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 『国貞えがく』 青空文庫

 とそこへ膳を直して銚子を取った。変れば変るもので、まだ、七八ツ九ツばかり、母が存生《ぞんしょう》の頃の雛祭には、緋の毛氈を掛けた桃桜の壇の前に、小さな蒔絵の膳に並んで、この猪口ほどな塗椀で、一緒に蜆の汁《つゆ》を替えた時は、この娘が、練物のような顔のほかは、着くるんだ花の友染で、その時分から円い背を、些《ち》と背屈《せこご》みに座る癖で、今もその通りなのが、こうまで変った。
 平吉は既《も》う五十の上、女房はまだ二十の上を、二ツか、多くて三ツであろう。この姉だった平吉の前《ぜん》の家内がんだあとを、十四、五の、まだ鳥も宿らぬ花が、夜半《よわ》の嵐に散らされた。はじめ孫とも見えたのが、やがて娘らしく、妹らしく、こうした処では肖《ふさわ》しくなって、女房ぶりも哀《あわれ》に見える。

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