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 『古狢』 青空文庫

 私?……私は毎朝のように、お山の妙見様へお参りに。おっかさんは、まだ寝床に居たんです。台所の薬鑵《ゆわかし》にぐらぐら沸《たぎ》ったのを、銀の湯沸《ゆわかし》に移して、塗盆で持って上って、(御免遊ばせ。)中庭の青葉が、緑の霞に光って、さし込む裡《なか》に、いまの、その姿でしょう。――馴《な》れない人だから、帯も、扱帯《しごき》も、羽衣でも〓《むし》ったように、ひき乱れて、それも男の手で脱がされたのが分ります。――薄い朱鷺色《ときいろ》、雪輪なんですもの、どこが乳だか、長襦袢だか。――六畳だし……お藻代さんの顔の前、枕まではゆきにくい。お信が、ぼうとなって、入口に立ちますとね、(そこへ。)と名古屋の客がおっしゃる。……それなりに敷蒲団《しきぶとん》の裾へ置いて来たそうですが。」
 外套氏は肩をすくめた。思わず危険を予感した。
「名古屋の客が起上りしな、手を伸ばして、盆ごと取って、枕頭へ宙を引くトタンに塗盆を辷《すべ》ったんです。まるで、黒雲の中から白い猪が火を噴いて飛蒐《とびかか》る勢《いきおい》で、お藻代さんの、恍惚《うっとり》したその寝顔へ、蓋《ふた》も飛んで、仰向《あおむ》けに、熱湯が、血ですか、蒼い鬼火でしょうか、玉をやけば紫でしょうか……ばっと煮えた湯気が立ったでしょう。……お藻代さんは、地獄の釜《かま》で煮られたんです。

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