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 『活人形』 鏡花とアンティークと古書の小径

 下枝は我に取縋《とりすが》りて、得堪へぬ苦痛を訴へつゝ、助けてよ、と歎くになむ。さらば財産も何かせむ。家邸も何かせむ、皆得三に投与へて、斯る悪魔の火宅を遁れ、片田舎にて気散じに住み給ふ気は無きか、連れて遁げむと勧めしかど、否《いや》、先祖より伝はりたる財産は、国とも城ともいふべきもの、いかに君と添ひ度いとて、人手には渡されず。今得三は国の仇《あだ》、城を二十重《はたへ》に囲まれたれば、責め殺されむ其までも、家は出でずに守るといふ。男勝りの心に恥ぢて、強ひてとも言ひ難く、さればとて此まゝにては得三の手に死ぬばかりぞ、と抱き合ひつゝ泣き居たりしを、得三に認められぬ。言語道断の淫戯者《いたづらもの》片時も家に置難しと追出されむとしたりし時、下枝が記念《かたみ》に見給へとて、我に与へし写真あり。我は彼《かの》悪僕に追立てられて詮方無く、其夜赤城の家を出で、指して行方もあらざれば其日々々の風次第、寄る辺《べ》定めぬ捨小船《すてをぶね》、津や浦に彷徨《さまよ》うて、身に知る業《わざ》の無かりしかば、三年越しの流浪にて、乞食《こつじき》の境遇にも、忘れ難きは赤城の娘、姉妹《あねいもうと》とも嘸《さぞ》得三に、憂い愁《つら》い目を見るならむ。助くる術は無きことか、と頼母《たのも》しき人々に、一つ談話《ばなし》にするなれど、聞くもの誰も信《まこと》とせず。思ひ詰めて警察へ訴へ出でし事もあれど、狂気の沙汰とて取上げられず。力無く生甲斐無く、漣《さゞなみ》や滋賀県に侘《わび》年月を過すうち、聞く東京に倉瀬とて、弱きを助くる探偵ありと、雲間に高きお姓名《なまえ》の、雁の便に聞ゆるにぞ、さらば助を乞ひ申して、下枝等を救はむと、行李忽々《そこ/\》彼地《かのち》を旅立ち、一昨日此地に着きましたが、暑気《あつさ》に中《あた》りて昨日一日、旅店に病みて枕もあがらず。今朝はちと快気《こゝろよげ》なるに、警察を尋ねて見ばやと、宿を出づれば後より一人跟《つ》け来る男あり。忘れもせぬ其奴《そやつ》こそ、得三に使はるゝ八蔵といふ悪僕なれば、害心もあらむかと、用心に用心して、此病院の裏手まで来りしに、思へば運の尽《つき》なりけむ。俄に劇しく腹の痛みて、立つても居られず大地に僵《たふ》れ、苦しんで居る処へ誰やらむ水を持来りて、呑まして呉るゝ者あり。眼も眩み夢中にて唯一呼吸《ひといき》に呑干しつ、稍人心地になりたれば、介抱せし人を見るに、別人ならぬ悪僕なり。はつと思ふに毒や利きけむ、心身忽ち悩乱して、腸《はらわた》絞る苦しさにさては毒をば飲まされたり。彼の探偵に逢ふまでは、束の間欲しき玉の緒を、繋ぎ止めたや/\と絶入る心を激まして、幸ひ此処が病院なれば、一心に駈け込みし。其後は存ぜずと、呼吸《いき》つきあへず物語りぬ。

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