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 『湯島の境内』 青空文庫

お蔦 でも、偶《たま》には一所に連れて出て下さいまし。夫婦《いっしょ》になると気抜《きぬけ》がして、意地も張《はり》もなくなって、ただ附着《くッつ》いていたがって、困った田舎嫁でございます。江戸は本郷も珍しくって見物がしたくってなりません。――そうお母《っか》さんがことづけをしたわ。……何だかこの二三日、鬱込《ふさぎこ》んでいらっしゃるから、貴方の氏神様もおんなじ、天神様へおまいりをなさいまし、私も一所にッて、とても不可《いけ》ないと思って強請《ねだ》ったら、こうして連れて来てくれたんですもの。草葉の蔭でもどんなに喜んでいるか知れませんよ。
早瀬 堪忍しな。嘘にも誉《ほ》められたり、嬉しがられたりしたのは、私は昨日《きのう》、一昨日《おととい》までだ、と思っているんだ。(嘆息す。)
お蔦 何だねえ、気の弱い。掏賊《すり》の手伝いをしたッて、新聞に出されて、……自分でお役所を辞職した事なんでしょう。私が云うと、月給が取れなくなったのを気にするようで口惜《くや》しいから、何にも口へは出さなかったけれど、貴方、この間から鬱《ふさ》いでいるのはその事でしょう。可《い》いじゃありませんか。蹈《ふ》んだり蹴《け》たりされるのを見ちゃ、掏賊だって助けまいものでもない、そこが男よ。ええ、私だって柳橋に居りゃ助けるわ。それが悪けりゃ世間様、勝手になさいな。またお役所の事なんか、お墓のお母《っか》さんもそう云いました。蔦がどんな苦労でも楽《たのし》みにしますから、お世帯向は決《け》して御心配なさいますなって、……云ってましたよ。

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