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 『貝の穴に河童の居る事』 青空文庫

 馬鹿気ただけで、狂人《きちがい》ではないから、生命《いのち》に別条はなく鎮静した。――ところで、とぼけきった興は尽きず、神巫《みこ》の鈴から思いついて、古びた玩弄品屋の店で、ありあわせたこの雀を買ったのがはじまりで、笛吹はかつて、麻布辺の大資産家で、郷土民俗の趣味と、研究と、地鎮祭をかねて、飛騨《ひだ》、三河、信濃《しなの》の国々の谷谷谷深く相交叉《こうさ》する、山また山の僻村《へきそん》から招いた、山民一行の祭に参じた。桜、菖蒲《あやめ》、山の雉子《きじ》の花踊。鬼、青鬼、白鬼の、面も三尺に余るのが、斧鉞《おのまさかり》の曲舞する。浄《きよ》め砂置いた広庭の檀場には、幣《ぬさ》をひきゆい、注連《しめ》かけわたし、来《きた》ります神の道は、(千道《ちみち》、百綱《ももづな》、道七つ。)とも言えば、(綾《あや》を織り、錦《にしき》を敷きて招じる。)と謡うほどだから、奥山人が、代々に伝えた紙細工に、巧《わざ》を凝らして、千道百綱を虹《にじ》のように。飾《かざり》の鳥には、雉子、山鶏《やまどり》、秋草、もみじを切出したのを、三重《みえ》、七重《ななえ》に――たなびかせた、その真中《まんなか》に、丸太薪《たきぎ》を堆《うずたか》く烈々と燻《く》べ、大釜《おおがま》に湯を沸かせ、湯玉の霰《あられ》にたばしる中を、前後《あとさき》に行違い、右左に飛廻って、松明《たいまつ》の火に、鬼も、人も、神巫《みこ》も、禰宜《ねぎ》も、美女も、裸も、虎の皮も、紅《くれない》の袴《はかま》も、燃えたり、消えたり、その、ひゅうら、ひゅ、ひゅうら、ひゅ、諏訪の海、水底《みなそこ》照らす小玉石、を唄いながら、黒雲に飛行《ひぎょう》する、その目覚しさは……なぞと、町を歩行《ある》きながら、ちと手真似で話して、その神楽の中に、青いおかめ、黒いひょっとこの、扮装《いでたち》したのが、こてこてと飯粒をつけた大杓子《おおしゃくし》、べたりと味噌を塗った太擂粉木《ふとすりこぎ》で、踊り踊り、不意を襲って、あれ、きゃア、ワッと言う隙《ひま》あらばこそ、見物、いや、参詣の紳士はもとより、装《よそおい》を凝らした貴婦人令嬢の顔へ、ヌッと突出し、べたり、ぐしゃッ、どろり、と塗る……と話す頃は、円髷が腹筋《はらすじ》を横によるやら、娘が拝むようにのめって俯向《うつむ》いて笑うやら。ちょっとまた踊が憑《つ》いた形になると、興に乗じて、あの番頭を噴出《ふきだ》させなくっては……女中をからかおう。……で、あろう事か、荒物屋で、古新聞で包んでよこそう、というものを、そのままで結構よ。第一色気ざかりが露出《むきだ》しに受取ったから、荒物屋のかみさんが、おかしがって笑うより、禁厭《まじない》にでもするのか、と気味の悪そうな顔をしたのを、また嬉しがって、寂寥《せきりょう》たる夜店のあたりを一廻り。横町を田畝《たんぼ》へ抜けて――はじめから志した――山の森の明神の、あの石段の下へ着いたまでは、馬にも、猪《いのしし》にも乗った勢《いきおい》だった。

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