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 『草迷宮』 鏡花とアンティークと古書の小径

 茜色の顱巻《はちまき》を、髪天窓《しらがあたま》にちょきり結び。結び目の押立《おった》って、威勢の可いのが、弁慶蟹の、濡色あかき鋏に似たのに、またその左の腕片々、へし曲って脇腹へ、ぱッと開け、ぐいと握る、指と掌は動くけれども、肱は附着《くッつ》いて些《ちっ》とも伸びず。銅《あかがね》で鋳たような。……その仔細を尋ぬれば、心がらとは言いながら、去《さんぬ》る年、一膳飯屋でぐでんになり、冥途の宵を照らしますじゃ、と碌でもない秀句を吐いて、井桁の中に横木瓜《よこもっこう》、田舎の暗夜《やみ》には通りものの提灯を借りたので、蠣殻道《かきがらみち》を照らしながら、安政の地震に出来た、古い処を、鼻唄で、地《つち》が崩れそうなひょろひょろ歩行《ある》き。好い心持に眠気がさすと、邪魔な灯《あかり》を肱にかけて、腕を鍵形《かぎなり》に両手を組み、ハテ怪しやな、汝《おのれ》、人魂か、金精《かねだま》か、正体を顕せろ! とトロンコの据眼《すえまなこ》で、提灯を下目に睨む、とぐたりとなった、並木の下。地虫のような鼾を立てつつ、大崩壊《おおくずれ》に差懸ると、海が変って、太平洋を煽る風に、提灯の蝋が倒れて、めらめらと燃えついた。沖の漁火を袖に呼んで、胸毛がぢりぢりに仰天し、やあ、コン畜生、火の車め、まだ疾え、と鬼と組んだ横倒れ、転廻《ころがりまわ》って揉消して、生命に別条はなかった。が、その時の大火傷、享年六十有七歳にして、生れもつかぬ不具《かたわ》もの――渾名を、てんぼう蟹の宰八という、秋谷在の名物親仁。

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