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 『夜叉ヶ池』 青空文庫

晃 鐘は、高く、ここにあって――その影は、深く夜叉ヶ池の碧潭《へきたん》に映ると云う。……撞木《しゅもく》を当てて鳴る時は、凩《こがらし》にすら、そよりとも動かない、その池の水が、さらさらと波を立てると聞く。元来、竜神を驚かすために打鳴らすのであるから、三度のほかに騒がしては、礼を欠く事に当る。……
学円 その道理じゃ、むむ。
晃 鐘も鳴らせん……処で、不知案内の村を駈廻《かけまわ》って人を集めた、――サア、弥太兵衛の始末は着いたが、誰も承合《うけあ》って鐘を撞こうと言わない。第一、しかじかであるからと、爺《じい》に聞いた伝説を、先祖の遺言のように厳《おごそか》に言って聞かせると、村のものは哄《どっ》と笑う。……若いものは無理もない。老寄《としより》どもも老寄どもなり、寺の和尚《おしょう》までけろりとして、昔話なら、桃太郎の宝を取って帰った方が結構でござる、と言う。癪《しゃく》に障った――勝手にしろ、と私もそこから、(と框《かまち》を指し)草鞋《わらじ》を穿《は》いて、すたすたとこの谷を出て帰ったんだ。帰る時、鹿見村《しかみむら》のはずれの土橋の袂《たもと》に、榎《えのき》の樹の下に立ってしょんぼりと見送ったのが、(と調子を低く)あの、婦人《おんな》だ。

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