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 『日本橋』 青空文庫

 却説、葛木法師の旅僧は遠くも行かず、どこで電車を下りて迂廻したか、多時すると西河岸へ、船から上ったごとく飄然として顕れて、延命地蔵尊の御堂に詣でて礼拝して、飲酒家の伯父さんに叱られたような形で、あの賓頭廬の前に立って、葉山繁山、繁きが中に、分けのぼる峰の、月と花。清葉とお孝の名を記にした納手拭の、一つは白く、一つは青く、春風ながら秋の野に葛の裏葉の飜る、寂しき色に出でて戦ぐを見つつ、去るに忍びぬ風情であった。
 茶を振舞った世話人の問に答えて、法体は去年の大晦日からだ、と洒落でなく真で云うよう、
「いや、夜遁げ同然な俄発心。心よりか形だけを代えました青道心でございます。面目の無い男ですから笠は御免を蒙ります。……どこと申して行く処に当は無いので、法衣を着て草鞋を穿くと、直ぐに両国から江戸を離れて、安房上総を諸所|経歴りました。……今日は、薬研堀を通ってこっちへ。――今度は日本橋を振出しに、徒歩で東海道に向いますつもり。――以来は知らず、どこへ参っても、このあたりぐらい、名所古蹟はございませんな。」

 1990/2195 1991/2195 1992/2195


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