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 『春昼』 泉鏡花を読む

 素肌へ、貴下、嬰児を負ふやうに、それ、脱いで置いたぼろ半纏で、しつかりくるんで、背負上げて、がくつく腰を、鍬を杖にどツこいなぢや。黙つて居ろよ、何んにも言ふな、屹と誰にも饒舌るでねえぞ、と言ひ続けて、内へ帰つて、納戸を閉切つて暗くして、お仏壇の前へ筵を敷いて、其処へざく/\と装上げた。尤も年が経つて薄黒くなつて居たさうでありますが、其の晩から小屋は何んとなく暗夜にも明るかつた、と近所のものが話でござつて。
 極性な朱でござつたらう、ぶちまけた甕充満のが、時ならぬ曼珠沙華が咲いたやうに、山際に燃えて居て、五月雨になつて消えましたとな。
 些と日数が経つてから、親仁どのは、村方の用達かた/\、東京へ参つた序に芝口の両換店へ寄つて、汚い煙草入から煙草の粉だらけなのを一枚だけ、そつと出して、幾干に買はつしやる、と当つて見ると、いや抓んだ爪の方が黄色いくらゐでござつたに、正のものとて争はれぬ、七両ならば引替へにと言ふのを、もツと気張つてくれさつせえで、とう/\七両一分に替へたのがはじまり。

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