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 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

 かばかり堅固なる囲《かこひ》の内よりそも如何にして脱け出でけむ、尚人形の後より声を発《いだ》して無法なる婚姻を禁《とゞ》めしも、汝なるか。と得三は下枝に責め問ひ、疑を晴さむと思ふめれど、高田は頻《しきり》に心急ぎて、早くお藤の方をつけよ。夏とはいへど夜は更けたり。さまで時刻後《おく》れては、枕に就くと鷄《とり》うたはむ、一刻の価千金と、只管《ひたすら》式を急ぐになむ。さはとて下枝を引起して、足あらばこそ歩みも出《いで》め、斯《かう》して置くに如くことあらじ。人に物を思はせたる報酬《むくい》は斯くぞと罵りて、下枝が細き小腕《こがひな》を後手《うしろで》に捻ぢ上げて、縛《いまし》めんとなしければ、下枝は糸より尚ほ細く、眼を見開きて恨しげに、「もう大抵に酷《ひど》うしたが好うござんせう。坐つて居る事も出来ぬやうに弱り果てた私の身体、何処へも参りは致しませぬ。といへば得三冷笑《あざわら》ひ、「其の手はくはぬわ。また出て失せうと思ひやあがつて、へむ、左様《さう》旨くはゆかないてや、ちつとの間の辛抱だ。後刻《のち》に来て一所に寝てやる。ふむ、痛いか様《ざま》を見ろ。と下枝の手を見て、「おや、右の小指を何うかしたな、こいつは一節切つてあらあ。やい、何処へ行つて指切断《ゆびきり》をして来たんだ。と問ひ懸るを高田は押止め、「まあまあ、そんな事ア何時でも可いて。早く我《おれ》の方を、「はて、せはしない今行きます。と出血休《と》まざる小指の血にて、我掌の汚れたるにぞ、かつぷと唾を吐き懸けて、下枝の袖にて押拭ひ、高田と連立ち急がはしく、人形室に赴きぬ。後より八蔵入来り、斯う/\いふ次第にて、八橋楼の亭主を捕へ、一室《ひとま》に押込め置きたるが、といふに得三頷きて、其の働を誉めそやし、後にて計らふべき事あり。其儘にして置きて、銀平と勝手にて酒を飲んで寛《くつろ》げ。と八蔵を去《い》なして手を打鳴し、「録よ、お録。と呼び立つれど、老婆は更に答《いらへ》せねば、「はてな、お録といへば先刻《さつき》から皆目姿を見せないが、はゝあ、疲れて何処かで眠つたものと見える。老年《としより》といふものはえゝ!埒の明かぬ。と呟きつゝ高田に向ひ、「どうせ横紙破りの祝言だ。媒妁《なかうど》も何も要つた物では無い。どれ、藤を進《あ》げますから。と例の被《かづき》を取除くれば、此人形は左の手にて小褄を掻取り、右の手を上へ差伸べて被《かづき》を支ふるものにして、上げたる手にて翻る、稜羅《りようら》の袖の八口と、〆めたる錦の帯との間に、人一人肩をすぼむれば這入《はひ》らるべき透間あり。其処に居て壁を押せば、縦三尺幅四尺向うへ開く仕懸《しかけ》にて、総ての機械は人形に、隠るゝ仕方巧みにして、戸になる壁の継目など、肉眼にては見分け難し。得三手燭にて此仕懸を見せ、「平常《ふだん》は鎖《じやう》を下してお藤を入れて置くが、今晩は貴下に差上げるので、開けたまゝだ。此方へお入り。と先に立ちて行く後より、高田も入りて見るに、壁の彼方《うち》にも一室《ひとま》あり。畳を敷くこと三畳ばかり。「いゝ一寸《ちよん》の間だ。と高田がいへば、得三呵々《から/\》と打笑ひて、「東京の待合にも此程の仕懸はあるまい。といひつゝ四辺《あたり》を見廻すに、今しがた泰助の手より奪ひ返してお録に此室《こゝ》へ入れ置くやう、命《いひつ》けたりしお藤の姿、又もや消えて見えざりければ、〓呀《あなや》とばかり顔色変じぬ。

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