検索結果詳細


 『国貞えがく』 青空文庫

 この通《とおり》は、渠が生れた町とは大分間が離れているから、軒を並べた両側の家に、別に知己《ちかづき》の顔も見えぬ。それでも何かにつけて思出す事はあった。通りの中ほどに、一軒料理屋を兼ねた旅店《りょてん》がある。其処へ東京から新任の県知事がお乗込とあるについて、向った玄関に段々《だんだら》の幕を打ち、水桶に真新しい柄杓を備えて、恭《うやうや》しく盛砂《もりずな》して、門から新莚《あらむしろ》を敷詰めてあるのを、向側の軒下に立って視《なが》めた事がある。通り懸りのお百姓は、この前を過ぎるのに、
 「ああっ、」といって腰をのめらして行った。……御威勢のほどは、後年地方長官会議の節に上京なされると、電話第何番と言うのが見得の旅館へ宿って、葱の〓《おくび》で、東京の町へ出らるる御身分とは夢にも思われない。

 25/317 26/317 27/317


  [Index]