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 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

 此に於て泰助も、と胸を吐《つ》きて途方に暮れぬ。他《よ》の事ならず。得三は刀を手にし、短銃《ピストル》を腰にしたり。我泰助は寸鉄も帯ず。相対して戦はば利無きこと必定なり。とあつて捕吏《とりて》を召集せむか、下枝は風前の燈の、非道の刃にゆらぐ魂《たま》の緒、絶えむは半時を越すべからず。よしや下枝を救ひ得ずとも殺人犯の罪人を、見事我手に捕縛せば、我探偵たる義務は完《まつた》し。されども本間が死期《しご》の依頼を天に誓ひし一諾あり、人情としては決して下枝を死なすべからず。さりとて出て闘はむか、我が身命は立処に滅し、此大悪人の罪状を公になし難し。憶《あゝ》公道人情両《ふたつながら》是非《これひなり》。人情公道最難為《なしがたし》。若《もし》依公道《こうだうによらば》人情缺《にんじやうかけ》。順了人情《にんじやうにしたがはば》公道虧《こうだうかく》。如かず人情を棄てて公道に就き、眼前に下枝が虐殺さるゝ深苦の様を傍観せむ哉、と一度は思ひ決《さだ》めつ、我同僚の探偵吏に寸鉄を帯びずして能く大功を奏するを、栄として誇りしが、今より後は我を折りて、身に護身銃を帯すべしと、男泣に泣きしとなん。
 下枝がを宣告され、仇敵《あだがたき》の手にはなじとて、歎き悶ゆる風情を見て、咄嗟に一の奇計を得たり。
 走りて三たび雑具部屋に帰り、得右衛門の耳に囁きて、其計略を告げ、一臂の力を添へられむことを求めしかば、件の滑稽翁兼たり好事家、手足を舞はして奇絶妙と称し、両膚脱ぎて向ふ鉢巻、用意は好きぞやらかせと、斉く人形室の前に至れば、美婦人正に刑柱にあり、白刃乳の下に臨める刹那、幸にして天地は悪魔の所有《もの》に非ず。

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