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 『婦系図』 青空文庫

 もっとも、薬師の縁日で一所になって、水道橋から外濠線に乗った時は、仰せに因って飯田町なる、自分の住居《すまい》へ供をして行ったのであるが、元来その夜は、露店の一喝と言い、途中の容子と言い、酒井の調子が凜《りん》として厳しくって、かねて恩威並び行わるる師の君の、その恩に預かれそうではなく、罰利生《ばちりしょう》ある親分の、その罰の方が行われそうな形勢は、言わずともの事であったから、電車でも片隅へ蹙《すく》んで、僥倖《さいわい》そこでも乗客《のりて》が込んだ、人蔭になって、眩《まばゆ》い大目玉の光から、を躱わして免《まぬか》れていたは可いが、さて、神楽坂で下りて、見附の橋を、今夜に限って、高い処のように、危っかしく渡ると、件の売卜者《うらない》の行燈《あんどう》が、真黒な石垣の根に、狐火かと見えて、急に土手の松風を聞く辺《あたり》から、そろそろ足許が覚束なくなって、心も暗く、吐胸《とむね》を支いたのは、お蔦の儀。

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