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 『婦系図』 青空文庫

 この横町から、安東村へは五町に足りない道だけれども、場末の賤《しず》が家ばかり。時に雨もよいの夏雲の閉した空は、星あるよりも行方遥《はる》かに、たまさか漏るる灯の影は、山路なる、孤家《ひとつや》のそれと疑わるる。
 名門の女子深窓に養われて、傍に夫無くしては、濫《みだ》りに他と言葉さえ交えまじきが、今日朝からの心の裡、蓋し察するに余《あまり》あり。
 我は不義者の児なりと知り、父はしかも危篤の病者。逢うが別れの今世《こんじょう》に、臨終《いまわ》のなごりを惜《おし》むため、華燭《かしょく》銀燈輝いて、見返る空に月のごとき、若竹座を忍んで出た、慈善市《バザア》の光を思うにつけても、横町の後暗さは冥土《よみじ》にも増《まさ》るのみか。裾端折り、頬被《ほほかぶり》して、男――とあられもない姿。ちらりとでも、人目に触れて、貴女は、と一言聞くが最後よ、活きてはいられない大事の瀬戸。辛《から》く乗切って行く先は……実《まこと》の親の死目である。道子が心はどんなであろう。

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