肯かれないか。と睨附《ねめつ》くれば、お藤は声を震はして、「そればつかりは、どうぞ堪忍して下さいまし。と諸手を合すいぢらしさ。「応《うむ》、肯かれないな。よし、肯かれなきあ無理に肯かすまでのことだ。仕て見せる事がある哩《わい》。といふは平常《いつも》の折檻ぞとお藤は手足を縮《すく》めける。得三は腕まくりして老婆を見返り、「お録、一番責めなきや埒が明くめえ。お客の前で〓《もが》き廻ると見苦しい、ちよいと手を貸してくれ。老婆はチョッと舌打して、「ても強情なお嬢《こ》だねえ。といひさま二人は立上りぬ。高田は高見に見物して、「これ/\台無しにしては悪いぜ。「なあに、売物だ。面《つら》に疵はつけません。
 泰助は、幕の蔭より之を見て、躍り出むと思へども、敵は多し身は単つ、湍《はや》るは血気の不得策、今いふ如き情実なれば、よしや殴打をなすとても、に致す憂《うれひ》はあらじ。捕縛して其後に、渠等の罪を数ふるには、娘を打たすも方便ならむか、さはさりながらいたましし、と出るにも出られずとつおいつ、拳に思案を握りけり。

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