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 『婦系図』 青空文庫

 その話、と云うのが、かねて約束の、あの、ギョウテの(エルテル)を直訳的にという註文で、伝え聞くかの大詩聖は、ある時シルレルと葡萄の杯を合せて、予等《われら》が詩、年を経るに従いていよいよ貴からんことこの酒のごとくならん、と誓ったそうだわね、と硝子杯《コップ》を火に翳してその血汐《ちしお》のごとき紅を眉に宿して、大した学者でしょう、などと夫人、得意であったが、お酌が柳橋のでなくっては、と云う機掛《きっかけ》から、エルテルは後日《ごにち》にして、まあ、題も(ハヤセ)と云うのを是非聞かして下さい、酒井さんの御意見で、お別れなすった事は、東京で兄にも聞きましたが、恋人はどうなさいました。厭だわ、聞かさなくっちゃ、と強いられた。
 早瀬は悉《くわ》しく懺悔するがごとく語ったが、都合上、ここでは要を摘んで置く。……
 義理から別離《わかれ》話になると、お蔦は、しかし二度芸者《つとめ》をする気は無いから、幸いめ組の惣助《そうすけ》の女房は、島田が名人の女髪結。柳橋は廻り場で、自分も結って貰って懇意だし、め組とはまたああいう中で、打明話が出来るから、いっそその弟子になって髪結で身を立てる。商売をひいてからは、いつも独りで束ねるが、銀杏返しなら不自由はなし、雛妓《おしゃく》の桃割ぐらいは慰みに結ってやって、お世辞にも誉められた覚えがある。出来ないことはありますまい、親もなし、兄弟もなし、行く処と云えば元の柳橋の主人の内、それよりは肴屋へ内弟子に入って当分梳手《すきて》を手伝いましょう。……何も心まかせ、とそれに極まった。この事は、酒井先生も御承知で、内証《ないしょう》で飯田町の二階で、直々《じきじき》に、お蔦に逢って下すって、その志の殊勝なのに、つくづく頷いて、手ずから、小遣など、いろいろ心着《こころづけ》があった、と云う。

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