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 『婦系図』 青空文庫

「私ですよう引」と床に沈んで、足許の天井裏に、電話の糸を漏れたような、夢の覚際に耳に残ったような、胸へだけ伝わるような、お蔦の声が聞えたと思うと、蛾《ひとりむし》がハタと落ちた。
 はじめて心付くと、厠の戸で冷く握って、今まで握緊《にぎりし》めていた、左の拳《こぶし》に、細い尻尾のひらひらと動くのは、一尾《ぴき》の守宮《やもり》である。
 はっと開くと、雫のように、ぽたりと床に落ちたが、足を踏張ったまま動きもせぬ。これに目も放さないで、手を伸ばして薬瓶を取ると、伸過ぎた身の発奮《はず》みに、蹌踉《よろ》けて、片膝を支いたなり、口を開けて、垂々《たらたら》と濺《そそ》ぐと――水薬の色が光って、守宮の頭を擡《もた》げて睨むがごとき目をかけて、滴るや否や、くるくると風車のごとく烈しく廻るのが、見る見る朱を流したように真赤《まっか》になって、ぶるぶると足を縮めるのを、早瀬は瞳を据えて屹と視た。

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